よんばば つれづれ

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この世のどこかに私の録音図書を聞いた方が・・・

この間の日曜日、尺八演奏会で曲の解説をしたとき、私は一つの夢というか妄想を抱いていた。

当日は尺八のほかに琴を演奏される方もたくさんいらした。それで「琴」から私は「春琴抄」を連想し、もしかしたら目の見えない出演者もいらっしゃるかも知れないと思い、そうすれば聴衆にもそういう方がいらっしゃるかもしれないと想像が広がった。

その中に、かつて私が作成した録音図書をご利用になった方がいらして、司会の声を聞いて気付き、ひょっとしたら声を掛けていただけるのではないか・・・。小説やドラマならありがちな展開(いい年をしてオトメチック)だ。

そうして、実際琴の演奏者にひとり目の見えない方がいらしたのだけれど、「あなたの録音図書を聞きましたよ」と声を掛けてくださる方は残念ながらなかった。


平成9年の春から約1年、月2回ずつほどの初級講座(腹式呼吸に始まるかなり本格的なもの)を受け、講座終了後の平成10年から実際の製作を始め、会社での責任が重くなって(本当はそれ以上に、他の人達の有休消化率と差があり過ぎて)休みが取りにくくなり、月一回の勉強会を欠席することが多くなった気兼ねから、音訳ボランティアの会を退会した平成21年までに32冊の録音図書を作った。点字図書館から依頼されたこれらの作品のほかに、友人に頼まれてスピリチュアル関係の本も何冊か作った。

作品は山岡荘八柴田錬三郎の時代物から、宇宙飛行士若田光一さんの本まで多岐にわたった。古い作品もあれば、旬な話題の作品もあった。いったい延べ何人くらいの方が利用してくださったのだろう。カセット時代の作品はともかく、CDやデジタルデータの作品は今も利用されているのだろうか。

一度だけ、何かの式典の折に盲人会の会長の方が録音図書に対する感謝の言葉を述べられるのを聞いたことがあるけれど、それ以外、どれほどの利用者があって、どのような感想を持っているのかなどを聞く機会はなく、手ごたえが感じられない点が少々物足りない気がしていた。

ただもともとアナウンスのようなことは好きだったし、「音訳は〇〇です」と署名入りの作品を作ることのできる音訳は、とてもやりがいのあるボランティア活動だった。読むための準備の「調査」で様々な知識が得られることや、校正者に指摘されて広がる日本語の世界も楽しかった。飽きっぽい私が、会社勤めと両立させながら12年も続けられたのは、音訳の作業そのものが楽しかったからにほかならない。


でも、何かの折に私の録音図書を聞いてくださった方とお話ができたら、この上ない喜びなのだけれど・・・と妄想を抱いてしまう。