よんばば つれづれ

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今年の12月の寒さと年末風景

毎朝起きてまずストーブをつけたときに表示される「現在室温」が連日一桁なので、今年の冬の寒さは重々分かってはいたけれど、昨日新聞受けに入っていた「ガス使用量のお知らせ」を見て、改めて厳しい寒さを実感した。12月の料金が去年の2倍近かったのだ。設定温度はほとんど同じなので、今年の12月がいかに寒いか分かる。

 

例年は寒の最中に何回か一桁になる程度なのに、今年は12月の早い時期から10度をきり、二桁のことのほうが少ないくらいだ。8度という日さえ何回かあって、この8度というのは記憶にある限り初めてのこと。まさか、このままどんどん寒くなっていくわけではないだろうと思うのだが・・・。

 

そんな寒さの中だけれど、外壁の工事があったこともあり、窓ガラスの汚れが例年以上に気になっていて、ついにガラス磨きをした。普段めったにしないところの掃除を始めると、ついもっともっと・・・とエスカレートしてしまい、腕が痛くなってしまう。そうして、だから嫌なんだ・・・となってまたずっと放っておくことになる。

 

・・・という自分の心理が分かっているので、さすがにこのごろは何事もあまり完璧を目指さないよう心掛けている。そんないい加減さでも、磨き終えた窓ガラスはかなり気持ちよくなった。春になったら次は網戸の張り直しを頼もう。猫がいる間、どうせ網戸にすることはできないからと放っていたので、これも日に当たって傷み、そのうえ汚れもひどい。ガラスがきれいになった分、そのひどさが目立つ。

 

 

子供のころの年末はワクワクするようなとびきりの日々だった。家族総出で大掃除をしたり、母が糊を煮て父が障子を張り替えたりした。その張り替えの時には、普段破いたら大目玉の障子紙を、大威張りでベリベリ破いてはがすのが楽しかった。

 

家族全員の新年用の新しい下着を買いに、デパートに出かける母についていくのも、年末の楽しみのひとつだった。そのうち我が家にも近所の家々にも門松が立ち始める(やがていつの間にか、その門松は紙に印刷された味気ないものに変わってしまった)。

 

こうしたことの合間に、子供にはさらにワクワクするクリスマスがあり、ロマンチストの父は、私の枕元にちゃんと私の欲しがっていたようなプレゼントを置いてくれたし、4人の兄弟姉妹がそろっていた頃は、切り分けたケーキを、あれが大きいこれはちょっと小さいと言いながら食べるのがとても美味しかった。

 

さらに押しつまると、頼んでおいたお供え餅やのしもちが業者から届き、台所に所狭しと広げられる。頃合いの硬さになったのを見計らって、父や兄がのしもちを切り分ける。今のようにいつでもお店で餅が買える時代ではなかったので、まさに年に一度で、餅の量も半端ではなく、2月になってもまだカビを削り取りながら食べていたように思う。

 

楽しくて楽しくて特別なお正月は、それこそ「もういくつ寝ると・・・」と指折り数えて待ちに待った。

 

でも、近ごろは1年に2度も3度も正月が来るような気さえする。そしてせわしないばかりで、風情というものはさっぱり感じられなくなった。たんに私が大人になったからというだけだろうか・・・。

 

 

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お正月のきょうだい。長兄は胸に黒い犬を抱いている。

このころデートに忙しくいつも姉は不在だ。

左隅に斜めになっているのは国旗の竿。 昭和33年か34年ころ。

 

 

 

赤ちゃんは自分の意志で生まれてくるのに、人生の最後は選べない?

こんなニュースを見つけた。自らの意思で飲食せずに死を早めようとする人たちがいるのだそうだ。記事には終末期のがん患者が多いと書かれている。「自発的に飲食をやめる」という英語(voluntarily stopping eating and drinking)の略から「VSED」と呼ばれているという。

 

www.asahi.com

 

源氏物語』を読んでいると(現代語訳です)、この「VSED」による死ではないかと思われるシーンに一度ならず遭遇する。柏木や紫の上などはこれではないかと思う。周囲のものたちがせめて口当たりの良いものだけでもと勧めるのに、本人にもう生きようとする欲がなく、水さえ口にしようとしない。そしてあっけなく命の灯を消してしまう。

 

以前から長生きし過ぎそうなことを恐れている私は、できれば自分で良い頃合いをはかって、この消え方をしたいものだと思っているのだが、食い意地の張っている私はとうていこのような潔い行動はとれそうにない。そのころまでに日本でも法律が改正されるといいのだけれど。超高齢化で老人だらけになれば、そういう方向に行くだろうか。

 

赤ちゃんは、自然に任せれば予定日など関係なく、自分でちょうど良いころ合いを決めて生まれてくる。よく「赤ちゃんを産む」と言うけれど、本当は赤ちゃんは「生まれてくる」のであって、お母さんや医療は手助けするだけだ。

 

ならば、人生の終幕も自分で決められたらいいのにと思う。現実的なお金のことなども、いくつまで生きるのかが決まれば計画が立てやすい。そう思う一方で、いろいろ不都合があっても、やはり未来は分からず、寿命は自分では何ともできないところに意味があるのかとも思う。

 

だいたい、自分の意志で生まれたといっても、その時の記憶など普通はないわけで、いったい自分がなぜあの日あの時を選んだのかなど分からないまま、人は人生を生きていくのだ。

 

自分という生物の出現も、消滅も、なんだか分からずコントロールもできないが、少なくともその間の「生きている」期間は自分で選び、考え、切り開いていくことができるし、『知の逆転』のジャレドさんの言うように、そもそも人生に意味を求めすぎるのも問題だ。

 

私が長生きしすぎることを恐れるのも、格好よく死にたいという欲があるからだ。生物として平凡に生を全うすればよいと達観することができれば、こうした悩みからも解放される。

 

 

『知の逆転』について興味がおありなら、過去の拙ブログを読んでみてください。今となっては評価が大きく変わってしまった人の話題も出てきますが・・・。

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

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のんびり、自然体でね。

えてして性格はだんだん濃くなっていく

この数年しみじみ実感することがある。母が昔よく口にした「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うなゆく道じゃ」という言葉の、うしろ半分のほうだ(この言葉をよく口にした割には、母は子供の躾に厳しい人だった)。

 

子供のころや若いころには、お年寄りを見て理解に苦しんだり呆れたりすることが少なくなかった。どうして紙をめくるときに指をなめるのか、動きだすときに「どっこいしょ」などの掛け声をかけるのか・・・など。私は年をとってもいかにも年寄り臭い掛け声などかけないぞと思っていた。

 

ところが、近ごろ車に乗りこむとき、つい「ヨイショ」といってしまっている自分に気づく。股関節がまだ完全ではないので、声を出さないと足が上がらない。若い時にはなんでもなくできた動きさえ、掛け声をかけないと大変になるのだということを知った。ハンマー投げなどの運動選手がよく大きな掛け声をかける。以前は、声で飛ばすわけではないのにと不思議に思ったが、体を動かすことと声とは密接につながっているのだということを、しみじみ実感するこのごろだ。

 

紙をめくるときの指なめはいまのところしないで済んでいるが、今後もこの美学を貫くためには、「メクール」を常時持ち歩くことが必要になるかもしれない。

 

昔話の「こぶとりじいさん」に、こんなこぶのある人いるわけないのに・・・なんて子供の私は思ったが、年を取るとちょっとした「できもの」が、いったんできるとなかなか治らずそのままになってしまうこともあり、そうした年寄りの体質を、あの話はデフォルメしていただけなのではないかと今は思う。

 

良いお爺さんと悪いお爺さんにしても、年を取れば自然に「人間がデキていく」どころではなく、むしろもともとの性格が濃くなっていくのだなあと実感する近ごろ、お人よしの人は良いお爺さんになり、意地悪や疑り深い性格の人はますますそれが濃くなって嫌なお爺さんに(あるいは舌きり雀のお婆さんのように)なってしまうのかもしれないと、妙に納得してしまう。

 

もともと食べ物に好き嫌いはないが、人の好き嫌いは結構あるほうだった私は、近ごろ苦手な人がますます増えていくようだ。退職したとはいえ、地域の仕事や社会活動をしていれば、それなりに人間関係もできる。なるべく苦手な人を作らないように、寛容であらねば・・・と思うのだけれど、これがなかなか難しい。

 

自分が苦手だなと思う人を反面教師にして、なるべくそうならないようにしたいと思うが、なにせ我儘で短気な性格が濃くなってきているのだから大変だ。話し合いの場面で自分ばかりとうとうと話す、そのうち話題がそれ、聞き手が関心を失っていても気づかない、人の言った意見を即座に否定し、自説を強弁する・・・など、嫌いなくせに自分もしている可能性が高いことなので気を付けたい。

 

嫌な人にならないためには、口数を少なくするのが一番だ。沈黙は金。でも、分かってはいても、私にはとても難しい。

 

 

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猫ならダメなとこもイケないとこも、みんな許せるのにね。

ドリーム、それ、わたしのお水!しょうがないなあ、もう・・・。

NHK前でスタンディング「国民の知る権利にこたえて」と『陸王』ロケ

昨日までの真冬の寒さが少し和らいだ今日、スタンディングの仲間とNHKの前でアピールした。プラカードは前回の交流会で決めた「国民の知る権利にこたえて」と「受信料の強制は許さない!」の2種類を用意したが、自分で思いを書いてきた参加者もいた。

 

フェイスブックとショートメールでの呼びかけで、集まったのは7人。事前にマスコミにも取材依頼をしておいたが、残念ながら取材はなかった。

 

NHK豊橋支局の隣は市庁舎なのだけれど、TBSの人気ドラマ『陸王』最終回のロケが近い(明日と明後日のもよう)らしく、庁舎の入り口にはドラマで設定されている「豊橋国際マラソン」のスタート地点のゲートが設営されていた。

 

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ゲートに「帝国重工」「AICHI」という企業名が見える。ブルーシートで隠された下には「豊橋国際マラソン」という文字があるはずだ。初回の撮影時もすごい人だったようだが、きっとまた竹内涼真君目当てのエキストラがたくさん集まるのだろう。

 

「撮影当日にスタンディングすれば、大勢の人の目に触れるね」という意見が出るが、「絶対邪魔ジャマ!と排除されてしまうよね」と直ちに却下となる。

 

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ゲートの奥、庁舎の前にはずらっとテントが張られていた。

 

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私たちはこの横断歩道のこちら側で立っていた。市の車両が頻繁に通り、みな物珍しそうに私たちをしっかり見ていく。肝心なNHKのほうは、偵察要員かと思われる男性が一人玄関前に立ってずっと私たちを見ていただけで、ほかに職員らしき人の出入りはなく見てもらえなかったが、市の職員や一般の通行人には一応のアピールができたのではないかと思う。なかにはNHKの報道が偏っていることも知らない人がいるだろうから、私たちのプラカードを見て「そんな問題もあるのか」と思ってもらえたら、それも成果だと思う。

 

スタンディングしている写真は撮らなかったので、のちほど仲間がフェイスブックにアップしてくれたら掲載する予定。

 

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スタンディングのフェイスブックページから写真を借りてきたが、形式がJPGではなかったので加工ができなかった。誤算!

吉野せいさんの厳しさに触れたくて『洟をたらした神』『梨花』を読む

今年もあと半月ほどになってしまった。もう本を読んでいる時ではないと思い、先日市民館に本を返しに行った折も、あればつい読んでしまうから借りずに帰ってきた。

 

それなのに、なぜか急に吉野せいさんのキリリとした文章に触れたくなって、「ちくま文学の森」を取り出した。

 

『洟をたらした神』は第二巻の「心洗われる話」に収められている。かぞえ六つのノボルの話である。荒れ地を開墾して細々と農業を営む親たちは、子供にかけてやる暇も金も持たない。けなげなことに子供のほうも、親にねだるということがない。コマも竹とんぼも、手近な材料でみごとに自分でこしらえてしまうのだ。

 

それなのに、そんなノボルがある日母親に二銭をせがむ。周囲に急にはやり始めたヨーヨーが欲しいのだ。二銭あればキャベツ一個、大きな飴玉十個、茄子二十個、小鰯なら十五匹は買えると、家族に食べさせることもままならない母は考える。非情に徹して、ヨーヨーなんぞじきにすたれて詰まらぬと言い聞かすしかない。

 

極貧のなか肩を寄せ合い暮らす家族。ただ一度の息子の無心にも応えられず胸痛める母は、ノボルが奇跡のように格好の素材である松と出合うことで救われる。彼はそれを使って見事にヨーヨーを作り上げ、親子してその遊びに興じる幸福な場面で終わる。たった8ページ半の短い話ながら、強く読み手の心に残る。

 

 

梨花』は第三巻「幼かりし日々」のなかの一篇だ。友人である草野心平氏の名前も出てくる、自身の二女梨花を幼くして失った体験を綴ったものだ。

 

現代であれば難なく助かったであろう病なのだけれど、おそらくそれまでの栄養状態も良くはなかったであろうおさなごは、医者にかかることなど言うまでもなく、日々の仕事に追われる母に十分な看護さえしてもらえぬまま、あっけなく天に召されてしまう。貧しいがゆえ、小さな娘に十分なことができず失わなければならなかった母親の慟哭が、読むものに強烈な勢いで迫ってくる。

 

半世紀ほどの時を経て、のどかな時代に子育てをさせてもらえた幸運を感謝するばかりだ。けれども、豊かと思える現代でも、思いを紛争地帯に馳せれば、吉野せいさんのようなつらい思いを抱える母親たちがいるのだ。

 

読書などにかまけていないで、新年を迎える準備を進めなくてはとか、二年ぶりに帰省する息子家族とどう過ごそうかとか、そんなことに考えをめぐらしていられる自分は、ぬるま湯のなかで生きているような気さえする。

 

 

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足場が外されやっとスッキリ!

住んでいる集合住宅の外壁の改修工事が終了した。10月から始まって2か月半、建物の周囲に足場が組まれ、さらに1階部分は黄と黒の縞模様のトタンの囲い(これが風にあおられるとバタンバタンとすごい音を立てうるさかった!)、2階以上はメッシュシートで覆われていた。

 

建物がきれいになり気持ちよくなることなのだから、不平を言ったら罰が当たりそうだけれど、2か月半のあいだ、ずっとグレーの靄の中に暮らしているようで、その靄の中を時おり人影が動くという落ち着かない日々だった。

 

以前ブログに書いたように、我が家を取り巻いていた木々たちは、足場を組むためにことごとく切られてしまったが、その木の間に置いていた大小のたくさんのプランターや鉢類はあっちこっちに片付けられていた。

 

小さいものは自分でコツコツ戻すことができるけれど、大きな素焼きの鉢やプランターは重くて一人では運べないので、作業員さんにお願いしておいた。運ぶ前にちゃんと声をかけてくれて、指示するとおりにやってくださった。これから少しずつ微調整したり、水やりができず枯れてしまったものも多いので、植え替えたりもしていきたい。

 

今まではシートで囲われて姿が見えなかったが、はずされてみると、色を塗り替えた建物はもちろんのこと、周囲の樹木が無くなって景色は一変してしまった。もうすぐ新しい年を迎える。心機一転で、新たな終の棲家を、小さくても心地良い私の居場所にするべく、コツコツと作り上げていくとしよう。

 

 

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こんなに緑いっぱいだったのだけれど、垣根のサザンカもフェンスに絡んでいたアイビーもツルハナナスも何もかも、すっかり丸坊主。(これは2014年夏  でもこれはあくまで共用スペースで勝手にガーデニングを楽しませてもらっているだけで、うちの庭ではありません)

冷えっ冷えの歳末助け合い運動

民生委員で歳末助け合い運動の街頭募金に立った。私は赤い羽根の時に立ったので、今回は立たなくてよかったのだけれど、家庭の事情で参加できない人ができたので、代わりにお受けした。

 

今日は全国的に寒さが厳しく、朝の天気予報で名古屋は最高気温7度とのことだった。豊橋は名古屋より少しだけ夏涼しく冬暖かいところなのだけれど、今日の豊橋駅前は午後1時でその名古屋の予想気温より低い摂氏5度だった。冷たい西風が強かったので体感温度はもう少し低いと思う。また途中から雲が多くなって日差しも陰ってしまい、いっそうつらかった。

 

私たちは正午から2時までの担当だったのだけれど、交代した午前の時間帯の方は、4度だったと仰っていた。終わるころにやっと5度になったのだそうだ(ちょうど目の前のビルの壁面に液晶表示の温度計がある)。私たちの後の2時から4時の方たちはさぞ寒かったことだろう。時間帯としては、私たちが一番恵まれていたと思う。

 

赤い羽根の時に立った場所よりは、駅前(いつもスタンディングしている場所)だから人通りは多く、その点でも活気がある分ほかの場所より恵まれていたと思う。それでも募金に応じてくれる方は多くはなく、2時間終了して私の募金箱の中には百円玉が何個かと十円玉3、4個だった。私の地区では今日3人が参加したのだが、ほかの人も似たような成果だった。

 

担当する時間よりかなり早く着いたので、3人でスターバックスでコーヒーを飲んで時間をつぶしたのだが、やはり街中の歩行者がすっかり減ってしまい、世の中が大きく変わっているのだから、この募金の方法は考え直すべきだということで意見が一致した。でも、組織の上のほうで何十年も熱心に活動しているような方たちの意識が変わらないと難しいと、私より経験の長い2人の方が仰っていた。

 

民生委員をしている方もとても高齢化していて、たぶん六十代後半から七十代が中心だと思う。今日の寒さの中での活動で、体調を崩す方のないことを願う。

 

 

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募金してくださった方に差し上げたシール。

服や持ち物に貼って、募金したしるしに・・・。