よんばば つれづれ

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目くそ鼻くそを笑う

まずは品のないタイトルをお詫びいたします。

 

いつも興味深い話題を提供してくださるセネシオ(id:cenecio)さんが、今日もまたおもしろい(愉快ではない)ことを書いていらした。前回の続きのラ音の憂鬱と、欧米人のアジア人種差別について。

 

cenecio.hatenablog.com

 

日本人がRの発音が苦手なために、つまらない誤解を招いたり笑われたりするとはよく聞くことだ。だから発音が大切と。下品な連想を呼んでしまう言葉には困るけれど、そもそも違う言語を使う人間が、慣れない言語の発音ができないからと笑うことは、人として情けない。

 

私は日本語しか話せないし、日本から一歩も出たことがないので日本語の例しか出せなくて恐縮だが、津軽で15年暮らした時、1年でお年寄りのかなりヘビーな津軽弁も聞き取れるようになった。ところが、津軽弁特有の標準語にはない中間音ともいうような音は、どうしてもうまく発音できなかった(4歳と1歳で転居した息子たちはネイティブ並みに発音するので、やはり幼児期に聞いて真似る体験の重要性は痛感した)。

 

日本人がRをうまく発音できないように、欧米人が発音しにくい日本語の音もある。それは当たり前のことで、細かな発音が少々違っていても、聞き手に知性と愛があれば、文脈から言わんとすることは読み取れる。これは万国共通のはず。

 

セネシオさんが後半で紹介してくださっている「ウシ・ヒロサキ」という日本人を揶揄しているらしい女性が登場する番組には驚いたが、少し前までハリウッド映画に出てくる日本人も似たようなものだった。それにしてもこれだけ人権や差別に敏感になっている現代でもなお、こうした侮蔑的な番組が受けたり、世界的に有名な企業が差別的なCMを流して炎上したりすることに呆れる。

 

肌や目の色が違ったり、言葉が違ったり、文化習慣が違ったりする、その多様性こそがこの世界を美しく楽しくしていると思うのに、なぜその違いのどちらが上でどちらが下だと考えるのだろう。

 

ちょっと想像してみればすぐ分かる。世界中同じ外見の人間ばかりで、同じ言葉をしゃべり、同じような行動をしていたら、どんなにこの世界がつまらないか・・・。

 

人種だけでなく、身体的なハンディも、機能的なハンディも、すべてそれぞれの人の「個性」ととらえることができたなら!

 

 

*セネシオさま、ブックマークコメントでは書ききれなかったので、勝手に言及させていただきました。

 

 

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人間はくだらないことに優越感を感じるんだニャ~~

                            写真はネット上からお借りしました。