よんばば つれづれ

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平和な一日とネパールへの思い

第一報を聞いたときは死者100人くらいだった。それが僅かな間に1000人になり、2000人になり、今は3000人を超えている。夕方のニュースでは最終的には8000人を超えるかも知れないと言っていた。

 

ネパールの地震東日本大震災マグニチュード9.0だったけれど、津波さえなければ建物の被害はかなり少なかったと思う。それに比べてネパールでは石やレンガの建物が多く、おまけに耐震性があまりない建て方が多いらしい。そのため、たくさんの建物が崩れ落ち、被害を大きくしている。

 

かつてネパールの女の子の里親をしていた(と言っても、月々僅かな金額を現地の支援団体に送金するだけのことだけれど)ので、かの国には少々特別な思いがある。本当なら彼女が18歳になるまで続けなければいけなかったのだけれど、長男の大学進学を機に私の故郷に戻り、仕事も一から出直しになって収入が大幅に減り、貯金を取り崩す生活になってしまったため、やむなく里親をやめた。次男と同い年だったので今は37歳、お母さんになっているだろうか。元気に暮らしていてくれるといいのだけれど・・・。

 

家の手伝いが忙しくて学校に通っていないため文字が書けず、お兄さんが代筆した手紙や、彼女の描いた絵が送られてきたのだけれど、便箋の紙質の悪さに驚いた。おそらくそれでさえ、支援団体の係員から渡されたものだろう。彼女の日常の中に「紙」というものが存在したのかどうか・・・。

 

あれから二十数年がたった。昨年2月にユネスコのメンバーが何名かネパールに視察に行った。どのような援助が効果的か現地で見極める目的で、会からいくばくかの助成を受けて行ったのだけれど、その報告を聞くと、あまり状況は変わっていないようだった。日本や欧米各国が箱モノは建てたりしているのだけれど、それを生かすだけの人材も運転資金も続かず、多くは無駄になっているようだ。

 

たまたま誘われて参加したユネスコの活動で、図らずもこうしてまたネパールとの関わりができたのだけれど、なにしろ慢性的資金不足の小さな民間団体の私たちにできることなど知れていて、またしても、窮状を知りながら唇を噛んでいるだけのようなありさまだ。

 

あまつさえ、いまや世界は紛争や闘争だらけで各地に難民はあふれている。足元の日本でも格差は広がるばかりで、子供の貧困が深刻になっている。東日本大震災の復興も思うに任せない状況だ。一人の人間や小さな組織にできることなど焼け石に水で悲しくなるが、身近な所から、諦めずにできることをひとつずつやっていくしかない。

 

私は必ずしも今発展途上にある国が、欧米やあるいは日本のようになることが幸せとは限らないと思っているが、少なくとも子供たちが健康で安心して学校に通え、基本的な教育を受けて自分の未来を自分で選び取れるようになって欲しいと願う。

 

今日も実に爽やかな天候で、窓から見える緑があまりに美しく、室内にいるのがもったいないような気がして散歩に出た。

 

仕事を辞めてからずっと快調だったのに、このところ腰の調子が少々あやしく、時々グギグギしてまた重症の腰痛を起こす前触れを感じさせる。パソコンに向かっている時間が長くなって、運動が足りないせいだろう。

 

以前ウオーキングしていた4キロのコースを久々に歩くと、案の定、腰もちょっとしびれたような感じがあった右足もサッパリとした。

 

緑も花も美しい穏やかな日、のんびりと散歩できるもったいないような幸せ。でも自分の日常も、一瞬先、大変な地震が起きて足元から崩れるかも知れない。近くの建物や公園に恐ろしい化学薬品や放射性物質を積んだドローンが着陸して、凄惨な風景が広がるかも知れない。今の平安に感謝し、今自分にできることをしよう。それは明日の自分のためなのかもしれない・・・。

 

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神経質なオーガストも新しいベッドに入りました。