幸せそうな国、トンガ
3月は前半自己都合で出席できず、後半は会の活動が休みだったので、1か月ブランクがあった。それで先週の金曜日はうっかり忘れてしまい、今日は大変久し振りに国際協力コスモス会に参加した。テーマはカントリープレゼンテーションで、トンガから来ているSさんが話をしてくれた。
「マロエレレ」という言葉で始まった。これはトンガの言葉で「こんにちは」の意味だそうだ。かつてイギリスの保護領で現在もイギリス連邦に加盟しているトンガは英語も日常的に使われているので、Sさんの話もこの後は全て英語で、英語が堪能なメンバーのUさんが逐次日本語に訳してくれた。
トンガは170ほどの島々からなり、人口は10万人ほどでずっと変わらない。国内にいる人よりも、海外にいるトンガ人の方が多いというほど、高い教育や仕事を求めて人々は国外に出ていく。そうした人々が国の家族に送金してくるお金がトンガの収入の多くを占めているという。トンガにはあまり資源がなく人間こそが資源、とこれは日本と同じだ。
日本人の認識ではトンガは観光収入が大きいのではと思うが、観光は特定の季節だけだからと、あまり重要そうな口ぶりではなかった。輸出できるものはカボチャ(これは私もスーパーで見かける)やココナッツ。
大学などで学んでもそれを生かして働く場所がなく、かなりの人が特に仕事を持っていない。「それではトンガには失業者という認識はないのですか?」と聞いたら、「仕事がなくても、困ったら森に行けば食べることができる」といたって大らかな返事が返ってきた。昔『遠い海から来たCоо』という本を読んで南の島でのんびり暮らす生活に憧れたが、まさにその憧れのイメージだ。
食べることがとても重要なことで、牛、豚、鶏・・・といっぱい食べる。と、ここでタブレットで現地で豚を焼いている画像を見せてくれたのだが、戸外で、なんと頭からしっぽまでまさに「丸焼き」という状態で、20頭ほどの豚が棒に串刺しにされて焼かれていた。どれくらいの人数で食べるのか知らないが、グラム単位でしか肉を買ったことの無い私など、あまりのスケールにたまげてしまう。
大家族で暮らし、家族をとても大切にする。そしてトンガは女性が大切にされ、一家の一番偉い人は”fahu"と言って、最高齢の女性を指し、多くはお父さんの姉妹がなるのだそうだ。ほとんどの人がクリスチャンで、日曜には99.9%の人が教会に行く。だから日曜日は、お店もみんな休み。
伝統的な服装を大事にしているようで、いまも役所で働く人は民族衣装着用だそう。服装に限らず、伝統的な行事や文化を大切にしている様子がうかがえた。全体的に、なんだかゆったりしていて、とても幸せそうな国という印象を受けた。
今読んでいる『逝きし世の面影』という本は、おもに江戸末期から明治の頃に日本を訪れた外国人の書き表した日本の印象を中心に書かれている内容で、そこに出てくる日本人が、「貧しいけれどこざっぱりとして礼儀正しく優しくて、どの人もとても幸せそうに見える」と多くの外国人に書かれている。
首都のヌクアロファで一番高い建物でも五階建てだといい、多くの人が職業と言えるものをもっていないらしい(農業なのかもしれないが)けれども、なんだかゆったりしているトンガ。江戸末期の、狭い部屋に家具は一つもなく、幾枚かの着物と台所用品くらいしかなくても、誰もが満ち足りた様子に見えたという日本。物質文明が人間にもたらすものを考えずにはいられない。
肉の話の時に、魚介類は高いからあまり食べないという説明があって、聞いていた皆が「まわりを海で囲まれた島国なのになぜ?」と異口同音に尋ねた。「漁業権を買い取った中国や日本が、大きな船、大規模な装置でごっそり獲っていってしまうから」というSさんの答えに、通訳していたUさんは思わず「ごめんなさい!」と謝った。私もとても申し訳ない気持ちになった。おまけに日本など、そうしてよその人の分をおびやかして獲ってきたあげく、食べ残して大量に捨てるのだからさらに罪深い。
楽しくて、そうして考えさせられる、意義深いプレゼンテーションだった。
中央グリーンの服のSさんが腰に付けているものは、相手に対する敬意を表すものだそうで、公式な場には必ず必要、しかも冠婚葬祭など、その状況に応じて形式が違うのだそうだ。
これは子供の服装、たぶん祝い事のとき。
これは結婚式。
トンガは・・・ここ。オーストラリアの東の方ね。