よんばば つれづれ

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元山仁士郎さんのお話を聞く【追記あり】

東三河九条の会主催の講演会で、沖縄・辺野古基地建設の賛否を問う県民投票をハンガーストライキまでして成功に導いた立役者、元山仁士郎さんのお話を聞いた。

 

案内の葉書には「若者の政治離れ又は保守志向が問題になっており」とか、「現役学生が語る現在の学生像」とかの言葉があったので、若者たちの考え方を知り、効果的なアプローチの仕方のヒントなどが得られればと期待して出かけた。

 

ところが主催者側が元山さんに求めたのは、「県民投票のこれまでと、それによって示された沖縄の”意思”にどう応えるか」というテーマだったようで、講演本体のなかではほとんど現代の若者に関しての情報は得られなかった。

 

けれども、県民投票の住民発議に必要な署名は、一般的な住所氏名のほかに、生年月日と印鑑もしくは指印までが必要で、年齢が分かるからと拒否されたり、指紋が残ることを嫌がられるなどして、なかなか困難だったことを知った。そうしたなかでの十万筆(台帳と照らし合わされたのち有効署名数は92,848筆)の署名は、あらためてすごいものだと感じた。

 

それからもう一つ印象に残ったデータとして、この県民投票に対する46都道府県知事の態度というものがある。同じアンケートでの国民の回答では、68.7%が「尊重すべきだ」としているのに対し、知事のほうは「尊重すべきだ」は岩手県の達増知事と静岡県の川勝知事の二人のみとなってしまう。

 

元山さんは、この差は知事たちがこういう回答をしても、自分に対する県民の支持に影響がないことを分かっているからだと仰った。まさにその通りだと思う。「尊重する必要はない」などと答えてしまったら支持者を失うと思えば、とても簡単にこんな回答ができるわけがない。

 

だから、「ヤマト、本土の人への要望」として、県民投票のことを周りに知らせる、抗議のファックスや手紙を送る、スタンディングやデモに参加する、小金井市・文京区・岩手県で可決されたような意見書の採択を議員に働きかける、などのことを挙げていらっしゃる。要は、沖縄に対する姿勢を、有権者は見ていますよというサインを示すということだ。

 

質疑応答になって、団塊世代の男性のよくあるタイプの質問(自分語りが長い)が続き、元山さんの丁寧な答えで時間はすっかり押していたが、私は一番聞きたかった若者に関心を持ってもらうためのアドバイスがあれば・・・と伺った。

 

私を含め3人の質問に残り10分か15分で答える状況で簡略になったが、元山さんが初めて政治に関わった2013年1月の渋谷での反原発デモで、若者は大変珍しがられて先頭に立たされてしまい、次にはもう行かなかったのだそうだ。せめて、選ばせてほしかった。先頭になって欲しいがイヤかな、と。それからそばにいた年配の参加者たちが、自分はこういう理由でここに来たんだとか、個人的なことを話しかけてくれたら次も行こうという気持になれたかもしれない。参考になれば・・・とのことった。

 

現在はこれほど精力的に活動されている元山さんでさえ、初参加のデモで懲りてしまったということには驚いた。同時にこの話は私たち世代が若い人と関わるとき、気をつけるべきことをたくさん教えてくれている。

 

それから、いま世界のあちこちで十代の若者たちがさまざまな問題に対して声を上げ、行動を起こしている。そうした事実が日本の若い人たちにも、影響しないわけはないと思うと元山さんは言われた。そうであってほしいと、私も心から願う。

 

予定時間を少々オーバーして講演会が終了した後、主催者のおじさんやお爺さんといっしょになって、気さくに会議テーブルを畳んだり椅子を片付けたりなさっている元山さんは、誠実そうな好青年だった。

 

 

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元山仁士郎さん  (wikipediaから拝借)

 

【追記】

大切なことを書き忘れた。質疑応答で「琉球王国独立論」についての考えを聞かれて、元山さんは、この件は沖縄の人が考えるのはいいが、本土の人がこれを勧めるのは、いじめられて苦しんでいる子に転校しろと言うようなものだとたとえられ、胸を突かれる思いがした。いじめそのものを解決しなければ、問題を解決したことにはならない。

いじめの傍観者であってはならないと改めて強く思った。

 

 

 

 

コスモス会の料理教室で鬼まんじゅうを作る

今週のコスモス会は料理教室、作るのは鬼まんじゅうだ。まだ仕事を辞めて間もないころ、たっぷりある時間を楽しんで作った。その時にこのお菓子が、この地域独特のものだと知ったことをこのブログに書いた。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

このところ参加者の少ない会が続いていたが、今日は料理教室ということで普段のメンバー以外の方にも声をかけたので、久々に10人を超える人数になり、にぎやかに行うことができた。

 

材料のさつまいもは、メンバーのHさんが家庭菜園で収穫したものを寄付してくださった。お店で売っている鬼まんじゅうは、たいてい水で溶いた小麦粉を芋に絡めて蒸したもので、小麦粉部分が多い。

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こんな感じ。

 

けれども、今日のコスモス会での作り方は、さいの目にした芋の水けをしっかりとってから小麦粉をまぶし、あとから砂糖を溶かした水を加えるというものだった。こうすると小麦粉部分がつなぎとして最小限ですみ、お芋ゴロゴロのものができあがる。

 

今日は簡単なもの一品で時間に余裕があったので、一人ひとり自己紹介をしてからみんなで楽しく食べた。もちろん、マウスピースをつけている私は、残念ながら持ち帰りだけれど。

 

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(上の方に写っている黒いのは、韓国の方が持ってきてくれた韓国海苔

 

外国の方の参加のない週が続いているが、今日は、韓国と台湾出身のコスモス会のメンバー2人に加え、アメリカ在住で今はご主人の仕事の都合で日本に住んでいる韓国の方(日本語教室の生徒さん)が参加してくださった。鬼まんじゅうを珍しがって、とても喜んでくださり、家でも作ってみると仰っていた。

 

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さすがにお彼岸とあって、だいぶ秋めいてきた感がする。明日からは三連休だが、また台風の影響が心配されている。15号の被災地ではいまだ停電が続いている地域もあり、屋根の修理が思うに任せず、ブルーシートさえ掛けられないでいる家も少なくないと聞く。どんなにご不自由で不安なことだろう。ボランティアに飛んでいくことなどはとてもできないが、せめて大変な状況にいる方に思いをはせ、一日も早く普段の生活が取り戻せますようにと祈る。

 

ドラマ『パンとスープとネコ日和』から群ようこさんの『三人暮らし』を読む

先日Huluで久しぶりに『パンとスープとネコ日和』を見た。

 

やっぱり、心が穏やかになってとても良いドラマだと思う。主人公のアキコを演じる小林聡美さんはじめ、もたいまさこさんや光石研さんなど荻上監督の作品でおなじみの俳優陣もいいし、アキコが始めるサンドイッチのお店もシンプルで居心地良さそうだし、なんといってもサンドイッチやスープが断然おいしそうで、近くにあったら絶対行ってみたい。また、その店が立地するちょっと懐かしい商店街に流れる空気も心が安らぐ。

 

この物語の原作者は群ようこさんだ。群さんというと、私は音訳ボランティアをしていた時に、『都立桃耳高校 神様おねがい!篇』と『都立桃耳高校 放課後ハードロック!篇』のふたつの作品を手掛け、読みやすくて楽しいけれど、なんだか調子が良いばかりの軽い作品という印象が強く、自分の読書として手に取ろうとは思わなかった。

 

でも映像になると、映画『かもめ食堂』も良かったし、このドラマ『パンと・・・』も何ということもないストーリーなのだけれど、流れる雰囲気がとても良く、魅了される。製作スタッフの力量かとも思うが、やはり原作の力もあるのだろうなと思い、今回市民館の図書室で見つけた『三人暮らし』という作品を読んでみた。

 

『三人暮らし』のアマゾンサイトの紹介文に、

「一人は寂しい、二人は不安。でも三人暮らしならうまくいく。性格は違うし、びっくりすることもある。それでも買い物に家事分担、お財布や生活時間の約束事と、ちょっとした気遣いで、毎日はこんなに楽しくなる。一緒だけど独立した生活は、とても心地良い。独立したての若い女子、七十五歳過ぎて助け合いながら暮らす老女たち、帰る家のない娘の友達を受け容れてしまった母。十組十色の三人暮らしを描いた短篇集。」

とあるように、さまざまな組み合わせの女三人の十通りのシェアハウス暮らしが綴られる。

 

なかには、私には我慢ならないタイプの人物もいてイライラさせられるが、それでも、もともと私は「共に暮らす」というときに、あまり血縁にこだわらない考え方を持っているので、この短編集は示唆に富んでいた。

 

高齢の三人が一緒に暮らす『三人で一人分』は一番身につまされる話だったが、三人で助け合う暮らしの心地よさに浸かって、ひたすら質素倹約の生活になっていたことに気づき、そろって美容院に行きお洒落をして旅行に出かけるラストには、高齢のこの三人に祝杯を挙げたい気分だった。

 

83歳のシマが、日参する近所のお薬師さんで具合が悪そうなところを助けたタマエは、シマより一まわりほど若そうだが、まるで生気がない。高層マンションでの一人暮らしが味気なかったせいで、昔懐かしい木造家屋でシマと暮らすうちにタマエは元気を取り戻す。さらにシマが助けた路上生活状態の19歳のサクラが加わって、老若の女三人の生活はさらに活気のあるものになっていく『バラの香り』。この作品が私は一番気に入った。

 

アメリカ帰りのマキとルームシェアするサヤカ。もう一人新たなルームメイトを募集することになる。募集を出すとたくさんの応募があり、その中からマキが厳選したはずのトモコは結構問題のある人物だった。けれどもマキはことが起きるたびにスッパリと解決し、「同居してるからって特別に考えないことよ。私たちはお友だちを求めたわけじゃないんだから」と言い切る。この『友だちではない』の一篇は、ルームシェアという暮らし方に希望を感じながらもまだあまりなじんでいない私に、大いに考えさせてくれるものだった。

 

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「いちにじゅうパジャマでもいいみらい」とか、『それしかないわけないでしょう』ヨシタケシンスケ著

大人にも人気の絵本作家、ヨシタケシンスケさんの作品。

 

私が子供のころの未来は、いつもバラ色だった。今、未来のことを考えると、日本はもちろん、世界に目を向けても、想像される未来は暗い。60年前に比べて現在の社会は物質的には豊かになったけれど、子供たちや若い人々に明るい未来を夢見させてあげられないことに、いつも申し訳なさを感じていたけれど・・・。

 

 

お兄ちゃんが学校で友達に聞いてきた。未来の世界は大変なことばっかりなんだってさ。人が増えすぎて食べ物がなくなったり、病気や戦争、宇宙人が攻めてきたり、地球が壊れるかもしれない・・・。

 

女の子はびっくりしておばあちゃんの部屋に駆け込む。お兄ちゃんがこんな風に言ってた・・・。おばあちゃんは「だーーーいじょうぶよ!」とほほ笑む。大変なことだけじゃなくて、楽しいことや面白いこともたくさんあるよ。大人はすぐあれとこれどっちにする?って言うけど、どっちも違うなって思ったときは、新しいものを自分で見つけちゃえばいいのよ!

 

そっか、ふたつとかみっつしかないわけないもんね。

そうよ、それしかないわけないじゃない!

 

すっかり安心して意を強くした女の子がお兄ちゃんの部屋に行って、ふすまを「スパーン」とあけるところや、「おとしたいちごをギリギリでひろってくれるみらい」というところがなんだかとっても面白く(今風に言うと「ツボにはまって」)ププッとなってしまった。女の子のお兄ちゃんも「あははは、いちごをひろってくれるみらいっていいね!」と言っているので、私の精神年齢はお兄ちゃんくらいかもしれない。

 

大人はついつい知識や経験から型にはまった考え方をしてしまいがちだが、ヨシタケさんの絵本はそんなガチガチ頭にスコーンと風穴を開けてくれる感じだ。「人生はレストラン、注文したものしか出てこない」とも言う。未来は暗い、暗い・・・と言っていれば、暗い未来になってしまうだろう。

 

女の子の夢想する奇想天外な未来に、小さな子たちはキャッキャと笑いながら、考え方の幅を知らず知らず広げられるだろう。苦しい現実に胸ふさぐ大人が読めば、ヨシタケさんのプラス思考に非常に励まされると思う。

 

 

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9週間ぶりのコスモス会

先週の国際協力コスモス会は夏休み明けのポットラックパーティーだったので、インビザラインのマウスピース装着中の私は、長時間外すことになるため欠席した。で、今日は9週間ぶりの参加となった。夏休み前から外国の方たちの参加が少なかったが、やはり先週のパーティーも日本人ばかりだったそうだ。

 

そんなわけで、今日も本来ならカントリープレゼンテーションで、どなたかにお国の文化や習慣を話していただく予定だったのだけれど、頼める方がなく、今後の予定の確認のあと、いつも折り紙の指導をしてくれるKさんが材料を準備してきてくださったので、折り紙を教わった。

 

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季節を先取り、柿です。出来栄えはいかがでしょう?

 

またしてもウッカリをやってしまった!

木曜日の今日は日本語教室。夏休みも終わって二週目だ。先週から入った3人の方はいらっしゃるだろうか・・・などと考えながら会場に行く。

 

先週からの3人もみえ、今週からの方も2人、久々の方が3人いらして今日の生徒は8人、最近のこの教室としてはかなり盛況だ。ところがスタッフのほうは、あいにく今日は2人欠席で4人。教わる方のレベルが揃っていれば問題ないが、あいにく今日の顔ぶれはそれがバラバラなうえ新しい方が多いので、結構対応が大変だった。

 

日常会話にはあまり不自由ないレベルの方3人を受け持って学習を始めていると、私のスマホが鳴った。民生委員の地区グループの会長さんからだ。出てみると、「今日は市からの敬老祝い品の受け取りの日だけど、忘れてない?」と言われた。「!!!」

 

またやってしまった。なぜかうっかりのミスをするのは、民生委員の仕事が多い(いや、先週老人会の見守り当番でもウッカリしたばかりだが)。おっちょこちょいで思慮の足りない私だけれど、それでもボランティアにしろ地域の役目にしろ、そんなにミスもなくやってきたつもりだが、3年前に始めた民生委員の仕事ではスタートからつまづいてしまい、一番新米でもあるし気をつけているはずなのに、なぜかポカが出てしまう。

 

これはどうもこの仕事に向いていないのだと思い、この11月で任期満了になるのを幸い、退任させていただくつもりでいたのだが、後任がいないということで、もう一期しなくてはいけなくなってしまった。今後ますます気をつけようとは思うが、気を張るほどよけいに失敗を重ねてしまいそうな予感もして怖ろしい。

 

ただ、日本語教室の側から見れば、ただでさえ手が足りなかった今日、うっかり者の私が欠席せずに行ったことが怪我の功名となったのが救いだ。

 

 

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お母さん、トシなんじゃないの?    byドリーム

 

手術翌日からICUでリハビリ!『ノーナレ 超リハビリ』

NHKのドキュメンタリー、ノーナレ「超リハビリ」を見た。和歌山県立医科大学リハビリテーションチームの取り組みを紹介している。

 

そのリハビリは、くも膜下出血や大動脈などの大手術を受けた患者さんに対し、手術の翌日、ICUにいる時から始まる。さまざまな管につながれベッドに寝かされている患者さんを、チームのスタッフが抱き起こしてベッドの上に立たせたり、ベッド端に座らせたりする。寝ている状態で足を動かすよう促しもする。患者さんの足先がわずかにピクンと動く。

 

少し前までなら、ベッド上で生きていれば上出来と思えたような患者に対し、こうしたリハビリを施していく。リハビリテーション医や療法士、そして一般の医療スタッフも一丸となって取り組む。

 

こうしたリハビリを、手術後24時間以内に開始した患者さんは、8割以上が家庭に帰ることができるが、48時間以内になると5~6割に落ちてしまうという。それほど、この手術翌日からということが重要らしい。

 

私も昨年変形性股関節症で人工股関節の置換手術を受け、翌日からのリハビリというものを経験した。テレビで紹介されたような命にかかわる大手術ではないが、それでも本人にしてみれば、まだまだ大変な痛みの中であった。

 

しかし、そのお陰でみるみる歩く力を回復し、2週間で退院し家での生活に戻ることができた。手術してくださった医師や優しい看護師さんたちとともに、リハビリを担当してくださった若い療法士さんたちにも、感謝の念でいっぱいだ。

 

おりしも、今朝は75歳以上の医療費負担を2割に引き上げる提言がなされたとのニュースが流れた。政府は、団塊世代後期高齢者になる2022年以降、医療費が激増すると心配しているが、こうした医療側の進歩や努力もあり、また患者となる私たち国民の側も、以前のように管につながれベッドに寝かされたきりでの「生」を求める人は少なくなっているので、これまでのような増え方はしないのではないかと思う。

 

それにしても、人間の能力というのは底知れない。これほど素晴らしくよくできた身体や高度な脳を与えられているのに、まるで使いこなせず、悪知恵ばかり巡らせている人間のなんと多いこと!かく言う私も、まいにち家の中でグウタラと過ごし、身体能力も脳味噌も、ほとんど遊ばせている。悪知恵だけは使っていないつもりではあるが。

 

 

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顔を出してこの取材に応じてくださった患者さんに敬意を表したい。