よんばば つれづれ

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浮き世の(憂き世の)付き合い

先日の日曜日は月に一度の老人会の例会で、火曜日は週に一度のコグニサイズの日だった。実は日曜日に、老人会の会長と出席者の一人との間でちょっとしたいさかいがあった。火曜日、会長が、足の調子が悪いので・・・とコグニサイズの欠席を伝えてきた。なんでも気を回すとか裏を考えるとかいう発想のない私は、額面通りに聞いて「お大事に」と受けた。

 

昨日の夜、会長から「実はいさかいの相手(仮にAさんとする)と顔を合わせたくなかったので休んだ。あの人は色々と問題の多い人で、あの人がいるから老人会に出たくないという人も少なくない。辞めてもらうことにするから」と電話があった。

 

今朝は、そのAさんから「話を聞いて欲しい」と電話があった。私も地域の小学校の「見守り隊」の会議の折に、上部組織の会議でAさんの子供に対する接し方のことが問題になっていることを何回か聞いていたので、「会長はその件もあってよけいにカッとしたのではないか。尾ひれや背ひれのついた噂は無視するとしても、そもそものきっかけになった行為はAさんが間違っていたのだから、まだ謝ってないのなら、会長にご迷惑を掛けましたと謝ったほうがいいのでは?」と伝えた。その上で、同じ団地で顔をつきあわせて暮らしていくのだから、今後も仲良くやっていけるようとりなしてみるので、私に時間を下さいと言って電話を切った。

 

午後、老人会のメンバー5人でこの件について話し合ったのだけれど、私以外の4人が4人とも「Aさんはこれまでも問題が多く、しかも注意しても自分は間違ってないと思っているから謝りもしないし、反省も改善も見えない。あの人がいるから例会に出たくないと何人もの人が言っている」という。みな、Aさんとは長い付き合いの人たちだ。

 

老人会は去年の秋に発足して約一年。例会の出席者が減ってきたのは、内容に新味が乏しく楽しくないのだろうかと、ここ何か月か私は頭を悩ませていた。顔を見せなくなった何人かの人が、Aさんのために不愉快な思いをしたためだと今日初めて知った。

 

なんとか穏便に元のさやに収めたいと思っていたのだが、どうやら無理なようだと分かった。Aさんが謝罪してくれればいいのだけれど、どの人の意見を聞いてもそれは考えられないことらしい。あとは「会から抜けるよう通告する」という荒療治にAさんが反省して、今までは改めなかったという態度を、会に戻るために今度こそ改める努力を見せてくれるといいのだけれど・・・。

 

 

たった三十数人の小さな老人会でも、こんな問題が出てくる。人の世の付き合いはやはりやっかいだ。でも、今日の話し合いに参加した一人の男性は、今まであまり周囲との付き合いもなく少々暗い感じの人だったそうなのだが、老人会に入ってみんなと話すようになって明るくなった、人が変わったと他の人たちに言われ、本人も「一人暮らしで心細い所もあったのが、こうして付き合ってとても心強く感じている」と言っていた。

 

どんなにお金がいっぱいあって、豪邸に住んで毎日ごちそうを食べて暮らしていても、ひとりぼっちだったら幸せではない、人はやっぱり人と付き合う中で喜びも感じるんだよねという言葉に、みな大いに頷いていた。もちろん、そう考える人ばかりではないだろうけれど・・・。

 

ほんの一年余りの活動でこれだから、今後はもっとややこしいことも出てくるかもしれない。もともとこの世は「憂き世」で、だからこそ気楽に浮かれて暮らしたいという気持ちから「浮世」となったとか。「憂きこと」を「ウキウキすること」に変じることができたら・・・。神でも魔法使いでもない身には到底無理なことだけれど、これからもなんとか周りの人たちと知恵を出し合いながら、少しでも気持ちよく暮らすことを考えていきたい。

 

 

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寄り添って・・・。

にわかDIY(おおげさか?)づいてます

私の住む団地は、昭和の終わりごろに建設されたもの。入居した当時はまだ築7、8年といったところだったが、ほかの人が使ったあとの悲しさ、台所の床や壁に焼けこげがあったり、換気扇近くの天井の油汚れがひどかったりという状況だった。

 

それから22年たち、普通の木造家屋ならとっくにリフォームの必要な年数だ。鉄筋なので、安普請とはいえ骨組みはまだしっかりしているかもしれないが、さすがにあちこち傷みが目立ってきた。放っておいてはよけいにわびしいので、気になるところから少しずつ修理をしている。

 

プロにお願いして見違えるようになったところもあるが、自分でもなんとかなりそうなちょっとしたところは、自分で挑戦してみる。思いのほかうまくいくと嬉しいけれど、かえって余計に情けなくなってしまう場合もある。

 

台所の壁にあちこち塗装が剥げた部分があって、だいぶ気になっていた。台所だけならそんなに大した金額にならないだろうから、業者に頼もうかと思ったが、失敗したら頼むという選択肢もありかなと思い、現在の色に似た塗料を買ってきて、自分で塗ってみた。全部は大変なので、とりあえず傷みの目立つ部分のみ。

 

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チェストの後ろの壁とその上の部分が塗ったところ。上のところの、火災報知器の右の方にちょっとムラが気になる部分があるけれど、まあ我慢できる範囲とする。

 

塗料も刷毛も今は100円ショップで手に入る便利さだ。ただ、いらないエプロンでもしてすれば良かったのだけれど、準備もせず思い立って急に取り掛かったため、無印のグレーのタートルネックシャツに、何か所か塗料が落ちていた。水性塗料だからすぐ洗えば落ちるかと期待して、作業を終えた後洗濯してみたが、やはり無理だった。だから材料費は安かったけれど、シャツ一枚分経費がかさんだことになる。

 

先日読んだ『くうねるところ すむところ』で「養生する」という専門用語の背景に感動したところなのに、素人はやっぱりそこを手抜きして、「養生」せずに作業してしまった。少し床にも塗料が滴ったが、これは衣類と違ってすぐ拭き取ったら取れた。

 

 

家でも人でも、きちんと手入れしていないとみすぼらしい感じになる。土台が良かったり、新しかったり(若い)すれば少々構わないでいても気にならないかも知れないが、我が家も私も、そのどちらもないので、せいぜい見苦しくならないように気を配っていかなければ・・・と思う。

でも、気を配ろうにも、視力も衰えてくるのですよね。。。

 

『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか』

先日のNHKスペシャル「マネーワールド 資本主義の未来」にも出演していらした井手英策氏が、松沢裕作氏と出された 『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか』を読んだ。この本を知ったのはSPYBOYさんのブログだったのだけれど、いつも利用する市民館にリクエストを出して待っていたこともあって、「読もう」と思ってから随分日にちが経っての読了となった。

 

SPYBOYさんのブログ

d.hatena.ne.jp

 

内容は・・・ 

Ⅰ 分断社会の原風景 「獣の世」としての日本

   明治日本 弱肉強食の獣の世  井手英策・松沢裕作

Ⅱ 分断の諸相

   労働問題の視点から  禿あや美

   住宅問題の視点から  祐成保志

   日本政治の状況    吉田 徹

   西欧の状況      古賀光生 -右翼ポピュリスト政党の台頭を通じて

   現在の日本社会    津田大介

Ⅲ 想像力を取り戻すための再定義を 井手英策・松沢裕作

 

こんな構成になっている。古賀氏の論文は少々私には難解だったが、グローバル化の進んだ現在、日本だけでなく、世界的に「獣の世」のような厳しい状況になり、あらゆるところで分断化が進んでいるということが様々なデータとともに示される。このところアメリカ大統領選の結果からも、しきりに「分断」という言葉が聞かれる。

 

では、その「分断」をなくすためにどうすれば良いのかは、同じくSPYBOYさんが紹介している井手先生のもう一冊の本『分断社会を終わらせる』を読めば分かるだろうか。

 

5氏の論文のあとの、本書のまとめともいえる「Ⅲ 想像力を取り戻すための再定義を」の最後のくだり・・・

私たちの社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、社会は人間の群れとなる。そして、そのような群れが、妬みを動機として、他者を引きずりおろし留飲を下げる人々から成り立つとき、私たちの生きる時代は「獣の世」となるだろう。分断をなくし、対立点をなくすための絶え間ない努力、それは、「人間たちの社会」をめざすための再定義でなければならない。そのためには、いま、この社会に無数に引かれ、混線してしまっている分断線を一つひとつ解きほぐしていき、私たちの何と何が共通の関心であるのかを丁寧に考えていくほかない。「分断の政治」を「共通の政治」に変えられるかどうか。それは私たちが人間らしさを回復するための条件でもある。  

という文章が胸に迫る。

 

トランプを大統領に選んだアメリカは、果たして「共通の政治」を選択したのだろうか。もし「選択」の時点では「共通」でなく「特有」の選択の結果だったとしても、トランプ氏も一流の財界人であり、アメリカという大国を率いる責任ある立場になった以上、ぜひとも「共通の政治」を目指す大統領になっていただきたいものだ。

 

 

なお、蛇足ながら「獣の世」に関連して・・・

「自然界は弱肉強食?」というYahoo知恵袋への質問に対する、素晴らしい答えがあった。ネット上で評判にもなったようなのでご存知の方もいらっしゃるかもしれないけれど、獣たちの名誉のためにも、ここに紹介したい。

弱者を抹殺する。不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂けれ... - Yahoo!知恵袋

 

 

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今日ご近所さんにいただいたピーマン。野菜が高騰している折、助かります。

こんな歴史的な日に軽い話題

さてさて、これから世界はどうなっていくのだろう。

こちらを見てもあちらを見ても、品性の感じられないお顔ばかりが映し出されることになり、ますますニュースを見るのが憂鬱になりそうだ。

 

こんな歴史的な日だけれど、アメリカ大統領が世界に及ぼす影響予測は専門家の方たちに任せ、私はごくプライベートな記事を・・・。

 

いろいろな方のブログを読んで、教えていただくことが多いし、また励まされたり、刺激をいただいたりもしている。ほぼ同世代の方が多いけれど、自分の子供よりはるかに若い方たちの、柔らかな感性のブログに教えられることも少なくない。

 

そんな方の一人であるナナホシさんのブログで、ETVOSというファンデーションを知った。なんと、石けんで落せるのだそうだ。

 

totokamomepan.hatenablog.com

 

会社勤めを辞めた現在は、外出する日も化粧直しは口紅を直す程度なので、このメイクパレットづくりは必要ないけれど、石けんで落とせるファンデーションの存在は全く知らなかったので、衝撃を受けた。

 

若い頃は、人並みに化粧品メーカーが出す新作などに関心もあったが、60代も半ばの今はいつも利用するスーパーマーケットの化粧品売り場の、さらにお手頃価格帯の商品の棚から選ぶだけで、新しい情報とは遠い所にいる。

 

でも、以前書いたようにシャンプーを石けんのものに替えてから、髪の状態が明らかに界面活性剤を使ったものと違うことを実感するので、できれば洗顔も石けんにしたい気持ちはあった。

 

ところが面倒くさがりの私はダブル洗顔(男性は「なんのこっちゃ」ですよね。クレンジングクリームでメイクを落としてから、洗顔すること)が嫌で、メイク落としと洗顔が一度にできるタイプの洗顔フォームを使う。すると必然的に石けん洗顔は無理だと思い込んでいた。まさか石けんで落ちるファンデーションがあったとは!

 

ちょうど今まで使っていたものが終わりそうだったので、早速ナナホシさんの選択したETVOSのものを買ってみた。

 

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とりあえずスターターキットを注文。きれいにつく、薄付きなのにちゃんと今までと同じ程度のメイクができる、くずれにくい、ブラシの使い心地も良好・・・と、とても気に入ったので、次は本格的なものにする予定だ。

 

でも、肝心な石けん洗顔はまだ実験していない。洗顔フォームはまだ当分終わりそうになく、すでに石けんの洗顔料は購入済みなのだけれど、封を切ってから日にちを置くのも良くないかと思い、実験していない。安い洗顔フォームなので、残っているまま捨ててもいいようなものなのだが、貧乏性でできない。

 

 

ナナホシさんのブログから、いつも、シンプルにスッキリ気持ちよく暮らすためのヒントや刺激をいただいている。衣類については、ナナホシさんの境地は私にとってまだ地平の果てくらい遠い。あと10年後あたりには、せめて何十キロくらいの間合いに詰めていたいとは思うけれど・・・。

 

 

久々のファミリーサポート、未満児クラス

先週ファミリーサポートセンターから電話があり、急だけれども・・・と久しぶりの託児スタッフの依頼があった。それというのも、前回依頼があった時、あいにく私の腰の調子が少々悪く、赤ちゃんを抱っこしたりはできそうもなかったのでお断りしたのだ。

 

センターのスタッフはそのことをちゃんと覚えていてくださって、腰の調子はもう大丈夫ですかと聞かれてしまった。もしそれで託児の依頼をやめていたのなら、「直りました、いつでもOKです!」と連絡すれば良かった・・・。もともとそれほど頻繁に依頼がある訳ではなかったので、しばらく連絡がなくてもなんとも思わないでいた。

 

さて、今日の担当は嬉しい未満児クラス。ママと別れて大泣きする子もいて大変だけれど、なんといってもあの赤ちゃん特有のムチムチやプニプニの「幸せな感触」を抱っこできる。17人の申し込みがあって、スタッフは8人集められていたが、5人が欠席ということで12人だったため、非常に余裕のある託児体制だった。

 

ゼロ歳児や1歳児は比較的大丈夫だったけれど、2歳児はママとの別れに泣く子が多く、一人の男の子は2時間ほとんど泣いていた。やっと終わりごろスタッフの膝に抱かれながらも、少しずつ周囲のおもちゃに手を出して遊び始めたが、すぐにお迎えの時間が来てしまった。次の機会にはもう少し早く慣れてくれるかな。

 

もう一人2歳の女の子がママとの別れに大泣きで全く泣き止む気配がなかったのだけれど、お母さんが記入していらしたお子さんについてのシートに、「絵本が好きです」とあったので、担当していたスタッフが「絵本読もうか」と本の所に連れていくと、泣きながらも絵本を選び、読み始めるとすぐお話に引き込まれ泣き止んでしまった。それからはずっとスタッフやほかの子供たちと機嫌よく遊ぶことができた。体のことはもちろんだけれど、こうした嗜好などの情報もやはり有益なものだと痛感した。

 

12時で講習の終わったママたちがお迎えに来て、赤ちゃんたちとの楽しい時間もあっという間に終了。スタッフの私たちは、ちょっと豪華なランチ分くらいの謝礼をいただいて解散。火曜日の今日は、午後コグニサイズの運動の日なので急いで帰らなければならない。サポートセンターのある社会福祉協議会の建物「あいトピア」の1階のレストランで、いちばん早そうなビーフカレーのお昼を食べて帰宅した。

 

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カフェランチ長居の新記録樹立とトイレの模様替え

昨日の日曜日、久しぶりに元の職場時代の若い友人2人とランチを共にした。十指に余る私の職場遍歴のなかの最後の職場で出会った、ちょうど私の息子たちと同じ年代の女性たちだ。一人はまだ新婚さんの時に入り、2人のお子さんの出産時の中断をはさみながらも、10年ちかく共に働いた。もう一人は3人目のお子さんが3年保育に入るときに入社し、私が退職したあと正社員になって、なかなか引き継ぎ手のなかった経理をしてくれている。

 

私が在職した頃は幼児だった子も小学校3年生になり、今回のランチ会も初めはママと一緒に来ると言っていた子たちが、結局従妹さんたちと遊ぶ方を選んだそうでついて来なかった。そういう選択をするほど大きくなったのだなあと、小さい頃を結構見ているだけになんだか感慨深かった。

 

場所はこのブログで2度ほど紹介した、お店の中をのぞいている可愛い天使のいるカフェを選んだ。今まではケーキとコーヒーばかりで、ランチは初めてだったけれど、スペシャルランチという名前を裏切らない内容だった。

 

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お店のフェイスブックページから。ちょうど昨日もこれに似た献立だった。

 

でも「スペシャル」とはいえ、注文したのはこれだけ、ケーキはおろか飲み物の追加もせず、ひたすらしゃべり続け・・・なんと、4時半過ぎまで!

ノードさん、ごめんなさい。

でも、嫌な顔一つせず、対応してくださってありがとう。

素敵な若いご夫婦のお店を私は心から応援します!

昨日はご実家に預けているとのことで赤ちゃんには会えませんでした。

 

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木彫りの天使のいる店「カフェ&ガトー ノード」。

自転車は友人の一人が乗ってきたもの。お店の雰囲気にピッタリ。

 

 

そうして今日は、午後にあった地域の子供見守り隊の会議をはさんで、午前も午後もトイレの模様替えに熱中した。途中、リメイクシートとフェイクグリーンが足りなくなって、100円ショップを都合3往復した(計画性なさ過ぎ)。何年も前から温めていた、目障りな排水パイプ(安普請の集合住宅の悲しさ、露出しているのだ。今まではカーテンで見えないように工夫していた)を樹木に変身させるアイデアをとうとう実行した。ちょっとグッタリだけれど、出来栄えはまあまあ満足。

 

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右側の木の幹が排水パイプ。葉っぱがまだちょっと足りないけれど、今日お店にある分すべて買い占めたので、新たに入荷しないと買い足せない・・・。

 

自分で家を建てれば、初めからプロに思い通りに作ってもらうこともできるが、安い賃貸住宅ではまるで理想とは遠い。でも私は悪条件の中で、知恵を働かせ工夫して居心地の良い家にするのが結構好きだ。根っからの貧乏性だ。でも持っている物が少ないというのは、精神が解放されてとてもいい、と思っている。

こうして冤罪は作られる『死亡推定時刻』朔立木著 【追記あり】

ゑぽむさん(id:EPOM)が薦めていらした、朔立木さんの作品を読んだ。この方は 性別を含めほとんどプロフィールが明かされていないらしいが、実は現役の法律家で、業界では知る人ぞ知る人物なのだとか。そんなミステリアスさも興味を引く。

 

なり上がりの資産家の娘である女子中学生が誘拐され、一億円の身代金要求が来る。警察は偽札を準備しようとするが、被害者の母親の懇願で、父親は現金を用意し受け渡し場所で渡そうとするが、犯人を逮捕できない状況のため警察に阻まれる。

 

女子中学生は遺体で発見され、警察関係にも闇の金を流している資産家は、身代金受け渡し失敗後の殺害であれば、これまでの自分と警察の癒着を公表すると幹部を脅す。収賄が公になっては困るため、幹部は死亡推定時刻の変更を鑑識や解剖医に指示し、事件の様相はだんだん歪んでいく。

 

そうしたなか、ひとりの若者が逮捕される。山中の遺体近くにあったカバンから金を盗み、前科があるため指紋によって割り出されたためだが、取り調べ刑事の誤った確信から、誘拐殺人の犯人と見なされ、起訴されてしまう。

 

父親は酒浸り、一人農業で家計を支える母親は無知なために、息子の以前の罪で世話になった弁護士しか知らず、殺人という重罪であるにもかかわらず、その誠意のかけらもない弁護士に息子の弁護を依頼してしまう。

 

強権による強引な取り調べ。気が弱く無知で自堕落な青年と、同じく無知で経済力もない母親は、冤罪の蟻地獄に落ちていく。

 

青年を誘拐殺人犯と思い込む刑事も、彼を犯人に仕立て上げてやろうと思っている訳ではなく、仕事熱心であり、悪を憎む強い気持ちの持ち主でもある。検事にしても裁判官にしても、極力仕事を効率的にさばこうという熱意には燃えている。弁護士は、どうしようもないいい加減さだけれど、母親は正規の料金も支払えない貧しさでもあって報酬なりの対応であり、現実にはこうした手合いも少なくないのだろうと思われる。

 

 

ああ、こうして冤罪は生み出されるのだなと、とてもリアルに感じられた。昨年見た、狭山事件の石川被告とその妻の日常を追ったドキュメンタリー『みえない手錠をはずすまで』がしきりと思い出された。

 

取り調べの可視化を進めることはもちろんだけれど、やはり自白よりも証拠などの物証をきちんと積み上げることが大切だろう。科学の目覚ましい進歩で、少し前にはできなかったような調査や分析ができるようになったのだから、そうした捜査に比重を置くべきだろう。

 

いつか私にも裁判員の通知が来るかもしれない。人を裁くということを考えると、その責任の重さにあらためて足がすくむような気がする。そうした仕事に日々携わる裁判官も、おそらく初めの頃にはそのような気持ちがあっただろう。何度も何度も繰り返すうちに、その厳粛な思いが薄れていくということはないだろうか。人の人生を左右する判断をするという重責を再確認して、やはり「疑わしきは被告人の利益に」という基本を思い出してほしいと思う。

 

現代は、この作品に出てくるほどの荒っぽい捜査はなされていないと信じたいが、実際に法律の世界で仕事をしている著者が、たった10年ほど前にこの作品を書いていることの意味も考えたい。

 

 

【追記】

9時からドラマを見ようと焦ってアップしたので、魅力的で大切な登場人物のことを書き忘れてしまった。この不幸な青年を救うべく、控訴審で採算度外視で奮闘する若き弁護士川井倫明!この愛すべき弁護士の前途に、幸多かれと祈らずにはいられない。

 

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