よんばば つれづれ

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平凡な女の平凡でない生き方『風化する女』木村紅美著

会社を三日も無断欠勤したため、上司の手配でアパートのふとんの中で硬くなっているのを発見された四十三才の「れい子さん」。

 

この後に続く「会社では九時から五時まで口をへの字形にむすび、ふちのない眼鏡をかけ、長い髪は黒いゴムでひとつに束ねて、もくもくと働いていた。入社して二十年経っても、一般事務職のままで、昇給はなく、高校や短大を出たばかりのちゃらちゃらした女の子たちと、ほぼ、同じ額の給料をもらっていた。それで不満はないというか、あきらめているようでもあった。」という文章で、れい子さんという地味な女性がくっきりと浮かび上がってくる。

 

社内に親しい人もいなかったれい子さんのアパートの整理を任されたのは、年齢は一回り以上も離れた時野という女性。彼女もまた少しだけ同僚の女性たちに距離を感じ、一人で行動することが多く、いつしかれい子さんと同じ喫茶店でランチをとる関係になっていた、それだけのことで「仲が良かった」とされてしまったのだ。

 

時野はその役回りを少々うっとうしく思いながら、れい子さんの遺品整理などを進めていく中で、会社でひっそり生きていたれい子さんからは想像もつかないような彼女の暮らし方に触れていく。

 

化粧や服装に気を使いながら、社内では健康サンダルを履いて、サンダルの先から肌色ストッキングの色の濃くなったつま先をのぞかせて平気でいる女性たちに対し、れい子さんは「ぶざまこの上ない」と時野に言う。よくよく見ないと気づかないが、れい子さんは足もとにはひそかにお金をかけていた。

 

アパートやロッカーの整理をすると、ますます見えてくるれい子さんの暮らし方や生き方への美意識。

 

携帯電話の待ち受け画面やロッカーのドアの裏側に貼られた写真の、ひげ面にバンダナの男性はれい子さんにとってどういう存在だったのか。事務机の引き出しから見つかったその男性のライブに行くための北海道までの航空券を、無駄にするのももったいないしと、時野ははるばる出かけていく決心をする。

 

れい子さんの押し入れにはいつでも旅立てるよう用意されたトランクがしまわれていて、中にはコンタクトレンズと化粧ポーチには使いかけのシャネルの口紅が入っていた。れい子さんは会社ではいつもすっぴんに眼鏡だったのだが。

 

こんな具合に、だんだん明らかになってくる会社以外でのれい子さんの生き方が、なかなか粋だなと思わせる。生きている間、誰に注目されるでもなく、死んでも誰も悲しむ人もいないようで、すぐに忘れ去られ風化していってしまうであろう女性。けれども誰に知られなくても、注目されなくても、自分の美意識を持ち、抜くところは抜いてもきっちり自分の仕事をしたれい子さんという存在が、特に親しかったわけではない時野という存在を通して、淡々と綴られる。

 

英雄でも美女でもない、ごくごく平凡な女性の物語。ドラマチックな展開も事件もない。もしかしたら、戦前あたりまでは、れい子さんのような女性が珍しくはなかったのかもしれない。時代的な制約から、もう少し質素ではあったにしても。

 

一人のごく目立たない女性の地味な生き方を描きながら、現代の、お洒落で時流にのっていると思い込んでいるが、実は思考停止の人々への痛烈な批判になっていて、「れい子さん」は風化するどころか、鮮やかに私の脳裏に刻まれた。

 

 

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一緒に収録されている『海行き』も良い。