よんばば つれづれ

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なかなか沁みる『コタキ兄弟と四苦八苦』

テレ東さんの深夜ドラマがまたやってくれた。今期も私にとっては視聴意欲の湧くドラマが少ない中、金曜深夜の『コタキ兄弟と四苦八苦』が渋い。とりわけ樋口可南子さんがゲストの第4回は出色だった。

 

元予備校講師で現在「休職中」の兄一路(古舘寛治)と「無職」の弟二路(滝藤賢一)は、偶然知り合ったレンタル親父のムラタ(宮藤官九郎)の代理をしたことから、今は本来1人で1時間1000円のレンタル親父を、2人セットで1000円として登録している。

 

この後は結末に言及するので、これから何らかの手段で見ようとお思いの方は、お読みにならない方が良いかも知れない。

 

 

今回の依頼主は60歳の女性須弥子(樋口可南子)。3か月後に世界が終わると言い、週に2日・3か月の長期契約を結ぶ。2人の名前すら覚えようとせず「ナニロー」と呼んで奴隷のようにこき使う彼女に反感を抱く2人は、反抗的な態度を取ったりしていたのだが、ともに時を過ごすうち気持ちが変わっていく。

 

単なる終末論者かあるいはそれを装って楽しんでいると思った彼女は、サードオピニオンまで探しても打つ手はなく、余命3か月という宣告を受けていた。身寄りがないのを幸い、友人や仕事の関係者にも知らせないまま身辺整理をし、あとくされのないレンタル親父を最後の時間を共にする相手に選んだのだった。

 

最後の1か月はコタキ兄弟も遠ざけていた彼女の思いが、葬儀の場で最後を弁護士とともに看取ったムラタから知らされる。「ナニローと呼ぶ程度の関係で、嫌われているくらいが良かった」と言っていたというのだ。彼らが須弥子を思いやる気持ちを持ったことに気づき、辛くなるのを避けて遠ざけたのだろう。

 

遺灰を海にまくことに執着していたのはなぜなのだろうと言うムラタ。海辺のデッキチェアで3人でお茶を飲みながら、誰にも語ったことのない彼女の中学生時代のいたずらの話を聞いたコタキ兄弟2人だけが、その彼女の思いを理解できた・・・。

 

 

あまり好感を持っていなかった古舘寛治さんだが、現政権に対する毅然とした発言で見直した。それでも俳優としての魅力はいま一つと思っていたが、このコタキ兄弟の兄の役は実にはまり役だ。実質的に無職であるやるせなさや、弟に対する優越感と劣等感がないまぜになった複雑な思いを抱いた主人公を見事に表現している。妻には離婚を迫られ、無職だというのにチャラチャラと軽い弟を、滝藤賢一さんがいきいきと楽しげに演じているのは言うまでもない。

 

脚本は野木亜紀子さんのオリジナル。ゲスト出演者には、市川実日子さんは第1回に出演済みだけれど、今後も小林薫さん門脇麦さんなど楽しみな人たちが控えているようだ。

 

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デジタル時代だから手紙がなおのこと嬉しい

昨日子供たちの見守り当番を終えて帰ってくると、郵便受けに次男からの葉書が届いていた。

 

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年末から年始にかけて猛烈に忙しかったであろう次男に、思わず二マッとしてしまうような可愛い猫の絵葉書を先週送ったのだ。それに律儀に返事をくれた(親バカ)。チャコールグレーやダークグレーを通り越して、紛れもないブラックな労働をしているというのに、年賀状もちゃんと元旦に届いた。毎日サンデーの母が、今年から頂いた方にだけお返事を書くことにしてしまったというのに・・・。

 

 

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次男は音楽にのめりこんでしまい、普通の人より十年以上も回り道をしてしまった。モノにならなかった時のリスクも覚悟のうえで挑戦したのだから自業自得なのだけれど、以前も書いたように平安貴族の通い婚状態ゆえ、家に帰っても一人だと思えば、つい心配になって時々手紙を書かずにいられない。

 

LINEのやりとりもすれば電話もくれて、時に1時間も話し込んだりするけれど、やっぱり肉筆の手紙はまた格別で、しみじみと嬉しい(親バカ)。

 

今ならばそれこそ家族LINEでやりとりするのだろうが、息子たちがまだ家にいた20年以上前、私は仕事で息子たちは学校やバイトとすれ違いも少なくなく、私たちはメモ用紙に書いた手紙で連絡し合った。バイトならば、どんなに遅くても起きて待ち「お帰り」と声をかけてやりたいが、自分も明日の仕事を思うとそうもいかないので、メモに思いを込めた。

 

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息子たちのはユーモアにあふれ、彼らの返事を読むのが楽しみだった(親バカ)。このところの「整理したい病」でも捨てられず、こうしたメモが今も200枚以上残っている。

 

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息子たちの父親には慰謝料も養育費も1円も求めず、それなのに長男の大学進学で自宅通学させるため、軌道に乗っていた塾を人に譲って自分の故郷に戻り、仕事人生をリセットした。四十代も半ばになっていたのに、生来のわがままで納得のいかない職場はサッサと辞めて転職を繰り返したので、地位もなければ財産もつくれなかったけれど、このメモなどは私の大切な宝物だ。

のんちさんに言及していただきました!

いつも美味しそうなお料理と、お嬢さんとの素敵な母娘関係を紹介してみえるのんちさんが、私のちょっとしたコメントを受け止めて言及してくださった。

 

「追記」の部分で触れてくださっている。

nonchi1010.hatenablog.com

 

再度コメントを入れようかと思ったのだけれど、長くなりそうだったのでエントリーにすることにした。

 

私が子供のころは、大人が厳然とした権威を持っていた。個々の家庭がということでなく、世の中全体がそうだった。私の家は、父が当時としては珍しいマイホームパパタイプではあったが、肝心なところではやはり「親に口答えはまかりならん」というふうで、時には理不尽だと思い悔しさにふるえることもあり、経済的にも精神的にも自由を得たくて、私は早く大人になりたいと思っていた。

 

ただ、大人が確固たる権威を持っていただけに、現代とは比較にならないほど、大人たちはそれぞれの役割をきちんと果たしていたように思う。「〇〇らしく」という社会規範があって、皆それに合わそうと努力していたように思う。だから子供は子供らしく、大人の範疇のことを思い煩うことなく、元気に遊んでいられた。

 

現代は「〇〇らしく」などと求められない、自由と権利の時代である。結婚しても親になっても、自分の人生を追求したい。一般に子供は大事にされお金をかけて育てられるようになったけれど、世の中が複雑になり、なかには早くから大人の思いをはかったり、いつしか支える役目を担ったりしてしまう子供もいる。

 

おそらく、私が子供だった時代にも私が気付かなかっただけで、のんきに子供でいられない子もいたことだろうが、現代とは圧倒的に割合が違うように思う。今の子供たちは恵まれていると思う面もあるが、どうも私には子供の世界がしんどそうに感じられてならない。

 

次男が中学生だったある日、私はふと「この家は子供たちが帰ってきたいと思う家だろうか」と考えた。子供は子供なりに、外の世界で疲れヨレヨレになって帰ってくるのかも知れない。それなのに、次男など母親と兄の二人からガミガミ言われても、毎日嫌な顔もせず帰ってきてくれる。甘やかしてくれる祖父母のところへ行ってしまおうと思えば、そちらへ行くこともできるのだ(塾で生計を立てていた関係で、離婚後も婚家の近くに住んでいた)。

 

6人だった家族を3人にしてしまった直後だっただけに、「もうこれ以上家族を減らすわけにいかない。なんとしても息子たちは手元に置きたい!」と思い、遅ればせながら、その日から私は子供たちにとって帰りたい家にするよう心掛けた。

 

 子供は大人が思う以上にしっかりしているし繊細で、周囲のことをちゃんと理解している。大人の社会が複雑になり忙しく余裕がないと、子供は鋭く感じ取って気を使ってしまう。不登校になったりすることだけでなく、いじめや非行という方向に行ってしまう子も、もしかしたらそうした状態が苦しくて、SOSを発信しているのかも知れない。

 

 

今週はまた見守り当番。この子供たちの帰っていく家が、みんなあったかい家でありますようにと願いつつ、ランドセルの背中を見送る。

 

 

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少なくともアタシは、きままに暮らせたニャ!     byドリーム

 

※聡明なのんちさんには正しく伝わっていると思うけれど、「子供も大変」と書いたのは、あくまでも一般論としてです。

それから、子供の人生まで狂わせかねない状況でやむを得なかったとはいえ、私も結婚という大人の責任を果たしきれなかった人間です。



 

納得いかないこと

今朝のニュースで、福島でたまり続けるトリチウム汚染水を、薄めて海に流すか大気中に放出する方法が現実的で、さらに海のほうが確実性が高いという案を、専門家からなる国の小委員会が了承したと報じていた。

 

もうずいぶん前から言われている方法ではあるが、これが私にはどうにも分からない。基準値以下に薄めるというけれど、お味噌汁が濃いからといって、お湯で薄めてもお椀の中の味噌汁を全部飲めば摂取する塩分量は同じという話とどこが違うのだろう。

 

国の委員会に連なるような方たちなのだから、さぞかし賢い方たちの集まりだろうし、これほど長い時間をかけて検討もしてきたのだから、私などには分からない高度な思考の末に出した結論なのだろうとは思う。思いはするけれども、なにせ国のトップにいるのが「あの方」だ。「あの方」が集めた「優秀な方たち」が本当に信頼に足るのか、不安になってしまう。

 

IOCの方々も、今となっては、さぞかし「アンダーコントロール」という言葉を信じたことを後悔していることだろう。なにせ、義務教育レベルの母国語さえ理解しているのかあやしい方の発した「外国語」なのだもの。

 

 

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はや今日から2月。

 

世の中は嫌なニュースがあふれているから、せめてブログには、ささやかなことでもいいから、美しい話や楽しいことを見つけて書くようにしようと思っているのだが、なかなか見つけられないでいる。

 

ひとつ良いニュース。昨年末ガンの見つかった友人は、右全摘手術を無事終えこれから抗ガン剤治療が始まるとの手紙が届いた。「もともとペチャなので、精神的ショックもあまりないんです」と、明るい彼女らしい言葉が綴られていた。

 

大腸ガンの手術をした私の知人は、抗ガン剤治療でほとんど副作用がなかったが、リリー・フランキーさんの『東京タワー』のオカンのように苦しむ方もいる。友人の抗がん剤治療が、どうか副作用少なく、順調にいきますようにと祈る。

 

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いただきものの巨大な「あきひめ」、大きさが分かるようコーヒーカップに。

(自分で買うなら小さめの可愛いのが好みだけど、お遣い物なら大きくて立派なの、となるのは人情でしょうね)

 

夜のミーティング

昨日は、スタンディングの仲間よりちょっと若いメンバーたちとのミーティングだった。前回のチャリティー・アート展のときに新聞社回りなどを一緒にした人たちだが、まだグループの正式名称が付いていない。現役世代なので夜のほうが都合が良いという人が何人かいて、夜のミーティングとなった。

 

メンバーの一人Sさんは、この春から小学一年生になる息子さんのTくんを連れて参加された。このSさんと出会ったのは、安保関連法に反対するママの会。その頃お子さんは、二歳になるかならずの赤ちゃんだった。ママの会主催の催しで私がベビーシッターをしたり、その後もイベントやミーティングでTくんには何回か会っているが、今回はいよいよ一年生。言葉つきもすっかり大人びて、つくづくこの活動に費やしてきた時間の長さを感じた。

 

そのSさんが昨夜言った意見が、私には非常に印象に残った。政治は自分に関係ないと言う人が結構いるが、生活は全てきわめて政治的なもので、実はメモ紙一枚捨てるのでも、丸めてゴミ箱に入れるか、雑紙としてリサイクル回収に出すかの判断が政治につながると言う。

 

私たちの暮らしには全て政治が関わっているとは思っていたが、小さなメモ紙の捨て方から始まっているとはついぞ考えなかった。私自身も通販のカタログからチラシ・DM・食品の外箱・トイレットペーパーの芯まで雑紙として資源回収に出すようにしているが、メモ紙は用が済めばゴミ箱に捨てていたし、そこから政治につながっているという発想はなかった。

 

「丁寧に暮らすことが良い政治につながる」とSさんは言う。確かに、経済的豊かさばかり目指し、損得や効率ばかりを考えて突っ走ってきた結果、経済大国にも先進国にもなり損ね、こんなぎすぎすした社会になってしまい、いまや丁寧な暮らしなどしたくてもできない層が厚くなってしまった。

 

そうして、Sさん自身が、ずっとあれはけしからん、これは間違っていると否定的な言葉ばかり耳にしてきて疲れてしまった、もう否定的な話は聞きたくないと言う。それよりは、ちょっとしたことでも、こうしたらよくなったとか、気持ちがいいとかいう話をしたい。心地よいことが分かれば、人はそれを続ける気になる、と言うのだ。否定的な言い方では、人は耳をふさぐばかりだと。

 

今の若い人たちが否定的な言い方を好まないということは知っていたけれど、四十代以下(Sさんは昨夜のメンバーで一番若く、四十代)の若い人たちを巻き込んでいきたいと思えば、「上から目線」の教えてやる式の態度や批判的・否定的な物言いをしていてはだめだと、改めて思い知らされた。

 

”言い出しっぺ”は、きちんと暮らすけどおとなしい国民は、為政者にとってより好都合になり危険だと、少々Sさんの意見に懐疑的だったが、政治家やマスコミに対してはある程度鋭い切り込みが必要だし、政治なんて自分に関係ないと思っているような一般の人々に対しては、回り道ではあっても、Sさんの言うような暮らしの中のささいなことから気付いていってもらう努力が必要なのだろう。対症療法と体質改善を、二本立てでしていく必要がある。

 

参加者5人のうち3人が現役の「お母さん」でもあり、安全な食べ物の話でかなり盛り上がってしまい、あっという間に9時半過ぎで、6歳のTくんも眠くなってきて会はお開きに(私もそろそろ就寝時刻・・・)なった。

 

話し合いは中途半端になったが、とりあえず、来月11日には豊橋でも明るく緩い感じで、フラワー・デモをしてみることにした。

 

 

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Sさんと出会った、「ママの会@三河」発足間もないころのデモクラカフェ風景。

 

 

Sさんが安保法に抗議する集会でスピーチした時のブログ。Sさんの素晴らしいスピーチ内容と、こういう方が否定的な言葉に疲れて今日の意見になったことにちょっと感慨を覚える。

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

 

 

とかく人生は・・・

昨日はスタンディングのミーティングだった。いつも利用する市の施設の会議スペースが予約できず、最近は出席者も少ないからと、フリースペースの4、5人用のテーブル一つが押さえられていた。ところが、こうした時に限って、10人を超える参加があった。こんなに集まることはめったにない。嬉しい誤算だった。

 

さすがにその場所では無理なので、急遽近くの和風レストランに移動した。午後の時間なので私はもうカフェインは摂取できず、ぜんざいを選んだ。甘いぜんざいのあと、つい添えられた緑茶を飲んでしまったところ、どうやらそれが障ったらしく、昨夜はなかなか寝付かれなかった。情けない・・・。

 

いつの間にか、寝ることが喜びではなくなっている。就寝するときはほっとする気持ちがあるが、夜中に目覚め、時刻を確認してまだ夜中の1時、2時だと「ああ、まだ朝ではないのか」とがっかりする。もう一度眠る努力をし、再び目覚めて5時を過ぎていると、「ああ起きられる」とほっとする気持ちになる。働いていたころには、「もっと寝たい、もっと寝ていたい」と思ったものなのに、いまや何時まで寝ていてもいい身分になれたというのに、皮肉なものだ。

 

話がそれてしまったが、昨日のミーティングの参加者Iさんが、福岡で行われた中村医師のお別れの会に、とても多くの人が集まったと話していた。Iさんの友人が、豊橋から日帰りで出席したのだそうだ。おそらく、もっと遠方から泊りがけで参加した方もいることだろう。そして、これからも多くの人の心に、中村医師は生き続けていかれる。

 

生きていて、しかもその人に大きな力があれば、その人の周りに人は集まり、言うことを聞きかしずくかもしれないが、力を失ったり亡くなったりしたときに、周囲の人々はどうなるだろうか。首相のお膝元山口4区で異変が起こり、静かに”安倍離れ”が進みつつあるという。「安倍恥」なる言葉もささやかれ始めたというニュースを目にした。

 

ちょうど今読んでいる『源氏物語』でも、桐壺帝が崩御されて弘徽殿女御側の帝(朱雀帝)が即位して光源氏の力が弱まり、二条院から人が去って一気に寂しくなるという話が展開している。力でなびいた人々というものは、風向きでまたあっけなく宗旨を変える人々である。

 

 

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ちょっと宗旨を変えて・・・ンニャ、寝場所を変えてみました。     byオーガスト

 

中村哲先生のお別れ会の日です。

本日2時から、福岡市の西南学院大チャペルで中村哲医師のお別れの会が行われている。きっと多くの方が先生との別れを惜しんでいることと思う。せめて、はるか東の地から、ご冥福をお祈りしよう。

 

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名古屋でも行われるとのこと。

 

中村先生のなさったこと。援助物資が途中で誰かの懐に消えてしまったり、機械が故障すれば直す部品もなければ技術者もいなくて、無用の長物になるしかなかったりする、途上国への政府の援助とはまるで違う。

 

こうしたことこそが平和への一番の道だと思うのだけれど、その中村先生が凶弾にお倒れになったのは本当に悔しくて残念だ。

 

それでも、残されたペシャワール会の人たちは、先生の遺志を継いで活動を継続していく。私も、支え続ける一人であろうと思う。長者の万灯に勝るかどうか分からない、消え入りそうな貧者の一灯ではあるけれど。

 

「一隅を照らす」。大変好きな言葉である。