よんばば つれづれ

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ディケンズ著『二都物語』

二十代の若い方が「150年前のラノベ」とご自分のブログで『二都物語』を紹介しているのを見て、懐かしく50年ほど前のことを思い出しました。中学二年生の時、担任で社会科が専門だった先生が、歴史で学ぶ時代を良く知りたかったらその時代を舞台にした小説を読むと良いとおっしゃって、ちょうどその頃学んでいたフランス革命を背景に書かれたこのディケンズの小説を紹介なさいました。中学時代は結構本を読んでいたのに、私は自分の興味を引くものだけにかまけてこの作品を読んでみようとはしませんでした。歴史をただ年号や出来事だけ要領よく暗記して、テストで点を取ればそれで良しと片付けてもいたように思います。あの時素直に読んでいたら、それ以降歴史を学科のひとつとしてではなく、生身の人間の息づく物語としてもっと興味深く学ぼうという気持ちになったかもしれません。

読書が好きなどと言いながら、60歳を越えた今も文学史に出てきたような古今の有名な作品すらろくに読んでいません。大勢(たいせい)に反発するへそ曲がりな性分も関係していたかもしれません。でも確かに時代を超えて多くの人に受け入れられるものには、きっとそれだけの魅力があるはずなのですから、せめて生きているうちにもう少し有名な作品に触れておこうと、近頃やっと遅ればせながらそういう気持ちになっています。

そんなわけで『二都物語』を市の図書館のホームページで検索したのですが、たいそう古い本しか見当たらず、昭和41年発行(奇遇です、ちょうど私は中学生)の河出書房世界文学全集第5巻を借りました。現代の本と違って小さな活字でしかも二段組、1ページに文字がぎっしり詰まっています。近頃の本は、特にテレビでシリーズ物のドラマになっているような人気作家の作品では、不必要と思われる短い会話のやり取りでページの半分以上が白いままなんてことも珍しくありません。ページ数稼いでるなあ・・・と思ってしまったりすることもあります。幸い字が細かいことはまだ苦にならずに読めますが、訳文がいかにも古臭く年配の私でも始めはかなり苦労しました。

それでもがんばって読んでいくと半ば過ぎあたり、特にフランス革命が動き出してからはグイグイ引き込まれ夢中で読みました。歴史で学んだり、さまざまな映画や舞台の作品で知ったりするフランス革命は、貴族の圧制に対する民衆の蜂起で、権力側が悪、市民側を善とする分かり易く感動的な勧善懲悪物語ですが、この物語に描かれているそれはもっともっと醜いものです。悲しみを知っている人のほうが優しくなれるともいいますが、人は悲しみや苦しみの中で憎しみを抱き増幅させ、受けた以上に報復もしてしまう生き物でもあるのです。戦争とか紛争とか、極限状態や集団ヒステリー状態に陥ると、いかに人間は残虐になりうるかということを痛感します。だからこそ、人類の知恵でなんとしてもそういう不幸な状態を作り出さないようにする努力が必要だと思います。

最後に愛する人のため究極の自己犠牲の道を選択する主人公が、愛する人々の未来を想像している部分で、「ぼくの名を負うたひとりの少年・・・」と出てくるのですが、ヒロインの子どもは女の子なので、これは未来に新たに生まれる子どものことなのだろうかとも思うのですが、普通に読んでいった感じではどうしても主人公になついていた、すでに登場している女の子(この子が女の子と思い込んで読者は読んでいるが、実は男の子だったというどんでん返しなのだろうか、そのために小さなルーシーとか、はっきり名前を書かずぼかしているのだろうかと深読みしてしまいましたが、下の子どもがはっきり「おねえちゃま」と言っている)のように思われ、ネットでいろいろ調べて見ましたが、そのことに言及しているサイトは見つかりませんでした。この一点が私には謎として残りましたが、久々に読み応えのある本を読みきった!という気分です。(さすがに最近の本のように夢中になって1日で読みきるなんてできず、何日もかかりました)



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