よんばば つれづれ

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訪れたくなる空間 ドラマ『この声をきみに』の部屋

今日は楽しみにしているドラマ『この声をきみに』の放送がある日だ。もう今週と来週で終わってしまう。残念でならない。テーマといい、ドラマの作りといい、斬新で、まだまだドラマの可能性はあるということを示してくれた。

 

脚本も演じる俳優さんたちも良いし、取り上げる詩や童話なども良いし、前のブログで書いたように、そのもともとすぐれた作品を、個性的な俳優さんたちが朗読することで、いっそう魅力的になっている。

 

そして、さらにこの素敵なドラマを盛り上げているのが、セットや小道具や衣装などの美術さんの仕事だ。

 

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これはドラマの中心になる場所。柴田恭兵さん演じる佐久良先生の朗読教室だ。落ち着いていて温かみがあって、うっとりするような空間になっている。

 

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上の写真の朗読教室の向かって左側部分。

 

この教室で講師を務める、麻生久美子さん演じる京子先生のアパートがまたとっても素敵なのだけれど、公式ホームページにも写真がなく、ネットで探しても残念ながら見つけられなかった。こちらもやはり本好きらしく本がいっぱいなのだが、そのいっぱい加減が、乱雑なようで独特の雰囲気を醸し出している。部屋の細部まで住む人の愛情が感じられる、温かみのあるインテリアだ。

 

佐久良先生の教室も、京子先生の部屋も、本で埋もれている。何度も引っ越しをして本にはこりごりして、もう本はたくさん持たない!と決めた私だが、こういう素敵な部屋を見るとたまらない。

 

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これが佐久良先生の朗読教室「灯火親(とうかしたしむ)」の外観。実在のお宅を借りているとのこと。控えめなステンドグラスの窓がチャーミング。

 

この他にも、朗読部分で出てくる空想シーンのセットや衣装にも、美術スタッフの工夫や熱意があふれている。返すがえすも、前半の録画を残さなかったことが悔やまれる。

 

こんな素敵な朗読教室があって、佐久良先生みたいに魅力的な先生がいらしたら、絶対に入り浸ってしまいそうだ。

 

 

写真はすべてドラマの公式ホームページからお借りした。

日本で進むテロを潰す男たち 今野敏著『回帰』

近頃テレビドラマに出てくる警察組織は、内部の対立を強調したものが目について、こんなに互いに反目しあっていては、捕まえられるものも捕まえられないのではないかと心配になってしまうが、この小説はそのあたりのさじ加減が非常にうまい。刑事部と公安部が疑心暗鬼で腹を探り合いながらも、理性的な調整派の人物が両者を取り持ちながら、効果的に捜査を進めていく。

 

ある日、四谷のカトリック系の大学のそばで爆発事件があり、死者2名と重軽傷者が出る。事件前に付近で中東系の男の目撃情報もあり、どうやらテロ組織の犯行らしい。調べを進めるうち、今回の事件は予備段階で、近々もっと本格的なテロを計画しているらしいと分かってくる。

 

警視庁刑事部捜査一課の係長である樋口を中心に、彼の娘の海外バックパッカー旅行を許すかどうかという家庭問題を絡めながら物語は進む。刑事部の仲間の他、公安部の刑事や、問題を起こして警察をやめたあと海外を放浪し、急に日本に帰ってきた因幡という謎めいた男が絡んで、テロリストたちを追い詰めていく。

 

犯罪を憎んでともに捜査していながらも、刑事それぞれに違う被疑者の人権についての考え方。またチームで動く刑事部と、個人プレーの公安部という違いなのか、なかなか情報共有もうまくいかず、誰が真の見方で誰が敵なのかも不確かになってくる。冷静で人権派の樋口には好感が持て感情移入してしまうため、こういうところで結構ハラハラしてしまう。

 

現場で目撃されたという中東系の男に対しての、相棒の刑事の恫喝的な取り調べに樋口は反発を覚える。行き過ぎた長時間の拘束にも異議を唱えるが、テロ事案では人権など考えていられないと、公安部は歯牙にもかけない。公安部は国体の護持のためには人権は失われて当然だと主張する。

 

作品中に以下のような部分がある。

最近の若い世代は民主主義を信用していないように感じられる。あるいは、大して大切なものとは考えていないようだ。民主という言葉が左翼的だと言う声も聞かれる。

人々が民主主義を獲得するまでに、どれくらいの苦難があったか。それが失われたときに、民衆はどんな悲劇に直面するのか。

それを今、考える人が少なくなりつつあるような気がする。

 

この樋口の思いは、そのまま著者今野敏さんの思いだろう。今野さんは1955年生まれ。かろうじて、戦争中の話などを聞いて育ったであろう世代であり、学生運動の嵐の時代も記憶にあるだろう。「特高言論弾圧をしていたのは、つい七十年ほど前の話なのだ。いつその時代に逆戻りするか分からない。人々が気を許せば、すぐにその権利を奪おうとする。それが支配者というものだ」とも書いている。

 

この作品は今年2月に出版されている。おそらく安保関連法や共謀罪法などを意識し、現政権の憲法を無視した強権的な政治の仕方に非常な危機感を抱いて、この作品に思いを込めたのだと思う。とても読みやすいエンターテインメント作品に、さりげなく権力というものの怖ろしさを描いてくれているのが嬉しい。

 

 

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静かな女性の姿に惹かれる『青梅雨 その他』永井龍男著

昭和41年発行の本だ。六十代半ばを過ぎた私には、昭和40年代はそれほど遠い時代のような気がしないのだが、半世紀前のことであり、確かに本作を読んでいると、描かれている人や社会の雰囲気が、もうすでに身の回りにすっかりなくなってしまっていることに気づかされる。

 

「新潮」「小説現代」などに発表された十三の短編が収められていて、一番古いものは昭和36年、最も新しいものは昭和41年1月号掲載の作品だ。その時期は、東京オリンピックをはさんだ、おそらく日本が非常な勢いをもって経済成長をしていた頃に当たるのだろうが、どの作品も静かで穏やかで落ち着いているという印象を受ける。ことに女性たちの、強さを秘めながら控えめでしとやかなありようにとても魅力を感じた。

 

何年か前に同じ著者の『一個 秋その他』という作品を読んだことがあって、今回のなかに、その時に読んだものが三篇入っていた。近頃は推理小説ですらきれいに忘れてしまったりすることが珍しくないのに、その三篇がすぐ以前読んだものだと分かった。どれも、抑えた筆致の淡々としたわずか20ページ余の作品ながら、私の老化した脳にしっかりとした印象を刻んでいたことに改めて驚かされた。

 

一番印象に残る作品は『冬の日』だ。主人公の登利は44歳。子供を産んで一か月足らずで亡くなった娘の婿佐伯と、母を喪った孫娘をひきとって一緒に暮らしている。孫娘は2歳になり、佐伯には再婚が決まったため、彼女は彼と孫のために自分の家を譲り、自身は大阪の弟のところに身を寄せることにする。

 

新しい若い家族のために彼女は畳替えを依頼し、やってきた畳職人とその息子や、訪ねてきた佐伯の先輩などとのやりとりを通して、登利の周辺を描いていく。彼女と佐伯の間には姑と婿以上ものがあったのだ。寂しさや悲しみを自分の胸一つに抑え込んで、相手の未来や孫を思って退場する登利。

 

明け渡す家の掃除にいそしむ彼女は、ふいの来客にいそぎ割烹着を外す。おそらく襟元もきりりと、地味な着物に身を包んでいることだろう。現代の四十代や、それ以上に、分別の足りない自分を思うと、あまりの対照に恥じいってしまう。

 

時間は遡れず、遡るべきでもないだろうし、制約の多かった昔が良いわけでもない。言葉も人も社会も、なにもかもが時間とともに変わっていく。だからこそ、美しさ、大切さに気付くということもある。

 

しみじみと、そうした、私たちが便利さと引き換えに失ってしまったもの、ほんの50年前には当たり前にあったものを考えさせてくれる読書だった。

 

 

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出版当初の色はどんなだったのだろう。今は珍しくなった布張りで箱カバー付きの本。

写真の加減で無地のように見えるが、本体にも書名が型押しされている。

のめり込みそうである

本日は単なる親ばか記事ですので、家族写真の年賀状が苦手というような方は、どうぞスルーしてください。あっ、でも、挫折した話なんだから親ばかじゃないかしら・・・。

 

 

先週10年ぶりに改訂される広辞苑の第七版で、「やばい」という語に「のめり込みそうである」という意味が追加されるというニュースが流れた。これを聞いて、私は過去のある場面を思い出した。

 

当時次男はロックバンドを組んで、名古屋のライブハウスやイベントで演奏していた。「超」のつく方向音痴で乗り物に不案内な私も、時々は会社がひけたあと駅に直行して新幹線往復切符を買って、名古屋まで聴きに行ったりしていた。

 

しばしば、ネットで息子のバンドの名前を検索しては、メディアの評価や巷の反応に一喜一憂していた。そうして出合ったなかのあるコメントに、「今日見た〇〇(息子のバンドの名)、ヤバすぎ!」とあって、私は驚いた。何がそんなにいけないのだろうと読み進めると、不思議なことに褒めてくれていたのだ。

 

「ヤバイ」などという言葉をかたぎの人間が使うことに抵抗のあった私にとって、あろうことか若い女の子が、しかも肯定的な意味にも使うのかと非常な衝撃で、その時のことは強く印象に残った。

 

それからおよそ15年ほど経っただろうか。この15年という時間が、一つの言葉の使われ方の定着度を見るのに適当なのかどうか、私には分からない。ただ、このニュースを耳にして、ああ、ついに広辞苑に、「ヤバイ」の肯定的な使い方さえも認知される時代になったのかという感慨を持った。

 

 

ついでに、息子たちのバンドがもうひと息、ふた息というあたりにいったとき、某学会から「入会(入信?)すれば応援しますよ」というお声がかかったということを記しておく。私に似て頑固な息子は拒否し、だからという訳でもないだろうが、長い回り道の末に、今は音楽で食べることを諦め「一般人」をしている。

 

 

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11年前のパソコン録音風景は、もう若者には理解不能の世界かも・・・

以前利用していた、別のブログサービスサイトに書いた文章。当時の私は、会社勤めをしながら、休日を利用して「音訳」という視覚障碍者のための録音図書づくりのボランティアに励んでいた。

 

パソコン録音に移行した当初は、現在では考えられない低いスペックのパソコンで、当時としてはかなり大きなサイズであった、音声データファイル(まだ一般には動画などありえなかった)を扱うので苦労したことに触れている。

 

2006.8.11.
お盆休み第1日目。
母が出かけてひとりなので、
チャンス!とばかり音訳の録音に励んでいます。***

音訳を始めたときからずっと録音はテープデッキでしていましたが、
何年か前からカセットテープ自体の品質がかなり問題になってきて、
読み違いを修正するのに何度も進めたり戻したりという
厳しい音訳の使用に耐えない(途中で巻き戻し出来なくなって、
それまでの苦労が水の泡になったことも)製品も少なからず・・・で、
2年ほど前からパソコンでしています。

5~6年前に一作だけパソコンで作りましたが、
当時はまだパソコンの性能も低く、
音を扱うこともまだあまり多くなかったため、
サウンドカードを取り替えたり、
ものすごく小さな音でしか録れなかったりで、とても苦労しました。

その頃を思うと今はハードディスクも大容量になったので圧縮もせず録音でき、
録音しながら、分からない専門用語や地名や人名が出てくると、
録音ソフトを立ち上げたまま、
インターネットですぐ検索して調べたり・・・ということが
難なくできるようになりました。

パソコン録音の目下の最大の悩みはファンの雑音です。
水冷式の静かなパソコンができたという記事を見たので、
いいなあと思いますが、今使っているバイオはまだ2年ちょっとしか使ってなくてもったいないので、
これがくたびれてきて買い換えるときが来たら、
その時には迷わず静かなパソコンを選びたいと思います。

 

***「母が出かけて・・・」録音図書は雑音が入ってはだめ(息を吸う音や口を開けるときの小さなチャッというような口内音も)なので、母がいると無音状態を保つのが難しかった)

 

この時のバイオが、清水の舞台から飛び降りるくらいの決心で買った高価なものだったにもかかわらず(スタイルはうっとりするくらい素敵だった)、私の使い方が悪かったのか4年持たずに故障してしまった。次に買ったエプソンエンデバーは特に水冷式でもなかったが、技術革新の成果なのか、すでにファンの雑音は問題にならなかった。

 

デジタル録音に切り替えた初期は本当にトラブルが多くて大変だったけれど、壁にぶつかるたびに新しい知識を覚えることができて、結構それが面白かった。まだ若かったんだなあと、しみじみ思う。今ならとてもそうした困難を乗り越えられないだろう。

 

 

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エンデバーとマウスに寄り添うオーガスト。彼女たちも時々録音に参加してくれて、やり直す羽目になったものだった。

 

 

台風の中の「よんばばんち」は参加者一人だった。今日は豊川九条の会主催の「浜矩子講演会」もあって、そちらに行った仲間も・・・。

 

 

 

 

親子料理教室のお手伝い

昨日に続いて料理教室。ただし今日はいつもの国際協力コスモス会の、ではなく、豊橋市の東部にある二川地区市民館の市民館まつりの企画のひとつである、「作る教室・親子で作る特別なゼリー」と銘打った教室の講師としての参加だ。

 

コスモス会の代表がこの二川地区の住人であるご縁か、毎年この市民館で料理教室を頼まれている。今年は代表が都合が悪かったのでお断りすることも考えたようだが、一度断ると今後こうした機会をもらえなくなるかもしれないからと、ピンチヒッターをかき集めた。なんとかメインの講師は代表の二人の娘さんが務めてくれることになり、私を含む三人が、コスモスから助手として参加した。

 

参加の申し込みは午前と午後合わせて10組。二人とか三人のお子さんを連れてくるお母さんもあるので、子供はけっこう大勢だった。けれども料理という内容ゆえか女の子が多く、騒ぐ子も言うことを聞かない子もいなくて、事故も混乱もなく順調にできた。

 

実は、今日のメニューの三色ゼリーは、先月のコスモス会の料理教室で作ったのだけれど、材料の準備や、寒天、ゼラチン、アガー、くず粉と4種類で同じような手順を繰り返すことなどがとても煩雑で、大人ばかりでも思いのほか混乱したのだ。だから、そのメニューを、本来講師となるはずの代表抜きに、しかも子供も一緒に作るというので、かなり私たちは心配していたのだ。

 

ふたを開けてみたら、管理栄養士の資格をお持ちの、上のお嬢さんがメインの講師を務め、あうんの呼吸で妹さんが動くという具合で、最初に出来上がりの見本を示したうえに、手際よく説明しながら作り進んだ。三層にするために、下の材料が固まらないと次のものが入れられないため少々待ち時間のロスはあったものの、全体的には実に順調に出来上がった。

 

調理中、お兄ちゃんがする、弟がする、と競争になる子たちもいれば、かたやお母さんがやってみれば?と水を向けても、お母さんの陰に隠れて躊躇する子もいる。私が洗い物をしていると、流しにやっと手が届く程度のちっちゃな女の子がそばに来て、「あたしも洗う・・・」と言っている。やってもらうと、とってもご満悦だった。子供は大人の真似が大好き。

 

固まるのに時間がかかるため、出来上がったお料理はみなさんお持ち帰りいただいたのだけれど、なかには「ここで食べたあい!」と主張する子もいた。なんとか納得してもらい、お持ち帰り。きっと3時のおやつや夕食のデザートで、みんなのおなかに収まったことと思う。

 

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出来上がり見本の三色ゼリー。

カップの底にはパイナップルと缶詰のみかんとキーウイ。そして緑の寒天、赤のゼラチン、一番上にクラッシュ状にした透明のアガー。

手順を簡単にするため、くず粉は抜いた。

コスモス会でブラジル料理「ストグロノフェー デ フランゴ」

今日のコスモス会は料理教室。ブラジル料理「ストグロノフェー デ フランゴ」を教えてもらった。「フランゴ」はチキンのことで、ハッシュドビーフのチキン版とか。

 

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これが出来上がったところ。お茶はルイボスティー。右上の小さな丸いものは、今日の料理を教えてくれたWさんが作ってきてくださったお菓子。ココとコンデンスミルクでできているそうだ。

 

 

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これはサブで教えてくれたEさん(驚くほど足が長くて、私の首のあたりにウエストがくる)がホワイトボードに書いてくれたレシピ。

 

 

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全部で12人(あと赤ちゃんひとり)と参加者がいくぶん少な目で、なんだかのどかな調理風景。ハラルのチキン使用の人が3人。

 

一口大に切った鶏肉に塩コショーするほかは、チーズの塩分くらいだけのせいか優しい味で、油こくもなく、とても美味しかった。トッピングのポテトチップも、塩味はあまりない。これもブラジルのものをWさんが持ってきてくださった。

 

estava delicioso  ごちそうさまでした。