よんばば つれづれ

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最後の親知らずを抜いた

4本の親知らずのうち、右下の1本だけがまだ残っていた。この1本のために、右下奥は狭苦しくて歯磨きがとてもしにくく、抜いてしまっても・・・と思ったのだが、先生は「役立つ時があるかも知れないので、虫歯になるとか、隣に悪影響がない限りなるべく残しておきましょう」と仰るので、仕方なくその言葉に従ってきた。

 

ところが、この頃時々右下部がうずく感じがするので、3か月のクリーニングに行った折に話してみた。すると、この残していた親知らずが虫歯になっているというので、ついに抜くことになったのだ。

 

上の2本はいつ抜いたのか記憶にない。はえなかったのかも知れない。下の左は何年か前に、やはり今通っているデンタルクリニックで抜いてもらった。その前に、同じ職場で働いていた人から、親知らずを抜いたときのとても怖ろしい話を聞いていたのでドキドキしていたが、先生がお上手なのか、私の歯が根性がないのか知らないが、怖い思いなど全くすることなくあっさり終わった。

 

今回も抜歯は無事終了した。でも予約が11時45分だったので、終了したのが12時過ぎ。2時間は飲食しないでくださいとのこと。失敗した。歯科に行く前にお昼を済ませておくのだった。時間時間にきっちり食事をしたい人間なので、これから2時間も飲み食いできないなんてとても辛い。抜歯後の血を止めるために綿をしっかり噛んでいたのだけれど、さらに歯を食いしばって我慢した(おおげさ・・・)。

 

とうとう私の歯は上下14本ずつ、合計28本のみとなった。これを今後ずっと保ち続けられるだろうか。現状のまま3か月ごとに検診・クリーニングに通えば、死ぬまでこの状態を維持できるだろうか。

 

内科にはほとんど行かないが、歯科は3か月ごとの受診で、クリーニングのみで終わることもあるが、ちょこちょこと治療が必要となり、時にはセラミックのかぶせ物で十数万円かかることなどもあった。この5年間の受診費用を調べてみたら、2万円切った年から20万円を超えた年もあり、平均で6万7千円ほどになった。私は虫歯リスクが高い体質だと思うので、これくらいの出費は仕方ないかなと思う。

 

夕方、麻酔が切れて痛み始めたので痛み止めに頼った。なるべく抜いた跡に食べ物が入らないようにとのことなので、夕食もそうめんを噛まずにのみ込むようにして食べた。薬味もなしの味気なさ・・・。やっぱり歯は大切にしなくては!健康の源でもあるうえ、食べることはとても大切な喜びでもある。

 

邪魔だった親知らずがなくなったので、ますます丁寧に歯磨きをして、検診に行ったとき「すべて綺麗に磨けています」と言っていただけるようにしよう(初めのころは磨き残しがあって、歯磨き指導をよく受けた)。

 

 

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私の指を”チュッチュ”するドリーム。(乳離れ前に捨てられた影響と思われる)

甘い物が好きだった(好きにしてしまった)ドリームも、歯のトラブルがあったことを思い出す・・・。天国でもチュッチュしてるのかな?ほんとのママに会えたかな?

こわいほど忘れる!

我が家にはもう15年以上になるスパティフィラムの鉢があるのだが、以前、黄ばんできた葉を取り除く手入れをしているときにうっかり小さな株ごと抜いてしまい、可哀そうで空いている鉢に植えた。その小さな鉢もすでに何年かになる。

 

先週その鉢に小さな蕾を見つけ、あらスパティフィラムの子供の株がとうとう花をつけた!と嬉しくなり写真を撮った。そしてその写真をパソコンの写真のフォルダに整理しようとして、見つけてしまった、ほとんど同じような写真があるのを・・・。

 

やっと花をつけたと思ったのだけれど、もうすでに一度花を咲かせていたのだった!なんということ。それも撮影日を見るとたった1年前のことで、しかもその時も結構喜びだったからこそブログにも綴っていたというのに、すっかり忘れていたのだ。

 

 

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今年の蕾

 

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去年の蕾(真ん中少し右の白いとがったもの)

 

これまでにも、新しい記事を書くときなどに必要があって過去記事を調べていて、ずらっと並んだタイトルの中に「えっ、こんなこと書いたかしら?」と思うことに出くわすことがあった。たいてい読み直せば思い出すが、時に、書かれている出来事をきれいに忘れ去っていることがある。このブログ自体、2011年の7月に始めているので、最も古くてせいぜい6年前のことである。

 

実際の出来事でこれであるから、読んだ本などはもっとひどい。記録を付けていなければ題名さえも忘却の彼方になるし、その記録自体もかなり漏れがあるようだ。他の人と話していて、この人この話を何回言うんだろう・・・と思うことがあるけれど、きっと自分も人にそう思われていることだろう。この話、前に誰かにしたことがあるなという記憶がうっすらある場合もあるが、相手が今目の前にいる人だったかどうかが思い出せないことも多い。

 

でも、話したことをすっかり忘れるのは私だけではないらしく、今日などテレビ関係者の方々どの局も皆さんいっせいに健忘症か認知症になってしまったらしく、朝から延々繰り返し同じニュースをしゃべっている。

軽いセルフネグレクトの解消法

今朝のテレビ番組で「セルフネグレクト」ということを取り上げていました。家の中を片付けられなくなったり、食事がいい加減になったりするようです。もちろんうつ病とかADHDといった病気や障碍が原因の場合もあるようです。

 

番組に出ていた女性タレントさんが「どうせ(部屋に)誰も来ないから見られる訳じゃないし、効率を考えたら・・・」というようなことを発言していました。この方は「汚部屋」に住む芸能人として結構有名な方のようです。

 

誰にも見られる訳じゃない、というのは確かに汚くしてしまう大きな要因かもしれません。私自身は片付いていないと寛げない性分なので、細かなチリほこりは近眼の眼鏡をはずしてしまえば気になりませんが、整理整頓は行き届いていないと落ち着きません。

 

でも、季節や行事に合わせてインテリアを工夫していたのが、子供たちが独立し、母もいなくなって一人になったら、どうせ誰も見てくれる人がいないし・・・と、だんだん面倒になってしまいました。

 

ところが、去年「住み開き よんばばんち」を始めたり、中学生のNちゃんが勉強しに来たりするようになって、またそうした意欲が戻ったのです。病気や障碍の方はもちろんそちらの治療が必要ですが、ただたんに「どうせ・・・」という気分でお部屋を片付けられないでいる方は、「住み開き」を始めることをお勧めします。家は片付くし、人と会って話すことは脳も活性化され、一石二鳥です。

 

 

というわけで、本日「よんばばんち」2年目の第1回を終了しました。私を入れて3人でした。これからも、参加者ゼロでも一人でも、毎月最終日曜日の午後、よんばばんちのドアは開いています。嬉しいこと悲しいこと腹立たしいこと、何でもしゃべりに来てください。

 

 

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追加のひとりごと

これに手作りのスイーツを加えればさらに良いのだけれど、道具はもうほとんど処分してしまったし(というのは言い訳に過ぎないけど)、これはきっと無理だなぁ。。。

3年ぶりの、大きい子たちの託児室保育

春に、上のお子さんの入園式や入学式参列のために、下のお子さんを預かった時以来のファミリサポート援助活動の日だった。このところもっぱら私が近くの利用者さんのおうちに出かけて保育園の送迎とか、我が家でお預かりする形だったが、今回は久々の社会福祉協議会本部の託児室での保育業務だ。

 

12時20分が集合時間なので、家で昼食をとって出るのでは早すぎる。そこで少し早めに出て、向こうに到着してからお昼をとることにした。

 

いつも赤ちゃん組と大きい子の組と2つの部屋に分かれて保育する。このところ赤ちゃん組が続いていたのだが、今日は大きい子の方の担当だった。ファミリーサポートに登録して、初めてお手伝いの声がかかった3年前以来だ。

 

 

登録して1年、やっとお呼びがかかった時のエントリ

yonnbaba.hatenablog.com

 

今日は3歳から5歳が中心。夏休み中だからか、小学生の兄弟も数人いる。そして2歳の後半の子も数人で合計15人(お休みの子が何人かいたからか、スタッフはちょっと贅沢な7人)。そしてなんとそのうち女の子は2人だけ!初めのうちはちょっと借りてきた猫状態の子もいるのでさほどではなかったけれど、おやつも済んだ後半はみんな本調子になって大騒ぎ。小学生の兄弟2人が本気になって喧嘩を始めたりで、怪我の無いように注意した。

 

3歳過ぎていても、ママがいなくなった途端大泣きを始め、2時間近く激しく泣きっぱなしで抱っこされたりおんぶされたりしている子もいれば、その一方で、2歳児がひとり機嫌よくもくもくと遊んでいたりする。

 

お母さんたちの講座が1時から4時過ぎまでだったようで、1時前から保育室に来て、最後の子は4時半頃まで。機嫌よく遊べた2歳児はすっかりここが気に入ったようで、ママが迎えに来てもなかなか帰ろうとせず、最後は泣いて帰りたがらないのを強引に抱いて連れ帰った。昼寝もしないで遊んでいたので、きっと帰りの車ではすぐ沈没してしまったことだろう。

 

2時間近くも「ママ!ママのとこに行く!」と大泣きして、そのエネルギーはどこから来るの?とスタッフたちに不思議がられていた今日一番の泣き虫チャンピオン君が、いざママが迎えに来た時には、遊びに乗って絶好調の時だったのか、まるでママの所に行こうともしない。面白いものだ。お母さんによれば、長い時間放すのは初めてとのことだったので、今日は不安が先だってしまったのだろうが、楽しいということを覚えて次からはきっと大丈夫だろう。

 

泣いた子がいたり少々おもちゃの取り合いもあったけれど、怪我や事故がなく終わって何よりだ。あと片付けや掃除をして5時過ぎに終了。一昨日や昨日に比べれば、今日は暑いものの爽やかな風が吹いていたので、行き帰りの道中も大分過ごしやすかった。帰り道の夕方の空は、心なしか秋の気配だった。

 

 

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「写真はイメージです」なんちゃって・・・。撮影していないのでよその託児サービスさんのをお借りしました。まさにこんな感じ。

「ベーシックインカムってなんじゃらほい?」ってのに参加した

フェイスブックのイベント情報にあった、標題の勉強会に行ってみた。ベーシックインカムについては、8年前に『ベーシックインカム入門』という本を読んでから関心を持ち、賛成論も反対論も目にしてきた。どんな人たちが集まり、どんな議論が交わされるのだろうかと興味津々だったのだけれど、行ってみたら、主催者側を除くと参加者は私を入れて4人だけで、しかもそのうち2人はスタンディングなどでしょっちゅう顔を合わせる仲間だった。

 

イベント情報には内容の説明はなく、ベーシックインカムのことだけと思っていたのだが、内容は二部に分かれていて、前半は緑の党の世界大会の報告で、後半がベーシックインカムについてだと言う。時間はあるし緑の党についても興味があるので、両方参加することにした。

 

「Global Greens 2017」という緑の党の世界大会が今春リバプールで開催され、90か国から2000人の参加者が集まったそうだ。イギリスや日本は小選挙区制なのでやはり小さな政党は苦戦するが、比例代表制が多いEUの国々では善戦していて、オーストリアでは排外的な極右政党の候補を破って、緑の党の元代表が大統領に選ばれたと言う。

 

気候変動・民主主義・持続可能な開発を三大テーマとし、女性や若者の活躍と多様性を大切にして、極右が台頭し不寛容になるばかりの世界情勢に、「答えは”緑の党”にある!」と、希望の党だと力強く主張する様子は、確かに頼もしい気がした。

 

日本でももう少し政党を整理して、こういう経済成長偏重ではない、新しい希望の灯を力強く掲げる党にまとまっていくことはできないのだろうかという思いを強くした。

緑の未来に向けて恐怖ではなく希望を、分断や差別ではなく包摂と人権の尊重を

という緑の党の主張は、当たり前と言えば当たり前のことなのだけれど、これが簡単に実現できない人間社会の愚かしさに悲しくなる。

 

後半はベーシックインカムの説明の後、参加者の意見交換になった。その国の国民であれば、無条件に赤ちゃんから老人まで同額(今日の説明では7万円に設定されていた)のお金がもらえるというこの制度は、夢のような制度だと言う人もいれば、より人間の本音があらわな社会になると言うひともいる。そもそも「働かざる者食うべからずだ、けしからん!」と言う人もいるだろう。

 

ところで余談になるが、この「働かざる者食うべからず」という言葉はレーニンの言葉で、「働かざる者」というのは、不労所得でのうのうと暮らす資産家たちを指していたのだということを今日初めて知った。日本でよく使われる意味とはまるで反対だった。

 

どのような方法をとっても、すべて良いということはないのだから、現在さまざまに分かれて手続きも管理も煩雑になっている社会保障を、このベーシックインカムに統一すれば役人も減らせるだろうし、生活保護受給者が肩身の狭い思いをしたりすることもなくなろう。ついでに徴収するほうも保険料でなく税に一本化すればなお簡便になる。

 

ただ、この制度を導入する前提として、政府に信頼がある事、あるレベルまでの福祉国家になっていること、国民が成熟していること、などが必須だろう。フィンランドでは緑の党の大統領候補者がこの制度を公約に掲げているので、大統領選に勝てば世界初の国レベルでのベーシックインカム導入国になるかもしれないそうだ(現在フィンランドは2000人の失業者を対象に実験中らしい)。

 

日本は民主主義もまだ本当には機能していないし、政府は信頼できないし(おまけに役人まで書類を破棄してしまうし)、国民も未成熟で思考停止の人が多い状況なので、当分導入は難しそうに思う。

 

このあと1時間ほど喫茶店で時間を潰し、6時からのスタンディングに参加。昨日今日と猛烈な暑さで、この時点でもまだ33度もあり風もない。30分のスタンディングのあと引き続いて「冤罪狭山事件」の街頭宣伝があり、署名活動やチラシ配りを手伝った。全て終わった7時過ぎでも30度を超えていて、帰り道でもまだ汗がにじんだ。

 

暑い一日ではあったけれど、ネットで「佐川国税庁長官が10月あたりに辞任か」というニュースを目にし、地道に続ける活動がやっと一つ実りそうなことに喜びを感じた。おかしいと思うことに対して声をあげることが、あたりまえという文化を作っていきたいと思う。

 

 

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8年前に読んだ本

 

 

 

 

弁護士さんに共謀罪の具体的対策を伺う

豊橋スタンディング+(プラス)の企画で、「共謀罪 恐い?恐くない? 弁護士囲んでQ&A」という会を持った。19時開始という設定だったので、夕方6時過ぎに駅前を通ると、3人の仲間がスタンディングをしていた。「終わってから参加?」と聞くとそうだとのこと。「お先に」と私はスタンディングなしで会場に向かった。

 

何か手伝うことがあればと思い30分も早く行ったのだけれど、すでに会場の準備は”言いだしっぺ”ともう一人のメンバーがしてくれていた。

 

ボランティアでご参加くださった弁護士の先生は、籠橋隆明さん。名古屋と豊橋に事務所をお持ちで、何十年も環境問題を中心に扱っていらしたそうだ。おおまかなテロ等準備罪についての説明の後、メンバーからの個々の具体的な質問に一つひとつ答えてくださったのだけれど、要するに、いまの社会では共謀罪法は使いようのない法律だというのが先生のご意見だった。

 

私たちの権利は憲法で守られているし、社会が健全に機能していれば、警察権力もやたらなことはできない。沖縄では基地建設反対運動を何十年と続けていて、逮捕しようと思えば逮捕する名目もつけられる状況だが、最近になって少し逮捕される人が出たくらいで、ずっと逮捕されることはなかった。あれと同じことを本土ですればそうはいかない。なぜかと言えば、うしろに圧倒的な沖縄の世論があるからだと言われた。

 

先生の仰る最大の対応策は、①ひるまず日常を変えないこと ②廃止に向けた動きの強化 。①の例として、フランスやイギリスでテロがあったけれど、人々はすぐそれまでの日常を取り戻したことをあげられた。それが一番のテロ対策、テロに負けないことだからと。

 

体内にがん細胞ができても、体が元気で抵抗力がある間はがんは暴れない。抵抗力が落ちてある点を超えると一気に肥大する。共謀罪法はそれに似ている。がんがあっても、社会が健康ならば守ってくれるが、社会が委縮するとがんが増殖すると仰った。

 

現在の政権は「王政復古」「富国強兵」を求めていて、共謀罪法はこういう政権のいわばデモンストレーション的存在として成立させた、威嚇の性格の強いものだという。

 

会の終わりの方で先生が話された「ハチドリのひとしずく」の話がとても印象的だった。森の火事の際に、一滴ずつ水を運ぶハチドリに、逃げ出した動物たちは「そんなわずかな水を運んでどうなる」と笑ったが、ハチドリは「自分にできることをするだけ」と答えたという話(南米アンデスに伝わる話で、本も出ているようだ)。

 

神経の太い私は、そもそもあまり共謀罪など気にしていなかったのだけれど、籠橋先生のお話を伺って、私たちはハチドリどころかテントウムシよりも頼りないくらいの小さな存在にすぎないけれど、恐れずひるまず、コツコツと自分たちにできる活動を続けていくことが大切だと強く思った。とても励まされ勇気までいただいた素晴らしい時間になった。

 

同時に、このテロ等準備罪が存在した状態で自民党草案のような憲法が成立すると、そのときにはいよいよがん細胞の増殖が始まって恐ろしいことになりかねないということもよく分かり、ますますなんとしてもそうした事態を避けなければという思いを深くした。司法は少々頼りないが、私たちは本当に憲法によって守られているのだという思いも深くした、今日の勉強会だった。

 

 

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「鈴木明子さん講演会」豊橋出身の有名人と無名人の活動

昨日はいきいきフェスタ2017(豊橋市社会福祉大会)だった。民生委員には招待状も来るし、所属している部会によっては当日のお手伝いもある。私は手伝いをする部会ではないが、他の委員と一緒に参加した。

 

10時に始まって、長年の福祉活動によって市や社協から表彰を受ける方々の授賞式があり、福祉についての書道・ポスター作品コンクールの入賞者の表彰があり、来賓の祝辞や被顕彰者代表の謝辞、大会宣言の採択を行って11時15分に大会が終了し、そのあと11時30分から鈴木明子氏の講演会というプログラムだ。

 

表彰式だけ参加すれば帰れるだろうと思っていたのだけれど、他の方々が「せっかく地元の生んだ有名人が講演するのだから聞いていく」と言うので、一緒に車に乗せていただいて行った身なので、お付き合いすることにした。

 

その地元の生んだ有名人、プロフィギュアスケーター鈴木明子さんは、「壁はきっと越えられる~ひとつひとつ。少しずつ。~」というテーマで話をなさった。

 

スケートに興味を持ったきっかけから、二度のオリンピック出場までを、大学に入って初めて親元を離れて陥った拒食症の苦しみや、それをどうやって乗り越えたかを中心に語られた。困難があったからこそ、遠回りしたかもしれないが今の自分があり、アスリートである前にまず「健康な人」でありたいと考えるようになり、スケートできることが「当たり前」ではなかった、スケートできること自体が幸せなのだと気付き、試合の時の気負いもなくなったそうだ。

 

綺麗な発声で、話し方もはっきりとしてクセもなくとても聞き取り易い。時々会場に問いかけて手をあげさせたり、軽く笑いを誘ったりしながらの、あっという間の1時間半だった。彼女の競技をあまり熱心に見たこともなく、話の中にオリンピックで演じた「ウエストサイドストーリー」や「愛の讃歌」などと出てきても、どんな演技だったかもまるで分らない私だが、講演を聞いて明子さんの人間的魅力を感じた。

 

 

そして今日は、スタンディング&じじばばの会の新しい行動を行った。

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内閣改造後、北のミサイル問題などもあって、すっかりメディアから政権の疑惑追及の姿勢が消えてしまった。これに危機感を覚えて、”言いだしっぺ”と私のアイデアの合作で誕生した企画。町の人々より、今回は主にメディアに訴える。そのために、目立つ衣装とマネキンフラッシュモブの手法で新聞掲載を狙う。同時に、テレビ局にもまた葉書作戦を行う。

 

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プラカードや葉書はすべて”言いだしっぺ”が作成。忙しいのに頭が下がる。フェイスブックなどで広く他の目的を同じくするグループなどにも呼び掛け、葉書の文面のデータもネット上におく。どうしてもデジタル利用が無理な場合、連絡いただけば葉書現物を5セット15枚を62円切手5枚(310円)でお分けすることにした。

 

こちらは地元の無名人たちの活動。