よんばば つれづれ

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欠けたもののないような女性も・・・『いろは匂へど』瀧羽麻子著

ヒロイン紫(ゆかり)は、京都の二条通りで祖母の代からの小さな和陶器の店を営んでいる。彼女の両親は、幼かった紫が少々疎外感を感じるほど仲が良く、今は父の仕事でカナダに住んでいて、母親は時折り彼女に電話してくる。

 

父の転勤に振り回されたためか、紫は人とはいくぶん距離を置いて、深く付き合わない生き方になっている。三十路は過ぎたが、一人で店を切り盛りし、しがらみも少なく自由に生きる暮らしに満ち足りている。

 

そんなある日、気まぐれに出かけたパーティーで、草木染めの染色家湊光山(みなとこうざん)と出会う。芸術家肌で激しく思うままに生きる光山だが、天性の「人たらし」の側面を持ち、紫に惹かれた彼はまっすぐに彼女に向ってくる。

 

不思議な光山の存在に強く惹かれながらも、あまりに自信満々でストレートで気まぐれな光山に反発の思いも強いのだが、次第しだいに彼女は光山に傾いていく。

 

京都という非日常的な場所で、経営者として自立していて、どこかの国のプリンスのような風貌の日本かぶれのアメリカ人ブライアンという崇拝者までいる。もちろん美人である。紫という女性は、すべてを手に入れているような存在だ。

 

ところが紫はある日店で脚立から落ちて足を怪我し、松葉杖生活となる。ブライアンは自分がきっかけになったという負い目もあり、ひっきりなしに花を持って見舞いに行き、退院後もかいがいしく世話を焼く。

 

ブライアンの助けがあっても、松葉杖となった身での一人暮らしは相当に不便で心細く、彼女は初めて気づくのだ。

「ひとりでなんでもできると思っていた。体の一部が故障するだけでこんなにも心細く不安になるなんて知らなかった。他人の手を無造作に払いのけて、助けなどいらないと胸を張れるのは、健康で傲慢な若者たちの特権なのだろう。」と。

 

この彼女の気付きは、私などの年齢になったものにはとてもよく分かる。幸か不幸か私は去年股関節の手術をするまで、病気らしい病気も怪我も知らずにきたが、紫のように美人であろうと、私のように健康に恵まれようと、人間はある程度の年齢になれば、こうした心細さを知るようになる。若者が傲慢でいられるのも幸いだが、年を重ねてこうした気付きを得るのも幸いだと、私は思う。

 

 

京都の町や草木染めについての描写が多いので、そういうことに興味のある読者には面白く読めることだろう。光山や彼の元恋人の波乱に満ちた生き方も話を彩っている。舞台や道具立てが揃っているので、終始ロマンティックな雰囲気が流れていて、サラサラと読めてしまう。

 

物語の終章で、「染まらないなんて無理だ。みんな、毎日ちょっとずつ染まっていってる」と著者は光山に言わせている。そして、

「ひととふれあい関わりあい、さまざまな出来事をくぐり抜ける。そのたびに新たな色が加わる。赤や青や黄色や緑が複雑に重なりあい溶けあって、深い色あいになっていく。その変化はたえまなく続く」と地の文が続いている。

 

誰にも頼らずひとりで生きると決めていたヒロインが、足の怪我や自分の中の熱い思いによって目覚め、これからどう変わっていくのか・・・。余韻を残して物語は終わる。

 

 

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