よんばば つれづれ

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こういう選択肢もあったのか『くうねるところ すむところ』平安寿子著

落語の話ではない。ちょっとだけ隠し味にはなっているけど。

 

職場の上司との不倫に疲れ、仕事もうまくいかず、30歳にして人生どん詰まりの梨央は弱小就職情報誌の副編集長。やけ酒で酔っ払って建築現場の足場によじ登ったはいいが、気が付けば足がすくんで下りられない。携帯電話は地上に放りだしたバッグの中。

 

そんな危機的状況になぜか現れ、戦隊もののヒーローのように颯爽と梨央を救い出したのは、その足場を組んだとび職の男だった。一目惚れしたそのとびを追いかけて飛び込んだ工務店では、社長だった亭主に逃げられ、急に工務店を切り盛りしなければならなくなった女社長がぶち切れ寸前だった。

 

こうして思いがけなく建築の仕事に関わるようになった二人の女性を軸に、家を建てるという仕事の周辺がこまやかに描かれていく。家を建てるという、普通の人間にとっては生涯の大事業ともいえることが、案外知られていなかったということに改めて気付いた。

 

私が特別マイホームと距離のある人間だから知らずに来たのかも知れないが、完成してしまった家を売り買いする話は目にしても、更地に足場が組まれ骨組みができて建物が出来上がるまでの、とりわけ建築に関わる側の様々な事情や思いは、あまり知られてはいない。

 

私たちが建築の作り手側を意識するのは、欠陥住宅とか手抜き工事とか、とかく悪いことが表面化してニュースになった時であることが多い。刑事ドラマや医療ドラマが増えて警察不信、医療不信が肥大したように、建築についても疑う気持ちを抱きがちだ。衣料品のようにひっくり返して裏を確かめたりもできず、出来上がってしまえば中がどのようになっているか分からないだけに疑心も膨らむ。

 

でも、この本に出てくる職人さんは、自分の仕事に愛情や誇りを持っていて、出来上がった建物は子供のように思えると言う。考えてみればもっともなことだ。どの世界にも時に不心得者はいるものだが、本来たいていの人は、自分の仕事に対して良い結果になるようできるだけの努力をするものだろう。まして職人と言われるような仕事であればなお・・・。

 

建設業を取り巻く時代的な困難も描かれているが、「家を作る」という仕事の素晴らしさが登場人物の口を通していきいきと伝わってきた。そもそも土地は地球のものであって、個人で所有を主張し合うなんて・・・と思ってきたけれど、こんなにもいろいろな職種の人が、それぞれ思いを込めて仕事をした結晶である家というのも、素晴らしいかもしれないという気分にさせてくれた。

 

改築で古い壁の一部に穴をあけるとき、職人たちは壁をノックして、その音で内部に壊してはいけないものがあるかどうか判断する。そしてそこに何かが存在すると、そのとき職人たちは「ある」ではなく「いる」と言うのだそうだ。主人公梨央は、建物を構成する材のひとつひとつを生き物ととらえる現場の感受性をそこに見、「養生する」という職人の言葉に納得する。現場の床や壁や家具を傷つけないようにカバーをかけることを「養生する」というのだ。

 

地鎮祭上棟式の場面も出てくるが、そこでも、人間の勝手で土地を掘り返し、山から切り倒してきた木を使い、気候のご機嫌をうかがい、土と空気と直に触れて働く人たちの謙虚な思いが込められていることを知る。梨央が一目ぼれしたとび職の徹男から地下足袋をプレゼントされ、それを履いて徹男の組んだ足場にあがる上棟式のシーンは読んでいる私の胸も震えた。

 

徹男は最初の結婚に懲りてかなり深い傷を負っており、梨央の思いはなかなか受け入れてもらえないのだが・・・。この30女とバツイチ男の不器用な恋模様もなかなか良い。

 

もちろん現実は小説とは違うだろうけれど、著者はかなり参考文献を読み、実際に建設現場で働く人たちの協力も得て書いたようなので、こうした魅力的な仕事の現場もあることだろう。市民館の図書室に「意外と面白い仕事の現場」のようなコーナーが作られていて、その中の一冊である本書に目が留まって手に取った。全く知らない著者だったのだが、昭和28年生まれという、同世代の方だった。何年か前にドラマ化もされているらしい。

 

女性だってこういう仕事の分野があるんだ!と思ったが、いまにAIが設計して、部材はほとんど工場で作られ、現場での組み立てもロボットが行う・・・という時代になってしまうのだろうか。欠陥住宅もなくなるかも知れないが、徹男のような魅力的なとび職も必要としなくなるのだとしたら、なんだか味気なく、寂しい気もする。

 

 

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