よんばば つれづれ

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夜のミーティング

昨日は、スタンディングの仲間よりちょっと若いメンバーたちとのミーティングだった。前回のチャリティー・アート展のときに新聞社回りなどを一緒にした人たちだが、まだグループの正式名称が付いていない。現役世代なので夜のほうが都合が良いという人が何人かいて、夜のミーティングとなった。

 

メンバーの一人Sさんは、この春から小学一年生になる息子さんのTくんを連れて参加された。このSさんと出会ったのは、安保関連法に反対するママの会。その頃お子さんは、二歳になるかならずの赤ちゃんだった。ママの会主催の催しで私がベビーシッターをしたり、その後もイベントやミーティングでTくんには何回か会っているが、今回はいよいよ一年生。言葉つきもすっかり大人びて、つくづくこの活動に費やしてきた時間の長さを感じた。

 

そのSさんが昨夜言った意見が、私には非常に印象に残った。政治は自分に関係ないと言う人が結構いるが、生活は全てきわめて政治的なもので、実はメモ紙一枚捨てるのでも、丸めてゴミ箱に入れるか、雑紙としてリサイクル回収に出すかの判断が政治につながると言う。

 

私たちの暮らしには全て政治が関わっているとは思っていたが、小さなメモ紙の捨て方から始まっているとはついぞ考えなかった。私自身も通販のカタログからチラシ・DM・食品の外箱・トイレットペーパーの芯まで雑紙として資源回収に出すようにしているが、メモ紙は用が済めばゴミ箱に捨てていたし、そこから政治につながっているという発想はなかった。

 

「丁寧に暮らすことが良い政治につながる」とSさんは言う。確かに、経済的豊かさばかり目指し、損得や効率ばかりを考えて突っ走ってきた結果、経済大国にも先進国にもなり損ね、こんなぎすぎすした社会になってしまい、いまや丁寧な暮らしなどしたくてもできない層が厚くなってしまった。

 

そうして、Sさん自身が、ずっとあれはけしからん、これは間違っていると否定的な言葉ばかり耳にしてきて疲れてしまった、もう否定的な話は聞きたくないと言う。それよりは、ちょっとしたことでも、こうしたらよくなったとか、気持ちがいいとかいう話をしたい。心地よいことが分かれば、人はそれを続ける気になる、と言うのだ。否定的な言い方では、人は耳をふさぐばかりだと。

 

今の若い人たちが否定的な言い方を好まないということは知っていたけれど、四十代以下(Sさんは昨夜のメンバーで一番若く、四十代)の若い人たちを巻き込んでいきたいと思えば、「上から目線」の教えてやる式の態度や批判的・否定的な物言いをしていてはだめだと、改めて思い知らされた。

 

”言い出しっぺ”は、きちんと暮らすけどおとなしい国民は、為政者にとってより好都合になり危険だと、少々Sさんの意見に懐疑的だったが、政治家やマスコミに対してはある程度鋭い切り込みが必要だし、政治なんて自分に関係ないと思っているような一般の人々に対しては、回り道ではあっても、Sさんの言うような暮らしの中のささいなことから気付いていってもらう努力が必要なのだろう。対症療法と体質改善を、二本立てでしていく必要がある。

 

参加者5人のうち3人が現役の「お母さん」でもあり、安全な食べ物の話でかなり盛り上がってしまい、あっという間に9時半過ぎで、6歳のTくんも眠くなってきて会はお開きに(私もそろそろ就寝時刻・・・)なった。

 

話し合いは中途半端になったが、とりあえず、来月11日には豊橋でも明るく緩い感じで、フラワー・デモをしてみることにした。

 

 

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Sさんと出会った、「ママの会@三河」発足間もないころのデモクラカフェ風景。

 

 

Sさんが安保法に抗議する集会でスピーチした時のブログ。Sさんの素晴らしいスピーチ内容と、こういう方が否定的な言葉に疲れて今日の意見になったことにちょっと感慨を覚える。

yonnbaba.hatenablog.com