よんばば つれづれ

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誰の立場で読みますか『私が誰かわかりますか』谷川直子著

人は誰も老いる。いくらお金があっても、どんなに強大な権力を握っても。そして最後まで尊厳が守られるかどうかも、わからない。その「老い」の周辺でオロオロするさまざまな立場の人間たち。配偶者・息子・娘・嫁・親戚・・・。

 

物語の中心となるのは、再婚した相手の実家のある九州の地方都市に東京からやってきた桃子という女性だ。イラストレーターをしている。桃子の義父守はアルツハイマー認知症で、未明の3時から徘徊をする毎日だ。妻の涼世は片目は視力を失い、残ったほうの目も緑内障という状態で夫に振り回されて弱り果て、長男の嫁の桃子を頼るようになる。

 

やがて守はグループホームに入所するが、体調を崩し病院に入院するようになり、桃子の周囲に介護つながりでさまざまな人間関係が広がっていく。介護をしているのは圧倒的に長男の嫁たちだ。

 

地方都市独特の、「世間」という親戚や隣人の目や評価に縛られる女たちの状況や、容赦のない老いの現実という、できることならともに目を背けたい部分をリアルに描いている。けれどもなぜかあまり暗い気持ちになることなく読み進め、そうして読後感もさっぱりしている。

 

中心に据えた桃子という女性が、良い意味で都会的で聡明な人であること。文体が簡潔で、かつ主人公を一人に絞らず、物語が進むにしたがっていろいろな人物の視点で描いていることで、感情に流されず理性的に気持ちよく読める物語になったようだ。

 

都会の人から見たら時代錯誤と思われるかもしれない状況が多々出てくるが、これが地方都市における「長男の嫁」の抱える現実だろう。団塊世代後期高齢者になっていく今後は、そうとう政治が頑張って制度を整えたとしても、さらに「老い」の問題は次々と現れてくるだろう。

 

私は長男の嫁・娘・妻、どの立場もすでに「クリア(厳密にはリタイアもあるが)」してしまったけれど、これからいよいよ自分自身が老いと向き合っていかねばならない。息子や息子の配偶者に何を求め何を求めないか、自分の手に余るようになる自分をどうするのか・・・。お金で解決できる部分もあるが、やはりそれですべて片付くわけでもない。人生のしまい方は実に難しい。

 

誰もが登場人物の誰かに感情移入ができ、自分のこととして考えさせられると思うが、それにしても、なんと男性の存在感の薄いこと!これがリアルな日本の現状だろう。子育ても介護も、「お手伝い」感覚でなく、自分の権利の問題として本気で取り組んでほしいと男性たちに求めたい。本気になれば、働き方も本気で変えざるを得ないはずだ。

 

 

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