よんばば つれづれ

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久々のNちゃんと三角関数、セルビアからの便り

今朝Nちゃんのお母さんから「数学を見てやってもらえないか」と連絡があり、お役に立てるかどうか分からないですがとことわったうえで引き受けた。

 

約束の午後4時、懐かしい、Nちゃん独特の鳴らし方のチャイム音がした。高校生になっても、以前と少しも変わらない、元気でさわやかなNちゃんが現れた。3か月前と同じようにダイニングテーブルをはさんで座る。今日から定期テストがスタートしていると言う。数学は明日。泥縄もいいところだ。

 

問題集の分からなかったところに印が付いている。三角関数だ。さすがに公式まではスイスイ出てこないので、教科書の正弦定理だの余弦定理だのを参照しながら、与えられた条件をどう公式に当てはめて等式をたてるかを説明する。

 

せっかく式は立てられても、途中で小学校レベルの計算間違いや、中学校のルートの計算でつまづいたりして正解に辿り着いていないものもあった。6時までの2時間二人で解いて、いちおう印のついていたものを解決できた。

 

これで安心しないで、家でまた一人で解き直すことをくれぐれも言い含める。受験勉強時、「はい、はい」と聞いていたのに実際はあまりそれを実行せず、次に来るとまた前の状態に戻ってしまっているという事が多々あった。「分かる」と「できる」は違うこと。一人でできたことしか本当の力にならないことを、しつこく繰り返す。

 

もう難しくて大変と言うNちゃんに、受験勉強中、勉強が嫌なら高校なんて行かなくてもいいのよと私は言った。中学校までの義務教育部分がしっかり身についていれば、世の中は十分生きていけると私は思う。基礎さえしっかりしていれば、いつかまた再びもっと学びたいと思ったとき、いくらでも学び進むことはできるし、学校という道を選ばずとも、この道何十年などという職人さんは、たいてい人間的にも立派であることが多い。それは一つの仕事を極めるためには、さまざまな知識が必要になって来るからだろう。こういうことも受験勉強期間に話した。

 

近ごろ話題の貧困の連鎖も返済不要の奨学金も大切な問題だけれど、その前に、何が本当に必要な教育かという本質的な問題を問う声があまりに少ないように思う。本当に、若者の進もうとしている大学が、多額の借金をしてまで行く価値のあるものなのか。若者の時間も国民の税金も有限なのだから、ここからしっかり考え直したい。

 

 

さてさて、今回はなんとかかんとか伴走することができたけれど、そのうち「よんばばさん、もう足手まといになるだけだから・・・」と置いていかれることだろう。

 

 

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今日郵便局に「平和の葉書」を取りに行くと、セルビアからエアメールが届いていた。見事な日本語の宛名は、”言い出しっぺ”があらかじめ書いて返信用として同封したのだろう。

 

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「Peace展」は8月初旬の開催なので、まだまだ「平和の葉書」は受け付けます。7月20日頃までは大丈夫。ぜひ大切な人に宛てて、あるいは逆に、政治家宛てに皮肉たっぷりに、平和の葉書を書いて「Peace展」に参加なさいませんか?(私の住所宛にお送りいただいても結構です)