よんばば つれづれ

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昨日の前川前文部科学事務次官の記者会見

前川氏と、会見を申し入れた側の双方の都合で、たまたま会見の日が昨日になったのだそうだが、沖縄慰霊の日であるうえに、都議選の告示日でもあり、さらに著名芸能人の配偶者が亡くなるという偶然が重なり、あまりこの記者会見を取り上げたニュースや情報番組はなかったようだ。いや、たとえこれらのことがなかったとしても、この報道は避けられてしまったのかも知れない。

 

youtu.be

 

前川氏の発言は、加計学園問題にとどまらず、現在のこの国のあり方をかなり広い範囲にわたって鋭く批判したものだった。そして非常に誠実で論理的で分かり易い内容で、木で鼻をくくったような、そうして聞いている側を侮っているような官房長官の説明とは対照的なものだった。

 

読売新聞のスキャンダル記事や、真っ先に前川氏のインタビュー番組を作っていながら、いまだに放送していないNHKの例などをあげて、このところの日本の報道の在り方に強い危機感を述べている。読売のスキャンダル記事については、掲載の前日に総理補佐官から、「言うことを聞けば記事を握りつぶしてやるぞ」と伝えたかったのであろうアプローチがあった(前川氏は無視)そうだ。(動画58分あたり)

 

仮想の敵を作って恐怖心をあおることで、国をまとめる手法の危うさまで言及し、現在の政権の特異さを国民に伝えようとしている。政権にとっては相当この前川氏は邪魔な存在だろう。この会見もおそらくあらゆる手段を講じて信ぴょう性がない発言だと言い募ることだろう。さらなる個人攻撃があるかも知れない。

 

私たちはこの前川氏や、先日官房長官をタジタジとさせた女性記者など、事実を国民の目にさらそうと努力する人を守らなければならないと思う。自分の生活が危険にさらされることも覚悟の上で、勇気を持って行動した人の思いを無にしてはならない。

 

民主主義がきちんと機能するためには、まず事実が伝えられなければならない。権力者に都合の悪いことが全て隠されてしまうのでは、私たちは正当な判断をすることができない。

 

前川氏が会見の最後に示した言葉。

「個人の尊厳 国民主権

文科省の後輩たちにと仰っていたが、私たち一人ひとりにとっても、とても大切な言葉だ。

 

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有益な情報が伝えられなければ、ただの昼寝に便利な箱になっちゃうよ。

あっ、いまは薄くなっちゃって、昼寝もできないんだね。 byドリーム

ヒルデおばあちゃんの戦争体験『月は昇りぬ』を読む

金曜日、国際協力コスモス会に参加した。今日は「ヒルデおばあちゃん」のお話を読んだ。ヒルデおばあちゃんから壮絶な戦争体験を聞いたのは、このコスモス会を設立した方の娘さんで、ドイツでソプラノ歌手をなさっている。そしてヒルデおばあちゃんはその方の配偶者のおばあちゃんだ。・・・と言っても、私はまだ入会して3、4年の新しいメンバーなので設立者の方も存じ上げず、こうした人物相関も先輩方から聞いた。

 

ritsukoguenther.hatenablog.com

 

今日の外国籍の参加者は、インドネシアが2人、バングラデシュと韓国の人が1人ずつだった。まだ来日して日が浅くあまり日本語の分からない人もいるけれど、滞在期間が長く日常会話にはほとんど困らない人もいる。それでも、やはり書き言葉は普段耳にしている話し言葉では聞くことの無い言葉が多く難しい。その都度やさしい日本語に言い換えたり、英語のできる人が説明したりするので、時間もかかり聞いている人の頭も疲れ、ブログの1回分を読み進むのがやっとだった。

 

今日読んだのはこの部分

ritsukoguenther.hatenablog.com

 

ご主人の仕事で2年前にアメリカに転居したメンバーが、お子さんの夏休みを利用して帰国中とのことで、久しぶりに参加してくれたこともあり、後半は自己紹介を兼ねた雑談になった。日本人のメンバーがリクエストに応えて歌舞伎のセリフを演じると、バングラデシュの人が自作の国を思う歌をバングラ語(ベンガル語)で歌ってくれたり、インドネシアや韓国の歌も披露されて、国際色豊かな楽しい会になった。

 

一か月に一回くらいの割合でこの「ヒルデおばあちゃんの戦争体験記」を読んでいくと、かなり長くかかりそうだけれど、筆者のギュンターりつこさんがブログの自己紹介で「その壮絶な内容はまさにドイツの歴史そのもの」と書いているように、これを読むことで、ヒトラーを扱ったものとは違う、ドイツの庶民の体験した戦争というものが見えてくるだろうと思う。またりつこさんの文章もとても素晴らしいので、少しでも多くの方に知ってもらいたいとも思う。

 

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Amazonが狙う「紙の本」市場

今朝のNHKニュースのコーナーで、「Kindle」で電子書籍市場を牽引してきたアマゾンが、いま狙いを定めているのは紙の本の市場だということを取り上げていた。

 

今年5月、ニューヨークの商業ビルに、アマゾンが経営する書店がオープンした。IT界の巨大企業が、実際の店舗で、紙の本の販売に力を入れているのだと言う。スマホのアプリの機能を使って本のバーコードを読み取ると、その場で本の詳細な情報や口コミを確認することができるというIT企業ならではのサービスもあるのだそうだ。

この背景には、アメリカで紙の書籍の販売部数が、4年連続で増加していることがあるらしい。中でも売れ行きがいいのが、若者向けの本で、 10代から20代の間では、電子書籍ではなく本で読む人の割合が増えていると言う。

 

アメリカ最大のブックフェア会場の様子が流れ、若い女性があふれそうな本を胸に抱えて歩く姿が見られた。いま、アメリカの若者の多くが、デジタル疲れを起こしているのだと言う。その会場にいた若い男性は、「ページをめくる感触が好き」とインタビューに答えていた。

 

また、アマゾンは独自の自費出版のサイトも用意。 本を出版したい利用者は、原稿を専用のサイトにアップロード。 読者から注文があれば製本し、1冊単位から販売、配送までするそうで、このサービスを利用して人気を集め、ベストセラー作家の仲間入りを果たした女性が紹介されていた。

 

私も息子にプレゼントされたキンドルを持っているし、スマホ青空文庫の作品を読んだりもするが、やはり大切な作品は紙の本で手元に持ちたいと思う。新聞でも本でも、あるいは通販のカタログであっても、デジタルにはデジタルの、紙には紙の、それぞれの良さや便利さがある。そして、デジタルの手段を知ったことで、かえって紙媒体の良さを再確認した人も多いと思う。

 

それにしても、日本企業がなかなかIT分野を攻略できないでいるうちに、アメリカのグローバル企業はさらなる進化を続ける。

 

 

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(写真はGigazineのサイトよりお借りした)

 

 

 

 

働き方、ナンプレ、求む!明るいニュース

昨日から今日にかけて少々めんくらうほどアクセス数が伸びている。やはり、多くの方が働き方には関心を持っていらっしゃるということだろうか。コメントにもいろいろ参考になるご意見をいただいた。

 

ネット上にもたくさんヨーロッパの仕事ぶりを紹介するサイトがある。ただ、このフィンランドの例など読むと、夫が早く帰宅して完璧に家事を手伝っても、必ずしも夫婦仲がうまくいく訳ではないようだ。長時間一緒にいれば合わない部分も見えやすいのか。当たり前と言えば当たり前なのかも知れないけれど、他人同士が長いこと仲良く暮らすというのは、難しいことである。

 

それでもやっぱり、私は仕事の時間は極力短縮して、家庭での時間や自由時間を確保したいと思う。だって、人生は一度きりだし、地位やお金を獲得するより、大切な人とのつながりの方が喜びだと思うから。

 

 

www.huffingtonpost.jp

 

www.mag2.com

 

 

昨日、またご近所さんからスイカや枝豆をいただいた。そしてなぜかナンプレ問題集まで。ええっ、どうして私が数独好きって知っているの?実は、時々インターネットの数独ゲームの無料サイトで楽しんでいる。

 

今日は梅雨に入ってから初めての雨らしい雨、というか今までとは一変して大変な大雨で、豊橋市でも避難勧告の出た地域もあったようだ。さいわい、我が家のあるあたりはかなり高台になっているので、まず水の心配はない。

 

強い雨音を聞きながら、デジタルではない、鉛筆で書き込むナンプレを楽しんだ。何問取り組むかあらかじめ決めておかないと、ついつい夢中になってしまう。

 

ハテヘイさんが、ひどい政治状況でストレスのたまる日々だからこそ、「これからは暗い事に捕らわれず、視点を変え上向きの思考でブログを書いてゆくつもりです」と昨日のエントリに書いていらした。

バビロンの王ネブカデネザルと安倍首相 - hatehei666の日記

 

 

私も以前(たぶんオウム真理教のニュースに明け暮れた頃)暗いニュースばかりで心がふさぎ、新聞もテレビも、「暗いニュースと必ず同じ分量の明るいニュースを取り上げなければいけない」という決まりでもできればいいのにと思ったことがある。

 

文科省が頑張って新しい文書を出しても出しても、政府側はいかにも文科省職員のでっち上げであるかのように言い、役人に命令したはずの内閣側の人間はふてぶてしくシラを切りとおす。身体に悪いとは思っても、どうしたってふつふつと怒りがわき上がって来てしまう。

 

でも、今日は14歳の棋士の快挙のニュースがあった。このごろ各方面で若い人たちの活躍が目覚ましい。なんとか政治の世界でも、今までとは全く毛色の違う新しい人材が出てきてくれないだろうか。

 

 

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ヨーロッパの働き方、ブラックな日本の労働

昨日は神奈川から姉が墓参りに来た。梅雨に入ったというのに連日好天続きだったけれど、昨日にかぎって朝からどんよりの空模様。雨になると足下が滑りやすくなるから中止にしてもいいよと電話しようかと思ったが、やっと出かけてくる決心をしたのだし、空模様もなんとか午後までは持ちそうな予報だったので、予定通りの時刻に合わせて駅に迎えに出かけた。

 

なんとか雨の落ち始めないうちに墓参を済ませ、姉のお気に入りの我が家の近所のフランス料理の店はあいにく予約がいっぱいで取れなかったため、寿司店でお昼にした。ここはたしか私がまだ結婚する前に開店した店で、当初「いいらしいけど高い」という評判があった。それでも何十年も続いているのはそれだけの価値があるからだろう。

 

期待にたがわぬ上品で美味しい料理と寿司を楽しんで、そこから徒歩で数分の我が家に場所を移し久々のおしゃべりに花を咲かせた。今の暴走政治に始まって、こんな政治でもあまり国民の不満の声が上がらないのは何故だろうという話になり、どうも日本人は忙しすぎなのではないかということになった。

 

姉は仕事の関係でベルギーにしばしば行く(今年喜寿を迎える姉は、年のせいか海外旅行が億劫になったようで、近頃はあまり行っていないようだが)し、姉の息子は何年かベルギーに家族で住んでもいたのだが、あちらは付き合いなども夫婦単位で、仕事からいったん戻り、子供をシッターに預けて夫婦で出かける。飲むにしても、帰宅してから家の近くの店に出かけて飲む。会社の帰りに飲み屋にひっかかって、妻は家でイライラ待つ日本とはまるで違う。

 

ベルギーにいたその甥っ子は、大学時代にはオーストラリアに1年留学した。弟がいる間にと、姉である私の姪っ子が、職場の休暇を取って遊びに行った。一週間して日本に帰ることになると、現地の人たちが、「はるばる日本から来たのに一週間で帰るなんて!」と、とても驚いたそうだ。日本では一週間休暇が取れるのは恵まれた職場なのだけれど。

 

商品の仕入れの注文メールを姪っ子に頼んだら、「今メールしても、バカンスのシーズンだから、どっちみち当分対応してはもらえないわよ」と言われたこともあると言う。

 

またベルギーに行ったとき、日曜日に買い物に出かけたところお店がみな休んでいた。日本人の感覚ではなぜ日曜日なのに休業するのかと思うが、抜け駆けをする店もなく皆たいてい休むようだし、営業日でも、夕方閉めるのにかなり早くから片付け始め、ウロウロいたら申し訳ないようだったと言う。

 

日本人も「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利は憲法で保障されているのだけれど、「最低限度」というのはどの程度を言うのだろう。ベルギーのような生活、あるいはオーストラリアのような休暇の感覚は、この権利には当たらないのだろうか。いや、そこまで求めないにしても、健康を維持できないほどの長時間労働は、そもそもこの憲法に反していると思うのだが、日本人はどうも抗議したり、権利を主張して勝ち取るというのが好きではないのか。

 

そうして、基本的人権もきちんと主張せず、しっかり手に入れることもないまま、いまやその人権を剥奪されかけている・・・。

 

ただし、私自身は日本から一歩も出たことがないし、甥っ子がベルギーに住んでいたのも、姉がよく仕事で出かけたのも大分前のことなので、いまはあちらの状況も変わっているかも知れない。それに統計の数字だけを見れば、ヨーロッパの失業率より日本のそれの方がはるかに小さい(ブラックな働き方をしているのに、失業率も低いというのは、移民の受け入れ数が極端に少ないことと関係があるのだろうか)ので、単純な比較はできないのかもしれない。

 

日本の労働状況も、学校の状況も、豊かになったのならどちらも以前より良くなっているのが当然なのに、改善どころかかえって悪化し厳しくなってさえいるように思う。自分たちの社会を、受け継いだ時より少しでも良くして次世代に手渡したいものだけれど、このような状態で、しかも暗い要素だらけの未来を添えて若い人たちに手渡さなければならないことに、とても申し訳ない気がする。

 

だから、たとえ微力でも、大海のひとしずくであっても、自分にできることを・・・との思いで様々な活動をしてきたのだけれど、それさえも共謀罪で恫喝される時代になってしまった。ひるんではいられないと思ってはいるけれど。

 

 

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こんな世の中を残して「ごめん寝」。byドリーム

 

 

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ごめん寝2。byドリーム

 

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ネット上より、みごとな「ごめん寝」。

 

 

自分の足で立ちましょう

いわゆる共謀罪法成立後初の、スタンディングの交流会(月2回のミーティング)があった。”言いだしっぺ”は今日の議題について、解散を含めて、グループの今後の活動について話し合いたいとあらかじめ提案していた。

 

十数人の参加だったが、今日来ていた人はほとんどこのまま続けたいという意見だった。”言いだしっぺ”も政権交代などを目指しての活動をやめるという訳ではない。2年間この方法でやって来てみて、今後、選挙のためにある程度長期にわたって活動する時には、もっと効果的なやり方もあるのではないかと言うのだ。

 

2015年に安保法制に反対してたった一人で駅前に立ち始めてから2年間、彼はずっと活動の先頭にいた。従来の市民運動とはひと味違う柔らかな発想で取り組むイベントは、随分地元の新聞にも取り上げてもらい、名前も顔も相当露出してきた。その彼が、少し前から、身辺になんとなく不穏な空気を感じていると口にしていた。大家族で暮らしているので、お子さんやお孫さんへの心配もあるだろう。

 

幸い、2年間で蓄積してきた仲間もシステムもあるのだから、今の形で続けたい人は続ければ良い。”言いだしっぺ”が別な形に移行したいのであれば、誰かが今まで彼の担ってきた役割を代わりに引き受けるしかない。なのに、そう投げかけると誰もがしり込みしている。”言いだしっぺ”が、企画力もあるし発信力もあるからやれたのだなどと言っている。その人が抜けたいと言っているのだから、続けたい人は自分たちで何とかするしかないだろうと思うのだけれど。

 

”言いだしっぺ”には今後もブレーンとして知恵を借りることにして、表に出るのは別の人に替わってもらいましょう、と半ば強引に進めてしまった。私自身も現在のスタンディングというやり方に疑問を感じ、解散でもいいし、続行するなら自分は抜けようかと考えていたのだけれど、今日の参加者の身勝手な態度に少々幻滅も感じてしまった。

 

こんな小さなグループがたった2年ほどしてきたことだが、一定期間続けてきたことを変えるというのは、かくも難しい・・・。

 

 

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私:珍しい場所にいるのね。

オーガスト:生活に変化を付けようかしらって・・・。

 

 

朱川湊人さんを頼ったら、期待以上だった『オルゴォル』

昨日私は気持ちがどうしようもなく落ち込んでしまって、音楽に頼ったり本に頼ったりした。先日『幸せのプチ』でほのぼのさせてもらった朱川さんの本なら、きっと慰められるだろうと、ちょうど市民館の書棚に並んでいた『オルゴォル』を手に取った。

 

著者を信じて、全くどんなストーリーかも知らないまま読み始めたのだけれど、面白くて一気に読み切ってしまった。

 

両親が離婚したため今は母親と二人で暮らす小学4年生の主人公ハヤトは、ひょんなことで近所のお爺さんから、鹿児島の昔の知り合いに届けてほしいという古いオルゴールを預かることになる。旅費として付けてくれる、2万円という大金に目がくらんでのことだった。しかもそのお金は、前から欲しかったゲーム機の購入でサッサと使ってしまう。

 

ハヤトのクラスで、生真面目で空気を読まないため一人浮いているシンジロウは、なぜかハヤトには親しみを見せる。よりによってそのシンジロウが老人からオルゴールを預かる現場に居合わせ、持ち前の生真面目さからその後もずっとその件をどうするのか気にしている。

 

お爺さんは間もなく死んでしまい、ハヤトはお爺さんが「大変だったら、届けるのは大人になってからでもいい」と言っていたことだしと、オルゴールを届けることなんかどうでもいいやと考えていた。ところがシンジロウが気にしていて忘れさせてくれないためだんだん気がかりになり、仕事で忙しいと言う母の都合で、春休みを大阪で暮らす父親のもとで過ごすことになったとき、オルゴールを持って行って父親に相談することにする。

 

生まれて初めての遠くまでの一人旅にドキドキしながらやっと父のもとに辿りついてみると、父親は一回り以上も年が違う若い女性と一緒に暮らしており、しかも彼女のおなかにはハヤトの弟だか妹だかがいるのだと言う。こんなことなら来るんじゃなかったと後悔するハヤトだったが、事態は意外な方向に展開する。

 

ということで、少年ハヤトは父親のアパートの隣人で広島・長崎に旅行するという若い女性に連れられて、鹿児島までオルゴールを届ける旅に出発することになる。

 

この作品は、少年ハヤトが東京から鹿児島まで旅をするなかで、さまざまな人と出会い不思議な出来事を経験して、短い間に著しい心の成長を見せるロードムービーのような物語だ。実際、映画やドラマにしたらきっと面白い作品になることだろう。

 

ハヤトも10歳には少々重すぎる荷を負っているが、ともに旅することになるサエもまた重いものを抱えている。それゆえか、まだ二十歳かそこいらだというのに、ハヤトの心理を鋭く見抜き、みょうに説教臭いことを口にする。

 

旅の中でサエが明かした、ハヤトの父と暮らすミチコの身の上もまた、明るい人だと感じていたハヤトを驚愕させるものだった。

 

一見明るく屈託なく見える人たちがそれぞれに抱える悲しみや苦しみ。その上で、いや、だからこそ、そうした人々が人に対して示すことのできる優しさ。今世間を騒がせているお坊ちゃんなど、おそらく見ることも聞くこともなかった世界に違いない。

 

とても感動的で心が洗われる物語だった。読みやすいので、本の好きな子なら小学校の高学年あたりでも読めるかも知れない。

 

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