よんばば つれづれ

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やっとスタートした冬ドラマ『みかづき』

今期のドラマでは一番遅いスタートではないだろうか。森絵都さん原作のドラマ『みかづき』が先週やっと始まった。今期、私の興味を引くドラマはあまりないし、原作が結構良かったので、このドラマの始まりを楽しみに待っていた。

 

原作を読んでの感想

yonnbaba.hatenablog.com

 

この、私が「きわめて政治的」と読んだ物語を、現在のNHKがどう料理してくれるのか興味深い。第一回を見た限りでは、意外にもコミカルな演出で、ヒロイン赤坂千明の教育についての言葉では、公教育批判が薄められていたように感じた。

 

原作は460ページ余、親・子・孫三代にわたる時間にして50年ほどの、読み応えのある物語だったけれど、ドラマは5回連続となっている。原作のどの部分にスポットを当てて描くのかまだ分からないが、せめて8回連続くらいにして、じっくり描いてほしかった気がする。

 

『透明なゆりかご』、『昭和元禄落語心中』と、2クール続けて素晴らしい作品を提供してくれた金曜10時の枠が、今期は「特撮おたく」のお話で、残念ながら私は初回で脱落してしまった。次クールに期待したい。

 

 

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番組公式ホームページよりお借りした、昭和30年代の用務員室で話す主人公二人の図。

 

顰に倣って(ひそみにならって)メルカリデビューするも・・・

前回の「木元竹末」が好評(?)だったので、調子に乗って本日も使ったことのない言葉でタイトルをつけてみた。「顰に倣う」。よしあしも考えないで人のまねをする意、だそうだ。

 

若い方のブログを読んでいたら、メルカリでどんどん不用品を売っているという記事があった。そんなに反響があるのかと思い、正月前の方が需要もあるかと、昨年12月慌ただしくメルカリデビューを果たし、出品してみた。

 

品物は、母亡き後ずっと気にかかっていた母のハンドバッグだ。母は蛇やワニの革製品が好きだった。ちょうど母が私の家にいた時に、街で上品な蛇革(正規輸入の証書つき)のバッグが目に留まり、母が喜びそうだと思って、自分のバッグには出したことのない5万円近い大枚をはたいてプレゼントした。

 

ところがそれから間もなく母は街のデパートまでの外出もままならなくなり、結局そのバッグは一、二度使ったきり、出番がなくなってしまった。そのため新品同様で残った。けれども、私は通勤もしなくなった今、革のハンドバッグを持つことさえめったにないうえ、蛇は好みではない。

 

我が家で眠らせておくより、好きな方に使っていただけたらバッグも喜ぶだろうと思いながら、オークションに出品するのも面倒そうだしとグズグズしていた。

 

でも、どうやらメルカリはとても簡単そうなので、挑戦してみようという気になったのだ。確かに、出品は非常に簡単だった。さあ、これで引き合いが来るだろうとウキウキしていたが、「いいね」はいくつかついたものの、1か月以上たち値引きをした今も買い手はつかない。

 

そうか、私が読んだブログの方が出品したのは小さくなった子供服。まさにメルカリ利用者層の需要にどんぴしゃりの品物だろう。それにひきかえ私の出した品物はおよそ若者向きではない。

 

まさに「顰に倣う」。よく考えもしないで・・・。

 

 

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このバッグに悩まされるなんて・・・。こんなことならプレゼントするんじゃなかった。母を喜ばせることしか考えてなかった、思慮の浅かった自分を悔やむ。

 

木もと竹うら

木元竹末、これで「きもとたけうら」。70年近くも生きてきて、恥ずかしながらこの言葉を今日初めて知った。木を割るとき根元に近い方から、竹を裂くのなら反対に先端に近い方からすると、きれいに割れる、ということを表した言葉だそうだ。

 

今日の国際協力コスモス会のテーマは「戦争体験談を聞く」だった。今週も前回と同じ顔ぶれ、日本人ばかり5人。日本語教室といいコスモス会といい、なぜかこのところ外国の方の参加が激減している。

 

SNSなどで簡単に同胞とつながることのできる時代、この会の存在意義も、設立当初に比べれば小さくなっているかもしれない。でも疑問や不安はSNSで解決できても、異文化の者同士が実際に顔を合わせて交流する価値は、今も変わらないに違いない。

 

さて今日のテーマ。豊橋空襲の体験者であるメンバーのOさんのお話。ユネスコの戦争を語り継ぐ出前授業の語り部もなさっているので、以前ユネスコのメンバーとして一緒に出前授業をしていた時に、私も何回か体験談をお聞きしている。

 

でも、今日はその豊橋空襲や戦後の食糧不足などの話ではなく、Oさんが子供の頃、日常的にしていた家庭の仕事の話が中心だった。戦争末期、一番の働き手であるお父さんが召集された後は、それでも男手があった時と同じ割り当て分だけ生産物を供出しなければならず、お母さんを助けるためにさらに働き手として重要さは増したのだそうだ。

 

今80歳のOさんゆえ、当時は小学校低学年になるかどうか。それでも薪を割ったりもしたという話から、この「木もと竹うら」という言葉が出てきた。そんな幼い子供でも、ちゃんとこの言葉を知って作業をしていたそうだ。

 

遊びに行く前に決められただけの縄をなってしまわないといけないので、早く遊ぶためには仕事を早く片付けなくてはならない。そこで真剣に考え頭を巡らせ、知恵が生まれたと思う。6つや7つの子供でも、日々真剣勝負で、思考停止でボーッと生きていることなどできなかったろう。

 

今朝のニュースのなかで、近ごろの親が子供を叱らないということを取り上げていた。そのため仕方なく子連れの入店を断っているレストランもあるということだった。なんと母親の8割近くが、子供と友達のような親でありたいという調査結果も紹介された。

 

豊かな時代の子育てには、案外難しさがあると思う。しかも各家庭は孤立し、先輩や経験者も身近にいない場合が多い。情報はあふれかえっているが、どれが重要なのかも分からない。貧しかった昔は、ない袖は振れず子供も諦めるしかなかったことも、今は出そうと思えば簡単に出せるお金を出さないで、言い聞かそうとすれば時間と根気と強い信念が必要だ。

 

可愛いからこそ、叱ることも厳しいしつけも時には必要ねという結論に至ったが、家事労働を軽減する家電もなく、子供の目にも親の大変さがよく見えていた時代と違って、子供を納得させる材料は乏しい。

 

第四次産業革命といわれる社会の激変期を迎えているが、生物としての人間はクロマニョン人のころとそんなに劇的に変わっているわけでもない。どんどん進化していく機会やテクノロジーとのはざまで、生き方とか親子の関係とか社会での働き方とか、まだまだ当分、のたうち回って苦しむ期間が続くのかも知れない。

 

 

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またまた多肉植物の赤ちゃんが! 去年の今頃、ポロリと落ちてしまった葉っぱをなんだか捨てがたくて土に挿しておいたら、赤ちゃんが顔を出した。この写真の右の花のような形になっているのはその時の赤ちゃんが育った(といってもまだ直径1センチほどだが)もので、今回は左側の葉っぱから赤ちゃんが顔を出した!1ミリほど。なんと葉っぱを挿してからちょうど1年ほどが経過している。多肉植物の生まれるサイクルがこんなに長いものだったなんて驚き・・・。

以前の赤ちゃん誕生時のエントリ

 

yonnbaba.hatenablog.com

おお寒 こ寒 山から小僧が飛んできそう

北寄りの冷たい風が吹いて、とても寒い日だ。それでも、今日は日本語教室の日なので、頑張って出かけた。外に足を踏み出すと、木枯らしがピューッ!思わずブルルと身がふるえる。

 

このところなぜか出席する生徒が減少していて、今日も3人しか来ない。それに対して教える側は6人。これなら私なんてフェードアウトしてもいいんじゃないかしらと思うが、別の地域の教室の情報で、この春から何十人単位で生徒が増えそうだと聞いた。例の改正された法律の影響だろうか。もしかしたら、私たちの教室にもいずれそうした波が来るかもしれない。そうしたらまたスタッフ不足となるだろう。

 

自分でもなぜかは分からないが、もうなんであれ「教える」ということには関わりたくないと思っていた。教えることは学ぶことなのだから、老化現象で怠惰になっているのかも知れない。意に反して、日本語教室に関わったり、高校受験生に関わったりということになったのは、神様が横着せずまだまだ勉強しなさいと言ってくださっているのだろうか。

 

もう出産予定日が目の前に迫っているインドネシアの方が、今日も休まず一番下のお子さんを連れていらした。本来は私の組だけれど、今日は別メニューで、最近お子さんを産んだスタッフが中心になって、お産に関係した言葉や日本の医療事情のレクチャーをした。

 

この方は今回4人目の出産だが、日本でのお産は初めて。習慣もまるで違えば、言葉もまだよく分らない異国で出産をするのは、たとえ4度目であっても不安なことだろう。幸い今日相手をしたスタッフは台湾出身だし、生徒さんの一人は最近この方がお産する病院で出産した中国の方なので、いろいろ具体的な話が聞けて、きっと心強かったことと思う。

 

教室を終えた後、久しぶりにスタッフでランチに行くことになった。教室に借りている会場のすぐ近くにあるパン屋さんが、最近喫茶とレストランを併設してリニューアルオープンしたので、そこに行くことになった。支店はレストラン併設なのに、どうしてこの本店にないのかと、前々から不満に思っていた私の願いが届いたようだ(そんな訳ないけど)。

 

話は弾み、なんのことからか後半は政治の話に及んで、現在の政治への不満が延々と出てきた。このグループでこんな話ができ、これほど思いを一にするとは思っていなかったので、驚くとともに嬉しかった。でも、私たちが案じている当の若い世代ほど現政権支持なのだから、少々悲しいという思いも共通だった(ランチに参加したのは年配のスタッフばかり)。

 

 

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今日もまた写真を撮らずに食べてしまったので、ウェブ上から同じものを見つけてお借りした。ポークシチューのココット。この前に結構たっぷりのサラダがついて、パン屋さんだけにパンはお代わり自由。でもココットもボリュームたっぷりで、最初のパンも食べきれないほど。食後にホットコーヒー。これで700円+ドリンク代。今日はメンバーが1割引券を持っていたので、1117円也だった。

 

育児記録の整理にかまける

去年から取り組んでいる、紙の資料類の整理。年末年始の間休んで、再び取り掛かり、このところ特に所用のある日以外は、大学ノート十数冊にのぼる育児記録(兼日記)を読みふけっている。

 

幼かった子供たちがこの頃こんなことをし始めたとか、こんな言葉を話し始めた・・・と当時の愛らしさがよみがえり、ところどころには子供たちの作品が留められている。何十年も経過して、セロテープの粘着剤はすっかり変質して紙に吸い取られ、頼りなくなったセロファンがはらりとページの間から落ちる。

 

初めての育児に戸惑い悩みながらも、ひたすら我が子の愛しさを綴っているが、途中から夫への不満が垣間見えてきたり、特にUターンして舅姑と同居するようになってからは、思っていた以上の考え方や習慣の違いから愚痴が多くなる。誰かに言えば翌日には村中に知れ渡るという田舎のことゆえ、誰にこぼすこともできず、ノートに吐き出すことで耐えていたのだろう。

 

人間の記憶というものはありがたいものだと改めて確認した。違う時代にタイムスリップしたかと思うほどカルチャーショックを受け、周辺でももう見られないほど古めかしい家風の家で苦労したことはもちろん忘れていないが、されたことや言われたこと、また妻子を顧みず自分だけしたい放題だった夫の言動なども、細かなことは結構忘れてしまっていたのだ(もちろん、自分のダメな部分も再確認させられたけれど)。

 

当時はこうしてひそかに綴ることで救われていたのだろうが、せっかく忘れている嫌なことを、わざわざまた思い出すことはないと思う。でも、子供たちの記録を一緒に捨ててしまうのもなんだかもったいない気がする。

 

息子たちが自分の幼い日の記録に興味があるかどうかは分からないが、いつも書いているように、母と同じ年までと思えばまだまだこれから私の人生には長い時間があり、またいつかこの育児記録を眺めて懐かしさに浸って楽しむかもしれない。

 

この大量の記録をどんな形で残そうか、もっか思案中。

 

 

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ハサミの練習のため私が紙に描いた絵を、3歳の長男が切り抜いた作品。

(41年前のもの)

いかにも飛行機が苦手、と分かる。息子の切り抜き方でなく・・・。

 

 

電話リレーサービスの話

今朝のNHKのニュースで紹介された話。ご覧になった方も多くいらっしゃることだろう。

 

聴覚障害の女性が、買い物に行った先で、夜の10時過ぎキーを車内に残したままドアをロックしてしまった。助けを呼びたくても電話はできない。誰かに頼もうにも、夜遅くて周囲に人もいない状況で、寒いし心細いしでとても困ったそうだ。

 

次に紹介されたのは聴覚障害のご夫婦。18年前、妊娠中の奥さんが予定より早く産気づき、今にも生まれそうになった。救急車を呼ぶか迷ったが、時間は真夜中で近所の人にも頼めず、病院にFAXを送ったものの、返信はない。結局、自宅で出産することになった。幸い赤ちゃんは無事に産まれたが、18年たった今でも、電話ができない態勢が変わらないことに不安を感じ続けているという。

 

こうした聴覚障害の方々の不便を解消するため、2013年に「電話リレーサービス」という団体が生まれた。これはパソコンやスマホのテレビ電話で、手話通訳者が間に入って当該機関に電話連絡を入れてくれるというサービスだ。

 

ところがこれは民間の試験的な事業で、対応時間も午前8時から午後9時までだ。対して、アメリカやイギリスなど世界20か国以上では、こうした電話リレーサービスは国が整備する公共サービスで、その多くは24時間対応で運営されているという。

 

昨年10月奥穂高聴覚障害者3人組のパーティーが遭難した。警察や消防に直接電話ができない中、頼ったのが、この民間の電話リレーサービスだった。オペレーターに連絡が寄せられたのは午後5時半。日暮れも近く、事態は緊急を要していた。


大至急救助を要請する必要があるが、現在の民間の事業では、110番や119番への通報は取り次がないことになっているのだそうだ。万が一、手話を誤って伝えた場合の責任を負いきれないためだという。


取り次いだオペレーターは、悩みながらも、命に関わると判断し、遭難した場所や状況を逐次、長野県警に連絡した。サービス時間外の夜中0時過ぎまで対応し、翌朝の救助につないだ。その結果、寒さで衰弱した50代の女性1人は亡くなったが、男性2人の命は助かった。



全日本ろうあ連盟 小椋武夫理事
「公共インフラとしての電話に、ろう者はアクセスすることができません。
アクセスすることができないということが、社会参加や日常生活の障害になっています。」

 

慶應義塾大学 川森雅仁特任教授
「緊急通報ができないというのは、その人の生命に関わることです。
まだ確保されていない、保障されていないことは、人権的にも問題があると思う。」

 

どうも日本では「福祉」はいまだに「お上からのほどこし」。特に福祉政策の一番おおもとに関わる方々に、その意識が強いように思う。どんな条件のもとに生まれた人も、等しく自由に快適に人間らしく生きる権利があり、それを保障するためにあるのが福祉なのだという認識がない。だから「生産性云々」という言葉も平気で発してしまう。

 

 

かつて日本は儲けすぎて世界中から責められた時代もあったのに、なぜこんなにも貧しい三流国のまま来てしまったのか。やはり弱い立場の人の当然の権利に、無頓着な国民が多かったからではないだろうか。これから坂を下っていく時代、よほど心して声を上げ要求しなければ、どんな悲惨なことになるか。

 

弱い立場の人達への想像力をなくさないようにしたいものだと思う。人生何が起こるか分からない。今関係ないと思っている人でも、いつ弱い立場に立たされるかしれないという想像力も持ちたい。

 

 

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かみさま、おねがい・・・。  (かわいい子猫ちゃん、ウェブ上からお借りしました)

子供は風の子大人は火の子

適度に運動しなくてはと思いながら、寒いので、どうしてもという用事の時以外は、たった徒歩2、3分のお店にランチに行くことさえ忌避して極力家にこもっている。今週は見守り隊の当番なので、毎日小学校の子供たちの下校時には、ほんのちょっとだけ外に出て、担当場所で黄色の旗を持って立つ。

 

昨日はちょうど子供たちの帰る時間帯に雨が降ったので、傘をさしての立ち番だった。旗を持つので傘をさすのは煩わしい。今日はうって変わって青空だったが、代わりに東寄りの冷たく強い風が吹いていて、大変寒い立ち番だった。

 

ジッとしているより少しはましだろうかと、足踏みをしたりして児童たちの来るのを待つ。大人の私たちは、できればサッサと任務を果たして、早く暖かい家に戻りたい。でも、子供というものは寒さなんて苦にしない。

 

しかも帰り道が「学校から家までの単なる経路」とは思っていないだろう。特に低学年の子供たちの、道々目に入るものにいちいち興味を示しては、みんなで頭を寄せて何やら夢中で語り合っているさまなど見ると、この子たちにとっては全てが楽しいイベントなのだなと思う。目に見えているすぐ先の集団が、私たちの立つ横断歩道に来るまでにかかる時間のなんと長いこと!人生が、毎日が、楽しくていいなあと羨ましい。

 

そうして足をバタバタしながら待っていると、やがて到着した集団の中に、なんと半そでの体育シャツの子がいる。もちろん半ズボンですねを出している。寒そうな様子などみじんもなく、友達と語らいながら通っていく。久々に「子供は風の子」という言葉を思い出した。

 

昨日はこの見守り隊の会議があり小学校に行ったが、教頭先生によると、昨日時点でインフルエンザによる欠席が33名、風邪によるものが22名(児童数400名程度)とのことで、今日の下校に2クラスが学級閉鎖になってしまった3年生はいなかった。風の子の子供たちでもこれほど流感や風邪にやられている。気をつけなければ!

 

だからと言って、ストーブをたいた部屋で電気ひざ掛けをかけて、丸まっているばかりというのもどうかと思うけれど・・・。

 

 

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おばあちゃん猫たちはストーブの子(あの、温風が来ません・・・)。

 

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おばあちゃんとおばあちゃん猫たちは電気ひざ掛けの子。