よんばば つれづれ

現在はこちらで書いてます https://hikikomoriobaba.hatenadiary.com/

雨に阻まれた最後の活動

10月の第三週末は、恒例の豊橋祭りだ。今日の土曜日、スタンディングの仲間は、人でにぎわう豊橋公園に繰り出し、「選挙に行こう!アピール活動」をする予定だった。でも残念ながら朝から無情の雨。「今日の活動は中止にします」とのメールが配信され、投票日前最後の活動は雨に阻まれて流れた。

 

今日の活動が実施されても、私は老人会の用事があって参加することはできなかったので、昨日の夕方の駅前スタンディングに最後の活動という思いで立った。おととしの7月から2年あまり続けてきたサイレント・スタンディング活動。こんなに長い戦いになるとは夢にも思わなかった。いろいろな人に出会い、良い人間関係が生まれて、退職後の生活に思わぬ広がりを与えてくれた。これからも仲間たちと考えながら進んでいきたい。

 

明日の投開票日のあと、結果がどう出たとしても、スタンディングという活動はいったん終わりにしようかと考えたりしている。これからも毎日続ける人もいるだろうし、金曜日だけは続けるという人もいるかもしれないが、私はとりあえず一度終わりにしようと思う。もちろん、民主主義を育てることに今後も心を砕いていくという決意に変わりはないけれども。

 

投票日に台風がぶつかって、離島などでは投票日を一日前倒ししたところもあり、期日前投票も多くの人が駆け込んで、1時間待ちなどというところもあるとニュースで伝えている。けれども、おそらく最終的な投票率はかなり悪い数字になるだろう。

 

大義のない解散、争点のはっきりしない選挙戦、私利私欲丸出しで、直前まで離合集散を繰り返した政治家たちへの怨嗟や諦念で、無党派の人にとっては、悪天候をついてまで投票に出かける気持ちは持ちにくいことだろう(だから行かなくていいということにはならないが)。

 

あまり明るい展望は持てない状況だけれど、今回の選挙戦の中で生まれた「ボトムアップの政治」を掲げた立憲民主党だけは闇の中の一条の光だ(「希望」という言葉に手あかがついてしまったので面倒だ)。どうやら、安保法に反対して、2年前の国会周辺に集まった多くの国民が、その熱気のただなかに立った政治家を変えたらしい。

 

この2、3年で、やっと日本にも真の民主主義が生まれたのではないかと思う。これは安倍暴走政権の一番の成果かもしれない。まだまだ保育器に入っている程度の心もとない状態なので、これからも国民一人ひとりの不断の努力で、しっかり見守り育てていく必要がある。同時に民主主義成立の必須条件である司法や報道も、権力に寄生するひ弱なものでなく、きちんと自立したものでなければならない。

明日は最高裁判所裁判官の国民審査もある。

 

 

f:id:yonnbaba:20171021185346j:plain

 

 

 

 

映画『僕のワンダフルライフ』と攻めるTBS

猫の次は犬、という訳ではないけれど、今度は三度生まれ変わる犬が主人公の映画『僕のワンダフルライフ』を観た。『ボブ・・・』の時の予告編で目にしてはいたが、特に見ようとは思わなかった。ところが、例によってSPYBOYさんの素敵なレビューに接し、しかもラッセ・ハルストレム監督の作品と知って、がぜん観たくなった。

『選挙前のニュースあれこれ』と映画『僕のワンダフル・ライフ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

 

 

ラッセ・ハルストレム監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』で知った。あまり恵まれているとは言えない境遇に置かれたイングマル少年が、人工衛星に乗せられ宇宙を旅することになったライカ犬とわが身を引き比べながら、つらいことを乗り越えていく物語だった。

 

スター・ウォーズやインディー・ジョーンズなどの派手なハリウッド映画全盛だった80年代の、スウェーデン製の地味な映画だ。けれどもこの作品は高く評価され、ハルストレム監督はこのあと世界を舞台に活躍するようになった。

 

ハルストレム監督作品は、『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』『ショコラ』など、つらい境遇に置かれた主人公の物語が多い。しかも幸運な展開や大逆転があるわけでもなく、けっこう試練の多い日々がたんたんと描かれることが多い。それでも、見終わったときにじんわりと「思うようにならない人生だけど、生きるって、まんざらじゃないな」と思わせてくれる。

 

今回の『僕の・・・』は犬が主人公。「ワンダフルライフ」は、この犬にとってのワンダフルライフなのだ。でも、ハルストレム監督作品の主人公だもの、捨て犬だし、保護施設からもらい受けてくれた里親には、帰り道で早速暑い車内に置き去りにされ、あやうく死にそうな目に合わされるという不幸ぶりだ。

 

その危機から救ってくれたのは、少年イーサンとママだった。イーサンと幸せな日々を過ごし、二人(一人と一匹)は固いきずなで結ばれる。

 

青年になったイーサンを襲う不幸。やがて人間よりはるかに寿命の短い犬には、定めの別れの日が来る。でも、犬は挫折したイーサンが心配でたまらない。イーサンを思うあまり、彼は三度も生まれ変わる・・・。

 

途中ちょっと心配なシーンもあるが、ちゃんと犬に危険はないように撮影されているそうだ。そうして、たぶん・・・と思う経過で落ち着くところに落ち着くのだけれど、かわいらしくけなげな犬を楽しみ、心を洗う涙にくれて、大満足の1時間40分だった。

 

 

今日はこれだけで充分なのだけれど、このところ果敢に攻めているTBSに敬意を表して、ぜひとも触れておきたい。昨夜の『池上さんに教えてもらう前と後』という番組だ。

 

池上彰さんが選んだ6枚の写真から見えてくるタブーということで、北朝鮮金正恩一族のコンプレックス、中国の驚くほどのキャッシュレス化などの紹介のほか、「富士山の上空はどこのものか?」と問いかけ、横田制空権の範囲内なのでアメリカのものだと紹介した。そのため大阪や福岡に向けて羽田を飛び立った飛行機は、あえて東方向に飛んだあとターンして、その制空権を避けて飛ばねばならないことを説明した。

 

このほか、北の挑発に対しミサイル迎撃システムPAC3を広島に備えたため。広島は再び核の危険にさらされていることや、過去に使用された迎撃システムの驚くほどの命中率の低さや、命中した場合の破片の危険などに言及した。

 

オーストラリアの潜水艦の写真は、一部分をアップすると「MITSUBISHI」の文字が見え、日本製であることがわかる。池上さんは、日本政府はいまや武器輸出を「防衛装備品の移転」と言い換えて輸出に力を入れ、隠れた軍需大国だと紹介した。

 

このことについての街頭インタビュー風景に「えっ三菱が武器輸出?株買おうかな」と言う男性がいて、横にくっついていた女性も「上がるよね」。皆が皆ではないだろうが、いまの若い世代はこういう感覚かといささか衝撃を受けた。

 

このほか、国連の議場で、核兵器禁止条約に反対した核保有5大国の席に、被爆国日本の人々から折り鶴が置かれたニュースに触れ、アメリカの核の傘に守ってもらっていると思っている日本が参加しなかったことも紹介し、これでいいのかと疑問を提示した。

 

先日の林修先生の歴史教科書の番組といい、昨日の番組といい、

yonnbaba.hatenablog.com

 

この時期にこのような番組を放送するTBS(制作はどちらもMBS)には、大いに敬意を表したいと思う。どちらもバラエティーあるいはとっつきやすい娯楽情報番組として作られているところに非常に価値があると思う。政治は自分と関係ないと思っている人たちが、こういう番組を見て、政府というものは、知らないところでこんな恐ろしいことをするものなのか、と気づいてくれるといいなあと思う。

 

 

f:id:yonnbaba:20171018165902j:plain

今日も雨天決行でスーパー前スタンディング

雨天決行ということで招集がかかったが、幸い実施時間の4時半には雨は上がっていた。

 

今日のアピール場所は、市の中心部にある地元の老舗スーパーマーケット本店前。今までにも何回かここで行っていて、チラシの受け取り率の良さは経験済みだ。今日も、少なく見積もっても3人に1人は受け取ってくれた。駅前だと10人に1人あるかないかで、大変な違いだ。

 

しかも、私たちが今の民主主義に反する政治の在り方に危機感を感じて集まった、ごく普通の市民だと説明すると、「こういう活動をしてくださっている方たちがいらしたんですね。ありがとうございます」とねぎらってくださる方がいた。「枝野さんが好きなんだけど、この選挙区は立憲民主から立っていないので困っている」と仰ってしばらく話し込んでいかれた。

 

今日集まった仲間は8人。30分ちょっとで、チラシ300部以上は配ったのではないだろうか。「ぜひ投票に行ってください」とお願いすると、「もう済ませたよ」と仰る方もチラホラいらした。

 

こういう活動をしていると、よく言われる言葉が「共産党?」というものだ。つまりは、共産党くらいしかこういう活動をしてこなかったということだろう。ちゃんと読んでくれれば、チラシに団体名も代表者名も入れているのだが、私は途中から「市民グループですが・・・」と枕詞をつけて配った。政党とか労働組合とか宗教とかに関係する特殊な人たちではなく、「普通の市民が、こういう活動をする」のだということをしっかり印象付けたい。

 

このあと今日は用事があって帰る人が多く、Iさんと私の2人だけだったが、Iさんが少しだけでも駅前でスタンディングして帰ろうというので、2人して往路車に乗せてもらった”言い出しっぺ”とスーパー前で別れ、駅前スタンディングを30分して、帰りは電車で帰ってきた。

 

私たちの活動に感謝してくださった奥様が「1票入れたところで、どうにもならないと思っちゃダメなんですよね」と仰った。「そうです。一人ひとりがどうせ自分の1票くらいじゃ・・・と思ってしまったら大変なことになります。そういう1票1票が集まれば、大きな力になります。あなたがそばの誰か一人に同じことを話してくださって、その人がまたもう一人に話せば・・・」と私。

 

たとえ1票でも・・・というみんなの気持ちが集まって、専門家たちの予測を覆す波乱が起こることを期待したい。

 

 

f:id:yonnbaba:20171017211307j:plain

今日のスーパー前スタンディングアピールとチラシ配り風景。

「ガテン系」にガッテン、ガッテン!と愛知大学前駅でのスタンディング

雨の中、朝から外壁を水洗いする機械の大きな音が響いている。9月初旬からという通知だったが、ひと月近く遅れて、今月から私の住む棟の外壁の塗装工事に入った。

 

樹木の伐採(おかげで我が家のライラックモッコウバラジャスミンもツルハナナスもすべてきれいに根元からなくなってしまった。共用スペースなのだから致し方ない。工事前の確認の際にも、お好きに伐採してください、文句は申しませんと伝えた)に始まり、次に足場が組まれ、今日と明日は水洗い工事とのことだ。

 

2日間ベランダに洗濯物や布団は干せませんと通知したからか、あるいは初めからこの作業は晴雨関係なくするものなのか、作業員の方たちは雨をものともせず働いている。

 

こうした作業を間近に見ていると、ガテン系の仕事というのはなかなか魅力的だ。なぜか私は昔から職人仕事が好きで、子供の頃にうっとりしながら見た、大工さんがカンナ掛けする姿や、左官さんの見事な鏝さばきなど、強く脳裏に焼き付いている。長い修練の果てに会得する繊細な技の持ち主など、一も二もなく尊敬してしまう。

 

ところで、先程使った「ガテン系」という言葉、いつの間にかなんとなく理解してしまっていたが、自分で使用したのは初めてである。いったいなぜ「ガテン」なのだろうと思って改めて調べてみたら、「リクルート出版から出ている就職情報誌『ガテン』からきた言葉」なのだそうだ。

 

そして、その「ガテン」という情報誌の名前はどこから来たのか、外国語か?と思ったら、なんと、職人さんたちが使う「合点・がてん・がってんだ」という言葉がもとになっているのだそうだ。

 

・・・と、今回初めて「ガテン系」という言葉にガッテンした。ガッテン、ガッテン!

 

 

夫の実家の弘前に転居し同居を始めた後、姑と嫁と女が二人も遊んでいる家はない・・・ということで二歳半の次男を保育園に預けて、婚家の親戚筋の会社で働き始めた。その会社が建設資材を扱う会社で、内装工事の下請けもしていたので、出入りの職人さんがいた。当時すでに建設業は不況と言われて久しかったが、それでも、親方はもちろん、「手元」と言われる下働きの人でも結構いい日当を取っていたように記憶する。

 

今、ここで作業をしている人たちの労働条件は、どのようなものなのだろう。新国立競技場の建設現場では、あまりの過酷な労働に疲れ果てて自殺者が出てしまったが、うちの団地の現場は朝8時半か9時頃に始まって、お昼のほかに10時と3時には休憩があり、そして夕方5時頃には終了している。収入のほどは分からないが、労働時間に関してはたいへん健全そうだ。

 

どんな仕事も、しかるべき敬意をもって遇せられ、労働に見合った報酬や待遇が保証されてほしいと心から願う。経済大国でも軍事大国でもなくて良いから、世の中全体が、真にボトムアップ型の誰にとっても穏やかで暮らしやすいものになってほしい。二度や三度の選挙では大して変わらないかもしれないけれど、そんな未来がいつか来ることを信じたい。

 

・・・とここまで書いたところで中断し、4時から渥美線愛知大学前駅で「選挙に行こう」のスタンディングアピールをする予定になっていたために出かけた。明日が愛知大学での期日前投票日なのだ。

 

雨天だったけれども決行。参加者は4人だった。4時1分、16分、31分、46分の4本の上り電車を送った。このうち1分はあまり乗客がいなかったけれど、あとの3本はホームにいっぱいの学生がいて、道路を挟んだ向かい側に立つ私たちが掲げる、模造紙で作った大きなプラカードを見てくれていた。もちろんスマホ画面から目を上げない人もいるし、プラカードを見てくれた人でも投票に行くかどうかは分からない。でも、残された日々、できることをするしかない。

 

このあといつもの豊橋駅前に移動し、定刻より少し時間が早いが、30分スタンディングして帰宅した。

 

f:id:yonnbaba:20171016203454j:plain

愛知大学前駅。右側の車が連なっているのが国道259号線。この道路の、駅とは反対側の歩道でスタンディングした。

 

人生の幸運使い果たしたかも・・・福引一等!

くじ運の良い人というのは実際いるものだ。反対に、悪い人もいるもので、私はその悪い人、だった。人生六十云年、ずっと。

 

10月の第二週末は毎年わが団地のささやかな祭りで、形ばかりだけれど子供たちのために神輿を出し、福引や餅投げをする。引っ越してきた当初は、もう子供たちが地域とは縁のない高校生と大学生だったこともあって、ほとんど近所付き合いもなかった。祭りで福引の券が配布されても、集会所にそれを引きに行くのがなんだか照れくさい気がして、ずっと使わないまま捨てていた。

 

何年目かに組長が回ってきて初めてお祭りの手伝いをし、福引の券も使った。もちろん、くじ運のない私はビリだったけれど、商店街などのビリ(キャンディ1個とかポケットティッシュ1個)と違って、12個入りのトイレットぺーパーだったことに驚いた。それから集会所への垣根が低くなって、毎年福引だけは引きに行くようになったのだが、みごとにトイレットペーパーかティッシュペーパーばかりだった。

 

現実に一等だの二等だのを引き当てる幸運な人もいるんだなと、集会所の窓に張り出された当選者名を見て思っていたが、今日、今年もどうせダメだろうとしごくあっさりと手を突っ込んで無造作につかんだ三角くじを開くと「一等」と書かれていた。反射的に「ウソッ!」と思った。自分の目を疑った。ほっぺたをつねった。

 

f:id:yonnbaba:20171015110105j:plain

一等、商品券一万円分なり。雨の中だったので、ちょっとまだのしが濡れてます。

 

二十年近くも引き続けていればこんなこともあるのか。このところ地域にはご奉仕もしているので神様からのご褒美かしら?とも思うけれど、ずっとくじ運のない人生を歩んできた私は、こんな幸運を引き当ててしまって、なんだかこれで人生の運を使い果たしてしまったのかもしれないと、少々不安な気持ちになる。いや、一億の宝くじが当たったわけでもないのに、我ながら実に小さな話だ。

やっと鑑賞『ボブという名の猫』と大型店のオープン

都会に住んでいらっしゃる方々から見れば何を今頃と思われることだろうが、やっと『ボブという名の猫』を観ることができた。

 

この作品はどうしても見たいと思い、浜松まで見に行くつもりで公開日などを調べる中で、同時期に豊橋のユナイテッドシネマでも上映されることを知った。その公開初日が今日なので、早速がんばって朝一番で観てきた。

 

ストーリーはもうあちこちで紹介された通り、クスリに溺れいまやホームレス同然の暮らしをしているストリートミュージシャンのジェームズが、一匹の猫と出会ったことで立ち直っていくというものだ。

 

この映画の魅力はもう、なんといっても猫のボブに尽きる。それはそれは崇高で意志の強そうな顔つきで、とても映画初出演とは思えない堂々たる演技だ。多くの見知らぬ人や犬に取り囲まれたり、バスに乗せられたり自転車の前かごに乗せられたり、それでも終始泰然としているクールさは、ひとりのみじめで孤独な魂を救うべく、特別に神様に使わされた猫のように思われる。

 

それにしても、ジェームズが立ち直りのサポートを受けて入居したアパートは、すぐ前の通りで売人がクスリを売っているという環境だ。日本でもだんだんこうした状況になるのだろうか。「一億総中流」と言われた分厚い中間層が崩壊し、格差が拡大している現在、これからもこの現象が進んでいけば、人々の心はさらに荒廃し、間違った方向に逃げ場を求めるようになるのかもしれない。

 

だれもが心のゆとりをもって暮らせる社会にしたいと思うけれど、選挙の状況にも希望は見えず、世界でもトランプの品位のかけらも感じられない発言などで、どんどん時代は悪い方向に向かっている気がする。ひとつ歯車が狂えば、だれもがこのジェームズのようなアリ地獄に落ちてしまいかねない。

 

そうしたときに、サポートするシステムがあり、そこで懸命に力になろうとするヴァルのような人がいたり、ホームレス同然であっても、偏見を持たず彼の優しい魂をまっすぐに見る、ベティのような人がいたりすることは大変な救いだろう。

 

そして、ヴァルやベティのような積極的な優しさを持ち合わせなくても、大抵の人の心の中には優しさが眠っていて、動物はその隠れた優しさを引き出してくれるようだ。ジェームズが一人で路上で歌っていた時と、ボブが一緒のときとでは、彼の歌には違いがないのに、聴衆の反応は全く違う。動物とともに生きることで、人は優しくなれる。そして、優しいとは強いことでもある。

 

今日の映画館は、9時半からという早いスタートだったにもかかわらず、最近私が見た中では一番観客が入っていたように感じた(と言っても20人前後だが)。こういう作品を観ようという人がこんなにいたことに、少々嬉しくなった。

 

豊橋にたった一つの映画館、ユナイテッドシネマ。この隣にはイトーヨーカドーがあったのだけれど今年1月撤退し、そのあとに昨日メガドンキホーテが開店した。オープン2日目の今日は帰り道混雑して大変かなと思ったが、まるでそんなことはなかった。

 

かつてヨーカドーが開店した時には、近隣一帯の道路が大渋滞して大変だったという話を聞いた。時代が変わったのか、それとも店の訴求力の違いなのかは分からない。混雑も嫌いだし、なんとなくドンキホーテという店に良いイメージを持っていない(地元の小中学校の先生方や健全育成に関わる人たちは、この店の出店が決まった時から、子供たちへの影響を心配している)私は、素通りして帰ってきた。

 

 

f:id:yonnbaba:20171014223134j:plain

 

 

姉が急性の脊髄炎で入院

私と同じく、お産の時しか入院というものをしたことのない姉が入院した。死ぬかと思ったというほどの背中や腰の痛みで、あちこち受診するも原因も病名もわからず、北里大学病院で先月MRIを受けた。

 

そろそろ結果も出ているはずと昨夜電話をしたのだけれど、虚しく呼び出し音が響き渡るばかりで、受話器を取るはずの人はいない。これはすでに入院してしまったのだなと甥っ子に電話すると、やはり、検査結果を聞きに行ってそのまま入院ということになってしまったのだそうだ。

 

症状からネットで調べて甥が予想していた通りの、細菌性の急性脊髄炎だという。見たこともない母親の尋常でない苦しみように、一時は母親との別れも覚悟したという甥から、少々入院は長くなるが、命にかかわる病気ではないことを聞いてまずはホッとした。

 

けれども、今日になって改めてネットで調べてみると、いまだに正確な原因も判明せず、障害も残らず元通りに治る人は三分の一だと書かれている。あとは軽度の障害が残る人もあり、なかには日常生活に支障をきたすほどの永続的障害が残る人もあるという、なかなか厄介な病気であるようだ。

 

昨夜は命に別状はないとのことに安堵し、ただ、入院が3か月くらいはかかりそうというので、正月が家で過ごせるかやリハビリが大変だろうなどという心配しかせず、比較的のんきに話してしまった。けれども、甥っ子の心中はそんなにのどかなものではなかったかもしれないと、今になって少々申し訳ない思いがする。

 

97まで生きた母も年を取るほど丈夫になって内科的な病気とはほとんど縁がなく、我が家にいたころなど、時々疲れがたまってへたばる私より健康だったくらいだ。若いころから華奢な体つきで弱々しげに見えた姉も、数年前に膝を悪くはしたものの、病気らしい病気はしたことがなく、喜寿の今年まで寝込むようなこともほとんどなくきた人だった。

 

だからなんとなく我が家の女性は丈夫で長生きと思い込み、むしろ「生き過ぎる」ことのほうを案じていた私だけれど、今回の姉の病でにわかに別な不安も頭をもたげる。しかし、どんなに案じ、また食事や健康に留意したところで、思いがけない病を得たり、障害を負ったり、まして、いくつまで生きるかなどは神の領分なのだからどうすることもできない。

 

今はとにかく、元の平穏な生活を早く姉が取り戻せるように祈りたい。

 

 

f:id:yonnbaba:20171011105035j:plain

子供のころの姉と私。