よんばば つれづれ

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治療のはしごと公示日のスタンディング

昨日寝る前の歯磨きをしていたら、上の前歯のすみがポロリと欠けてしまった。特別力を入れていたわけではない。ごく優しくブラッシングしていただけなので、すでに限界までダメージを受けていたということだろう(私はどうも寝ているときに歯を食いしばっているようだ)。

 

よく見ないと分からない程度だけれど、そのままにしておくと圧力のかかり具合が変わって、ほかの部分も傷んでくるだろうし、やはりいくら年を取ったとはいえ、美観も気になるので朝一番に電話して予約を入れた。

 

今日は鍼灸整骨院にも予約を入れていたので、午前中に整骨院と歯医者をはしごするはめになったが、ほんの30分ほどで歯の修理は終わり、これで心おきなく笑うことができる。やれやれ。

 

午後は小学校での「見守り隊」の関係者の会議に出て、夕方には、日の暮れるのが早くなったのに合わせて5時40分開始となったスタンディングに出かけた。

 

10分ほど早く着いたら、まだ仲間はだれも来ていない。さすがに一人だとプラカードが出せない。定刻になっても現れる人がなく、まさか選挙期間が始まったら公選法違反を忖度して参加する人がいない?・・・と心細くなったころやっと一人現れ、それから徐々に集まってきた。結局10人ほどが参加した。

 

私たちの前を通りながら、少しでもプラカードに目をやってくれる人には、会釈をし、「こんばんは」と挨拶もするようにしている。時々会釈を返してくださる方や、なかには「ご苦労さまです」と声をかけてくださる方もあって、勇気と元気が湧く思いがする。

 

投票日までたったの12日。とても重要な政権選択選挙だけれど、はたして有権者たちはどう考え、メディアは選挙戦をどう報じるのだろうか。

 

 

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ネットからお借りしました。去年の参院選時のポスターですね。

投票率を上げたい!

 

 

 

 

インドネシア料理 ソトアヤムを習う

私が以前所属していた豊橋ユネスコ協会主催の国際交流の料理教室に、お誘いを受けて参加した。料理を指導するのは、コスモス会のメンバーであるインドネシア人のKさんとMさんの2人というご縁もある。Kさんはまだ日本に来てから日が浅く日本語がほとんど話せないため、昨年日本語スピーチコンテストで2位を獲得したMさんがアシスタントを務めた。

 

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赤ちゃんを抱っこしているのがKさん。背中におんぶするのと違って、抱っこして料理をするのはなんだか不安で仕方がなかった。赤ちゃんを見ていてあげられれば一番いいのだけれど、まだ全くママから離れられない。コスモス会の時も、ちょっとでもほかの人に抱かれると泣きっぱなしになってしまうのでやむを得ないのだ。

 

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おじさま2人も参加。私は別のグループだったので、腕前のほどは不明。

 

ソトアヤムというのはインドネシアのチキンスープ。鶏むね肉をゆでたあと油で揚げて、トマトやゆで卵・春雨とともに、セロリ・レモン・フライドオニオンなどを薬味としたスープ(調味料はおろしニンニク・しょうが・レモングラス・ライムの葉・ターメリック・長ネギ・塩)の具にしたもの。

 

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これはスープをはる前。左側のピンク色のものは高温の油で揚げて大きく広がったえびせん(これは先生がまとめて揚げてくれ、私は自分たちの作業に忙しく、調理するところを見ていなかったので揚げる前のえびせんがどんなものだったのか分からない)。

 

 

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スープをはって、できあがり。やさしい薄味だった。物足りない人は唐辛子を振る。なお、ムスリムの人たちの食べる分は、もちろんハラル処理された別の鶏肉を使った。

 

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食事のあとはMさんから簡単なインドネシアの紹介があり、ヒジャブの巻き方の実演もしてくれた。かぶっているきれいな布を取ると、さらに中にニットのぴったりしたものをかぶっていたのでびっくり。暑がりの私は、これで日本の夏を過ごすことはとてもできそうもない。

 

Kさん、Mさんの他にインドネシア人のDさんが2人のお子さんを連れて参加してくれて、にぎやかでなごやかななかに、料理教室は終わった。こうした草の根の国際交流は、楽しくて意義深いものだと思う。私の住む団地にも外国人の住人が増えているので、いずれこうした交流の真似事でもできたらいいなと考えている。

 

 10月7日土曜日のこと。

 

 

『この声をきみに』で味わう群読の魅力

全8回で、もう半分まで来てしまったが、NHK金曜夜10時のドラマ『この声をきみに』に魅せられている。

 

物語は、竹野内豊さん演じる大学の数学講師が、あまりにも数学に夢中すぎて、妻(ミムラ)に愛想をつかされ、ある日突然子供たちを連れて出ていかれる。けれども寝ても覚めても数学しか頭にないような夫は、なぜ妻が家を出ていったのかさっぱり分からない。

 

フィクションの物語などまるで受け付けなかったその数学〇〇の夫が、偶然出会った朗読教室で、群読という行為を知り、抵抗しながらも次第にその魅力に惹かれ、変わっていく物語だ。

 

その朗読教室の主催者を演じている柴田恭兵さんには、『あぶない刑事』のやんちゃなユージが、いつの間にこんなに落ち着いて魅力的な初老の男性に?と驚かされた。人間的深みをたたえた、温かで信頼できる人物像をみごとに表現している。

 

主人公を演じる竹野内さんは二枚目ぶりをすっかり消し去って、あまりに人の気持ちに無神経すぎる男になりきって、見る者の気持ちをイライラさせる。こんなにハンサムでも、こんな性格だとこれほど不愉快なんだ、と痛感させてくれる。

 

朗読教室の講師を演じる麻生久美子さんは、なんとなくどこか別の世界から来たひとのような不思議でミステリアスな役柄がピッタリだ。

 

こうしたそれぞれのキャストも魅力的なのだけれど、なんといってもこのドラマの一番の魅力は、劇中で朗読教室の生徒たちによって披露される群読だ。第一回には、いきなり谷川俊太郎の「生きる」で、心をギュッとつかまれてしまった。三回目の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」ももちろん素晴らしかった。これらの詩は作品自体がもう圧倒的な力を持っているのだけれど、片桐はいり杉本哲太堀内敬子といった俳優さんたちが演じる朗読教室の生徒たちの群読は、詩の新しい魅力を見せてくれた。

 

こんなに気に入っているドラマなのに、先週の金曜日はスタンディングとそのあとの交流会(ミーティング)で10時ころに家に着き、すっかり忘れてバタバタしていて見逃してしまった。残念なことに「毎回探して録画」の設定もしてなかった。でも、調べたら再放送があるようで胸をなでおろしている。

 

NHK、朝のニュースや夜9時のニュースはもうまるで話にならないけれど、ドキュメンタリーやドラマでは、まだまだ、結構良作を作ってくれる。

 

 

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パソコンとスマホで固定費はいくらくらいなんだろう?

「セットでだんぜんお得、auスマートバリュー」という大きなチラシがポストに入っていた。我が家のインターネットはauひかりで、スマートフォンはYmobileだ。パソコンはもうすぐ4年、スマホはもうすぐ3年になる。現在は両方合わせて1万円弱の料金を払っている。一緒にしたらいくらかでもお得になるのかしらと思い、近くのauのお店に出かけてみた。

 

僅かな年金暮らしなのだから、固定費は少しでも減らせたら嬉しい。けれども、残念ながら結論は、現状よりお得にはならないという回答だった。パソコンとスマホで1万円弱という金額は、かなりお値打ちなほうですとのこと。ならば今後も、通信費としてこの金額の負担が続くことを覚悟しなければなるまい。

 

洋服なら、この品質でこの値段は妥当だとか少々高いとか判断も付くが、この分野は不案内なので、どうも常に無駄なお金をかけているのではないかという疑心が、頭の隅に引っかかっている。おまけに「〇〇すればお得」というようなコマーシャルもあふれている。ずっと同じもの、同じところを使い続けているとお得というサービスがあると、高齢者には安心なのだけれど。

 

プロバイダを換えたりするのも付随する手間がだんだん煩わしくなってきたので、もう固定費を安くする算段などせず、同じところを使い続けよう。たとえ少々高かろうと、心の平安料だと思おう。

 

携帯電話のお店に行った帰り道、途中にある喫茶店でランチをとることにした。長く続くホットサンドの美味しい喫茶店だったのだけれど、昨年急に閉店してしまって残念に思っていた。そこがこの春新しいお店になってオープンした。行ってみようと思いながら機会がなく、はや半年、思い切って一人で入ってみた。

 

落ち着いた雰囲気の店内は、ほとんど以前のままのようだ。昼時なのに私が入った時にはビジネスマンらしき人が一人だけ。これでは早晩閉店となってしまうのでは・・・と心配していたら、そのうち一組、二組と入ってきた。利用する側としては混雑していなくて落ち着けるが、営業的にはちょっと不安。食事もコーヒーもごく平凡な印象。

 

 

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日替わりランチ(この日は生姜焼き)1000円。ドリンク付き、私は食後にホットコーヒーを頼んだ。「ミルクと砂糖はお使いになりますか?」と注文時に聞いてきた。初めての経験だ。でも無駄にならなくてよいと思う。たとえ使わなくても、一度客に出した砂糖とミルクはゴミになってしまうのだろうから。

 

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緑の多い外観も以前のまま。

10月5日、木曜日のこと。

 

 

森絵都著『みかづき』はきわめて政治的な物語と読めた

これは、昭和36年の千葉県のとある小学校の用務員室に始まり、その用務員の孫が始めた、貧困家庭の子供を対象に無料で学習の援助をするNPOの話で終わる、およそ半世紀にわたる、教育にかかわるある家族の物語だ。

 

用務員の大島吾郎は、ある日学習についていけない男の子に泣きつかれ、放課後自分の用務員室で勉強を見てやることになる。吾郎さんに教わるとよくわかるという噂が広まり、じきに六畳一間がぎゅう詰めになるほど子供たちが集まるようになる。

 

そんな吾郎のところに、そうした子供たちの1人である蕗子の母、赤坂千明が訪ねてくる。自分が始めようと思っている学習塾を手伝ってほしいというのだ。

 

こうして吾郎と5歳年上の千明はともに補習のための塾を始め、血のつながらない蕗子と、千明の母頼子の四人は家族となる。時代の要請もあって塾はとんとん拍子に大きくなっていく。吾郎の血を引く娘も2人生まれる。

 

 

千明は戦前に国民学校教育勅語を叩き込まれ、鬼畜米英と叫んでいた教師が、戦後は同じ口で平和を唱え始めるのを見た体験から、学校や教育というものへの不信が骨の髄までしみ込んでいる。自分こそは新しい時代に、子供たちに自分の頭で考える習慣をつけ、真の生きる力を与えられる教育者になりたいと思う。

 

けれども、敗戦後の、理想に燃える民主主義教育から、独立を果たした昭和27年には学校教育法の改定で教科書の検定権が文部大臣の手に渡り、やがて日教組の弾圧が始まり、教育委員の公選制から任命制への変更などで文部省の権限が拡大していくのを見て、千明は教員になる気を失う。

 

そうして公教育とは別の場所で自らの信じる教育をしたいと考え、またこれからは必ず学校以外に知力をつける場所が求められる時代になると信じ、私塾に舵を切ったのだ。

 

始めのうちは日陰者のようだった塾も、国民の教育熱の高まりとともに急成長する。しかし大きくなればなったで、公教育や世間からの風当たりも強くなる。塾同士の争いも熾烈になる。教室を増やしどこまでも経営を広げていこうとする千明と、子供と丁寧に向かい合いたい吾郎とは徐々に溝ができていく。

 

 

私自身昭和59年から10年ほど塾をし、最後のあたり(平成の初め)は子供の数が激減する時代が迫り、「学習塾戦国時代の到来」と事務局からはしきりに危機意識をあおられた。そういう背景だからこそ、長男の大学進学を前にして、今後4年なり6年(大学院まで行く可能性があったので)仕送りを続けられるだけの生徒を確保し続けられるか不安になり、結局故郷に戻る(豊橋に幸い理系の国立大があった)という選択をした。

 

また、私の教室では経験しなかったが、塾の高進度の生徒が学校で教師の嫌がらせを受ける話などは、事務局員からよく聞かされたし、塾の一番の敵はライバルの他塾ではなく学校だとも言われた。事実せっかく頑張って続けてきた子が、中学生になると部活が大変で・・・と辞めていくことは少なくなかった。

 

こんなふうに、私も一時期教育産業の片隅に身を置いていたので、この物語に描かれた塾や学校をとりまく話題はとても興味深く読めた。

 

実在の塾の名前も出てきたり、ゆとり教育という名に隠れた国の本音や、規制緩和による非正規雇用の増加と格差拡大、海外で子供を学校に通わせた親の多くがびっくりするような、日本の公教育における家庭の高負担などの今日的な問題にも触れていて、ノンフィクションかと思うような迫真性もある。

 

こうした時代による教育の変化を背景に、その中での塾経営者としての戦い、家族や夫婦の葛藤などを紡ぐ460ページ余の長編である。概して激しい気性の大島家の女性たちに対し、男性たちはおっとりとおおらかだ。なかなか多彩な登場人物を描いているが、いささか深みには欠けるかもしれない。

 

人物の魅力よりも、塾を中心とした教育界をめぐる話が惹きつける。そしてもちろんその問題の根源である政治や文科省。出版されたのは1年前だが、ちょうど現在大きな問題になっている(総選挙で少しかすみ気味ではあるが)ことであり、私にとっては非常に面白く有益な読書となった。

 

 

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4年ぶりの赤い羽根街頭募金体験

10月の1日、2日、3日と各地区の民生委員が分担して、豊橋駅前で赤い羽根の街頭募金を行った。最終日の今日の最後のワク(14:00~16:00)が担当になっていて、うちの地区から6人が参加、3人ずつ2か所に分かれて募金に立った。

 

いまやどこの地方都市も同じだろうけれど、わが豊橋市中心市街地の賑わいはかなたに失せて、平日のこの時間帯に街頭募金に立ったところで、そもそも歩道を歩く人があまりにも少ない。

 

ひと信号で渡ってくる人が2人いればいいほうで、大抵は1人、ゼロということもある。「赤い羽根共同募金に・・・」と呼びかけると、ほとんど特定の個人に呼び掛けているに等しいありさまだ。そして、それでも大半の人は知らんぷりをして通り過ぎる。まあ、私自身も寄付は振り込みで、街頭募金はしないほうだから文句も言えない。

 

途中メンバーの1人が気分が悪くなってしまった。木陰もないわけではなかったのだが、「お店側でなく交差点の道路側に立つ」という申し合わせに先輩委員が忠実に従い、私たちは10月とは思えない強い日差しの照り付ける中に立っていた。

 

私たちの前の時間帯の人たちは、ちゃっかり木陰に立っていたのだけれど、その場所に到着するなり、その人たちに「店側に立つのは間違い」と指摘した我らが先輩は、顔に汗を滴らせながらも日陰に移動しようとは口にしなかった。

 

そうしているうち、一番若い主任児童委員さんが青い顔をして「気分が・・・」となってしまったのだ。熱中症だったようだ。水分補給して木陰で休んでもらったが、恐縮しきりの本人が、帰りの車を運転しながら曰く、「赤い羽根募金のたすきをかけて木陰でしゃがみ込んでいるなんて、信号待ちの車の中から写真でも撮られて、”募金のおばさんがヘタってる”とかつぶやかれたら恥ずかしいと気が気じゃなかった」。

今はそんな心配をしなければいけない時代だ。

 

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以前更生保護女性会のメンバーとしてこの活動をした時も疑問に思ったが、今日は前回よりさらに寂しい成果で、ますます疑問の思いを深くした。でも、今のところは、何期もなさっているベテランメンバーも少なくない民生委員の中で、一番の新参者である私はとてもそれを口にはできない。

 

4年前の更生保護女性会での募金活動エントリ

yonnbaba.hatenablog.com

水の話でいただいた、皆様からのコメントに感謝

昨日のエントリを書くときには忘れていて、私がずっと水は水道水でいいと考えていたように書いたが、実は子供たちが家にいた頃はハーレーという浄水器を使っていたのだった。

 

カートリッジ交換型でないことや、何かに発表された浄水器の性能テストの結果が割合良かったことから選んだように記憶している。ただ、カートリッジ式でないため、定期的に高温水によるバックウオッシングが必要で、これが結構面倒だった。

 

やがて子供たちは巣立ち、浄水器の寿命も来た。かなり高価なものだったのでほかのメーカーのものの購入も考えたが、私一人ならなしでもいいではないかと思い直し、その後は浄水器を取り付けないままになった。その代わり、直接飲む水だけでもと、ブリタという当時評価の高かった浄水ジャーを購入した。

 

家事をする人なら分かると思うが、水というのはきれいそうなのに、なぜこうも水回りは汚れるかと呆れるほど、すぐにぬめって不潔になる。使ってみると、この浄水ジャーも同じで、かなり頻繁に洗わないといけない。浄水機能を持つだけに、単なるジャーを洗うように簡単にはいかない。で、結局、気にはなるけれど横着な私は使わないでしまい込み、この間、食器戸棚を買い替える際の台所の整理時に処分してしまった。

 

皆様のコメントを読むうちこのようなことを思い出し、もう20年以上前からなんとなく水道水に不安を感じていた自分に気付いた。子供たちが巣立った後母が我が家に来たけれど、年寄り二人、それも女同士という気楽さもあって、栄養面は気にしても食の安全性という点にはすっかり無頓着になった。

 

かつて新婚の家に青森の舅が来た時「東京の空気は臭い」と口にし、私は内心なにを大げさなと思った。ところが、やがて自分自身が青森の住民になり、たまの里帰りの時に姉の家に寄るため東京で途中下車すると、深く息を吸うのも躊躇われるような感じがした。木々の緑も濁って見えた。舅の言葉が大げさでも何でもなかったことを理解した。(これは何十年も前のことなので、今のほうが排ガス規制等できれいなのかもしれません。)

 

だから、15年の青森暮しのあと帰郷してこの地で子供たちを育てるにあたって、水や食べ物に不安を感じたのだろう。最初のうちはゼロからの仕事再出発で余裕がなくどうしようもなかったのだが、ある程度のめどが立ってからは、浄水器を使ったり、無農薬野菜購入の会に入ったりした。

 

今も子や孫が帰省するとなると買い物も気を付けるが、一人ならなんでもいいやという気分でいた。しかし長生き志向はなくても、今の自由で気楽な生活を続けるためには、自分のことが自分でできる状態でいなければならない。誰かの世話になれば、何かしら我慢しなければいけなくなる。

 

そんな訳で、ナナホシさんのブログや寄生虫博士の本を読んだのをきっかけに、せめて直接口に入れる水を替えることと、常々水分の摂取量が少ないであろうことも自覚していたので、もう少し積極的に水分を取るように改めた。

 

情報過多の時代だ。玉石も混交混淆だし、専門家と言えどもお金のために企業のお先棒を担ぐこともある。怪しげな情報に踊らされて嫌な思いをしないようにとの、思いやり溢れるコメントを何人かの方から頂いた。少々自己弁護ぎみな返事をしてしまったかも知れないけれど、おっちょこちょいな私には、「ちょっとちょっと・・・」とのお声掛けは大変ありがたい。これからもなんとか、ありがたいアドバイスをいただきながら、ネットの情報の海を溺れないように泳いでいきたい。

 

 

今日の一枚。

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写真撮影をしていると通行人の視線が集まるので、そちらが目的の写真撮影。ジャンプの一瞬を撮ろうと考えたはいいが、跳ねる方も撮る方も年寄りゆえなかなかタイミングがうまく合わない。

 

そこに丁度”言いだしっぺ”のかつての教え子の男の子が通りかかったので撮影を頼んだ。すると「こういうときは連写を利用するといいんです」とのことで、みごとな?瞬間を捉えることができた。

 

今までiPhoneの人に撮影を頼まれ、そうするつもりもないのにカシャカシャカシャと連写になってしまって慌てることがあったが、こういう時に利用するなど思いつきもしなかった。若い人とは付き合うものである。”言いだしっぺ”と、やはり頭が固くなっているのかしらねと嘆き合った。