よんばば つれづれ

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『新源氏物語』の進捗状況

仕事をやめ、図書館の本を借りるようになって7年近くたつが、今まで全て貸出期間内に返却してきた。時には借りているところにリクエスト本が届いて5冊になってしまったこともあったが、それでも期間内に返却することができた。

 

けれども、今回の『新源氏物語』1178ページ細かい活字の二段組はさすがに手ごわく、延長をお願いした。始めのころは、なんだか読んでも読んでも少しも読み終わったページが増えないような気さえした。

 

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読み始めて20日近くたったころ、やっと宇治の巻に到達し、今日はとうとう浮舟の登場シーンにたどり着いた。次の返却日までに何とか読み終えられるだろうか。

 

前回も書いたように、光源氏の息子(実際は女三の宮と柏木の不義の子)薫には優柔不断でイライラさせられるのだが、つくづく思うのは、光源氏にしても薫にしても、手に入らない人や亡くなってしまった人にばかり思いを寄せて、今自分の目の前にいる人の大切さに気付かない、ないものねだりの性格だということだ。 

 

そもそも光源氏は、幼くして亡くした母親桐壺の更衣の面影を女性の中に追い求めるマザコン男性だ。正妻ではないながらも紫の上を生涯で一番愛したというものの、それは母に似た藤壺の宮(自分の父である桐壺帝の目をかすめて寝取る)に似ている(紫の上は藤壺の宮の姪)からという、失礼な理由からだ。

 

光源氏も薫も、家柄も見た目も申し分なく、才能にも恵まれ、光源氏は身から出た錆で須磨流浪時代があるものの、他の人よりはるかに順調に出世もし、美しい妻も得ながら、失ったものばかり嘆く性格ゆえに心が満ち足り安らぐことがない。

 

それに引きかえ、女性たちは足るを知り賢い存在が多い。女性としての魅力はいま一つでも、光源氏の同志のような存在となって確たる居場所を作る花散里。妻としての地位も愛情面も二番手三番手とさとるや、自分の生んだ娘さえ紫の上に預け、のちに国母の母となる明石の君。さらわれるようにして髭黒の大将の妻となった玉鬘も、地に足のついた堅実な母となるなど、概して女性たちは運命に翻弄されながらも、自分なりに心の平安を見つけていく。女は逞しい。

 

千年もの時の隔たりのある世界で、女性が男性に顔を見られたらそれは即結婚を意味することになってしまう(もちろん、高貴な人限定だが)というような習慣の違いはあれど、その奥にある人間の本質は、驚くほど変わらないとも感じる。男が女に求めるもの、女を嘆かせる男の行動など、源氏物語に描かれていることと大して違わないようなことが、二十一世紀の現代日本でも日々繰り返されているように思う。

 

 

田辺聖子さんの『新源氏物語』は読みやすく、古典の現代語訳というより平安時代を舞台にした現代小説といった感じだ。ただし、たとえ持ち歩くのでなくとも、三巻分冊の文庫本あたりでお読みになることをお薦めする。大長編の重みに苦しまず、読みやすいのではないかと思う。

 

 

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やっぱりかなり早い今年の花

昨日は墓参と、ついでに霊園の近くで片づける用事もあって出かけた。用事と墓参りを済ませて、豊橋駅に戻ってから駅ビルのお寿司屋さんでお昼にする予定でいたのだけれど、少々出発が遅くなったため、墓参の前に昼になってしまった。朝が早いし、そうでなくても食いしん坊の私は時分時になれば我慢できず、手近なところで妥協してしまった。

 

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妥協のお昼。若鯱家のいろいろセット。これでも1100円。やっぱり我慢してお寿司屋さんに行けばよかったかなと少し後悔。

 

両親と兄二人が眠る墓に参った後、隣接している梅園に寄った。毎年だいたい同じころに墓参ついでに梅を見物しているが、やはり今年は開花が相当早い。

 

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これは2015年2月19日の売店風景。まだほとんど開花してなく、なんとなく人々もいかにも寒げな雰囲気だ。

 

 

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こちらは昨日の売店風景。花の様子も人々の雰囲気も随分違う。しかも前の写真より一週間早い。

 

 

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そして、さっきお昼を食べたばかりだというのに、お約束の「花より団子」で、大好きな五平餅を食べてしまった。ほかの地方の方はぎょっとなさるかも知れない。岡崎八丁味噌使用で、茶色をしている。この地域に育った人間にはソウルフードだ。

 

五平餅(ごへいもち)は、中部地方の山間部(長野県木曽・伊那地方、岐阜県東濃・飛騨地方、富山県南部、愛知県奥三河地方、静岡県北遠・駿河地方)に伝わる郷土料理。粒が残る程度に半搗きにした粳米(うるちまい)飯にタレをつけ、串焼きにしたものである。「御幣餅」とも表記する。(Wikipediaより) 

 

 

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  へたな写真ですが、いちおうタイトルに合わせて梅の花を・・・。

若い仲間の素敵な投稿

f:id:yonnbaba:20200212160049j:plain昨日私たちのフラワーデモに参加してくれたなかで、最も若かった二十代の女性が、自身のインスタグラムに投稿した文章を、グループのLINEにアップしてくれた。それがあまりにも素敵な内容だったので、了解を得てご紹介させていただく。

 

ssage body

去年の4月11日に東京から、性暴力を許さないという女性たちの意思で始まったフラワーデモは、本日2月11日、全国各地で行われました。
女性への性的暴行、女性への差別、それらは許す事ではありません。
そして、それらを許容する社会もあってはいけません。

Twitterで初めてフラワーデモについて見たときは、都会だけのデモ活動だと思っていました。
しかし、本日豊橋駅前で20人近くの人とデモをしました。

驚いたのが、私よりもうんと歳上の方が多いこと。
つまり、若い女性が少ないこと。
若い女性だった方々が、今、声をあげているのでしょう。
昔の自分を抱き締めて、加害した人物を許さない、と抗議する。

歳の近い友人達と話をしていて「つまらない」と感じる原因のひとつに、こうした社会的活動の話をしない事があります。

皆、社会に不満があっても受け入れている。
そして、それについて話し合うこともしない。

友人たちのその感覚がずっと許せないでいました。
友人たちには、友人たちなりに考えがあるのでしょうが、見て見ぬふりより行動した方がよほど良いでしょう。

私は従順な女ではありません。
とある人の言葉を借ります。
「従順な女は天国へ行けるが生意気な女はどこへでも行ける」

私は、どこへでも行ける。
私たちは、どこへでも行ける。

#フラワーデモ
#フラワーデモ豊橋
#FLOWERDEMO
#性暴力を許さない
#withyou
#MeToo
#従順な女は天国へ行けるが生意気な女はどこへでも行ける
https://www.instagram.com/p/B8bUIsKgBoP/?igshid=1isxhpu34y5m5
 
「従順な女は天国へ・・・」の言葉は、ドイツの心理学者でありセラピストのウーテ・ヘーアハルトさんの言葉だそうだ。
 
実にしっかりとした考えを持っていて、今回の活動で彼女と出会えたことは私にとってとても大きな喜びだ。けれども、彼女も言っている通り、こういう人は同世代の中では少数派だろうと思われる。
 
それどころか、今日ほかのメンバーがLINEにアップした新聞記事によれば、異論があっても黙っているのではなく、むしろ「強権」に支配されることを望む若者が少なくないらしい。
 

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現代の若者たちの多くは、問題なく天国に行けそうだけれど、私はだんぜん、どこへでも行ける女であることを選ぶ。

フラワーデモ大成功!

豊橋で初めてのフラワーデモを行った。当地では昨日今日と鬼祭りが開催されているので、駅前は賑やかかなと期待したが、ほとんど普段と変わらないのではないかと思われる程度で、相変わらず中心市街地はいっこうに活性化できていない。

 

鬼祭りとは・・・

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街の人出は寂しいけれど、私たちのフラワーデモは、なんとか10人いけば・・・という予想をみごとに裏切って、なんと17名の参加があった。さらに嬉しいことに、私の今朝のTwitterを見て来てくれた、二十代の若い女性の参加があった!ちゃんとネットプリントのきれいなプラカードも準備して。

 

私たちのデモは、他の地域でしているような体験者などのスピーチはしないで、思い思いのプラカードや花を持って、メインストリートをおしゃべりしながら歩くというゆるいもの。時々写真撮影のパフォーマンスをしながら30分ほど歩いたあと、駅前のペデストリアンデッキでしばし情報交換し、次回3月の再会を約して散会した。

 

このあと時間のある5人で、FM豊橋に昨年のチャリティーアート展の時のお礼をかねて今日の活動を報告しようと行ったのだけれど、残念ながら鬼祭りの生放送でスタジオは無人だった。すぐ向かいにお洒落なカフェができていたので、そこでお茶にし、今後のことなどひとしきり話した。せっかく今回つながりができた若い人たちに、フラワーデモから一歩踏み出して関心を持ってもらうには、どんなテーマがいいのだろう・・・。

 

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このあとさらに参加者が増えた。

 

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松根油(しょうこんゆ)の公園までウオーキング

さすがにここ数日の寒さは身に応え、こんな時は家でぬくぬくしているのが一番だけれど、健康な生活のために少しは動かなければと昨日はウオーキングに出た。

 

久しぶりに、松根油の松林がある公園に向かった。

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いくら暖冬とはいえ、公園前の通りの桜のつぼみはまだ寒さに身を縮めている。落葉樹は葉を落としてしまっているし、この季節の花は何もなく、広い公園が最も寂しい季節かも知れない。それでも同じようにウオーキングに励む同年配の方と何人かすれ違った。

 

松林の中の散歩道を一回りして、帰り道はそちこちの住宅のたたずまいやお庭を楽しみながら50分ほどのウオーキングだった。スマホのアプリによれば6000歩ほどになっている。毎日歩いていたころに比べると息も上がるし、手術した足が少々重く感じるため、時間のわりに歩数が少ないような気がする。なるべく毎日歩くようにしなければと痛感する。

 

 

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松の幹の痛々しい戦争の傷跡

 

 

今日は町内の老人会の定例会。今月は甘酒をふるまった。毎月集まる顔ぶれはほぼ同じ。なんとか新しい入会者や出席者を増やしたいと思うのだけれど・・・。

 

「最近〇〇さんの顔を見かけないけど、大丈夫かね?」と一人が言うと、「この間会ったよ、元気だったよ」と別の一人が応え一同ホッとする。「この間〇〇さんのうちが夜になっても電気が付かなかったけど」と言うと、「ショートステイを利用しているみたいだ」と教えてくれる人がいる。

 

私の隣にいるNさんが、「カードの解約手続きがまたうまくいかなくて困っているので、いつでも都合のいい時うちに来てくれる?」と言ってくる。年をとると説明書の細かな字が読みづらかったり、電話のボタンのプッシュ操作がてきぱきできなかったりで苦労するようだ。ここには、前にも一度SOSの電話があって駆け付けたことがある。私で解決つくことなら、いつでもお安い御用だ。

 

こんなふうにして、お互い助け合えることは助け合い、安否確認にもちょっと気を配って、少しでも安心で気持ちの良い暮らしが続けていけるといいなと思う。

 

 

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  助け合いニャ!     (画像はネットからお借りしました)

 

 

 

 

 

なかなか沁みる『コタキ兄弟と四苦八苦』

テレ東さんの深夜ドラマがまたやってくれた。今期も私にとっては視聴意欲の湧くドラマが少ない中、金曜深夜の『コタキ兄弟と四苦八苦』が渋い。とりわけ樋口可南子さんがゲストの第4回は出色だった。

 

元予備校講師で現在「休職中」の兄一路(古舘寛治)と「無職」の弟二路(滝藤賢一)は、偶然知り合ったレンタル親父のムラタ(宮藤官九郎)の代理をしたことから、今は本来1人で1時間1000円のレンタル親父を、2人セットで1000円として登録している。

 

この後は結末に言及するので、これから何らかの手段で見ようとお思いの方は、お読みにならない方が良いかも知れない。

 

 

今回の依頼主は60歳の女性須弥子(樋口可南子)。3か月後に世界が終わると言い、週に2日・3か月の長期契約を結ぶ。2人の名前すら覚えようとせず「ナニロー」と呼んで奴隷のようにこき使う彼女に反感を抱く2人は、反抗的な態度を取ったりしていたのだが、ともに時を過ごすうち気持ちが変わっていく。

 

単なる終末論者かあるいはそれを装って楽しんでいると思った彼女は、サードオピニオンまで探しても打つ手はなく、余命3か月という宣告を受けていた。身寄りがないのを幸い、友人や仕事の関係者にも知らせないまま身辺整理をし、あとくされのないレンタル親父を最後の時間を共にする相手に選んだのだった。

 

最後の1か月はコタキ兄弟も遠ざけていた彼女の思いが、葬儀の場で最後を弁護士とともに看取ったムラタから知らされる。「ナニローと呼ぶ程度の関係で、嫌われているくらいが良かった」と言っていたというのだ。彼らが須弥子を思いやる気持ちを持ったことに気づき、辛くなるのを避けて遠ざけたのだろう。

 

遺灰を海にまくことに執着していたのはなぜなのだろうと言うムラタ。海辺のデッキチェアで3人でお茶を飲みながら、誰にも語ったことのない彼女の中学生時代のいたずらの話を聞いたコタキ兄弟2人だけが、その彼女の思いを理解できた・・・。

 

 

あまり好感を持っていなかった古舘寛治さんだが、現政権に対する毅然とした発言で見直した。それでも俳優としての魅力はいま一つと思っていたが、このコタキ兄弟の兄の役は実にはまり役だ。実質的に無職であるやるせなさや、弟に対する優越感と劣等感がないまぜになった複雑な思いを抱いた主人公を見事に表現している。妻には離婚を迫られ、無職だというのにチャラチャラと軽い弟を、滝藤賢一さんがいきいきと楽しげに演じているのは言うまでもない。

 

脚本は野木亜紀子さんのオリジナル。ゲスト出演者には、市川実日子さんは第1回に出演済みだけれど、今後も小林薫さん門脇麦さんなど楽しみな人たちが控えているようだ。

 

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デジタル時代だから手紙がなおのこと嬉しい

昨日子供たちの見守り当番を終えて帰ってくると、郵便受けに次男からの葉書が届いていた。

 

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年末から年始にかけて猛烈に忙しかったであろう次男に、思わず二マッとしてしまうような可愛い猫の絵葉書を先週送ったのだ。それに律儀に返事をくれた(親バカ)。チャコールグレーやダークグレーを通り越して、紛れもないブラックな労働をしているというのに、年賀状もちゃんと元旦に届いた。毎日サンデーの母が、今年から頂いた方にだけお返事を書くことにしてしまったというのに・・・。

 

 

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次男は音楽にのめりこんでしまい、普通の人より十年以上も回り道をしてしまった。モノにならなかった時のリスクも覚悟のうえで挑戦したのだから自業自得なのだけれど、以前も書いたように平安貴族の通い婚状態ゆえ、家に帰っても一人だと思えば、つい心配になって時々手紙を書かずにいられない。

 

LINEのやりとりもすれば電話もくれて、時に1時間も話し込んだりするけれど、やっぱり肉筆の手紙はまた格別で、しみじみと嬉しい(親バカ)。

 

今ならばそれこそ家族LINEでやりとりするのだろうが、息子たちがまだ家にいた20年以上前、私は仕事で息子たちは学校やバイトとすれ違いも少なくなく、私たちはメモ用紙に書いた手紙で連絡し合った。バイトならば、どんなに遅くても起きて待ち「お帰り」と声をかけてやりたいが、自分も明日の仕事を思うとそうもいかないので、メモに思いを込めた。

 

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息子たちのはユーモアにあふれ、彼らの返事を読むのが楽しみだった(親バカ)。このところの「整理したい病」でも捨てられず、こうしたメモが今も200枚以上残っている。

 

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息子たちの父親には慰謝料も養育費も1円も求めず、それなのに長男の大学進学で自宅通学させるため、軌道に乗っていた塾を人に譲って自分の故郷に戻り、仕事人生をリセットした。四十代も半ばになっていたのに、生来のわがままで納得のいかない職場はサッサと辞めて転職を繰り返したので、地位もなければ財産もつくれなかったけれど、このメモなどは私の大切な宝物だ。