よんばば つれづれ

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捨てられない思い出の子供服

高齢者の運転による悲しい交通事故が続く。公共交通の不備、車ありきの社会づくりなどに根本の問題があることは確かだけれど、その解決は一朝一夕にできることではない。

 

まずはできるだけ車を運転しないことではないだろうか。自家用車などなかった私の子供の頃は、15分や20分は朝飯前、30分くらいかかるところでも、さして苦にもせず歩いていたように思う。

 

まだまだ自分は大丈夫と思っても、ある程度の年齢になったらやめることを検討したらどうかと思う。車がないと暮らせないとよく聞くけれど、車一台所有すれば、月々の出費は馬鹿にならないはず。その金額だけタクシーを利用する気になれば、通院や買い物に片道何千円もかかる山間地でない限り、かなり生活はカバーできるのではないだろうか。

 

今週は小学生の下校の見守り当番。相棒は昔自動車学校の指導員をし、60年以上運転しているが無事故を誇る八十代の男性だ。今も運転しているので、今日はこの話題を出し、車の維持費分のタクシーの話をすると大いに賛同してくれたが、まだご自分が免許返上する気にはならないようだった。くれぐれも注意してほしい。

 

さて、着々と身辺整理を進める私だが、子供たちが赤ちゃんだった時の服が何着か、どうしても捨てられないでいる。購入したりご近所さんにいただいたりした中でも特別気に入っていて思い出深いものや、自作ながら思いがけず良い仕上がりで思い入れの深いものなどだ。

 

その思い出の子供服を、ぬいぐるみに着せて飾りたいと前々から考えていた。ところがそのぬいぐるみが、なかなか適当なものが見つからない。ならば自分で作ってしまおうと考えたが、長いこと手作りから離れていた身にはぬいぐるみは手ごわい。子育て中には自己流で何体か作ったことがあるけれど。

 

そこでハタと考えついた。なにも立体でなくても良いではないか。ハンガーだ!

 

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ということで作成したのがこのハンガー。

 

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中は背中がペロンと出る、ベアバックのロンパースボレロも丈が短くて背中がチラチラ。近所の端切れ屋さんで見つけた可愛い羊のプリント生地で作った。女の子っぽかった長男によく似合って、ヨチヨチ歩きの1歳の夏に大活躍した服だ。

 

同じプリントで、赤の地にダックスフントの柄違いで作った、前はつながっているのだが、脇腹を露出して背中側がビキニのように二部になっているロンパースもあって、これも長男によく似合って(親ばか)自慢の作品だったのだけれど、残念ながら残っていない。

 

羊のプリントはピンクもあって、それはひざ丈のズボンに仕立て、プリントの羊を自分で方眼紙にデザインしてスモーキーなピンクのモヘア糸で、茶色のベストの胸に編みこんだセットもとてもよくできた(自画自賛)のだが、これも残念なことに残っていない。

 

初めての育児にドキドキしたり悩んだりしながらも、寸暇を惜しんで洋裁したり編み物をしたりした。若くてエネルギーがあったんだなあと、しみじみ思う。

 

前川喜平氏の講演会とミュージカルステージ

今まで、中村哲医師や木村聡太さんなど、なかなか訴求力のある講師を引っ張ってきている東三河九条の会が、今年は前川喜平さんをお招きした。

 

受付を担当するという友人が、ちょっと時間が早くて良ければ車に乗せて行ってくれるというので、お世話になった。午後1時半の開演で、会場の豊橋市公会堂に到着したのは12時半にもならない頃で、聴衆としては2番手というところだった。

 

会場は1階が収容人員469名というキャパシティで、これまでは1階だけで間に合っていたと思うが、今日は2階まで聴衆が入る盛況ぶりだった。友人は若者にも聞いてもらいたいと、数日前愛知大学の入り口で学生相手にビラ配りをしたそうで、学生たちはほとんど前川さんを知らなくて驚いたと言っていたが、高齢者には大人気のようだ。

 

講演の前に、元劇団四季の天野陽一という方の仲間や生徒さんたちによる”ミュージカルを貴方に”というステージがあり、『レ・ミゼラブル』の「民衆の歌」が歌われたのに絡めて、前川さんのお話は、ユネスコに出向して3年暮らしたというフランスの話から始まった。

 

そして今日の会場の豊橋市公会堂が、大正デモクラシーの言論の場としての必要から1931年に建造されたものだそうだが、その1931年というのは、第一次大戦で戦争に懲りた国々が、二度とそうした戦争を繰り返さない体制を作ったにもかかわらず、再び世界大戦へと向かう流れに変わった、歴史の転換点だと話された。そして今の時代の雰囲気が、その1930年代と似てきている気がすると・・・。

 

文部省(当時)入省以来、ほとんど面従腹背だったが、夜間中学の充実に関しては、長い間自分も関心を持っていたことだったので、本当にやりがいがあったそうだ。そしてそれにまつわる、中学校を卒業していない人や非識字者の話は、社会の表面にあまり出てこないことで興味深い内容だった。

 

演題は「これからの日本、これからの教育」というものだったが、やはり招聘した側や聴衆の期待を慮ってか現政権批判の強く出た内容で、加計学園の問題や三権分立もあやうくなり、権力から自由であるべきマスコミと教育まで、いまやかなり浸食されているといった話に力が入った。

 

批判も大切だけれど、私はもう少し「これからの教育」の、理想や夢を聞きたかった。みんなで力を合わせてそこに向かっていく気持ちになれるような、明るくて具体的な未来図を見せてほしかったように思う。今日の聴衆はほぼ団塊世代中心の反安倍政権の高齢者だからこれでもいいのかも知れないが、若い人たちに対しては、ぜひ、明るい夢を語ってほしいと願う。

 

 

今日、ひとつ嬉しかったこと。

午前中に市会議員の投票に行ったら、地域の体育館の投票所に、今回はシートを敷きこんで土足で入れるようになっていた。

 

今月の民生委員の会議の折、市役所の職員が来ていたので、委員の一人が、「足の悪い高齢者は靴の脱ぎ履きが大変負担で、そのために棄権する人もいるから、ぜひシートを敷いて土足で入れるようにしてほしい。そういう対応をしている投票所もあるそうだから、担当部署に伝えて欲しい」と頼んだのだ。私も股関節が悪い時に痛感したことなので、大いに頷いた。

 

それが早速実行に移されていた。こんなに迅速に対応してもらえるとは夢にも思っていなかったので、大変嬉しかった。こちらも早速市役所にお礼のメールでも送ろうと思う。

 

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ありがとうございます!   (またネット上からお借りしました)

 

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今日の会場、豊橋市公会堂

トマト缶をすすぎがてら水を一杯!と内野聖陽さん

三週目にして二度目の感想を書いてしまう。それほどドラマ『きのう何食べた?』が面白い。

初回の感想

yonnbaba.hatenablog.com

 

オープニングでケンジがスマホで撮影しているらしい動画が流れるのだけれど、その中での西島さんの笑顔が、もうホントに内野さんが可愛くてたまらなくて、つい笑っちゃってる感じがしてなんとも言えないいい雰囲気だ。そのまま本編も無駄なシーンも引っかかる台詞もなく引き込まれて、あっという間に楽しい40分が終わってしまう。

 

シロさんの実家のお母さんが息子のゲイを理解しているのかと思ったら、「私はあなたがゲイであろうと犯罪者であろうと受け入れる・・・」と口走り、息子に犯罪者と一緒にされたと嘆かせる。良い母であらねば!と思う人なのだろう。

 

食事シーンでシロさんの食べ方が美しいなと感じていたが、このお母さんに厳しくしつけられたのかなと思う。いっぽう、ケンジは食卓に肘を突いて食べたりして、いまだに親の描写がないことと合わせて、こちらも育った背景を想像させる。長いセリフや細かなナレーションがなくても、ちょっとしたシーンやしぐさから背景を推察させる。

 

今回特に印象的だったのが、鶏もも肉の料理をしながら、シロさんがトマト缶を半缶フライパンに入れ、残りをタッパに移したシーンだ。なんとも無造作にタッパにあけるのを見て、細かなことが気になってしまう私は思わず「あぁ・・・」と思ったが、次の瞬間シロさんは、「缶をすすぐついでに一杯の水を入れ」たのだ。さすが日常的に料理をしている人。そして月二万五千円の食費で賄うことを目指す人だ。恐れ入りました!(ちなみに、こんな小さいことが気になってしまうくせに、一人暮らしながら私は月二万五千円で賄えることがほとんどない)

 

西島さんも、スーパーマーケット友達を演じる田中美佐子さんも実にうまいが、やはりケンジの内野聖陽さんが素晴らしい。どうしてこんな(失礼!)むさくるしい中年男が、こんなにもチャーミングに見えてしまうのだろうと思う。

 

もう10年近く前になるが、内野さんがNHKの『十年先も君に恋して』というドラマで、将来修復不可能な関係に陥ってしまう自分たちの結婚を阻止しようと、未来から結婚前の妻の前に現れて二人の恋愛を阻止しようとする夫を演じた。

 

この時、妻役の上戸彩さんは現在も未来もほとんど同じだったが、内野さんは大学生のシーンになると、特別なメイクをしているわけでもないのに、まだ大人社会のずるさを知らない若者の顔つきになっていて驚かされたことは忘れられない。

 

ゴンゾウ 伝説の刑事』でも、犯人逮捕のためには少々過激な捜査も辞さない捜査一課のエースの顔と、容疑者の情婦(池脇千鶴)と愛し合うようになって清らかな心を得た時の顔、そしてその大切な人を自分のせいで失って心に傷を負い、ふぬけ(ゴンゾウ)になってからの顔とを見事に演じ分けていた。

 

来週はシロさんのお父さんの健康問題。演じる志賀廣太郎さんが実際に脳梗塞のため降板とのことで、どのような展開になるのか。こんな良いドラマを降りなければならなくなって、志賀さんもさぞ無念でいらっしゃることだろう。

 

 

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もうひとつ、気になった小さなこと。

昨日郵便局のATMで、ペシャワール会の今年度の会費を振り込んだ。そうしたら、去年は80円だった振込手数料が150円になっていた。金額としては大したことではないけれど、二倍近いって、けっこうすごい値上げ・・・。

ついでに綺麗な切手も買ってきたが、10月からこれも値上がりするんだった。1円切手と2円切手を買い足す羽目になるだろうな。

 

 

 

公園散策と市役所・美術館見学

今日の国際協力コスモス会はピクニック、行き先は豊橋公園周辺(公園に隣接して市役所庁舎があり、公園の中に美術博物館がある)。参加者は日本人が5名、インドネシアの人が2人(1人は先週日本人のご主人とのロマンスを語ってくれたLさん)だった。

 

市役所のロビーに展示されていた、オープンガーデンで入賞したお宅の素敵なお庭の写真を鑑賞。過去に何回か見学させていただいた、市内老津町K邸の見事なバラ園の写真もあった。

とよはし百花苑 14.オープンガーデン/豊橋市

 

K邸の素晴らしいバラのお庭を訪問したときのエントリ。

yonnbaba.hatenablog.com

 

丹精込められたお庭の写真にため息をついた後は、13階の展望ロビーで豊橋の街を一望にする。このフロアにレストランも入っているが、今日私たちが行くのは、地下1階にある職員用の食堂だ。値段は13階のレストランの半額以下で、予約もいらない。ムスリムの方がいることもあって、ほぼ全員が魚のフライに小鉢とみそ汁が付くAランチを選択した。600円なり。

 

インドネシア人のDさんが、今日はお子さんの先生の家庭訪問が1時半の予定というので、早めのランチのあと、公園を通って隣接する美術館に行き、ちょうど開催されていた写真展や日本画展を楽しんで、1時前に解散した。

 

Lさんが今日は素敵な民族衣装で参加され、みなの注目を集めた。以前コスモス会に参加していて、今はインドネシアに帰られたAさんが作って送ってくれたものだという。ヒジャブと同系色で合わせて、シックでとてもよく似合っていた。

 

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後方から歩いてくるのがLさん。

 

 

日本語教室もコスモス会もだんだん参加者が少なくなってきて、活動の必要性が低くなってきているのだろうかという気もする。けれども、たとえ少数でもこうした場を求める人がいるのならば、細々とでも続けていくことは大切なことかもしれない。どちらも新参者の私が心配することではないのかもしれないけれど・・・。

 

 

笑顔の効用

大分日差しが強くなってきたが、まだちょっと日傘というのも気がひけて、朝、日本語教室に出かけるときには帽子をかぶった。

 

来月の校区老人会のバス旅行の、うちの会からの参加者名簿を校区の老人会の代表まで届けなければならないのだが、昨日は雨で見送ったので、午後から届けに行くことにした。燦々と力強く輝く陽光に、今度は迷わず日傘をさした。

 

途中の道で、前方からやってくる男性が、私の日傘を見たあと手にしていた自分のビニール傘をさした。そしてすぐにたたみ、盛大に苦笑いをしながら目の前までやってきたので、私は思わず「透明で日傘にはなりませんでしたね」と声を掛けてしまった。

 

相手がこぼれるような笑顔を向けてくれたから、私も気軽に言葉を発することができた。そしてそのあと、なんだか楽しくなった。笑顔ってすごいなと思った。

 

狭い歩道を歩いているときなど、すれ違う見知らぬ年配の方が、軽く会釈して下さったり、なかには「こんにちは」と声までかけてくださることもある。母がうちにいた頃、「散歩しているといろんな人が声を掛けてくれて嬉しい」とよく口にしたが、こういうことだったのかと思う。その頃は慌ただしい通勤の時くらいしか道を歩かないので、実感することがなかった。

 

のどかな昼下がりに歩いていると、下校途中の中学生が「こんにちは」と元気よく声を掛けてくれることもあり、清々しい気持ちを味わう。そういうとき、見守り当番で立っている時だけでなく、常日頃から私も声を掛けようという気持が湧きおこるのだが、いつのまにかしぼんでしまい情けない。

 

今日出かけた先は我が家から徒歩15分くらいかかるのだけれど、途中どのルートを通っても郵便ポストがない。それでももしかしたらうっかり者の私が、コンビニの前などの物を見落としているかも知れないと思って、投函する封書を持って出かけた。幸運なことに帰り道の途中に配達中の郵便屋さんがいたので、「すいません」と駆け寄って郵便物をお願いした。

 

こちらは民生委員の会長さん宛ての提出書類だ。徒歩20分くらいのそのお宅に、以前は歩いて届けに行っていたのだけれど、去年股関節の状態が悪かった時はどうしても行くことができず、苦肉の策で郵便で届けることに思い至り、以来どうも横着になってしまった。

 

日々テレビ画面の中には不愉快なおじさんたちがあふれているが、今日は見知らぬおじさんの笑顔に、爽やかな日がさらに気持ち良い日になり、笑顔の効用に気付かせてもらった。性別も年齢も見た目も関係ない。誰でも、計算や欲得のない笑顔は気持ちの良いものだ。

 

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写真は全てまとめサイトNAVERさんより

目くそ鼻くそを笑う

まずは品のないタイトルをお詫びいたします。

 

いつも興味深い話題を提供してくださるセネシオ(id:cenecio)さんが、今日もまたおもしろい(愉快ではない)ことを書いていらした。前回の続きのラ音の憂鬱と、欧米人のアジア人種差別について。

 

cenecio.hatenablog.com

 

日本人がRの発音が苦手なために、つまらない誤解を招いたり笑われたりするとはよく聞くことだ。だから発音が大切と。下品な連想を呼んでしまう言葉には困るけれど、そもそも違う言語を使う人間が、慣れない言語の発音ができないからと笑うことは、人として情けない。

 

私は日本語しか話せないし、日本から一歩も出たことがないので日本語の例しか出せなくて恐縮だが、津軽で15年暮らした時、1年でお年寄りのかなりヘビーな津軽弁も聞き取れるようになった。ところが、津軽弁特有の標準語にはない中間音ともいうような音は、どうしてもうまく発音できなかった(4歳と1歳で転居した息子たちはネイティブ並みに発音するので、やはり幼児期に聞いて真似る体験の重要性は痛感した)。

 

日本人がRをうまく発音できないように、欧米人が発音しにくい日本語の音もある。それは当たり前のことで、細かな発音が少々違っていても、聞き手に知性と愛があれば、文脈から言わんとすることは読み取れる。これは万国共通のはず。

 

セネシオさんが後半で紹介してくださっている「ウシ・ヒロサキ」という日本人を揶揄しているらしい女性が登場する番組には驚いたが、少し前までハリウッド映画に出てくる日本人も似たようなものだった。それにしてもこれだけ人権や差別に敏感になっている現代でもなお、こうした侮蔑的な番組が受けたり、世界的に有名な企業が差別的なCMを流して炎上したりすることに呆れる。

 

肌や目の色が違ったり、言葉が違ったり、文化習慣が違ったりする、その多様性こそがこの世界を美しく楽しくしていると思うのに、なぜその違いのどちらが上でどちらが下だと考えるのだろう。

 

ちょっと想像してみればすぐ分かる。世界中同じ外見の人間ばかりで、同じ言葉をしゃべり、同じような行動をしていたら、どんなにこの世界がつまらないか・・・。

 

人種だけでなく、身体的なハンディも、機能的なハンディも、すべてそれぞれの人の「個性」ととらえることができたなら!

 

 

*セネシオさま、ブックマークコメントでは書ききれなかったので、勝手に言及させていただきました。

 

 

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人間はくだらないことに優越感を感じるんだニャ~~

                            写真はネット上からお借りしました。

 

歯医者さんで眠くなる

3か月ごとのメンテナンスで、いつもの歯医者さんに出かけた。

 

歯周ポケットのチェックは、今の歯科にかかり始めた十数年前には、部分的にはひどい個所もあったものの、それでもポケットの深さを表す数字に0や1があった。それが、2010年代に入ったあたりから、2以上しか記録されなくなってしまった。

 

もう0や1を望むのは無理だとしても、なんとか全て2にしたいと日々の歯磨きに取り組んでいるが、今回も奥のほうの歯に「3」がちょっぴり記録されてしまった。残念無念。

 

すべてきれいに磨けていますよと、褒め上手な今日の歯科衛生士さんは、クリーニングもお上手(たまに新米さんに当たると、少しだけ痛い時もある)で、眠くなってしまいそうだった。

 

歯医者さんは怖いという方が多いが、虫歯の多かった幼いころ、父の友人の歯科医に通い、男の子しかいなかったそのご家庭で、いつも大変可愛がっていただいた体験のお陰か、子供の頃から歯医者さんに行くのが恐いと思ったことはない。こじらせないで行くからひどく痛い思いをすることもなく、良い循環が続いている。

 

昨日のエントリへのコメントでセネシオ(id:cenecio)さんが、「高校生の時以来歯医者にかかったことがない」と書いていらした。羨ましい限りだ。私の友人にも、「ずっと歯磨きは朝一回だけだけれども、虫歯になったことがない」という人がいる。

 

身体と同じく歯の健康も、生まれつきの歯の質や唾液の量などに非常に左右されるようだ。私はこまめなメンテナンスが必要なので、このままずっと3か月ごとの検診を続けようと思っている。息子より若いくらいの先生なので、たぶん最後まで診ていただけるだろう。

 

開花してから冷える日が多く長持ちした今年の桜。この1か月ほど、ブログ訪問する先々で美しい桜の写真を堪能させていただいたが、東北や北海道を除けば、そろそろそれも終わる頃か。私の住む団地では、つつじの花が開き始めた。

 

人間界は目をそむけたくなるようなことばかりだけれど、自然界では、これから私の好きな5月を経て6月頃まで、さまざまな花が目を楽しませてくれることだろう。

 

 

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歯を磨くわけじゃありません・・・