よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

松根油(しょうこんゆ)哀話

昨日は家から南の方角だったが、今日は東の方にある大きな公園まで散歩した。

 

ここはかつて陸軍の演習場になっていた所で、戦後市によって公園として整備されたという、先日紹介した豊橋公園と同じような歴史を持っている。

 

何しろここ豊橋は「軍都」と呼ばれた町なだけに、結構あちこちに戦争の名残りがある。この公園は国道259号線を挟んで東西に24ヘクタール余りにわたっていて、林あり馬場ありゲートボール場あり、ウオーキングやジョギングのコースもあり子供の遊具やアスレチックもありと、かなり充実している。

 

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脇を走る国道は259、語呂合わせで「ジゴク街道」と言われるほど交通の激しい道路だけれど、公園の中は木々のお蔭かうるささを感じない。

 

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樹齢80年以上という立派な松の木々。でもそのほとんどが幹に不自然な感じの大きな傷がある。これは戦時中松の油を取った痕だ。松根油という。資源の乏しい日本は第二次大戦末期、石油の不足をこの松の油で補おうとしたのだ。けれどもとてもこれで飛行機などが飛ぶはずもなく、多大な労力(その大半は国民の無償労働とか)をかけた割にはあまり有効利用もされず、松たちに無残な傷痕ばかりが残った。

 

 

私がこの松の木の受難の話を聞いたのは、豊橋に戻って来て間もない頃、友人に頼まれて日本語教室をしていたときに、その生徒だった日系のブラジル人からだった。教室のレクリエーションでこの公園にピクニックに行ったとき、「この松の木がどうしてこんな傷になっているか知ってる?」と彼は話し始めたのだった。

 

浅学な私はまだその時そんなことを知らず、もう一人の日本人である教室の主催者も知らなかった。余談になるが、日系人は、すでに大半の日本人が失くしてしまった古き良き日本人の精神(謙虚とか義理堅さとか)を残している人が多いと感じた。故郷を離れてより強く祖国を思う親や祖父母に、しっかり教え込まれたのだろう。この松の話をしてくれた人は、日本の戦争についても実によく知っていた。

 

いま私たちが小学校での出前授業に使っている、市が市制100周年の時に作った「豊橋空襲」のDVDにはこの公園の松の木の油の話も入っている。出前授業の折これを見るにつけても、私は自らの浅学を恥じ、さらに知る努力をしなければ、そして伝えなければ、という思いを新たにする。

 

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いく夏か、孫とザリガニ釣りを楽しんだ池。今は水はすっかり乾いて、枯れたガマが一面に広がっている。この泥の中で、ザリガニやそのほかの生きものたちも命を繋いでいるのだろうか。

 

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池の周囲の土手では、つつじが咲き始めている。

 

犬を散歩させる人、遊具で遊ぶ幼児、ジョギングする男性、私と同じようにウオーキングをする高齢者・・・。人々の大切な憩いの場となっているこの公園を、二度と軍の施設などにしてはならない。