よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

人は見た目

連日、集団的自衛権のニュースが報道されるなか、識者の意見ということで、法律の専門家などへのインタビュー映像もしばしば目にするけれど、これが面白いことに、今回の閣議決定について賛成派の方か反対派の方かが、口を開く前に分かってしまうのだ。その方の顔付を見ただけで・・・。


リンカーンが「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったそうだが、改めてこの言葉を噛みしめる。私はどんな顔つきをしているのだろう。鏡に映る虚像ではなく、他の人から見た時にどのような人間に見えているのか。人は見た目ではないとも言うけれど、生まれつきの美醜はともかく、こうして防衛に関する事柄の賛否さえ分かってしまうくらいなのだから、やはり見た目をおろそかにはできない。

なるべく自然に逆らわないで生きたいので、親からもらった顔はどうしようもない。同じく、背が低いのも、白髪も皺もシミも仕方がない。胴長短足もどうにもならないけれども、せめて太らないようにはしよう。健康のためにも良いし、これは努力すればできることだから。幸い今のところ足などには何の問題もなく、運動することもできるのだし。

裕福そうに見えないのも仕方ない。裕福じゃないのだから。なかなか物が捨てられなくて、服など20年、30年着ているものはざらだけど、せめてこざっぱりとして、なおかつセンス良く着こなす努力は怠らないようにしようと思う。品性、知性のかけらも感じられないのでは悲しいので、少しでも身に付くよう、これも努力だけは心がけよう。そうして、できれば誠実そうな人間でありたい。

あと、欲張りで恥ずかしいような気もするけれど、自分が年配者の部類だと自覚ができてから、若い人たちが「あれだから年は取りたくない・・・」と思ってしまうような高齢者になりたくないと思っている。できることなら、「あんなお婆ちゃんになるのなら、年を取るのも悪くないかな」と思ってもらえるような、人生の良き先輩像になることができたら!と大それた希望を持っている。

私自身、素敵な人生の先輩をお見かけすると、嬉しくて気持ちが明るくなる。女性にとって年齢を味方にするのはとても難しいことで、女優さんたちでさえ、いつまでも若々しくて美しい人はいても、年齢なりに素敵な人はめったにいない。でも、自分が夢として持つのは勝手だから、これからもずうずうしく素敵なおばあさまを目指していこうと思う。