よんばば つれづれ

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シール投票「駆けつけ警護って知ってますか?」と「大丈夫です」という不思議な拒絶

何だか随分久しぶりに、ちゃんとプラカードを持って金曜日のスタンディングに参加した。プラカードとは言っても、以前とはちょっと違う形式のもの。A3サイズのスケッチブックを見開きにして、上のページに「権力者が得するのが戦争」、下のページに「庶民が得するのは平和」とマジックで太書きしたものだ。

 

でも、メンバーのYさんがシール投票の準備をしてきてくれたので、プラカードはしまって、そちらの手伝いをすることにした。シール投票は通行人の足を止めて会話をする良い手段になるので、3、4人一組で取り組もうと、この間の交流会(ミーティング)で決まったのだ。

 

今回Yさんが準備してくれたテーマは「駆けつけ警護って何か知ってますか?」というもの。賛成とか反対ではなく、たんに知っているかどうかだけだから、参加していただきやすいと思う。そして・・・

 

驚愕の結果は・・・ジャン!

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 Yes7人に対してNo34人!答えてくれたのは、大半は高校生から20代くらいの若い人。内容どころか言葉自体知らない、聞いたことがないという人も少なくなかった。Yさん作成のチラシを手渡しながら、「大切なことなので、ぜひ興味を持ってくださいね」とお願い。

 

 

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30分間のスタンディングを終え、これからクリマスイベントに向けての活動について簡単なミーティング。この場でシール投票の結果をメンバーに伝え、私たちが思っているよりはるかに世間の危機感は弱いこと、もっともっとまずは伝えていく必要があることを知らせた。

 

このシール投票を呼び掛けて、気持ちよく応じてくれるのは圧倒的に若い人だ。残念なことにそのほとんどが「駆けつけ警護」を知らなかったけれども。壮年のビジネスマンは大抵けんもほろろ。こんなことに付き合っている暇はない、というところかも知れないが、人生あんがい無駄なようなことの中に貴重なものがあったりするのだよ!このシール投票が貴重なものかどうかは分からないが・・・。

 

そして、一緒にやったEさんが、「若い人が大丈夫ですって言うのは、ダメですってことなんだよね」と仰った。そう、今の若い人たちは断る時に「大丈夫です」と言うようだ。「困ってるんじゃない?」「助けがいるんじゃない?」と聞かれたのなら「大丈夫です」ということわりの言葉が成立するだろうが、「シール投票に協力してください」に対して「大丈夫です」では、本当は聞いた方としては???だ。「時間があるから、大丈夫お相手できますよ」ということかとも思える。

 

でもきっとこれも、空気を読み極力角を立てないように配慮する現代の若者の、柔らかく感じさせたい拒絶の言葉としての選択なのだろう。この優しい世代が、もしかすると怖ろしい時代に呑み込まれていくことになるのかも知れない。偏らない情報を収集し、しっかり自分の頭で考え、嫌なことははっきり「イヤだっ!」と言わないと、いつのまにか大変な所に連れていかれてしまうかもしれないのだよ、若者たち!

 

 

 

戦争の醜さを改めて知る、『三たびの海峡』帚木蓬生著

著者が「日本人が書いておくべき義務がある」として書いたというこの作品を、「日本人として読んでおく義務がある」と思い読んだ。

 

主人公十七歳の河時根(ハーシグン)は、徴用を受けた高齢で病身でもある父に代わるため、年齢を十八と偽って炭鉱労働者として日本に連れて来られる。それでなくても苛酷な労働条件なのだろうが、さらに現場の労務管理者たちがピンハネするため、牛馬にも劣るほどの扱いを受ける。

 

ろくに食べられず眠れないため作業がおろそかになったり、辛さのあまり脱走を試みたりすれば半殺しの目に遭わされる。いや実際に何人かの同胞はリンチで死んでしまう。仲間のリーダー的存在だった人物は、精神的な辱めに遭い、自殺してしまう。

 

このまま炭鉱にいてはいずれ自分も殺される運命だと悟り、時根は単独で脱走を図り、重い十字架と引き換えに成功する。

 

命からがら炭鉱を抜け出し、アリラン部落でかくまわれ、やがて港湾労働者として働き出した時根は、そこで働く日本人の若き戦争未亡人の千鶴と出会い愛し合うようになる。

 

日本の敗戦によって祖国解放となり、様々な困難を排してみごもった千鶴をつれ祖国に戻るのだが、敵国日本の女性を妻として連れ帰った時根に、兄姉も村の人々も冷たく当たる。連れ合いをなくしている時根の母は、家長となった長男の意見には逆らえない。

 

ただ一人、世間からはみだしたような存在の李爺さんだけが二人を受け入れ、自分の粗末な家の一角に住まわせてくれる。無事に赤ん坊も生まれ、貧しいながらもささやかな幸せな生活がしばし訪れる。けれどもそれも長続きせず、やがて千鶴とこどもは彼女を探しに来た家族に日本に連れ戻されてしまう。

 

最初は韓国から強制連行されて海峡を渡り、二度目は終戦後日本人の妻とともに、そしてさらにそれから四十数年の時を経て、主人公は三度目の海峡を渡り日本に来る。それは残り少なくなった自分の人生の中で、つけなければならないけじめをつけるためだった・・・。

 

 

1995年に三国連太郎さん主演で映画化されているようだけれど、その頃の私はまだ二人の息子を抱えて忙しい生活を送っていたからか、全くその映画についても、この作品についても知らなかった。

 

日本が隣の韓国に対して過去に行った理不尽な行為はいちおう知っているつもりだったが、この作品を読んで、何も分かっていなかったと思った。「強制連行」という言葉だけ知っていても、その先にあった隣国人に対するこれほどのひどい扱いは全く想像できていなかった。

 

しかもそうして連れられてきた人たちが、たとえ戦争が終わっても、決してもう元通りの生活には戻れず、その人たちにはもちろん親や兄弟がいて、複雑な事情のもとに生まれた子供たちもいて、慰安婦問題などを持ち出すまでもなく、戦争はまるで終わってはいないのだと思い知る。

 

主人公河時根が、最後に千鶴との間にできた息子時郎にあてた手紙にこう書いている。

 

「生者が死者の遺志に思いを馳せている限り、歴史は歪まない」

 

 

いま生きている私たち。静かに死者に手を合わせ、彼らが生きている私たちに何を望んでいるか、しっかり思いを馳せなければならない。

 

 

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文化と芸術と秋を味わう一日

古文書講座の日の今日は、朝9時に家を出た。NHK文化センターで、享保年間の田や畑の検見に関する文書を読んで、1時間半の講義は終了。

 

そのあと、隣の豊橋公園内の美術博物館に併設されたレストランでお昼を食べ、開催中の「NIHON画―新たな地平を求めて―」を鑑賞する。これも、この間の山下清展と同じく、市の市制施行110周年の企画で、さらに今回は美術博物館リニューアル記念も加わった企画展だ。

 

リニューアルは展示室が一つ増え、その展示室前には天井まで二面がガラス張りの明るくて贅沢な空間ができていた。また、美術博物館前の庭園の噴水池がなくなり、噴水が直接地面に設置される様式になっていた。これは噴き出す水に直接触れられるようにするためとか。季節によって噴水のパターンなどが変わるらしいが、今日は寒い季節でもあるせいか、ごく平凡な噴水だった。

 

福田平八郎、東山魁夷、片山球子、平山郁夫加山又造・・・などが日本画に新風を吹き込むべくさまざまな表現に挑んだ1950~60年代を起点に、これでも日本画?と思うような前衛的なものまで、戦後それまでの日本画の在り方に危機感を持った画家たちが展開した様々な試みを、段階を追って見せる展示になっていた。

 

福田平八郎の「雨」や秋野 不矩の「ガンガー」にまた会えたのも嬉しかったけれど、なんといっても今日は杉山寧の「仮象」に出合えたのが収穫だった。色が素晴らしくて見たとたんに惹きつけられてしまった。ネット上に画像はあったが、あの微妙な色の魅力はモニター上ではまるで伝わってこない。

 

満ち足りた気分で美術館を出ると、公園の一角で年配のグループが写生をしていらした。今日は少々北風が強かったが、木々の紅葉はとてもきれいだった。

 

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写真ではとらえきれていないが、ハゼノキの紅葉が実にとりどりの色合いできれい。

 

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魁夷の「樹根」を思わせる、みごとな根を張る木。

 

 

今日はこの後もう一つ予定があるのだけれど、時間に余裕があるので、いつもは路面電車で駅まで戻るのを、散歩がてらブラブラ歩いて行くことにする。

 

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地元ではホットケーキで知られる老舗の喫茶店。NHK文化センターから豊橋駅への道筋にあるので寄りたいのだけれど、講座のある水曜日は定休日なのでいつもお休み。今日は祝日だからか営業していた。ラッキー、市電に乗らないで良かった!

 

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出窓からは市電通りが見える。

 

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かわいい季節の飾り物。

 

 

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キリマンジャロとプレーンなバターホットケーキを注文。テーブル席が三つあるだけの小さな店内。豊橋は昔は喫茶店の多い街だったのだけれど、今はすっかり少なくなってしまった。しかもスターバックスとかタリーズとか、セルフで落ち着けない新しい形式の所が多い。でもこの店は低くクラシックが流れ、カウンターの中で丁寧に一杯いっぱいドリップしてくれる、昔懐かしい喫茶店。お値段はランチより高くなったが大満足。

 

 

そうして本日最後の予定。当地の民進党衆議院候補者である関健一郎氏の会が主催する「豊橋の文化を考えるシンポジウム」へ。豊橋市出身の画家でフランスで最も権威あるレジオンドヌール勲章(でも、なぜか舛添要一氏も受賞しているんですよね)を受賞した松井守男さんの講演と、そのあと関氏、弁護士の菊地令比等氏を加えてパネルディスカッション。松井氏は特にこどもの教育のことを熱く語り、日本は一つの価値観にはめようとしたり、偏差値のようなつまらない基準で縛り、伸びる芽を摘んでいるということを繰り返し言われた。

 

負けないということは、未来のために妥協しないこと

文化とは心の叫びが叫べること

 

という言葉は印象的だった。

 

せっかく当地出身の世界的な画家が居ながら、豊橋はそれを生かせていない。私も今年ガス会社のモニターになり、系列会社の経営するホテルの見学の時に、そこには何点もの松井画伯の作品が展示されているのでたまたま知ったのだけれど、その時まで寡聞にして世界の松井画伯を存じ上げなかった。現在京都や横須賀など、他の地からいろいろな企画の申し出があるとのことで、関氏がよそにとられないように地元でも頑張りましょうと呼びかけた。

 

松井画伯は「豊橋に、世界に羽ばたくような芸術家を育てる絵画の教室を作ります」と力強く約束してくださった。

 

家に帰り着くと6時。今日は文化と芸術にどっぷり浸る一日となった。

 

 

この春、ホテルを見学した時のブログ。

松井画伯の作品の写真もある(例によって写りは悪いけれど)。

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

 

 

骨粗しょう症検診を受けた

特定年齢ということで、市から骨粗しょう症検診の葉書が届いていた。人間ドックやがん検診で病気を見つけてもらうのは嫌だけれど、骨の状態は知っておくほうがいいかなと思い、出かけてみた。

 

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検診の会場「ほいっぷ」

「ほいっぷ」は、保健の「ほ」、医療の「い」、福祉の「ふ」の頭文字を用い、各施設が混ざり合い連携するところをイメージした、公募によるゾーンの愛称です。このゾーンには三師会(医師会・歯科医師会・薬剤師会)の施設整備が同時に進められており、各会との協働で事業を進めます。(同施設のサイトより)

保健所、保健センター、こども発達センター、休日夜間急病診療所(内科・小児科・歯科)のほか、上の説明にある三師会施設などがある。また施設の一角には「ほいっぷの森」というレストランも併設。平成22年完成。我が家からは徒歩15分ほどで行ける。

 

 

右足のかかとにジェルを塗って、体重計ほどの大きさの機械にのせると、ものの数秒で測定できるらしい。事前に記入したアンケート用紙を見ながら、医師がちょちょっとパソコンに入力すると終了。測定を待つ場所とは別の待合場所に移動して、また順番を待つ。

 

番号を呼ばれ、ベテラン保健師と思われる年配の白衣の女性から、結果と指導内容を伺う。私は骨評価値は2.345、同年齢の骨評価値と比較して103%とのことだった。でも、若年成人時の平均の骨評価値と比較すると87%で、残念ながら「異常なし」ランクではなく、「要指導」(80%以上90%未満)に入ってしまった。

 

ただ、アンケートで「週3日以上運動をする」「大豆製品や牛乳・ヨーグルトなどを採るよう心がけている」などの項目に丸をしていたので、「このまま日々の努力を続けてください」と言われただけで終わった。やれやれ、なんとか及第か?という気分だ。

 

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半年ぶりに姉と一緒に墓参り

豊橋に停車する新幹線「ひかり」の数は少ない。横浜まで出るのに小一時間かかる姉が乗ってくる「ひかり」が着くのはいつもちょうどお昼頃。すぐ駅前からタクシーに乗り霊園まで行く。

 

二人でおしゃべりしながら水や花や線香をあげ、父と母と兄(姉にとっては弟)に話しかける。寒い間は姉が遠出を控えるので、次に二人で一緒に来るのはまた春の彼岸以降になるだろう。見た目も雰囲気も昔とあまり変わらないと感じる姉だけれど、さすがに後期高齢者のくくりに入る年齢には逆らえず、身体機能は落ちているのだ。11歳も若い私でさえ、日々体の痛みと折り合いを付けつつ暮らすくらいだから、当然と言えば当然なのだろう。

 

最近、医科学的に「すわる」ことが健康に及ぼす害が指摘されるようになった。あまりすわり心地の良すぎる椅子は、健康のためには良くないとか。なのに、姉は30代から自宅で刺繍の教室を始め、70代の現在まで、40年和室で座って教え続けてきた。生徒の方は曜日や時間によって替わるけれど、教える方は座りっぱなし。本人は慣れてしまって苦痛にも思わず続けていたと言うが、おそらくそれが膝に負担を与えていたらしく、数年前に原因不明の膝の十字靭帯消失という事態に至った。

 

一時は歩くこともできないほどの痛みだったようだけれど、手術は怖いからと受けないで、リハビリに通い、毎日散歩に励むことで、いまでは外見上は支障なく歩けるまでになった。だが、これがきっかけで、体力面でかなり気弱になったように見受けられる。

 

私も公文の教室をしていた10年間、借りていた会場が和室だったので、長時間座っていた(途中重症の腰痛になって正座が難しくなり、自分用だけ立ち机をいれた)し、最後の職場の11年間は、デスクワークで、昼食時に立つ以外、ほとんど一日中座りっぱなしだった。最近見たテレビ番組では、30分に1回は立ち上がったほうが良いとすら言っていたくらいなのに・・・。

 

いまはそうした縛りもなく自由な無職の身なのに、相変わらず座りっぱなしの生活だ。本を読む、パソコンに向かう・・・。もっと体を動かすようにしなければと思うのだが、一人の暮らしではそれほど部屋も汚れず、また掃除したところで狭い家のこと、運動量はしれている。

 

仕事を辞めた当初は毎朝4キロほどのウオーキングもしていたし、一日のタイムテーブルなども考えて暮らすように努めていたのに、3年半余の時が経ち、随分といい加減な暮らし方になっている。夜の軽いストレッチや筋トレと火曜日のコグニサイズ以外にも、何か活動的なメニューを入れ、勉強の時間もきちんと取るように、もう一度新規まき直しをしなければ!

 

 

前回姉が来たときは、だいぶ弱ってはいたものの、まだドリームがいた。今日のように姉を出迎えて墓参に行くのに、ドリームにオムツをさせて出かけたのだった。今回、姉も玄関に入って「出迎えてくれる子がいなくなって寂しいわね」と一番に言った。

 

朝さむに急ぎ出したるセーターに猫の毛見つけ心波立つ

 

 

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昨日の「12.19戦争法廃止、改憲阻止の東三河大集会&パレード」 私は集会のみ参加

書道と寄せ書きとイタリアンのランチ【写真を追加】

金曜日、国際協力コスモス会。今週は「書道」の予定になっていたのだけれど、担当してくれる方が先週から入院してしまったため、お見舞いの寄せ書き作りをしましょうかと言っていた。

 

ところが、メンバーの一人の知り合いである若い女性宣教師さんたちが何人も参加するというので、それではその方たちにとって会ったことのない人へのお見舞い作りという訳にもいかないだろうと、急遽そのメンバーが書道を担当してくれた。

 

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今までは墨をすることから始めていたが、急なことで硯や墨をたくさん準備することができないので、今回は筆ペンを使用。

 

 

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参加者の名前を漢字の当て字で考案し、それを練習。「会土奈」はエドナさん。

 

【追加写真】

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最後は葉書に清書しました

 

 

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こちらでは入院したOさんを知っている人たちが、お見舞い用の寄せ書き作り。

 

 

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会が終わったあとは、都合のつく人でランチへ。パスタとピザに、サラダバーとフリードリンクを付けて。ピザは大きいしパスタもたっぷりで、8人で4種のパスタと4種のピザを頼み、分け合った。私はサラダバーのサラダもちょっとずつではあるけれど全種類取り、パスタもピザも8分の一ずつ全部食べた。おなかいっぱい!もう晩ご飯はいらない・・・とはならないんですよね、これが。

入院中の子供を癒やすファシリティドッグ

今朝のニュースのコーナーで、「ファシリティドッグ」を紹介していた。はて、聞いたことのない言葉だけれど・・・と画面に注目すると、病院に常駐して、入院中の人々を癒やす犬のことだそうだ。セラピードッグと違うところは、依頼のあるあちこちの施設を訪問するのではなく、決まった病院に常駐するという点だ。といっても、その病院で飼育されているのではなく、ハンドラーと暮らしていて一緒に通勤する。

 

日本にはまだ2頭しかいなくて、そのうちの1頭で日本のファシリティドッグ第一号のベイリーが紹介されていた。ベイリーは神奈川県立こども医療センターにハンドラーの森田さんと勤務している。

 

森田さんは元看護師さん。長い間病院で暮らす子供たちにはご飯とおやつくらいしか楽しみがないが、医師や看護師など医療従事者のできることには限界があると感じていた時に、このファシリティドッグの仕事の誘いを受け、「病院に犬がいたら子供達の入院生活はどれだけ変わるだろう!」と迷わずこの世界に飛び込んだそうだ。

 

ハワイにあるファシリティドッグの訓練学校に入り、そこでベイリーと出会った。何をするにもちょっとのんびりペースのベイリーが、あまり「ちゃきちゃきしているほうではない」自分と合いそうだと感じたそうだ。そうして一緒に帰国し、ベイリーは日本初のファシリティドッグになった。

 

インタビューを受けたある子は、「ベイリーがいることで、辛い治療も頑張れる」と言っていた。ベイリーに弱虫な自分を見せたくなくて、手術も嫌がらずに受けるという子もいた。痛み止めの薬の量が減った子もいるそうだ。

 

神奈川県立こども医療センターのファシリティドッグ紹介のページ。ハンドラー森田さんの文章が心を打つ。

kcmc.kanagawa-pho.jp

 

感染症を心配してか、日本ではまだ積極的にファシリティドッグを導入する機運がないそうだ。そのためもあって経済的な補助制度もなく、現在はNPO法人が取り組んでいる。初年度には1200万円、その後も年間900万円の経費がかかるという。

 

そのNPO法人シャイン・オン!キッズのサイト

シャイン・オン!キッズ - 小児がん、重い病気と闘う子どもたちと家族の支援のために

月々1000円からの支援というのもあるようだ。

 

それにしても、テレビ画面のベイリーを見ていてつくづく感心してしまった。病院に入る前に感染症予防のため全身を拭かれても、子供たちがなでても、ベイリーを枕にして寝転がっても、おっとりなされるがままにしている。手術室に入っていく子には、じっと目を合わせて見送る。犬って本当にすごい!

 

 

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猫はあまり役には立たないけど・・・、笑わせてくれるし、あったかい気持ちにしてくれますね。頭に乗っけているのは、ブラッシングで抜けたドリームの毛で作ったボール。おとぼけの表情にどんなに癒されたことか!