よんばば つれづれ

現在はこちらで書いてます https://hikikomoriobaba.hatenadiary.com/

はてなのお題「5つの質問」に答えてみた

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

 

はてなブログも5周年なんですね。私がはてなで書き始めてからもちょうど5年過ぎたところです。初めは「ダイアリー」の方で書いていたので、「はてなブログ」歴はもう少し短いのですが・・・。自分の5年を振り返る意味も込めて、この質問に答えてみようと思います。

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

以前はヤフーブログで書いていました。でもビジュアルが賑やかすぎて好きになれませんでした。そんなある日、新聞社のサイトの記事で「ちきりん」さんと出会い(当初は男性と思って読んでいた)面白くてそこに掲載された全記事を読んでしまい、もっと読みたくて元サイトを訪ねました。

 

そうしたら、なんということでしょう・・・(ビフォーアフター風に)。実にスッキリとしたサイトで、ちきりんさんの記事とともにその簡潔なビジュアルにも魅了されました。それが「はてな」のサイトとの出合いでした。何年かはてなダイアリーで書いていて、途中からブログの方に引っ越しました。

 

2.ブログ名の由来を教えて!

はてなダイアリーを始めた当時は、94歳の私の母(すでにこの時グループホームに入ってはいましたが)と、年寄り猫2匹と、還暦を迎えた私の4人家族で、お婆さんばかり4人(正確には2人と2匹)だったので「よんばば」、その日常を綴るので「よんばばつれづれ」としました。「さんばば」までは競合相手が多いのですが、さすがに「よんばば」となると検索してもあまり競合することもなく、いいネーミングだったと思っています。

 

3.自分のブログで一番オススメの記事

得意な分野も芸術文化に対する繊細な感受性も持ち合わせない私なので、あまり自慢できる記事もありませんが、ことばについてだけはいくぶんうるさいほうかなと思います。そんな訳で「ことば」カテゴリは否定的な記事が多いのですが、本当は素敵なお手本となる話し手に飢えているのです。近頃はめったに出会えませんが、まれにみる貴重な気持ちの良い日本語を聞いた日の記事。

yonnbaba.hatenablog.com

そういえば、『徹子の部屋』も昔の映像が流れると、黒柳さんの話し方がとってもきれいで感激します。

 

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

はてなのシンプルな画面に惹かれて、ただそれだけで始めたのですが、素敵なブログ仲間にたくさん出会えたのは予想外の収穫でした。

 

5.はてなブログに一言

時々新しい機能の追加を知らせるメールが届きますが、私はあまり高度な使い方を必要としないので、新しいもの、高度なものを追い求めるより、基本的な機能を充実させることを大切にしていただきたいと思います。文章の入力が長くなるとだんだん重くなってきてタイピングに画面が追い付かなくなったり、長いコメントをいれた時に、アップに異常に時間がかかって、あげく消えてしまったりすると、ほんとうにガッカリします。

 

 

おまけ

5年前のスタート時の記事

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

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「住み開き よんばばんち」第3回終了

 

10月の最終日曜日。「よんばばんち」を開いた。2、3人は来てくれるかなと思っていたら、5人も来てくれた。男性1人、女性が私を入れて5人だった。「天皇陛下と同い年」と仰る大先輩(自転車でいらっしゃる)がお一人、あとは全員60代、と思う。

 

今回は「300円内で、持ち寄りティータイム」という企画にしたので、ひそかに、どんな手作りおやつが?と楽しみにしていたのだけれど、残念ながら周知徹底が足りなかったと見え、半分の方は知らずにいらしたため、ちょっとテーブルは寂しい。

 

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私が準備したのは、だいぶ前にこのブログで紹介したことのある、当地のおやつ「鬼まんじゅう」(写真いちばん奥)。残念なことに素材のサツマイモの味が良くなくて、いま一つの出来だった。飲み物は緑茶とコーヒー、カモミールティーを準備。

 

 

以前の鬼まんじゅうの記事(キャッ、3年前だった!)。

yonnbaba.hatenablog.com 

 

おしゃべりの方は特にテーマを決めていなかったのだけれど、昨日のハロウィンパレードのことや来月の市長選のこと、原発日本会議からネットの利用の仕方まで活発にどんどん話が出て、それぞれ有意義な時間が過ごせたようだった。

 

とりわけ82歳の大先輩は、女性ながら若かりし日はかなりの活動家だった方で、砂川事件の現場にいたとお話しになり、参加者一同、歴史上の事件の体験談が聞けるなんてと興奮した。以前は駅前のスタンディングにも熱心に参加していらしたが、ご主人が体調を崩されてから介護であまり家が空けられなくなってしまった。私の家は自転車で来れる近さだからと喜んで、前回から参加してくださっている。

 

今回もうちうちのメンバーばかりだったのは少々残念だが、気長に続けていけば、そのうち少しずつ広がっていくだろうと、希望を繋ぐことにする。

 

 

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昨日のパレードの朝日新聞の記事。去年と同じく地元紙にも掲載されたが、珍しく朝日新聞が地方版に掲載してくれた。

 

 

市民大学とハロウィンパレードの土曜日【写真を追加】

帰宅して、締めのお茶漬けを食べた。おいしかった。いい気分だった。家族以外の人と外でお酒を飲んだのはいつ以来だろう。少なくとも、何年ぶり、という単位だ。初めはお酒など飲む気はなく、抹茶クリームあんみつを頼んだのだけれど・・・。

 

今日も市民大学は前回に引き続き中世の三河の国。講師は違う方だけれど、内容は幾分重複する部分もあった。1時間半の講義では教えてくださる先生も物足りないようで、すこぶる早口、かつ駆け足で、またしてもあっという間の、知的好奇心の満たされる心地よい時間だった。

 

受講のあと、また愛知大学前から電車に乗って豊橋駅へ。午後は豊橋スタンディングプラス(サイレントスタンディング以外にもいろいろな活動をするという意味を込めて、9月から改名した)主催のハロウィン集会&パレードがある。

 

昼食をとったあと、駅のトイレで魔女の扮装をしようと思ったけれど、そこから集合場所までがやっぱり恥ずかしいのでやめて、駅前デッキまで行って何人かの仲間が来てから帽子とマントを付けた。子供たちに渡す風船を膨らませたり、司会の段取りを打ち合わせたりといった準備をして、人の集まりと開始時刻を待った。

 

心配していた雨は免れたが、風が強く、帽子が飛ばされたり、風船をたくさん持っているとかなりの抵抗を受けたりした。それでも、雨ならチンドン屋さんもバンドの演奏も中止せざるを得なかったのだから、とにかく雨が降らなかったのは幸いだった。

 

去年より大分参加者が少なくなった(これも反省点、なぜ減ったのか?)のが残念だったが、音楽集会での、おやじバンドの斉藤和義原発の替え歌がとても良かった。でも、パレード終了後の打ち上げで、今日のイベントはハロウィンにちなんだイベントとしては、政治色が強すぎた、原発の歌はまずいという意見もあった。一般の人を巻き込むためには、もっともっと敷居を低くする必要があると言うのだが、一方で、それでは今日のイベントの趣旨がボンヤリし過ぎるという意見もあった。

 

あちこちの団体にも呼び掛けたのだけれど、ハロウィンに近い週末ということもあってか、今日はいろいろなイベントがひしめいていて断られたところが多く、音楽集会の時で50人、パレードは40人といったところだった。それでも開催の記事も先週地元紙に掲載されたし、今日も新聞2社が取材に来ていた。

 

4時半からの打ち上げには11人が参加し、前掲のような反省点も出たが、今後に向けて活発な意見のやり取りもでき、お酒が回るほどに盛り上がった。何だか楽しくて、途中から私も焼酎の水割りを相伴してしまった。で、何年振りかの外でのお酒と相成った次第。

 

 

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打上げのあと男性陣はさらにカラオケに行くと言っていたからか、まだフェイスブックに写真担当者から今日の写真のアップがありません。そんなわけで去年の新聞に掲載された写真を・・・。

 

今年の写真を追加しま~す。

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こういう選択肢もあったのか『くうねるところ すむところ』平安寿子著

落語の話ではない。ちょっとだけ隠し味にはなっているけど。

 

職場の上司との不倫に疲れ、仕事もうまくいかず、30歳にして人生どん詰まりの梨央は弱小就職情報誌の副編集長。やけ酒で酔っ払って建築現場の足場によじ登ったはいいが、気が付けば足がすくんで下りられない。携帯電話は地上に放りだしたバッグの中。

 

そんな危機的状況になぜか現れ、戦隊もののヒーローのように颯爽と梨央を救い出したのは、その足場を組んだとび職の男だった。一目惚れしたそのとびを追いかけて飛び込んだ工務店では、社長だった亭主に逃げられ、急に工務店を切り盛りしなければならなくなった女社長がぶち切れ寸前だった。

 

こうして思いがけなく建築の仕事に関わるようになった二人の女性を軸に、家を建てるという仕事の周辺がこまやかに描かれていく。家を建てるという、普通の人間にとっては生涯の大事業ともいえることが、案外知られていなかったということに改めて気付いた。

 

私が特別マイホームと距離のある人間だから知らずに来たのかも知れないが、完成してしまった家を売り買いする話は目にしても、更地に足場が組まれ骨組みができて建物が出来上がるまでの、とりわけ建築に関わる側の様々な事情や思いは、あまり知られてはいない。

 

私たちが建築の作り手側を意識するのは、欠陥住宅とか手抜き工事とか、とかく悪いことが表面化してニュースになった時であることが多い。刑事ドラマや医療ドラマが増えて警察不信、医療不信が肥大したように、建築についても疑う気持ちを抱きがちだ。衣料品のようにひっくり返して裏を確かめたりもできず、出来上がってしまえば中がどのようになっているか分からないだけに疑心も膨らむ。

 

でも、この本に出てくる職人さんは、自分の仕事に愛情や誇りを持っていて、出来上がった建物は子供のように思えると言う。考えてみればもっともなことだ。どの世界にも時に不心得者はいるものだが、本来たいていの人は、自分の仕事に対して良い結果になるようできるだけの努力をするものだろう。まして職人と言われるような仕事であればなお・・・。

 

建設業を取り巻く時代的な困難も描かれているが、「家を作る」という仕事の素晴らしさが登場人物の口を通していきいきと伝わってきた。そもそも土地は地球のものであって、個人で所有を主張し合うなんて・・・と思ってきたけれど、こんなにもいろいろな職種の人が、それぞれ思いを込めて仕事をした結晶である家というのも、素晴らしいかもしれないという気分にさせてくれた。

 

改築で古い壁の一部に穴をあけるとき、職人たちは壁をノックして、その音で内部に壊してはいけないものがあるかどうか判断する。そしてそこに何かが存在すると、そのとき職人たちは「ある」ではなく「いる」と言うのだそうだ。主人公梨央は、建物を構成する材のひとつひとつを生き物ととらえる現場の感受性をそこに見、「養生する」という職人の言葉に納得する。現場の床や壁や家具を傷つけないようにカバーをかけることを「養生する」というのだ。

 

地鎮祭上棟式の場面も出てくるが、そこでも、人間の勝手で土地を掘り返し、山から切り倒してきた木を使い、気候のご機嫌をうかがい、土と空気と直に触れて働く人たちの謙虚な思いが込められていることを知る。梨央が一目ぼれしたとび職の徹男から地下足袋をプレゼントされ、それを履いて徹男の組んだ足場にあがる上棟式のシーンは読んでいる私の胸も震えた。

 

徹男は最初の結婚に懲りてかなり深い傷を負っており、梨央の思いはなかなか受け入れてもらえないのだが・・・。この30女とバツイチ男の不器用な恋模様もなかなか良い。

 

もちろん現実は小説とは違うだろうけれど、著者はかなり参考文献を読み、実際に建設現場で働く人たちの協力も得て書いたようなので、こうした魅力的な仕事の現場もあることだろう。市民館の図書室に「意外と面白い仕事の現場」のようなコーナーが作られていて、その中の一冊である本書に目が留まって手に取った。全く知らない著者だったのだが、昭和28年生まれという、同世代の方だった。何年か前にドラマ化もされているらしい。

 

女性だってこういう仕事の分野があるんだ!と思ったが、いまにAIが設計して、部材はほとんど工場で作られ、現場での組み立てもロボットが行う・・・という時代になってしまうのだろうか。欠陥住宅もなくなるかも知れないが、徹男のような魅力的なとび職も必要としなくなるのだとしたら、なんだか味気なく、寂しい気もする。

 

 

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ネットとリアル、うまく使って「人の繋がり」を武器に

昨日の朝、いつものスタンディングの時刻に駅前でボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌う企画があるという連絡が入った。このところすっかりスタンディングはご無沙汰で、昨日も朝の時点では「頑張ってください」とひとごとのような返信をしておいた。

 

活動量が少なすぎるせいか、近頃寝つきが悪い。昨日も何もしていなかったので、夕方ウオーキングでもしなくちゃと思い、それならいっそディランを歌いに行こうかと考えて、片道歩いて久々のスタンディング参加となった。

 

駅前デッキに到着すると、すでにギターがひとりと3人の仲間が歌っていた。早速私も「権力者が得するのが戦争 庶民が得するのは平和」と書いたプラカードを掲げながら加わった。英語や日本語訳の歌詞などで『風に吹かれて』のほかにPPMの曲なども入れて、6時半まで歌って解散した。

 

帰りにスタンディングの言いだしっぺと、「この頃顔を合わせることが少なくなっている人がいるけど、やっぱり実際に顔を合わせて言葉を交わすことが大切だよね。一人だけだと無力感を感じたりしやすいし・・・」という話をした。

 

夜、その言いだしっぺから電話があり、「明日一緒にランチをしないか」という提案だった。急遽、我が家の近くのレストランで、この近辺のメンバーで都合のつく何人かが集まることになった。

 

そんな訳で、今日、レストランからコグニサイズに直行できるように支度を整えて出かけ、言いだしっぺプラス4人の熟女でランチミーティング。話は多岐にわたり、悲観的な話題も出たが、家で一人悶々としているのと違って、やはり仲間で話すと考えが建設的な方向へいく。

 

参加したメンバーに、親の家が空き家になっている人がいて、そこを有効活用して学校に行けない子や養護施設を出た18歳の子を支えるための施設にできないかという話になった。以前から、言いだしっぺと貧困の子供や不登校の子のために何かしたいという話はしていたので、そういう場所があるなら何とか具体的に考えていきたいねと意見が一致したところで時間が来た。

 

世界的規模で大規模な価値観や制度の変化がない限り、これからますます余裕のない社会になっていくであろうから、時間的にも経済的にも恵まれている団塊世代年金生活者は、少しずつ社会を支えるマンパワーになる必要と責任がある。

 

「住み開き」(参考:「住み開き」企画第一回開催 - よんばば つれづれ)を企画しても仲間内の参加者ばかりで外に広がらないし、ベテランの活動団体の主催する集会&パレードは雰囲気にどうも馴染めないし、私にできることなんて結局ないんじゃないか・・・と、ともすると後ろ向きになりがちだった。今日の話の中では来年早々にもあるかも知れない衆院選対策の名案は見つからなかったが、確かにこうして仲間と顔を合わせて話せば元気が出る。

 

名古屋方面のママの会の人たちは、情報交換はほとんどフェイスブック上で行い、イベントの時にしか顔を合わさないようだ。この地域のママの会でも、比較的若い人たちは盛んにフェイスブックのチャットでやり取りしている。仕事を持っている人たちはなかなかスケジュールの調整がつかなくて、顔を合わせるのが難しいということもあるのかもしれない。

 

自民党の代議士が「選挙は選挙戦が始まった時には終わっている。それまでの日常で、どれだけ冠婚葬祭などの付き合いをマメにしているか等で決まってしまっている」と話したという。つまりそれも人と人の繋がりで、それを金で作るか心で作るかの違いなのだと思う。

 

お金も組織もない私たちだけれど、さいわいリタイア世代は時間があるのだから、なるべく顔を合わせて人と繋がる努力を怠らないようにしなければと思った。日々苦しくなるようなニュースばかり入ってきて、今日も「いっそ出家してしまいたいと思う時もある」と言ったメンバーがいたが、情報化の現代、どこに逃げても社会と全く無縁で生きることは難しいし、知ってしまえば、自分の幸せの中だけで安穏としていることはできない。

 

ならばやはり、何かしら自分にできることを見つけ、仲間と協力し励まし合い、ときに落ち込みながらも諦めず、コツコツつながる努力をしていくしかない。「ネットは怖いから使わない」と言うメンバーもいたが、使い方次第だと思うと、私はブログでの体験を話した。不用意なタイトルにして不快な書き込みをもらったこともまれにあったが、私はここで素晴らしい仲間と繋がることができている。落ち込んだ時に励ましていただいたりするし、他の地域の活動を知って勇気づけられることも多い。

 

リアルの世界とネットの世界。どちらも避けて生きていくことはもうできない。今までも動力の発明や電気の発明を使いこなしてきたように、インターネットも人間の知恵でうまく使いこなしていくしかない。遠く離れた人とお金を掛けずに繋がれるという点では、インターネットは素晴らしい手段だ。

 

 

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猫だってつながるんだから・・・。  (ネットから拝借)

 

 

 

 

誠実に生きる『二人静』盛田隆二著

沈まぬ太陽』に続いて、またまた分厚い上下二巻本の『女系家族』を読んだ。同じく山崎豊子さんの作品で、大阪の老舗木綿問屋を舞台に、遺産相続をめぐって、相続人の三姉妹に妾や大番頭や周辺の人物がからむ、欲得の渦巻く物語だ。

 

そんな金や権力の亡者たちの物語が続いて少々疲れた心が、この『二人静』を読んだらスッキリ洗濯されて真っ白に洗い上がったような気分になった。

 

主人公町田周吾は食品会社に勤める32歳。看護師だった母がパーキンソン病であっけなく亡くなってしまうと、それまでお茶一杯すら自分でいれたことのない亭主関白だった父恭三は、生きる気力を失ったように無気力な日々を送るようになり、71歳にして認知症の症状がみられるようになる。

 

間もなく恭三は周吾が仕事に出た後一人で家におくことに危険を感じさせるまでになり、施設に入れざるを得なくなる。何百人もの待機者のいる長期受け入れ施設には入れず、とりあえず老健施設に入所する。そこで父の担当になるのが、夫の暴力から逃れひとりで小学4年の娘を育てる乾あかりだった。あかりは質素な感じの女性なのだが、娘は驚くほどの美少女。けれどもその少女は場面緘黙症という障碍を抱えていた。

 

実は周吾も10年ほど前初めての恋で手ひどい痛手を受けており、もう生涯女性を愛することなどできないという思いを抱えている。子供の頃は吃音で苦しんだ経験もあり、会社の商品企画部で、ある程度将来に希望が持てる立場になった今も、人との付き合いはあまり得意ではない。

 

こんな、自分の思いを伝えることより先に相手の気持ちのほうを心配してしまうような不器用な登場人物たちの、悩みの多い日々を丁寧に描いた物語だ。

 

著者は私と大して違わない年齢なのに、物語の瑞々しさに驚く。「本が好き!」に連載されたのは7~8年前のようなので、執筆当時はまだ50代だったわけだが、それにしても主人公のあかりに対する思いは、初恋の少年のようで微笑ましく、読み手は全力で応援したくなってしまう。

 

今まで読んでいた小説の世界には利己的な人物ばかりだったけれど、この物語の登場人物たちは、だれもが心に傷や悩みを持ち弱い。でも、自分の大切な存在を守るためにはしなやかに強くなる。著者はそんな人々を優しく見守り、万々歳!ではないけれど、希望の感じられる終わり方にしている。

 

 

昨日のNHKスペシャル『マネーワールド資本主義の未来』ではこれからの可能性として「共有型資本主義」と「共感」という言葉を上げていた。そうして番組は、アメリカの大富豪スタンリー・ハバードが自身の豪華ヨットの上で周りのヨットを見て言った、「いろんなヨットがあるね。小さなものもあれば中くらいのもある。でもみんな私と同じように楽しそうだ。いやもしかしたら私より楽しいかもしれない・・・」という言葉で締めくくられた。

 

私には『沈まぬ太陽』や『女系家族』に登場した権力者や大金持ちたちは少しも幸せそうに見えなかったが、この『二人静』の人物たちは権力もお金も大してないし、決して楽ではない生き方を選ぶ人たちなのだけれど、かけがえのない幸せを見つけているように感じた。

 

 

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ちょっと残念だったのが、明らかに格助詞の抜けている箇所が複数あり、また同じ見開きの右側のページでは「非難」なのに、左側では「批難」になっているのが見られた。離れていれば気にもならなかったのだろうが・・・。いま「校正」を扱ったドラマが話題になっているようだが、やはりベテランの校正者は足りていないのかな?

駅伝はキムタクだった?

土曜日。愛知大学連携講座市民大学の第二回目の日だった。今日のテーマは「古代の三河国東海道」ということで、律令国家の成り立ちと当時のこの地方の様子などについて教えていただいた。面白くて1時間半では物足りないくらいだった。

 

701年に律ができ、702年に令ができて、702年律令国家が成立したのだそうだが、それからなんと1970年代くらいまで、なごりや影響が残ったというのだから、すごいシステムを創りだしたものだ。

 

特に興味深かったのは、東海道が、7世紀頃には都から三重県の志摩のあたりまで来て、そこから海路で渥美半島を経由して東に向かう、まさに東海道は東「海道」、海を使う道だったということだ。7世紀の人たちが、現代のフェリーと同じ経路を利用していたというのが面白い。そんな訳で、その頃は名古屋(尾張)は東海道でなく東山道に入っていたとか。

 

便利だからといって片方の街道ばかりが利用されると、利用されない街道筋の方から不平が出るため、目的地によって使う道が決められていたというのも、千何百年前の昔から人の気持ちは同じなのだなと、なんだか奈良時代の人々が急に身近に感じられる気がした。この決まりから考えると、蝦夷の征伐に行った坂上田村麻呂東山道を通って行ったと考えられるとか。

 

いまやお正月の風物詩ともなっている駅伝だけれど、この言葉も実はこの頃にルーツがあるのだそうだ。中央と地方の連絡のために郡ごとに「伝」が置かれ、さらに細かく駅が置かれ、それぞれに準備しておく馬の数も決められていた。それが駅制、伝制でありそこに置かれていた馬が駅馬、伝馬であり、のちに両方合わせて「駅伝」と言われるようになったのだそうだ。「駅制伝制」あるいは「駅馬伝馬」を省略して「駅伝」、つまり「キムタク」のような成り立ちの言葉だったのだ。

 

資料の中に、三河国に置かれた郡として、「額田郡」「賀茂郡」「幡豆郡」「宝飯郡」などの名称が見られ、これらの地名はわりと最近まで残っていたのだけれど、平成の大合併でだいぶ消えてしまった。歴史や古文書の中にある地名が消え、やがてそこに暮らす人々の記憶からも忘れ去られていくのはやはり残念に思う。これから過疎化がさらに進めば、行政を合理化するために合併は避けられないことかもしれないが、なるべく歴史を伝える古い名称を大切にする工夫をしてほしい。

 

楽しいあっという間の古代史の講義を終えたあと、今日は2時からスタンディングのミーティングがあるので、そのまま愛知大学前駅から電車に乗り、駅ビルでゆっくりランチと食後のデザートやお茶を楽しんでミーティングに参加。このところ週いちのスタンディングも月いちの19日の集会&パレードにも参加していないため、久しぶりに会う仲間たちだった。

 

今日の主な議題は今月29日のハロウィンパレード。これは19日のパレード(こちらは長年の活動団体が主体)と違ってスタンディングのグループ独自でするので、政党ののぼり旗や勇ましいコールもなしで、明るく楽しい雰囲気の企画だ。メインは去年のハロウィンパレードにもお願いしたチンドン屋さん。反戦とか憲法とかは前面に出さず、自分の頭で考え、平和な社会を繋いでいこうと訴える、誰でも気軽に飛び入り参加できるパレードを目指す。

 

 

朝10時に家を出て、帰りに少し食料品など買い物をして帰宅すると5時半ころだった。何の心配もなくこれだけ家を空けられる寂しさ・・・。面倒を見る相手がいないのは気楽で自由だけれど・・・。

 

 

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キャンパス内の立て看板。