『難民高校生』仁藤夢乃著―絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル―
著者は現在27、8歳で、どこにも自分の居場所がないと感じているような若者を、大人や社会につなぐ仕事をしている。この本は、かつて月のうち25日は渋谷の盛り場で過ごしていたという著者が、一人の大人との出会いで立ち直るきっかけをつかみ、現在のような生き方に至るまでを記したものである。
ほとんど家にも帰らず学校にも行かず、盛り場で暮らす高校生と聞くと、よほど悪い条件の揃った特殊な子という先入観を持ちやすいが、著者は単身赴任の父親と仕事を持つ母親、そして妹という、それほど珍しくはない家庭環境で、中学生の半ばまでは、活発でどちらかといえば真面目な子どもだったと言う。
それが、思春期にありがちな、校則に素直に従うのはカッコワルイ、というほどの軽い気持ちから校則違反をし始め、きちんと説得もできず頭からダメな生徒と決めつける教師たちに反発を感じ、どんどん深みにはまっていく。また、両親の間に亀裂の入り始めた家庭も、彼女にとって安らげる場所ではなく、同じような状況の友人たちと盛り場に自分の居場所を見出すようになる。
著者は社会活動家の湯浅誠氏の「〈貧困〉というのは”溜め”のない状態のこと」という言葉を引いて、高校生は「金銭的な溜め」はもちろん、「人間関係の溜め」も「精神的な溜め」も持っていないと言う。だから家庭や学校に居場所がなくなると、あっけなく「難民」状態になってしまうというのだ。
そんな、渋谷の盛り場でホームレス状態の彼女たちの現実が、著者の友人たちの実例で紹介される。当然、「女子高校生」であることを武器にするような働き方に落ちていく子が多いのだけれど、憤りを覚えるのは、15や16の未成年者であることを承知の上で、雇用者側になるのも顧客の側になるのも、れっきとした大人の男たちであることだ。
そんなすさんだ生活を送り高校も中退し、未来に何の希望も展望も持っていなかった著者が、そうした世界から抜け出すことができたのは、一人の大人との出会いがあったからだ。
彼女のような高校中退者や不登校者、中卒などの人がもう一度学んだり大学受験に挑戦するための予備校で、彼女は、ミニスカートにヒールの靴で農作業に参加するような自分を、何の色もつけず、ただ「仁藤夢乃」個人として見てくれる講師「阿蘇さん」と出会う。
それまで出会ってきた大人たちとは決定的に違う、安心し信頼できる阿蘇さんに、彼女の言うことやすることに「なんで?」「なんで?」と聞かれるたび、それまで諦めたり投げやりにろくに考えもせずにいたことを真剣に考え、自分で自分の心ときちんと向き合わざるを得なくなる。
そうして彼女は徐々に変わっていき、阿蘇さんが支援するジャパニーズ・フィリピ―ノ・チルドレンやドヤ街の人々などの存在を知り、社会に目を向けていく。予備校の農園作業で初めて書いた感想には「のうえん。楽しかった。虫。」としか書けなかった彼女が、AO入試で大学を目指すまでになる。
念願の大学に入り、かつて渋谷の路上で「自分は、こうした苦しんでいる若者のことを忘れない大人になる」と思った通り、若者と社会をつなぐきっかけの場を作る活動をするようになる。フェアトレードと若者の関心が高いファッションを結び付けた、フェアトレードファッションショーなどを成功させ、メディアにも取り上げられたりするようになったころ、東日本大震災が起きる。
それまで出会った学生やNPO団体から復興支援のためのプロジェクトの設立に協力を頼まれたりして現地に足を運び、被災地にも苦しみながら生きている高校生たちがいて、都会のように学校や家庭を離れてたむろしていられる居場所もない分、よけいに生きにくい思いをしていたことを知る。
そうした高校生たちを取り込みながら、地元の和菓子屋さんと協力して被災地支援のための新しい菓子を開発販売し、成功に導いていく。
著者仁藤夢乃さんは現在女子高生サポートセンターColaboの代表理事として、「居場所のない高校生」や「性的搾取の対象になりやすい女子高生」の問題を社会に発信するとともに、そうした少女たちの自立支援を行っているそうだ。
高校時代、親からも教師からも全くだめな人間として扱われ、渋谷で難民のように暮らしていた著者が、一人の大人との出会いでここまで変われたのだ。大切なことは、相手を一人の人として見ること、と彼女は言う。
自分の身近にかつての彼女のような女子高生がいたら、私はその子をまっすぐ一人の人間として見られるだろうか。自分をちゃんと大切にして生きていく道の方へと、背中を押してあげられる大人になれるだろうか。
いま一緒に勉強している中学生のNちゃんを見ても、現代のティーンエイジャーは私たちの頃とは比べ物にならないほど、息苦しい世界で暮らしているのだなあと感じる。そんな子供たちを救えるのは、やはり大人だろう。大人が嘘をつかないこと。素直に正直に生きることを心掛け、子供たちの人格をきちんと尊重して向き合い、自分にできないことを無理に押し付けたりしないことだろう。
若い人たちが、希望を持てる未来を用意することが大人の役目なのに、どこでどう間違って、こんなに不安な未来にしてしまったのだろう。大人の一人として、出来得る限り、少しでも、明るい未来にするよう努力しなければ・・・。