よんばば つれづれ

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不思議なアクセス

昨日の拙ブログへのアクセスがなぜか400を超えている。通常の倍ほどだ。何が興味を引いたのだろう。「ソックスエイド」?いくら高齢化社会とはいえ、まさか「年寄り臭い話」というタイトルが訴求力があるとも思えない。不思議、ふしぎ。

 

 

今日は木曜日なので、9時まで中学生のNちゃんと勉強していた。もうこの勉強もあと2か月ちょっとだ。Nちゃんは性格がよすぎてあまり競争心もないしのんびりしているので、私のほうが少々焦っているかもしれない。

 

Nちゃんの15の春が嬉しいものになってほしいのはもちろんだけれど、勝ち気で「エエカッコシイ」の私は、たとえボランティアであっても、関わった以上、ちゃんと結果を出したいと、つい思ってしまうのだ。

 

そういえば、先週見かけたNちゃんの書き取り帳に並んでいた文字。「朕」「璽」「詔」「勅」このラインナップにちょっとギクッとしてしまった。どのような文章で、これらの文字が出てきたのだろうか。今度、国語の教科書を見せてもらおう。

 

 

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お母さん、オベンキョより、あそぼー!

 

 

年寄り臭い話で恐縮ですが・・・

この17日に、3か月弱の入院に終止符を打って、無事姉は退院の運びとなった。家には帰れたが、まだ体にはコルセットを装着し、かがむことも厳禁という生活で、床に落としたものを拾ったりするのにマジックハンドを使っていると言う。娘と息子が東京にいるとはいえ、11年前に夫を亡くして一人暮らしなので、何かと不自由も多いことだろう。

 

今日電話で話したら、ズボンでの生活になったようだった。姉は学校時代の体育などは別にして、おそらく私服ではズボンとかパンタロンとかを買ったことがない人だ。姉のパンツ姿は全く記憶にない。母もズボンが嫌いで、子供時代の私にもズボンを履かせない人だったが、さすがに老年になってからは足元の安全のためかパンツスタイルになった。姉も喜寿にしてついにズボンを履くことを余儀なくされたようだ。

 

このところの寒さで、娘にヒートテックのズボン下を買ってきてもらわなくちゃと言うので、それよりも裏ボアとか裏フリースのズボンがいいと勧めた。私もこのところの股関節の不調でかがむのがつらく、タイツや靴下を履くのが大変だった。痛みをこらえるだけならまだしも、姉の場合、もろくなっている背骨を傷めてしまう心配があるらしいので、十分注意しないといけない。

 

ズボン下を履いてズボンを履いて、と二度も苦労しなくても、裏ボアなどの暖かいズボンにすれば1枚着用するだけで済む。しかも素肌にだからスルッと簡単に着られる。私もなるべくならパンツよりスカートが好みだけれど、一昨年あたりに初めてこの裏ボアのスパッツを購入してその温かさに驚き、下半身の冷える私は手放せなくなってしまった。

 

服の着脱さえひと仕事になり、たくさん着込めばよけいに動きも緩慢になってしまう高齢者にとって、1枚でもこれまでの何枚分もの暖かさを確保してくれて、しかも値段も手ごろ、洗濯などの扱いも簡単な素材の誕生は、本当にありがたいと思う。

 

思うようにかがめない苦労はよくわかるので、今日さっそく通販で「ソックスエイド」なる便利グッズを送った。これはまだ自分では使っていないが、以前テレビで紹介されていた、椅子に座った状態でかがまずにソックスを履けるという簡単な道具だ。

 

私も地域の役目などもあって長く不在にして手伝いに行くわけにはいかないし、ちょっと覗いて手助けすることができる距離ではないので、せめて知っている便利な製品を紹介することで姉の生活が快適になればと思う。

 

それにしても、かがめないと足の爪が切れないなどという話に共感できるようになってしまった自分に愕然とする。

 

年寄り臭い話ではあるが、それこそ、いつかみんな行く道なのです。

 

 

 

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今日の話とは全く関係ないが、過日紅葉を見に出かけた奥三河で食べた「自然薯ご飯」

 

 

今年の12月の寒さと年末風景

毎朝起きてまずストーブをつけたときに表示される「現在室温」が連日一桁なので、今年の冬の寒さは重々分かってはいたけれど、昨日新聞受けに入っていた「ガス使用量のお知らせ」を見て、改めて厳しい寒さを実感した。12月の料金が去年の2倍近かったのだ。設定温度はほとんど同じなので、今年の12月がいかに寒いか分かる。

 

例年は寒の最中に何回か一桁になる程度なのに、今年は12月の早い時期から10度をきり、二桁のことのほうが少ないくらいだ。8度という日さえ何回かあって、この8度というのは記憶にある限り初めてのこと。まさか、このままどんどん寒くなっていくわけではないだろうと思うのだが・・・。

 

そんな寒さの中だけれど、外壁の工事があったこともあり、窓ガラスの汚れが例年以上に気になっていて、ついにガラス磨きをした。普段めったにしないところの掃除を始めると、ついもっともっと・・・とエスカレートしてしまい、腕が痛くなってしまう。そうして、だから嫌なんだ・・・となってまたずっと放っておくことになる。

 

・・・という自分の心理が分かっているので、さすがにこのごろは何事もあまり完璧を目指さないよう心掛けている。そんないい加減さでも、磨き終えた窓ガラスはかなり気持ちよくなった。春になったら次は網戸の張り直しを頼もう。猫がいる間、どうせ網戸にすることはできないからと放っていたので、これも日に当たって傷み、そのうえ汚れもひどい。ガラスがきれいになった分、そのひどさが目立つ。

 

 

子供のころの年末はワクワクするようなとびきりの日々だった。家族総出で大掃除をしたり、母が糊を煮て父が障子を張り替えたりした。その張り替えの時には、普段破いたら大目玉の障子紙を、大威張りでベリベリ破いてはがすのが楽しかった。

 

家族全員の新年用の新しい下着を買いに、デパートに出かける母についていくのも、年末の楽しみのひとつだった。そのうち我が家にも近所の家々にも門松が立ち始める(やがていつの間にか、その門松は紙に印刷された味気ないものに変わってしまった)。

 

こうしたことの合間に、子供にはさらにワクワクするクリスマスがあり、ロマンチストの父は、私の枕元にちゃんと私の欲しがっていたようなプレゼントを置いてくれたし、4人の兄弟姉妹がそろっていた頃は、切り分けたケーキを、あれが大きいこれはちょっと小さいと言いながら食べるのがとても美味しかった。

 

さらに押しつまると、頼んでおいたお供え餅やのしもちが業者から届き、台所に所狭しと広げられる。頃合いの硬さになったのを見計らって、父や兄がのしもちを切り分ける。今のようにいつでもお店で餅が買える時代ではなかったので、まさに年に一度で、餅の量も半端ではなく、2月になってもまだカビを削り取りながら食べていたように思う。

 

楽しくて楽しくて特別なお正月は、それこそ「もういくつ寝ると・・・」と指折り数えて待ちに待った。

 

でも、近ごろは1年に2度も3度も正月が来るような気さえする。そしてせわしないばかりで、風情というものはさっぱり感じられなくなった。たんに私が大人になったからというだけだろうか・・・。

 

 

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お正月のきょうだい。長兄は胸に黒い犬を抱いている。

このころデートに忙しくいつも姉は不在だ。

左隅に斜めになっているのは国旗の竿。 昭和33年か34年ころ。

 

 

 

赤ちゃんは自分の意志で生まれてくるのに、人生の最後は選べない?

こんなニュースを見つけた。自らの意思で飲食せずに死を早めようとする人たちがいるのだそうだ。記事には終末期のがん患者が多いと書かれている。「自発的に飲食をやめる」という英語(voluntarily stopping eating and drinking)の略から「VSED」と呼ばれているという。

 

www.asahi.com

 

源氏物語』を読んでいると(現代語訳です)、この「VSED」による死ではないかと思われるシーンに一度ならず遭遇する。柏木や紫の上などはこれではないかと思う。周囲のものたちがせめて口当たりの良いものだけでもと勧めるのに、本人にもう生きようとする欲がなく、水さえ口にしようとしない。そしてあっけなく命の灯を消してしまう。

 

以前から長生きし過ぎそうなことを恐れている私は、できれば自分で良い頃合いをはかって、この消え方をしたいものだと思っているのだが、食い意地の張っている私はとうていこのような潔い行動はとれそうにない。そのころまでに日本でも法律が改正されるといいのだけれど。超高齢化で老人だらけになれば、そういう方向に行くだろうか。

 

赤ちゃんは、自然に任せれば予定日など関係なく、自分でちょうど良いころ合いを決めて生まれてくる。よく「赤ちゃんを産む」と言うけれど、本当は赤ちゃんは「生まれてくる」のであって、お母さんや医療は手助けするだけだ。

 

ならば、人生の終幕も自分で決められたらいいのにと思う。現実的なお金のことなども、いくつまで生きるのかが決まれば計画が立てやすい。そう思う一方で、いろいろ不都合があっても、やはり未来は分からず、寿命は自分では何ともできないところに意味があるのかとも思う。

 

だいたい、自分の意志で生まれたといっても、その時の記憶など普通はないわけで、いったい自分がなぜあの日あの時を選んだのかなど分からないまま、人は人生を生きていくのだ。

 

自分という生物の出現も、消滅も、なんだか分からずコントロールもできないが、少なくともその間の「生きている」期間は自分で選び、考え、切り開いていくことができるし、『知の逆転』のジャレドさんの言うように、そもそも人生に意味を求めすぎるのも問題だ。

 

私が長生きしすぎることを恐れるのも、格好よく死にたいという欲があるからだ。生物として平凡に生を全うすればよいと達観することができれば、こうした悩みからも解放される。

 

 

『知の逆転』について興味がおありなら、過去の拙ブログを読んでみてください。今となっては評価が大きく変わってしまった人の話題も出てきますが・・・。

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

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のんびり、自然体でね。

えてして性格はだんだん濃くなっていく

この数年しみじみ実感することがある。母が昔よく口にした「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うなゆく道じゃ」という言葉の、うしろ半分のほうだ(この言葉をよく口にした割には、母は子供の躾に厳しい人だった)。

 

子供のころや若いころには、お年寄りを見て理解に苦しんだり呆れたりすることが少なくなかった。どうして紙をめくるときに指をなめるのか、動きだすときに「どっこいしょ」などの掛け声をかけるのか・・・など。私は年をとってもいかにも年寄り臭い掛け声などかけないぞと思っていた。

 

ところが、近ごろ車に乗りこむとき、つい「ヨイショ」といってしまっている自分に気づく。股関節がまだ完全ではないので、声を出さないと足が上がらない。若い時にはなんでもなくできた動きさえ、掛け声をかけないと大変になるのだということを知った。ハンマー投げなどの運動選手がよく大きな掛け声をかける。以前は、声で飛ばすわけではないのにと不思議に思ったが、体を動かすことと声とは密接につながっているのだということを、しみじみ実感するこのごろだ。

 

紙をめくるときの指なめはいまのところしないで済んでいるが、今後もこの美学を貫くためには、「メクール」を常時持ち歩くことが必要になるかもしれない。

 

昔話の「こぶとりじいさん」に、こんなこぶのある人いるわけないのに・・・なんて子供の私は思ったが、年を取るとちょっとした「できもの」が、いったんできるとなかなか治らずそのままになってしまうこともあり、そうした年寄りの体質を、あの話はデフォルメしていただけなのではないかと今は思う。

 

良いお爺さんと悪いお爺さんにしても、年を取れば自然に「人間がデキていく」どころではなく、むしろもともとの性格が濃くなっていくのだなあと実感する近ごろ、お人よしの人は良いお爺さんになり、意地悪や疑り深い性格の人はますますそれが濃くなって嫌なお爺さんに(あるいは舌きり雀のお婆さんのように)なってしまうのかもしれないと、妙に納得してしまう。

 

もともと食べ物に好き嫌いはないが、人の好き嫌いは結構あるほうだった私は、近ごろ苦手な人がますます増えていくようだ。退職したとはいえ、地域の仕事や社会活動をしていれば、それなりに人間関係もできる。なるべく苦手な人を作らないように、寛容であらねば・・・と思うのだけれど、これがなかなか難しい。

 

自分が苦手だなと思う人を反面教師にして、なるべくそうならないようにしたいと思うが、なにせ我儘で短気な性格が濃くなってきているのだから大変だ。話し合いの場面で自分ばかりとうとうと話す、そのうち話題がそれ、聞き手が関心を失っていても気づかない、人の言った意見を即座に否定し、自説を強弁する・・・など、嫌いなくせに自分もしている可能性が高いことなので気を付けたい。

 

嫌な人にならないためには、口数を少なくするのが一番だ。沈黙は金。でも、分かってはいても、私にはとても難しい。

 

 

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猫ならダメなとこもイケないとこも、みんな許せるのにね。

ドリーム、それ、わたしのお水!しょうがないなあ、もう・・・。

NHK前でスタンディング「国民の知る権利にこたえて」と『陸王』ロケ

昨日までの真冬の寒さが少し和らいだ今日、スタンディングの仲間とNHKの前でアピールした。プラカードは前回の交流会で決めた「国民の知る権利にこたえて」と「受信料の強制は許さない!」の2種類を用意したが、自分で思いを書いてきた参加者もいた。

 

フェイスブックとショートメールでの呼びかけで、集まったのは7人。事前にマスコミにも取材依頼をしておいたが、残念ながら取材はなかった。

 

NHK豊橋支局の隣は市庁舎なのだけれど、TBSの人気ドラマ『陸王』最終回のロケが近い(明日と明後日のもよう)らしく、庁舎の入り口にはドラマで設定されている「豊橋国際マラソン」のスタート地点のゲートが設営されていた。

 

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ゲートに「帝国重工」「AICHI」という企業名が見える。ブルーシートで隠された下には「豊橋国際マラソン」という文字があるはずだ。初回の撮影時もすごい人だったようだが、きっとまた竹内涼真君目当てのエキストラがたくさん集まるのだろう。

 

「撮影当日にスタンディングすれば、大勢の人の目に触れるね」という意見が出るが、「絶対邪魔ジャマ!と排除されてしまうよね」と直ちに却下となる。

 

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ゲートの奥、庁舎の前にはずらっとテントが張られていた。

 

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私たちはこの横断歩道のこちら側で立っていた。市の車両が頻繁に通り、みな物珍しそうに私たちをしっかり見ていく。肝心なNHKのほうは、偵察要員かと思われる男性が一人玄関前に立ってずっと私たちを見ていただけで、ほかに職員らしき人の出入りはなく見てもらえなかったが、市の職員や一般の通行人には一応のアピールができたのではないかと思う。なかにはNHKの報道が偏っていることも知らない人がいるだろうから、私たちのプラカードを見て「そんな問題もあるのか」と思ってもらえたら、それも成果だと思う。

 

スタンディングしている写真は撮らなかったので、のちほど仲間がフェイスブックにアップしてくれたら掲載する予定。

 

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スタンディングのフェイスブックページから写真を借りてきたが、形式がJPGではなかったので加工ができなかった。誤算!

吉野せいさんの厳しさに触れたくて『洟をたらした神』『梨花』を読む

今年もあと半月ほどになってしまった。もう本を読んでいる時ではないと思い、先日市民館に本を返しに行った折も、あればつい読んでしまうから借りずに帰ってきた。

 

それなのに、なぜか急に吉野せいさんのキリリとした文章に触れたくなって、「ちくま文学の森」を取り出した。

 

『洟をたらした神』は第二巻の「心洗われる話」に収められている。かぞえ六つのノボルの話である。荒れ地を開墾して細々と農業を営む親たちは、子供にかけてやる暇も金も持たない。けなげなことに子供のほうも、親にねだるということがない。コマも竹とんぼも、手近な材料でみごとに自分でこしらえてしまうのだ。

 

それなのに、そんなノボルがある日母親に二銭をせがむ。周囲に急にはやり始めたヨーヨーが欲しいのだ。二銭あればキャベツ一個、大きな飴玉十個、茄子二十個、小鰯なら十五匹は買えると、家族に食べさせることもままならない母は考える。非情に徹して、ヨーヨーなんぞじきにすたれて詰まらぬと言い聞かすしかない。

 

極貧のなか肩を寄せ合い暮らす家族。ただ一度の息子の無心にも応えられず胸痛める母は、ノボルが奇跡のように格好の素材である松と出合うことで救われる。彼はそれを使って見事にヨーヨーを作り上げ、親子してその遊びに興じる幸福な場面で終わる。たった8ページ半の短い話ながら、強く読み手の心に残る。

 

 

梨花』は第三巻「幼かりし日々」のなかの一篇だ。友人である草野心平氏の名前も出てくる、自身の二女梨花を幼くして失った体験を綴ったものだ。

 

現代であれば難なく助かったであろう病なのだけれど、おそらくそれまでの栄養状態も良くはなかったであろうおさなごは、医者にかかることなど言うまでもなく、日々の仕事に追われる母に十分な看護さえしてもらえぬまま、あっけなく天に召されてしまう。貧しいがゆえ、小さな娘に十分なことができず失わなければならなかった母親の慟哭が、読むものに強烈な勢いで迫ってくる。

 

半世紀ほどの時を経て、のどかな時代に子育てをさせてもらえた幸運を感謝するばかりだ。けれども、豊かと思える現代でも、思いを紛争地帯に馳せれば、吉野せいさんのようなつらい思いを抱える母親たちがいるのだ。

 

読書などにかまけていないで、新年を迎える準備を進めなくてはとか、二年ぶりに帰省する息子家族とどう過ごそうかとか、そんなことに考えをめぐらしていられる自分は、ぬるま湯のなかで生きているような気さえする。

 

 

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