よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

「人生に意味などない」 『知の逆転』

去年11月に市民館にリクエストを出しておいた『知の逆転』がやっと手に入った。そんなに人気があるとは知らず忘れられたのかと心配してしまったが、1年で4刷りも重ねているベストセラーだった。

それまでの学問の常識を逆転させた当代の碩学6人へのインタビューをまとめたもの。(常識の逆転と言えば、先日のSTAP細胞の小保方さんも、何百年来の常識をひっくり返したようで、彼女なども21世紀の逆転の知識人となるかもしれない)そんなすごい方々らしいのだが、恥ずかしながら著作や業績には知っているものもあったけれど、お名前は私は一人も存じ上げなかった。すごい学者の方々でさぞ難しいお話・・・と思いきや、聞き手の手腕か、はたまた本当に優れた方はしばしば高度な内容を平明な言葉で話されるもので、そのおかげなのかとにかくスラスラと読めてしまった。なるほどベストセラーになるわけだと納得した。

一番印象に残ったのは『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドさんの、今日のブログの標題にした言葉だ。本の文章は正確には
【「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない】
となっている。なんだかとても救われる言葉だと思った。このところしきりに思う、自分探しとか個性を伸ばすなどという言葉が、若い人たちを逆に苦しめているのではないかという考えを肯定してもらったような気がした。

若いころは「その他大勢」や「十把一絡げ」などまっぴらだと思っていた。新川和江さんの「わたしを束ねないで/あらせいとうの花のように・・・」という詩に激しく共感した。若さの一つの典型だろう。人と同じはイヤ、型にはまりたくない、と。そういう若者の思いを受け止めることも大切だが、いっぽうに目立ちたくない、自分独自のものを伸ばせと言われても・・・と戸惑う若者もいるだろう。少子化の当然の帰結として、親の期待も重くなっている。そうした息苦しさがいじめや引きこもりにも影響していないだろうか。

そうなんだよ。人生に意味などない。なるべく早く自立して(自立しなければ自由もないから)与えられた命を精一杯楽しく生きよう。そして、その「楽しさ」に深さや広がりを与えてくれるものが勉強なんだよ。考える頭があれば、お金などたくさんなくても充分楽しめる。多くを望まなければ人生なんとかなる。

ジャレドさんは環境問題についても、
【アメリカの産業のリーダーたちが環境に関心を示すようになる大きな理由の一つは、彼らの12歳の娘や息子が、パパやママは会社でいったいどんなことをしているのか、環境のために会社は何をしているのかと聞いたときに、CEОが「環境問題なんて取るに足らない、あんなのはデタラメだ」などと一蹴しようものなら、「パパ(ママ)なんて大嫌い、サイテー、二度と口ききたくない!」と大泣きされる、これが信じられないくらい効果的なのです】
とおっしゃっていて、なんだかジャレドさん親近感感じる!

ジャレドさん以外にも、トム・レイトンさんのインターネットの将来とか、マービン・ミンスキーさんのなぜフクシマでロボットに作業させられなかったのかの話なども興味深かった。またオリバー・サックスさんの、ソクラテスが「書く」ことによって記憶や会話が失われてしまうことを恐れたように、いずれコンピューターやインターネットの発達によって「書く」ことや「言語」そのものを失うことになるのではないかという話なども非常に考えさせられる。

インタビュアー吉成真由美さんの無駄のない質問と碩学たちの平明な語り口でスラスラと読めるけれど、やはり読後の思いには深いものがある。