よんばば つれづれ

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新しい市民運動の発足集会が終了した【写真を追加】

 

やれやれ、愛知15区の新しい市民グループの発足集会が終了した。目標には少し足りなかったが、80人ほどの参加者があった。

 

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昨年の暮れに呼びかけがあって、いろいろな団体からメンバーが集まり、設立を目指して準備を進めてきた。呼びかけからちょうど一か月ほどで設立の運びとなったことになる。

 

昨日の夕方になって、会場となるカリオンビルに置かれたこのチラシを見た人から、市役所にクレームの電話が入ったという情報が伝わり、昨夜から今朝にかけてメンバーの間には緊張が走った。

 

けれども、我が豊橋市の職員はこのクレーム(公選法に抵触するようなこういう団体に、市の会場を提供するのはおかしいというものだったようだ)に対し、「なんら公選法に違反する活動ではなく、問題ありません」と毅然として対処してくれたそうで、実に気持ちが良い。全く付け入るスキがないと判断したのか、心配したような、当日会場に参加して、質問してかき回すというような事態もなかった。

 

私はこの発足集会で、会の活動内容や運営の仕方について説明する係になっていたし、そのあとすぐ、近くのお店でスタンディングとママの会の合同新年会が設定されており、そちらはまた幹事になっていたものだから、午前の集会も午後の新年会もつつがなく終了し、今、やれやれと肩の荷を下ろしている。

 

この発足集会で、昨年の参院選で野党共闘で勝利した三重の経験を、三重大学名誉教授で「市民連合みえ」の高山進氏が話してくださったのだが、これがまたとても心を打つ素晴らしい内容で、今スタートラインに立ったばかりの私たちの活動の、明るい未来を見せていただいたような気がした。もちろん、明るいか暗いか、成功するか否か、すべてこれからの私たちの活動にかかっているのだけれど・・・。

 

今日の私は自分の担当する説明の冒頭で、「私はほんの少し前まで、特別政治にかかわる活動をしたこともない平凡な一市民でしたが、昨今の状況にじっとしていられなくなり、一歩踏み出してしまいました。そうして、普通のおばさんの代表としてこの会の・・・」と自己紹介した。

 

私たち一人ひとりが主権者であることをしっかり自覚し、政党に市民の声を届け、市民の味方になる政治家を応援し、民主主義を機能させてよりよい政治をしてもらう。そうして、子どもや若者に希望の持てる未来を手渡すため、一人でも多く、「政治なんて関係ない」「難しくて分からない」と思っていた人たちに、一歩前に踏み出してもらうよう、活動を盛り上げていきたい。

 

 

【追加】

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発足集会の様子

 

 

佐和隆光著『経済学のすすめ』は怒りと祈りの書

hatehei666さんが紹介していらした『経済学のすすめ』を読んだ。この本の内容をひと言でいえば、「人文社会系の知を排斥する国家は、おのずから全体主義国家に成り果てる」ということではないだろうかと思う。

 

2004年度に国立大学が法人化されてから、「中期目標・計画」の文科省への提出が義務付けられ、目標の達成度に応じて次の中期の運営交付金にメリハリをつけるという方針が打ち出された。

 

幸か不幸か日本の文教政策が柔軟性を欠いていたことなどもあって、実際には交付金にメリハリをつけた形跡は認めがたかったそうだが、2015年6月には、各国立大学の学長宛てに「教員養成系学部・大学院、人文社会系学部・大学院については、組織の廃止や社会的要請の高い領域への転換に積極的に取り組むよう」との文部科学大臣通知が届いた。

 

このところのこうした人文社会系の学問を軽視する政府のやり方に、著者は心底から怒り、そうした教育行政のはてに起こるであろう、民主主義の衰退や日本の国力の凋落を憂えている。

 

アダム・スミスからマルクスケインズ、そしてピケティまで、経済学そのものの時代的変遷や、日本、アメリカ、ヨーロッパなど、国によっての経済学のとらえ方の違いなどにも触れているが、なんといっても、効率や短期間に結果の出る学問ばかりを追っていてはならないという主張が全巻を貫いていると感じた。

 

私自身もなんとなく経済を勉強する人というのは、人生を損得でとらえる計算高い人のような印象があるが、著者はこれから経済学を学ぼうとする若い人たちに、「真の学力の中核に位置する思考力・判断力・表現力を身に付けるにあたり、本来経済学ほど役に立つ学問は他にない」と言う。

 

「人文知と批判精神の復権」言い換えれば「モラル・サイエンスとしての経済学の復権」によって、経済学は真に人間の幸福に資する学問になりえるのだという著者の叫びは、教育をつかさどる人たちのもとに届くであろうか・・・。

 

 

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もうすでに「うす茶色の朝」になっていて、今更ですが『茶色の朝』フランク・パヴロフ著

先日我が家にスタンディングのメンバー何人かが集まって、駅前で立つ以外のそれぞれの活動や今後について話し合った。その時に仲間の一人が持って来てくれたのがこの本だった。もう10年以上前に出版されたものだが、私は浅学寡聞にして知らなかった。

 

陽の光がふりそそぐビストロで、俺と友人シャルリーはコーヒーをゆっくり味わいながらしゃべっている。

 

シャルリーは犬を安楽死させなければならなかった。なぜなら「あの犬を茶色だと言い張るには無理があった」からだ。

 

「病気のせいじゃない。茶色の犬じゃなかった、ただそれだけさ」

 

お国の科学者たちの言葉によれば、茶色がもっとも都市生活に適していて、子どもを産みすぎず、えさもはるかに少なくてすむから「茶色」を守るのが良いのだそうだ。

 

そうして、猫も犬も、茶色以外は取り除く法律が作られた。処理されるときは胸が痛んだが、人間ってやつは「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」ものだ。

 

やがて読み慣れた新聞「街の日常」が廃刊になり、競馬とスポーツネタは「まし」らしい「茶色新報」しかなくなった。

 

次に「街の日常」系列の出版社がつぎつぎに裁判にかけられ、図書館の棚からそこの書籍は強制撤去を命じられた。

 

・・・

 

そうして、ある朝。

「俺」の家のドアをたたく音がする。

こんなに朝早くなんて初めてだ。

外は茶色。

そんなに強くたたくのは誰なんだ・・・。

 

 

という、ぞっとする物語だ。

 

 

この物語を書いたパヴロフさんは、少しでも多くの人に手に取ってもらいたいと、この本を1ユーロで販売したのだそうだ。だが、この日本版は後ろに長い解説文がついて、本体価格1000円で出版されている。

 

むしろ、この解説はないほうが良かったのではないか、というのが読み終わった私の実感だ。分かりやすくはなったけれど、読後のなんとも言いがたい、肌がゾワゾワするような恐ろしさが薄められてしまったような気がする。

 

もうみなさんご存知かもしれないけれど、もしまだ読んでいないという方は、ぜひ図書館でも(まだ置かれていますよね)いいので、お手に取ってみてほしい。

 

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せっかくなのに日本であまり知られていないなら、知らせちゃおう・・・

スタンディングのフェイスブックのサイトで、メンバーの一人が紹介していて知ったこのアニメーション。

 

buzz-plus.com

 

内容や作品をどう評価するかは見た人に任せるとして、少なくとも「日本すごい!」というようなモノ、コトを紹介するのが大好きなマスコミが、せっかく日本人が海外でこんなにたくさんの賞を受賞しているのに、申し合わせたようにそのニュースを報じないというのは不思議な気がする。

 

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初雪のなか、「穂の国の音楽マエストロたち」へ

市の市制110周年記念事業の「知っトク!豊橋ゼミナール」の一環である「雅~cool“穂の国”の音楽マエストロたち」という講座に、昨年申し込んだ。定員より申し込みが多く抽選だったようだけれど、さいわい当選し、今日が初回であった。くじ運の悪い私が当選したのは、おそらく地域住民優先で選んでくれたのではないかと思う。

 

温暖な地である豊橋には珍しく、朝から小雪がちらつく中、会場の地区市民館に向かった。第一回のテーマは「東洋の古楽器『雅楽の魅力』」。講師は、ご夫婦での雅楽ユニットは日本で唯一と仰る「菊理(くくり)」の近藤ご夫妻だった。

 

平安衣装に身を包んだお二人が、笙で越殿楽(えてんらく)を演奏しながら登場する所から始まった。そうして雅楽の歴史や使われる楽器の紹介、雅楽にまつわる雑学などが話された。やはり雅楽について知ってもらう場が少ないせいか、講師はこの際とばかり語りたいことがいっぱいあったようで、1時間半の時間の大半が説明で終わった。もう少し演奏を聞きたかったと思ったのは私だけではないのではないかと思う(アンケートには、率直に書かせていただいた)。

 

触れてみることはできなかったけれど、笙、ひちりき、龍笛、鞨鼓(かっこ)などの実物を間近に見られたことや、笙は演奏の前から温めて(夏でも)いないと音が出ず、そのために専用の電熱器まであることを知ったのは面白かった。

 

雑学では、「打ち合わせ」「千秋楽」「二の舞を踏む(演じる)」「二の句が継げない」「塩梅」調子が良い悪いの「調子」などの言葉のルーツが雅楽にあるということを知った。

 

笙という楽器の生の音は初めて聞いたのだが、とても重層的な音だと感じた。笙は鳳笙とも呼ばれ、その形は鳳凰が翼を立てて休んでいる姿を模していて、音は天から差し込む光をあらわしているのだとのこと。それにたいしてひちりきは地上の人の声を表すとか。

 

動画も写真もOK、よろしければブログやSNS、ツイッターなどで紹介してくださいと言われたが、今日私はうっかりスマホを忘れて出かけてしまった。そういう訳で、菊理さんのホームページからお借りした写真を・・・。

 

 

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マネキンフラッシュモブ(まがい)とランブータン

今日のスタンディング、何人かでマネキンフラッシュモブに挑戦した。打合せ不足でちょっと静止のタイミングが分からず動いてしまった人がいたが、先ほどフェイスブックにアップされた動画を見たら、途中からはなんとかそれらしくなっていた。きっと、次はもっとうまくできると思う。

 

冬は皆コートなど何着も持っている訳ではないので、ドレスコードが合わせにくい。今回は、私が午前中国際協力コスモス会のために着物を着る予定の日だったため、その私の着物の色に合わせて「茶系の服装」という指定になった。しかし、やはり黒とか白とかの方が、統一感は出やすいようだ。茶系だと濃淡さまざまになってしまう。これも今回の反省点。

 

スタンディングの”言いだしっぺ”がフラッシュモブに興味があって、以前からいろんなイベントの時にフラッシュモブをしようと提案があった。なんとかまねごとをしてみたこともあったけれど、踊ったりしてピシッと決めるのは、素人のおじさんおばさんにはとても無理だ。でも、今日のような「しばらくの静止状態から突然動き出す」という程度なら、やってやれないこともなさそう。

 

通行人へのアピール力の点でも、動画撮影のための条件の点でも、次は昼間挑戦した方が良いという反省もあった。

 

 

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この企画のために”言いだしっぺ”が作って来てくれたプラカード。せっかくだったけれど、これも暗くてあまり通行人に読んでもらえなかったと思う。

 

 

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こちらはコスモス会の「初釜」。超、超、超簡略なお点前。

 

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お正月休みにインドネシアに里帰りした方のお土産、ランブータンスマホの写真はその皮をむく前の状態。毛のようなものがツンツン、で「ランブータン(髪の毛のようなもの)」という名前なのだそうだ。食感はライチに似ている。

 

 

元旦から大分着続けてきた着物も、今日で一旦終了予定。でも今回連続して着てみて、もう少し普段にも気軽に着るようにしたいなという気持ちになった。さて、今年どれだけ着物を着ることができるだろう・・・。

 

 

野菜の旨煮と鏡開き

今年最初の講座があって、NHK文化センターへ。帰りは前回と同じく路面電車に乗らず、駅までの途中にある食堂「かどへい」さんで昼食にする。この間はクリスマス色全開だった店内だけれど、今日は当然ながらすっかりお正月ムードに模様替え。

 

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テーブルの花も・・・

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今日のランチは「野菜の旨煮」か「味噌カツ」。で、野菜の旨煮を選択。

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ちょっと食べちゃってから、「あっ、写真!」。ご飯と旨煮が減っている・・・。

 

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カニの甲羅で作られたおかめとひょっとこ。直径20センチくらいある。

 

この間侘助の花を活けていたお爺様が、今日は水仙の花束を持っていらした。相変わらず、店内はのどかな空気に満ちていた。食後のコーヒーをいただいて店を出ると、外はどんよりした空のもと、冷たい風が吹いてとても寒かった。家を出るときは帰りにお墓に寄ろうと計画していたが、お天気が良くないので父や母たちにはお許しを願って出直すことにし、一目散に家に帰ってきてしまった。

 

今日は鏡開き。昔はカビだらけになった大きな御供え餅を、家族みんなでワイワイ言いながら割ったりカビをとったりしたけれど、今はプラスティックの鏡餅型のケースの中から、カビひとつない姿で包装されて出てくる小さな丸い餅を焼いて、一人分のぜんざいを作って食べた。便利とは味気ないとイコールである。