よんばば つれづれ

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カッコよく生きたいもの

ハフィントンポストに平野啓一郎さんが「カッコいい」について書いている。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 

私は長いこと生きる上で「美意識」というものが大切だと考えてきたが、私のその考えはここで平野さんが仰っている「カッコいい」ということと繋がるなと思った。

 

古くは「男前」とか「いなせ」とか「粋」だとか、あるいは「江戸っ子は宵越しの金は持たねえ」だとか、人間のカッコいいあり方・生き方を表す言葉がたくさんあったように思う。もっと遡れば「武士は食わねど高楊枝」もそうだろう。

 

ところが、いつのまにかそういう言葉で表されるような行いや生き方は、偽善だとかまやかしだとかとあざ笑われたり疎まれたりする対象になり、本音丸出し、欲望丸出しが正直であるかのような風潮が蔓延してしまった。どんな手段であれ、要領よく稼ぎ、自分の為だけに使ったり貯めたりした結果リッチになったものが、「勝ち組」だとか「セレブ」だとかもてはやされるようになった。

 

いま、大きな時代の転換点にあって、私たちは平野さんの言われるように、もっと「カッコいい」生き方とはどんなものかを考える必要がある。もう決して経済が右肩上がりになることはないだろうし、この50年ほど忘れていた厳しい時代に向かっていくのかも知れない。

 

だからこそ、しっかりした人間としての「カッコいい」あり方を考えることが大切だ。カッコよさや美の基準はもちろん人それぞれだけれど、社会共通の「いいね」の基準や、公共の場での望ましいふるまいなどについては、語られる必要があると思う。

 

政治家はどうあるのが「カッコいい」のか。その基準に比して現在の政治家たちが果たしてカッコよく振舞っているのか。企業人はどんな事業で儲け、どんなふうに従業員を使い、利益をどんなふうに使うのが「カッコいい」のか。

 

庶民には想像もつかないような資産を持つ財界人がいて、驚くようなお金の使い方をして時々ニュースになるけれど、果たしてそれは「カッコいい」生き方なのか。もちろん、自分の稼いだお金をどう使おうが自由だけれど、私は残念!と思うこともしばしばだ。

 

 

ところで、一昨日わっと(id:watto)さんが言及とリンクをしてくださったお陰だと思うけれど、昨日のアクセス数が5割増しほどになった。アフィリエイトも何もしていないし、波長の合う方だけが読んでくださればいいなどと思いながらも、こういうときに更新をあけてしまうのも・・・と、実は大いにとらわれて記事をしたためている私のありようは、どうもカッコよくないなあ。

 

 

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キリッと!おめめぱっちり、アタシはカッコいいでしょ!

捨てられて死にそうだったドリームも我が家に来て数週間、すっかりお嬢様に?

(20年ほど前です。いまは虹の橋の向こう・・・)