よんばば つれづれ

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久々の源氏

この間読んだ本があまりに軽い調子の作品だった(結局半分もいかずに脱落)ためか、少し重厚なものが読みたくなった。

 

勤めていたころは、持ち運びに便利な文庫本を中心に通勤読書をしていた。そのころはまだキンドルもなく(今はあるのにほとんど出番がないが)、もちろんスマホも持っていなかった。そうして携行する本がなくなると、次の作品を購入するまで『源氏物語』でつなぐという感じで、蔵書の円地文子版と与謝野晶子版は何回か読んだ。

 

電車に乗っている時間は10分もなく、しかも電車は地方都市の小さな電鉄会社にしては珍しく15分おきにあるので、待ち時間も最大で十数分なわけだが、毎日というのは偉大なもので、長い源氏物語も思ったよりも早く読めてしまう。

 

毎日が日曜日の生活になってからは、もっぱら図書館の本が中心になって源氏はとんと読んでいない。そうだ、今度はまた違う作家の訳で読んでみようと思い、田辺聖子さんの『新源氏物語』を読んでみることにした。ネット書店で購入しようと思ったが、蔵書を増やさないことにしているのだから、借りて読んでみて気に入ってからでもいいと気づき、市民館にリクエストした。

 

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通勤していたころと違い、家で読むのだからと1冊にまとまっているものにしたらこのボリューム!1178ページ。

 

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しかも小さな活字で二段組み!長い物語だもの、さもありなんというもの。

 

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美しい表紙で、見返しには金銀をちりばめた和紙が使われた豪華な本だけれど、痛々しくやつれ果てている。

 

田辺さんの訳は、「源氏物語 田辺聖子訳」でなく、「新源氏物語」となっているように、かなり意訳や省略がほどこされ、別な作品になっている。冒頭も桐壺についてではなく、「光源氏光源氏と、世上の人々はことごとしいあだ名をつけ・・・」と、いきなり光源氏の描写から始まる。

 

田辺さんは『源氏紙風船』という著書で、原作の脱落部分を「埋める」作業は、口語訳する時の最大の楽しみのひとつだったと書いていたし、作中の歌はできるだけ会話文の中に組み込み、思い切った意訳や省略をしたことも書いていた。たんなる源氏物語の現代語訳ではないことは知っていたので、読んでみないと手元に置きたいと思うかどうか分からないという不安は感じていた。

 

まだほんの十分の一くらい読み進んだところなのではっきりしたことは言えないが、たぶん蔵書にはなりそうもない。大変読みやすいけれど、私にはいささか興趣に欠けるように感じられる。一番初めに読んだということもあるからか、私にとっては円地文子版が好もしい。今読むとなぜこれを?と不思議に思うのだが、初めて読んだときにはこれでも現代語訳なのだろうかとためらったほど、難しく感じた。けれども、それだけ品格が感じられるような気がする。

 

登場するそれぞれ個性的な女性たちはともかく、私は光源氏も特に好きではないし、薫は優柔不断、恋のためにものも喉を通らなくなって衰弱死してしまう柏木にもイライラさせられ、『源氏物語』のストーリーはそれほど好きではないのだが、こんなに何度も読んでしまうのはなぜなのだろう。やはり千年読み継がれる魅力を持った作品であるということだろうか。