よんばば つれづれ

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フェルディナンド・フォン・シーラッハの『テロ』を読んで考える

昨年7月出版の作品。刑事事件の弁護士として活躍するかたわら、『犯罪』『罪悪』『禁忌』などの小説を発表してきた著者の初の戯曲作品だ。

 

刊行直後から本国ドイツでは本書をめぐって大激論が巻き起こり、ドイツ語圏の30か所以上の劇場で上演され、日本でも橋爪功さんによる朗読劇として上演されているそうなので、ご存知の方も多いかもしれない。

 

 

以下、出版社のホームページの紹介文より。

2013年7月26日、ドイツ上空で旅客機がハイジャックされた。テロリストがサッカースタジアムに旅客機を墜落させ、7万人の観客を殺害しようと目論んだのだ。しかし緊急発進した空軍少佐が独断で旅客機を撃墜する。乗客164人を殺して7万人を救った彼は英雄か? 犯罪者か? 結論は一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられた・・・。

 

 

こうして裁判長のことばで裁判が始まり、読者や観客はまるで自分が参審員(日本の裁判員)になったかのような気持ちで、審理の進行と向き合うことになる。

 

被告人ラース・コッホの上司が証人として出廷し、テロリストにハイジャックされた航空機に対し、飛行進路の妨害と警告射撃を命じたけれども、警告に応じないからと言って撃墜する命令は出していないことを証言する。

 

続いて検察官の「スタジアムの観客の緊急避難を指示したか」という問いに対し、証人は始め明言を避けるが、検察官の鋭い追及に、誰も観客の避難は指示しなかったことを認める。

 

論理的には観客全員が避難するに十分な時間があったとされているので、私はこの点は判決に影響する重大な点だと感じたけれど、実際には大観衆にこの危機的状況を知らせたら大パニックになってしまい、計算上の時間よりはるかにかかってしまうかも知れないし、また出口に殺到する人で大変な事故も起きるかもしれない。

 

ところが、意外なことにこの点はあまり問題視されず、最後の評決の部分でも言及がない。論点はあくまでも7万人に対する164人の命という、人命を数ではかって良いのかという点に絞られている。

 

ハイジャック機に夫が乗っていたため被告人によって殺される結果になった看護師も証人として出廷する。突然夫を奪われ、妻と7歳の娘のもとに遺品として返却されたものは、左の靴だけという理不尽さに、無辜の乗客の命を奪った判断の冷酷さが象徴される。

 

さて、はたして自分が参審員であったなら、有罪に票を投じるか、無罪に投じるのか?

 

本書では、両方の場合を用意している。ドイツ語圏での上演では、第二幕の最終弁論のあと、観客の評決によってそのあとを有罪で演じるか無罪で演じるか決めるというスタイルであったらしい。

 

まずはスタジアムの観客を避難させ、ハイジャック機の乗員の対応などを見ながら、上司の指示を待つべきであったと思うので、早い段階で勝手に決断し164人の命を犠牲にした被告人の判断は間違っていたと私は思う。けれども、有罪だというのも少々気の毒な気がするので、なにか特別な恩赦のような措置は取れないだろうか・・・と中間的な所を探ってしまう。

 

 

本編も非常に考えさせられるものだったが、巻末に収められた、フランスの雑誌シャルリー・エブドがM100サンスーシ・メディア賞を受賞した際の、授賞式における著者の記念スピーチ「是非ともつづけよう」という文章が素晴らしかった。

 

わたしたちの民主主義を破壊するのはテロリストではないということです。彼らにそのようなことはできません。(略)民主主義を損なうことができるのは、わたしたち民主主義者だけなのです。そしていとも容易く損なわれます。煽動家は勢いづき、政治家はより厳しい法律を要求し、情報機関はこれまで以上に力をつけます。ヨーロッパがイスラーム化する恐れがある、とさまざまな党が懸念し、パリでのテロをその「証左」だと思うでしょう。要注意人物の情報が開示請求され、インターネットの監視が強化されます。それこそがテロリズムがもたらすものなのです。その影響は間接的で、だからこそ危険なのです。

 

そして怒りに駆られた行動を無暗にしても役立たない。思慮深さ、憲法法治国家であること、それだけが長い目で見てわたしたちを守ることができるとし、ノルウェイで77人を殺害したブレイビクの事件を上げ、それに対してストルテンベルグ首相が追悼式典で行った演説を紹介している。

 

「わたしたちはわたしたちの価値を放棄することはありません。今回の事件に対するわたしたちの答えは、もっと民主主義を、もっと公明正大さを、もっと人間性を、ということです」

 

首相は、なにがあっても民主主義のほうが強いことを世界に示そうと訴えたとし、その言葉に著者は深く感動したと言う。以前ニュースで、この凶悪犯に対しても特別扱いすることなく、快適すぎるほどの独房生活をさせている様子を目にして、ノルウェーの文化度の高さに驚いたのだが、この首相の言葉に触れて、私もまた、非常に感動した。

 

 

わたしたちが生きている世界は完璧ではありません。これまでの世紀よりもましなだけです。そしてこの世界には、〈シャルリー・エブド〉が必要です。・・・あなたの雑誌は軽佻浮薄で、激烈で、ふざけるなと言いたいくらいです。往々にして許容範囲を超えているわけです。しかしそうすることで、わたしたちの自由を表現し、具現化してもいるのです。

 

あのテロ事件があった時、シャルリー・エブドの表現が度を越えているのでは?と思っていたが、この部分を読んでとても納得がいった。

 

今、この国に、著者が引いているベンジャミン・フランクリンの言葉を捧げたい。

 

「安全を得るために自由を放棄する者は、結局どちらも得られない」。

 

 

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コグニサイズ教室終了

去年の7月からスタートした、認知症予防に向けた運動「コグニサイズ」教室のプログラムが今日終了した。初回は町内の老人会三十数名のうちの12人の参加だったけれど、7か月のうち参加者が二桁に届いたのは初回を含めて4回のみ。この一か月ほど、話を聞いた他の地域の方が数人参加していたが、我が町内の老人会の参加者はほぼ7名にとどまり、最後の今日も7名だった。

 

以前聞いたときにはほとんどの参加者が続けてやりたいと言っていたので、プログラムが終了しても続けなければ・・・と思っていたが、先日会長から「参加者も少なくなっているし、自分もちょっと足の調子が悪く今後の参加は難しいので、一旦終わることにしましょう」と言われた。

 

これまでも、指導者は月のうち2回しか来なかったのだが、今後も続けるとなれば毎週私がしなければならないので、終了することになればホッとする気持ちもある。けれども、せっかく自分が提案して実施してきたものなので、終わろうということはあまり意味を見出してもらえなかったように感じて少々寂しいところもあった。

 

最終回の今日、始めにしたのと同じ身体機能の測定や、見当識・記憶力の検査などをしたあと、最後のコグニサイズでラダーやミュージック・プログラムというのをして、終了時刻が来ると、みな口々にご指導くださった保健師の方々と挨拶を交わし、名残を惜しんだ。

 

そうして「今日でほんとに終わっちゃうの。おもしろかったのにね~」「もう来週からないのォ?」などと私に言ってくる人もいて、ああ、やっぱり楽しくて続けたい方もいるんだ・・・と嬉しくなった。でも、やはり毎週一人で責任を持つのは大変だし、ここはいったんきりを付けることにする。

 

保健師さんも、「みんなでやるのは今日で終了するにしても、おうちで一人でもやってくださいね」と仰っていたが、おそらく教室がなくなれば、みんなやがてコグニサイズも忘れてしまうことだろう。メンバーの中には、すでに少々心配な傾向の出ている方もいる。なんとかあまり負担にならず長く続けられるかたちで、せっかく覚えた「コグニサイズ」を今後の老人会活動に活かしていくように工夫したい。

 

私自身の測定結果は、運動機能でいくぶん向上があり、見当識・記憶力は初回も今日も満点なので変化は不明。放っておけば機能も能力も低下していくばかりの年齢だろうから、いくらかでも改善が見られれば喜ばしい。週1回のこのコグニサイズ教室のほかに、いちおう自分でも毎日筋トレやストレッチを続けているので、その成果もあるのだろうか。スタンディングに行くことが少なくなって歩く時間が減っているので、もう少し意識的にウオーキングの時間を作らなくてはいけないと思う。

 

 

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憲法の誕生を描いた『日本の青空』上映会に参加

友人の車に同乗させてもらって、田原市マクロビオティックの料理教室などをなさっているMEGURIYAさんでの『日本の青空』上映会に参加した。

 

出版社の派遣社員である沙也可(田丸麻紀)は、憲法制定60周年の特集に企画を提案するよう上司に言われ、ここで頑張れば正社員になれるかも知れないと張り切る。家で食事しながら母親に話すと、母の母つまり沙也可の祖母が教師をしていた時、教え子に鈴木安蔵高橋和也)という人のお嬢さんがいて、その鈴木氏が憲法に関わった方だったようだと聞く。

 

こうして沙也可は「大スクープになるかも知れない!」と鈴木安蔵について調べていく・・・という沙也可のいる現代と、戦中戦後の時代を織り交ぜて描くドラマ仕立てになっている。

 

当時は、鈴木安蔵を中心とする民間人の憲法研究会の草案や、日本政府の作った草案のほかにも、いろいろな団体が様々な草案を作っていたことや、草案着手前の早い段階で、幣原首相が武力放棄の考えをGHQに伝えていたことなどを、この映画で知った。

 

政府の提出した案がまるでアメリカの考える民主主義になっていず却下された後こそ時間がなかったかもしれないが、鈴木安蔵らが草案を練る段階では十分時間をかけ、明治の自由民権思想や大正デモクラシーの精神も包含した、日本人によって作りあげられたものだった。

 

発言が大きく取り上げられ、繰り返し報道される立場にいる人が「押しつけ憲法、押しつけ憲法」と叫ぶことで、知らず知らず人々は「敗戦で押し付けられた憲法なんだ」と思い込まされつつある。この映画は10年前の作品だが、製作時よりはるかに、一人でも多くの人にこの映画を見てもらう必要が高まっていると思う。

 

時代に合わせて改憲する必要が生じたとしても、「押しつけだから何が何でも変えなければ!」と言って変えるのと、成立の経緯をきちんと知り、敬意をもって必要最小限を変えるのとでは、まったく違う。

 

さも汚らわしいものであるかのように「押しつけられたもの」と言われているこの国の憲法をきちんと知り、制定当時とはだいぶ乖離してしまった現実も踏まえて、どうあることがこの国にとって良いことなのか、冷静に時間をかけて、きちんと討論したいものだと思う。

 

物語を盛り上げる部分で史実ではないかも知れないけれど、治安維持法の第一番の逮捕者となった鈴木安蔵の清廉さに苦労した妻が、婦人参政権を喜び、「女性が投票すれば戦争などしない国になるに決まっている」という場面があった。現在の、女性の防衛大臣が率いる肥大してしまった集団を彼女が知ったら、いったい何と言うだろうか・・・。

 

 

 

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鈴木安蔵さんはAO153さんの高校の先輩なのだそうです。豊橋市にある愛知大学でも教鞭をとられ、その教え子の憲法学者金子勝さん(経済学のかたとは別人)が、ながいこと豊橋憲法講座(九条の会主催)をしてくださっていました。AO153さんと豊橋とは、安蔵先生繋がりでした。

 

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会場となった田原市のMEGURIYAさん。若いご夫婦が精力的に食べ物だけでなく、政治や経済の勉強会などもしていらっしゃいます。

1月の住み開き「よんばばんち」を開催しました

1月の最終日曜日、今月の「よんばばんち」が終了した。映画『日本の青空』上映会や、「スロータウン映画祭」(1月8日の樹木希林さんの『あん』のエントリで紹介したもの)と重なったことも影響してか、今回は私を含めて4人での「よんばばんち」となり、これまででは一番少ない人数だった(でも、その分内容は濃くなったかも知れない)。

 

今回のテーマ「今いちばん気になること」は、やっぱり「共謀罪」!という感じだった。でもそもそも分かりにくい内容だし、かつての学生運動を知っている世代は、まだ「破防法」などで検挙された人が身近にいたり(自分自身が経験している人も)して、恐ろしさを想像できるが、今の若い世代には到底身近なことと捉えられるわけもない。

 

それをどう伝えていくか・・・。一人ひとりが自分の得意な方法、たとえばインターネットで拡散する、「よんばばんち」のような小さな集まりを開いて話す、友人に手紙を書く・・・云々(「うんぬん」で、「でんでん」ではない)で、周囲の人に伝えていくことが大切だねというところに落ち着いた。

 

平凡で地味なことだけれど、人間関係のできた人から人へ伝えることが、とても大切で確実なことだと思う。そのためのきっかけとなるツールも、今スタンディングの仲間たち(市民アクション@15の仲間でもある)と工夫を進めている。

 

今まで「住み開き よんばばんち」を最終日曜日に開催してきたが、新しい参加者という広がりがないし、いつもいろいろなイベントとぶつかることも多いので、平日にしてみるとか、なにかもうひとつ工夫する必要を感じている。

 

 

それにしても、震災や原発事故の被災者をどんどん置き去りにして、費用は膨らむばかり、そのうえ「テロ等準備罪」なんてものを作らなければ開催できないようなオリンピック、いらないんだけれど・・・。

 

 

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なんだかこのごろ、今までにも増して、彼女たちを思う・・・。

 

西洋の宮廷気分、チェンバロとリュートを楽しむ昼下がり

近所の市民館の企画「穂の国の音楽マエストロたち」の第2回は、西洋の古楽器がテーマで、チェンバロリュートの演奏だった。

 

全4回のこの講座は、午前の開催が基本なのだけれど、今回だけ午後1時半開始だ。奏者のスケジュールの都合かと思っていたが、チェンバロを運び込むのに、事前の準備やらを考慮すると午前というのは不可能だったのだそうだ。市民館のエレベーターには入らないため、屈強な男性7人で3階の会場まで運び上げたのだそうだ。ありがたい。

 

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チェンバロと奏者の小玉宏氏。

 

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内部にも美しい油絵。

 

 

クープラン、バッハを中心とした曲に、途中白井康博氏のリュートの演奏が入った。

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リュートを手にする白井康博氏。大小さまざまなリュートをお持ちくださったが、なんとそれらのリュートは全て白井氏の自作とのこと。そして白井氏の本業は、豊橋筆の職人さんなのだそうだ。よほど、手先が器用でいらっしゃるのだろう。形を見てわかる通り、このリュートが中国を経て日本に渡ったものが琵琶なのだそうだ。

 

 

ちなみに、「豊橋筆」は豊橋市の特産品(書道家向けの高級品の80%を占める)。

豊橋筆 | 愛知県

 

 

前回の雅楽はほとんど説明に終始したが、今日は演奏を中心に適度の説明や質疑応答で、1時間半があっという間に過ぎてしまった。宮廷のサロンで楽しまれたというルネッサンスバロック時代の優雅な音楽に浸るひとときを楽しんだ。

 

 

(会場で写真撮影をしなかったため、写真は全てウェブサイトからお借りした)

 

 

ら抜き言葉席巻のツミと久々のサ変「する」

中学生のNちゃんは、いつもいろいろ悩んでいる。先週はオームやジュールで悩んでいた。今週は国語の文法だ。そもそも文法は苦手な子が多い。Nちゃんも前から文法は難しいと言っていた。動詞の活用が出てきて、形容詞・形容動詞の活用、さらには助動詞の活用まで現れ、混乱の極みだ。

 

昨日は国語の問題集を持って来て、分からない箇所をいくつか質問された。

 

「次の動詞に、あとに挙げた助動詞を適切につけよ」という設問で、

書く  着る  する  来る  と動詞が並び、

続ける助動詞は

れる・られる  せる・させる  う・よう   である。

 

「書く」は「書かれる」「書かせる」「書こう」で、できている。

「着る」が「着れる」と書いて×になっているのはなぜかと言う。

 

「ああ、Nちゃん、無理ないよね。近頃はもう世間ではほとんど『着れる』って言っているものね。NHKのアナウンサーでさえ、ちゃんと言える人の方が少ないくらい。私は時々メールで注意したりするけど、今はNHKもアナウンスの力より顔の可愛さやタレント性の方が大事なようで、ちっとも直してくれないんだよね。しょっちゅう耳にしていたら、おかしいと感じることはできなくなっちゃうよね。ごめんね」と大人を代表して謝った。

 

それでなくても、私たちの住んでいる地方で使われている三河弁では「食べれる」「着れる」が普通の言い方だ。私も三河弁の流れの中で、「冷蔵庫に入っとったこのケーキ、まだ食べれるかねえ?」と言われれば、なんら問題を感じない。ところが、「冷蔵庫に入ってたこのケーキ、まだ食べれるかしら?」(「かしら」も、いまや使う人はほとんどいないだろうが)と標準語の流れの中で使われると、途端にザラッとしたものを感じて、嫌だなと思ってしまう。

 

なぜなんだろう・・・と思って考えてみると、そうか、文法的に誤りなんだと気付く。決して正誤が先にあっておかしいと思うのではなく、直感的に違和感を感じてしまうのだ。それが母国語というものだろう。

 

そして、その直感はどこから来るのかといえば、赤ちゃんの時から延々と聞き続けてきた「インプット」情報だろう。その情報のほとんどがすでに「ら抜き言葉」ばかりになってしまっている14歳に、「着れる」がおかしいと感じとることは難しい。もちろん、いちおうくだんの問題集にも、人物のイラストがかかれ、吹き出しに「近頃は、ら抜きの言い方が増えているが・・・」という記述はあった。

 

そんな話をした後、辞書の「れる」の項を開いて見せる。

れる 助動・下一型 ㊀その動作・作用を他から受けることを表す・・・といった意味のあとに、

「五段活用・サ変以外の動詞から続く場合は、『られる』を用いる」

という記述があることを確認してもらう。

「着る」は「着ない 着ます 着る 着るとき 着れば 着よ」と活用するよね。これは何活用だった?   「上一段活用!」

そう、だから五段・サ変以外の動詞だから、「られる」を使うのが正しい。「あぁ・・・」Nちゃん納得。

 

と、ここまではまだ良かった。

「する」は先生も「分からないので他の先生にも聞いて、次の時間に説明します」ってなっちゃった、と言う。どれどれ。

「する」の活用は しない します する する時 すれば せよ 

「書く」の時に、「書かせる」となったけど、「書か」は活用の何形?と聞くと、しばらく考えて、未然形と答える。じゃあ「する」も未然形にくっつければいいんだよね、と言って、

「しせる」「しさせる」・・・ええっ??? おかしいね。

 

サ変「する」の活用ってどうだっけ?どこかに出ていない?と聞くと「ここにある」とそのページを開いてくれた。

未然形 さ・し・せ  と三つの形がある。そうだった。

させる しせる せせる  どれ?「させる!」と、無事落ち着くべきところに着地することができた。さ行変格活用、すっかり忘れてしまっていた。

 

母国語は文法を考えなくてもしゃべれるけれど、感覚では迷ってしまうようなとき、文法は正しい言い方を考える道案内になる。人類が話し始めた時には文法なんてものはなく、ただ勝手にしゃべったはずなのに、のちになって学者が文法として整理すると、みごとに整然と法則に従っていた。たくさんの言葉がきちんと整理整頓され、それぞれの引出しにストンストンと収まっていくようで、こんなところが、私が文法を好きになった理由かな・・・なんて話をNちゃんにした(私は整理整頓が好き)。

 

 

先週の冬休み明けの実力テストで、Nちゃんは学年順位が大躍進した。本人は「たまたま今回の業者のテストと相性が良かっただけで、次はまた落ちると思う」と弱気だ。「家庭では相変わらずあまり勉強していないようだけれど、少なくとも私の家に来た時はとても集中して勉強している。それだけでも以前よりは努力したんだよ。9月から4か月してきたその努力が、今回少し実ったのではないかな?良かったね」と彼女を讃えた。

 

彼女と一緒に勉強することを仕事にしたくはなかったので、私は報酬を受け取らずボランティアということにした。厚く積もった錆を落としながら、彼女と問題を考えるのは楽しい。勉強のあとにおしゃべりするのもとても楽しい。そのうえ今回のように成績が上がったと聞くのは、私にとって何よりの喜びだ。今回ほど大幅アップでなくてもよいから、少しずつでもNちゃんと私の時間が実を結んでいくといいなと思う。

 

 

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今日のコスモス会は、ガーナから来ているEさんのカントリープレゼンテーションだった。ノートパソコンや大きなモニター持参で説明してくれた。カラフルな民族衣装。

 

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カカオの実がこんな風に、いきなり幹にポコッとなるなんてビックリ!

 

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世界遺産になっているというケープコースト城。外観は美しいけれど、内部にはかつて奴隷貿易の拠点だったなごりがある。オバマ元大統領一家も訪れたそうだ。(写真はWikipediaより拝借)

 

首都アクラのある南部と乾燥地の北部では、驚くほどの文化的経済的格差がある。北部の学校の写真では制服を着ていない子や靴を履かずはだしの子も珍しくない。木陰が教室だというが、その木陰の教室の子供たちは実にいい顔をしていた。

昔の遊びを楽しむ授業のお手伝い

地域の小学校の一年生2クラスの「昔の遊びを楽しむ会」という授業に、校区の老人会のメンバーとして参加した。私たちの町内は「おはじき」の担当にあたっていたので、この前の例会の時に2人の方にお願いしておき、今日は朝10時過ぎに待ち合せて女性3人ですぐ近くの小学校に向かった。

 

7種類の遊びを分担する18人が会議室に集合し、校長先生の挨拶のあと会場に移動。全員そろって挨拶をしたりする視聴覚室も、それぞれの遊びの種類別に分かれて遊ぶ部屋も4階で、高齢者の集団相手にはちょっと階段の昇降が多かった(たぶん参加者の大半は70代後半、我が町内の一人は82歳)。かつて児童数の多かった時に4階建てで作ったため、現在は空き教室を様々な特別室に当てて利用しているのだろう。

 

今までユネスコの平和学習で出前授業に行ったときは、暖房がなくてどこも寒く、とりわけ体育館で行う時など2時間続きのメニューをこなす間に冷え切ってしまったものだが、今日は学校側からの依頼でもあり、対象が「老人会」だからという配慮もあるのか使い捨てカイロの準備もあったし、視聴覚室にはストーブがいくつもたかれていて、それほど寒い思いはせずに済んだ。

 

私たちの「おはじき」は小さな和室で、3~5人ほどの子がかわるがわる来ておはじきを楽しんだ。ほとんどの子が、初めはとんでもなくはじきにくい場所を選んだり、はじき方もおっかなびっくりなのだけれど、何回かするうちにどんどん要領をつかみうまくなっていく。子供は物覚えがいいし上達も早いと、3人ともつくづく感心した。

 

3限目と4限目を使った授業が終わって、次は1階の1年生の教室で子供たちと一緒に給食をいただく。準備ができるまでまた会議室で待ち、やがて子供たちが準備ができましたのでどうぞと呼びに来てくれた。

 

1組と2組に分かれ、3、4人ずつの「しま」になっているところに私たちが一人ずつ入った。私は3人の男の子のしまだった。ひとりはびっくりするほど元気な子で、私の胸のひらがなの名札を読んでどんどん話しかけてくるいっぽう、いつの間にと思うほど食べるのも早く、他の2人が三分の一も食べないうちにほぼ食べ終わってお代わりをもらいに行っていた。

 

その子はあまりにも早かったのでどんな順に食べたか目にも止まらなかったが、あとの2人はご飯、ミートボール、副菜の煮物の献立を、まずは副菜ばかり食べ、次はごはんばかりをおかずなしで食べている。いつもそうした食べ方で、いちばん好きなものは最後にとっておくのだと言う。これはいわゆる「片付け食い」だけれど、いいのだろうかとちょっと気になった。

 

ミートボールはみんな好きらしく、先生が「残っているので欲しい人」と仰ると、元気に一杯手が上がった。15、6人の手が上がり、それだけはないからと廊下に出させてじゃんけんをさせていらした。牛乳も余っているからと同じように声を掛けていらしたが、こちらはあまり手が上がらなかった。

 

老人会の例会でこのお手伝いを呼びかけた時、皆しり込みして、頼み込んでやっと2人を確保したのだけれど、2人とも子供たちが元気で可愛くて、「楽しかった」ととても喜んでいたので、私もほっとした。

 

豊橋市では十数年前から「特色ある学校づくり」と謳って、「学校の自主性・自律性の発揮」や「地域ぐるみの教育システムの構築」 をめざし、地域と協力・連携した授業を行う取り組みをしている。おそらく今日の昔遊びの授業もその一環だろう。

 

 

今日お年寄りから教わった昔遊びを、今度は保育園の小さな子たちをお客様に迎え、1年生たちが教えてあげるのだそうだ。

 

子供たちからのお礼のプレゼント。中に入っていたのは「朝顔の種」

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今日行った昔遊び  (画像はネットから拝借)

f:id:yonnbaba:20170124165616j:plain おはじき

 

f:id:yonnbaba:20170124165642j:plain お手玉

 

f:id:yonnbaba:20170124170343j:plain あやとり

 

f:id:yonnbaba:20170124165700j:plain こま

 

f:id:yonnbaba:20170124165711j:plain どんぐりごま

 

f:id:yonnbaba:20170124165721j:plain だるま落とし

 

f:id:yonnbaba:20170124165735j:plain ゴムでっぽう

 

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今日は上の「手だけで飛ばすゴムでっぽう」でしたが、こういう割箸利用のゴム鉄砲も、昔の男の子は作りましたね。