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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

それぞれの戦争体験と火垂るの墓

今日は私の所属する豊橋ユネスコ協会平和学習グループの、年内最後の出前授業だった。伺った小学校は、戦後空襲で家を失った方や、外地から引き揚げてきたものの帰る家のない方などが入植した地域にある学校だ。ひょんなことからご縁がつながり、今年初めて出前授業に伺う運びとなった。

 

昔このあたりには広大な原野が広がり、戦争中は軍部の演習場として使われていた。なぜ原野だったのかといえば、土地がやせていて木も生えなかったからだそうだ。そのようなやせた土地に入植したのだから、当然人々は大変な苦労をなさった。やせた土地でも育つスイカがやがてここの特産となり、そして先人の大変なご苦労のおかげで現在は豊かな農業地帯になり発展している。

 

校長先生のお話では、土地の人々の「地域に学校がほしい」という強い希望があって、昭和30年にこの小学校が作られたそうで、今も地域の人たちが熱心に学校と関わっていてくれるのだそうだ。今年の学習発表会では4年生が、この地域の人々の開拓の歴史を劇にして上演したとのこと。お優しそうな校長先生で、先生方との間にも温かな空気が流れている様子が感じられた。

 

児童の皆さんは素直に熱心に、ユネスコのメンバーによる市内の戦争遺跡の話や戦争体験者の方の話を聞いてくれて、グループに分かれての話し合いでも積極的に手を挙げ意見を言ってくれた。会場が体育館だったので若くない私たちには少々寒かったけれど、先生方や子供たちの熱心さに身も心も温められる思いだった。

 

今年は初めて出前授業を受け入れていただいた学校も多く、昨年までの実績を大きく上回る数の授業をこなし少々大変だったけれど、今日無事に年内最後の出前授業を終え、ヤレヤレという気持ちで、帰途語り部の方を含んだみんなで一緒にお昼をということになり、またしても豪華なランチとなった。ま、12月でもあることだし・・・。

 

今日は総勢10名で行ったのだけれど、そのうち戦争の記憶があるのは4人。終戦時小学校2年生だった現在78歳の方が3人ともう1人は76歳だ。この方たちはまだまだ語り部として活躍していただけそうだが、だんだん発声や滑舌の点で話が聞き取りにくくなりお願いすることをためらわざるを得ない方も出てきている。また、いつ体調を崩されるかもわからない。来年度は出前授業と並行して、かなり真剣に語り部の方たちの話をビデオに収録する作業にも取り組まないといけない。

 

今回語り部として初めて参加していただいた方の口から、昭和16年に豊橋で死者13人を出す大きな竜巻被害があったと聞き、知らなかったのは私だけかと思ったら、ほかのメンバーもほとんど知らなかった。昭和19年12月の東南海地震、昭和20年1月の三河地震も大変な被害を出しながら、戦時下士気を衰えさせるからという政策のためほとんど報道されなかったのだが、この竜巻被害のことも地元でもほとんど知られていないようだ。

 

この語り部の方の親友で、応援のために参加してくださったもう一人の78歳の方にも、また違う形での戦争体験の物語があったことを、食事をしながらの話の中で伺った。空襲警報のサイレンの怖さも知らず、飢えも物のない不自由も知らずに、ぜいたくな食事を食べられるありがたさ!

 

東京大空襲、広島や長崎の原爆、沖縄の地上戦など戦争のメインストーリーは繰り返し語られ、本にもなったり映画やドラマにもなるけれど、その他にもあまり知られていない戦争の悲惨が、それはもう体験した人の数だけあるのだと、今日もまた改めて思い知らされることとなった。

 

 

おりしも、独特の文体で自らの戦争体験を『火垂るの墓』として綴られた野坂昭如さんがお亡くなりになった。だんだん戦争の真実を知る人が少なくなっていく・・・。

 

 

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これは以前の出前授業風景