よんばば つれづれ

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アフガニスタンで井戸を掘る医師、中村哲さんの講演

昨日の東三河九条の会が主催した「守ろう憲法9条東三河のつどい」の中村哲医師の講演内容について記す。

 

会場の豊橋市公会堂は1945年6月の豊橋空襲で周囲はほとんど焼け野原になった中で、奇跡的に残った1931年竣工のロマネスク様式の建物だ。昨日夕方5時半ころ私たちが到着した時、道路には黒い車がズラッと並び、大音量のマイクのがなり立てる声が響き、周辺は騒然とした雰囲気だった。

 

当日券を求めて公会堂の正面の階段に列を作る人たちを横目に、私たちユネスコの仲間は階段を上り会場に入る。まだ開会までには20分以上あるというのに席はすでに7、8割も埋まっているかという感じだ。あの列を作っていた人たちは無事に入れるのだろうか。やはり中村医師の人気であろう。会場の外も熱気(殺気?)があったが、中にも人々の情熱が満ちている感じがした。

 

やがて開会となり九条の会代表世話人の挨拶ののち、中村医師の話が始まった。

 

まずはアフガニスタンという国の地理的な説明。日本から西へ6000キロ、ヒンズークシ山脈の高い山々がそびえる国土で2700万人の人々が主に農業で生きている。水の少ない所なので山の雪が命の綱。ところが温暖化の影響かその雪が年々少なくなってきている。そのうえ異常気象で雪解けは急激だったりするので、地中に沁み込むことなく洪水となって流れ下ってしまい、状況をさらに悪化させているという。

 

高い山々の間に複雑に谷が入り組みその谷ごとに違う民族が住んでいて(民族の花束)、山岳に阻まれあまり相互の交流はなくそれぞれがひとつの国のようであり、世界のいかなる国とも違う、あまり「国」という概念の当てはまらないところだそうだ。

 

警察もなく精神病院もない。選挙もなければ、そもそも政府というものもない。それでも、宗教によってそれなりに社会は束ねられ、営まれていたのだそうだ。9.11のテロが起きるまでは。

 

対テロ戦争」の名のもとにアメリカ軍の攻撃が始まり、たくさんのアフガニスタンの人々が死んだ。一般の人々だ。テロリストの中にアフガニスタン人は一人もいなかったのに。

 

ただでさえ砂漠化が進み苦しい暮らしだった人々が、これによってますます苛烈な状況に置かれたのだけれど、アフガンの窮状は西側に全く届かない、と中村医師は仰った。それはアフガンに某大国の不都合な真実があるからだろう。この貧しい国の罪もない人々の死や困窮と引き換えに、某大国の偉い方々及び死の商人たちはどれほどの利益を得ているのだろう(ノーベル平和賞の値打ちも下がった気さえする)。

 

イスラム教で強く禁じられているためほとんどアフガンにはなかった麻薬が、アメリカ軍が入って来てから急激にケシの畑が広がり、世界の麻薬の大半を供給するようになってしまったそうだ。それにともなって売春や乞食の増加といった問題も生まれたという。

 

病人は病ではなく水のために死んで行く。水が不足しているので汚い水を飲む。そして病気に感染する。十分食べていなくて体力がないためあっけなく何でもない病気で命を落とさなければならない。

 

中村医師は診察したり薬を出したりするより先に、きれいな水を得るため井戸を掘り始めた。農業用の水を引くため用水路を造り始めた。百の診療所より一本の用水路!と。しかし重機はないし、また近代的な工法では補修が必要になった時に材料もなければ技術も人材もなくて困るだけだと、日本の江戸時代の技術を使って工事を始めた。(古いものを無くさず持っていればいつか必ず役立つときがくる。日本人はこの何百年も前の技術を大切にした方がいいと言われた)

 

摂氏53度にもなる砂漠の工事で何十人もの作業員が倒れるということもあったが、それでも現地の人は二つの願いのためにみんな必死でとても良く働いてくれたという。二つの願いとは、

「三度三度のご飯をちゃんと食べられるようにしたい」そして、

「家族といっしょに暮らしたい」である。

砂漠を横断するその水路の工事が完成した時、彼らは「これで生きていける!」と大喜びしたそうだ。

 

 

そうして治水工事や大地の緑化などのひとつひとつの工事に5年とか8年とか長い年月をかけて、見渡す限り土の色しかなかった景色を見事に緑なす大地に変えた。

 

けれども先に書いたように、急激な雪解けは表土を流し去り取水口を荒廃させる。そのうえ、先進国のような政府や政治はなくても、たいしたトラブルもなかった地に外国軍が入ることで、至る所紛争地帯になってしまった。そして混乱を残して外国軍は引きあげてしまう。

 

アフガニスタンでも金持ちは先進国に行って好きな治療を受けることができるが、99.99パーセントの人は、100円のお金がないため死ぬ。けれども中村医師は先進国の考え方ややり方を持ち込むのではなく、現地の枠内で患者を救うことが大切だと言う。

 

こんなに長く留まるつもりはなかったのだけれど、モタモタして逃げ遅れましたと笑わせる。ユーモアがあって、穏やかな優しい語り口だ。講演中も会場内に外の騒ぎが聞こえて来ていたが、笑いに包んで愚かな悪意を吹き飛ばしてしまう。このお人柄があるから人々もついていくのだろう。

 

アフガンの人たちにとって日本のイメージはとても良い。なぜかと言うと、あの欧米列強が東アジアの大半を植民地化していた時代に大国ロシアに闘いを挑み、ああ可哀想に日本も植民地に・・・と思っていたら(まぐれで)負けなかった。日本というのは理不尽に対しては相手がどんな大国でも屈しない国なのだ、と美しい誤解をしてくれている、のだそうだ。自国の一県を人身御供に某大国にもみ手をしてすり寄っている今の日本の姿を知ったら、かの地の人々はどう思うだろう。

 

 

無知と臆病が暴力を生む。臆病な人ほど武器を持ちたがる。今の先進国は人を信じられなくなっている。得体のしれないゲリラやテロに怯えている。けれども強力な軍備を持てば安心なのか。何十もの原発さえ持ってしまった今、日本を攻撃するのは簡単だ。小さな無人飛行機で原発に・・・。

 

九条で平和を守れるかと言うが、九条があるから敵が少なくて済んでいる。憲法九条は、太平洋戦争何百万人の犠牲の上に手に入れた大切な遺産である。それを捨てることは自滅の道を取る暴挙だ。ご先祖様から頂いたご神体、末代まで守るべき、と中村医師は仰った。

 

 

このあと質疑応答でもひとつひとつ誠実に、心に響く素晴らしい回答を下さった。なかでも私の印象に残ったのは、現地の教育はどんなかという質問に対する答えだ。アフガンの教育は、親が死んでも子供が食べていけるようにすることと、世界に対しより正しい知識を身に付ける、という2つの目的のもとに行っている。学校も充分ではないし、子供も大切な労働力でもあるので、二部制三部制で家の手伝いと両立させながら教育しているそうだ。日本人の方が、手伝いやモラルのない今の教育を考え直す必要があるのではないか。気立てのいい子をたくさん作ることが大切、と仰った。

 

この会場も例によって非常に聴衆の年齢層は高かったが、数少ない若い人からも何人か質問の手が上がった。そのなかで「私たち高校生に何を望みますか」という質問に、中村医師は「自分の身のまわりを平和にすれば天下が治まる」、「平和」を言う前にまず身近な問題をけんかやいじめで解決しないことを考えて、と仰った。そして一見勇ましくて格好いいことについて行かないようにと。

 

現代は今までの「幸福」の価値観が大きく崩れ始めている。成長だの株価だのといったことばかりの流れに乗らない。この世界がどこに向かいどう終わるのか誰も知らない。後始末するのは間違いなく若いあなたたちだ。今の世の中は長続きしないと思うが、今より良くなる可能性もある。若い人は失敗ができるのだから、自分たちで進む道を見つけていってほしい。今は関心が広く浅くなっているけれど、ひとつを深く見て、深く考えていけば、必ず広くなってくる、広く見えて来る。深く、しっかり見てください、と若い人たちに求められた。

 

中村医師のユーモアや優しい魅力的な語り口を表現することはできないし、とうてい全てを伝えることは非力非才な私にはできませんが、とにかく素晴らしい講演でした。いささかでもお伝えできれば嬉しいのですが・・・。

 

 

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豊橋市公会堂