よんばば つれづれ

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静かな女性の姿に惹かれる『青梅雨 その他』永井龍男著

昭和41年発行の本だ。六十代半ばを過ぎた私には、昭和40年代はそれほど遠い時代のような気がしないのだが、半世紀前のことであり、確かに本作を読んでいると、描かれている人や社会の雰囲気が、もうすでに身の回りにすっかりなくなってしまっていることに気づかされる。

 

「新潮」「小説現代」などに発表された十三の短編が収められていて、一番古いものは昭和36年、最も新しいものは昭和41年1月号掲載の作品だ。その時期は、東京オリンピックをはさんだ、おそらく日本が非常な勢いをもって経済成長をしていた頃に当たるのだろうが、どの作品も静かで穏やかで落ち着いているという印象を受ける。ことに女性たちの、強さを秘めながら控えめでしとやかなありようにとても魅力を感じた。

 

何年か前に同じ著者の『一個 秋その他』という作品を読んだことがあって、今回のなかに、その時に読んだものが三篇入っていた。近頃は推理小説ですらきれいに忘れてしまったりすることが珍しくないのに、その三篇がすぐ以前読んだものだと分かった。どれも、抑えた筆致の淡々としたわずか20ページ余の作品ながら、私の老化した脳にしっかりとした印象を刻んでいたことに改めて驚かされた。

 

一番印象に残る作品は『冬の日』だ。主人公の登利は44歳。子供を産んで一か月足らずで亡くなった娘の婿佐伯と、母を喪った孫娘をひきとって一緒に暮らしている。孫娘は2歳になり、佐伯には再婚が決まったため、彼女は彼と孫のために自分の家を譲り、自身は大阪の弟のところに身を寄せることにする。

 

新しい若い家族のために彼女は畳替えを依頼し、やってきた畳職人とその息子や、訪ねてきた佐伯の先輩などとのやりとりを通して、登利の周辺を描いていく。彼女と佐伯の間には姑と婿以上ものがあったのだ。寂しさや悲しみを自分の胸一つに抑え込んで、相手の未来や孫を思って退場する登利。

 

明け渡す家の掃除にいそしむ彼女は、ふいの来客にいそぎ割烹着を外す。おそらく襟元もきりりと、地味な着物に身を包んでいることだろう。現代の四十代や、それ以上に、分別の足りない自分を思うと、あまりの対照に恥じいってしまう。

 

時間は遡れず、遡るべきでもないだろうし、制約の多かった昔が良いわけでもない。言葉も人も社会も、なにもかもが時間とともに変わっていく。だからこそ、美しさ、大切さに気付くということもある。

 

しみじみと、そうした、私たちが便利さと引き換えに失ってしまったもの、ほんの50年前には当たり前にあったものを考えさせてくれる読書だった。

 

 

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出版当初の色はどんなだったのだろう。今は珍しくなった布張りで箱カバー付きの本。

写真の加減で無地のように見えるが、本体にも書名が型押しされている。