よんばば つれづれ

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豊橋スタンディングの今日のクリスマス集会

珍しく本日2件目。

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ちょっぴり雨が・・・と言うより、北の方で降っているのであろう雪が飛ばされてきて雨になったようなのがポツポツときたが、なんとか天気は持ちこたえた。

 

教会の牧師さんのギターと歌、「歌の学校」というグループの手話の振り付きの合唱、私たちのハンドベル演奏、そしてスタンディングのメンバー男女2人のギターと鍵盤ハーモニカの演奏の4グループの出演する音楽集会だった。先日”言いだしっぺ”と新聞社周りをしたなかの一社が、取材に来てくれていた。

 

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このあと3グループに分かれて、街行く人に憲法や緊急事態条項について説明したビラを配って歩いた。通常のスタンディング時のビラ配りより、受け取り率は高い。

 

準備の1時半から2時間ほど外にいたらさすがに体が冷え切ってしまい、みなで喫茶店で少し温まって、そのあとまた冤罪事件と闘う「狭山の会」の仲間を手伝って、駅前でビラ配りと署名活動をした。こちらも結構ビラを受け取っていただけた。

 

 

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最初から最後まで泣きます『きみ去りしのち』重松清著

お忙しい方々からは、クリスマスや年の瀬を控えたこの時期に、まだ読書感想文を書いているなんて!と顰蹙を買いそうな気がする。孫が高校受験生なので、「ちっとも勉強はしてないけどいちおう今回の帰省は中止します」と長男から連絡があった。次男は年末年始忙しい仕事なので、おそらく帰って来るにしても時期がずれる。ということで年末年始も通常営業の私は余裕があるのだ。ごかんべん。

 

年末年始のように家族が揃って賑やかに過ごす時期に一人というのは、少々寂しいので、いっそ鄙びた温泉にでも・・・とも思うが、今頃になってこの繁忙期にとれる宿はないだろうし、今年は猫たちを送った年でもあるので、やはり家で静かに過ごそうと思う。市民館が休みに入る前にたくさん本を借りて、読書三昧の正月というのも悪くない。

 

ひとりならばそんなに張り切って料理を用意することもないし、掃除は夏に始めた「住み開き『よんばばんち』」や、中学生がうちに勉強に来ることになったことが張り合いになって、秋ごろから気になるところは少しずつ手を入れて来たので、それほどバタバタすることもない。

 

というような訳で、今年82冊目(たまに記録漏れがあるようなので、もう少しいっているかもしれない)の本の感想を・・・。

 

 

重く悲しい物語だ。けれども読後感は決して暗くない。1歳の誕生日を迎えたばかりの息子を、突然失った夫婦を中心に展開する。冒頭から物語にはずっと喪失感が色濃く漂い続ける。

 

主人公セキネは幼い息子を失っただけでなく、そのことで現在の妻ともギクシャクし、前妻との間にできた15歳の娘にも「私は演歌歌手で、この人はマネージャー」と人に紹介され、「セキネさん」と他人行儀に呼ばれる関係だ。そしてその娘と暮らす前妻まで余命いくばくもないことが分かる。

 

物語は九つの章から成っているが、第八章までが「旅をしている」で始まる。ロードムービーのように、セキネと10年ぶりに再会した娘を中心にした旅のなかでストーリーが展開する。そして各章に登場する人物もまた、深い喪失感を抱えた人ばかりだ。

 

旅を重ねる中で、息子を失ったセキネとその若い妻や、父にも母にも必要とされなかったという哀しみを抱え、いままた15歳にして母を看取らねばならぬ娘明日香も、さまざまな悲しみを抱えながらも優しい人々と出会うことによって、徐々に前を向けるようになっていく。

 

大切な人を失うということ。その人を大切に思い続けるとは?憎むことと赦すこと。忘れることと思い出さなくなること。時の経過・・・。さまざまなことを考えさせられる。

 

第六章に、交通事故で夫と二人の息子をいちどきに失った70代の柳井さんという女性が出てくる。近隣の休耕田を借りて花をいっぱい咲かせながら、問題のある子供達を預かる里親を何十年も続けている。その人が言った「優しさって、よくわからないんだけど、悲しさや寂しさが、じょうずに育っていったものかもしれないね」という言葉が胸に響いた。私もできることなら、この柳井さんのような女性になりたいものだと思う。

 

また、夫として特別不満もなかった主人公をサッサと切り捨て、自分探しの人生を選んだ前妻の生き方も心に残る。妻として母としては不器用な女性だったと思うけれど、あれこれ人のために働くボランティアで日本中に友人知人を作り、亡くなったあと多くの人の心の中に生き続ける・・・。

 

バラバラになりそうだったセキネと現在の妻と明日香が、多くの人との出会いや別れの旅を経て、なんとなく新しい関係を結べそうな予感を覚える終わり方に著者の優しさを感じた。

 

 

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静かに胸をひたす感動『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾著

今年7冊目の東野圭吾さんの本。期待が大きすぎたのか、今までの6冊はいま一つの感が否めなかったが、今回の作品は大あたりだった。

 

第一章 回答は牛乳箱に

第二章 夜更けにハーモニカを

第三章 シビックで朝まで

第四章 黙禱はビートルズ

第五章 空の上から祈りを

 

こんな具合に5つの章に分かれていて、それぞれ違う登場人物を巡って話が展開する。読み始めはあれっ、短編小説集だったのかと思ってしまうが、空き巣をして逃亡中の児童養護施設育ちの3人の若者が全話にからんで、時空を超えた壮大な一つの物語になっている。

 

いつ閉店したのかも分からない、いまや廃屋同然の「ナミヤ雑貨店」。悪事を働いたもののあまり運も頭も良いとは思えない3人は、逃走に困ってその荒れ果てた雑貨店の店舗に身をひそめる。すきっ腹を抱え、なんとか朝まで眠る場所を作ろうと思っている彼らを驚かせたのは、郵便口から差し込まれた「月のウサギ」からの悩み相談の分厚い手紙だった・・・。

 

こんなふうにして彼らはさまざまな人間のさまざまな悩みの手紙を受け取り、自分たちなりに頭をひねって回答をしていく。そうして、「ナミヤ雑貨店」がおこす不思議な現象に巻き込まれていく。

 

ちょっと『バックトゥーザフューチャー』を思い出させるくだりもあったりする、過去と現在が交錯する物語だ。この手の話が苦手な方には向かないかも知れないが、これはタイムトラベル物というより、心温まる人間の繋がりの物語だ。そして素敵な純愛の物語でもある。

 

これから読む方の楽しみを減らしたくないので、あまり多くを語ることは避けたい。年末年始の休み、お暇で人ごみは避けたいという方は、心洗われる感動の「ナミヤ雑貨店」ワールドを楽しんでみられてはいかがでしょう。

 

 

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今年を締めくくる「集会&パレード」とクリスマス

昨日は19日、今年最後の「9.19を忘れない諦めない集会&パレード」の日だった。

 

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背景になっているイルミネーション。都会に比べれば地味なものだけれど、これでも今年は今までに比べるとずいぶん頑張っている。

 

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去年6月、駅前でのスタンディングをたった一人で始めた”言いだしっぺ”が、グループを代表して挨拶。「自衛隊南スーダン行って、なんすーだん!」(「なにするだん」三河弁で何をするの?という意味の言葉をもじったダジャレ)。怒る、抗議するも大切だけど、ユーモアも忘れちゃならない、という彼のポリシーが込められたプラカード。

 

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クリスマスイルミネーションの街を行進。

 

今年の参院選までは3団体共催で行い、参加者はたいてい100人~150人(安保法成立前の8月30日の集会&パレードは500人だった)はあったけれど、参院選後、豊橋スタンディングやママの会は「賛同団体」として名前は残したが共催からはずれた。そのためかどうか、昨日の参加者は80人という発表だった(永年活動していた方たちがもう少し新参者の意見も聞いてくれれば抜けなくてもよかったのだけれど、残念・・・)。

 

集会&パレードは今年はこれで終わり。参院選のあと、金曜日のみになった通常のスタンディングも先週の金曜日が最終だったので、私たちの現政治に抗議する年内の活動は、スタンディング独自企画である23日のクリスマスイベントを残すだけとなった。

 

私個人の活動の「住み開き よんばばんち」は、そのあと25日の最終日曜日に開催する。今回は「映画『チョコレートドーナツ』を見て、全ての子どもの幸せを願おう!」というテーマだ。鑑賞後は感想など話し合って、それからささやかなクリスマスパーティーをする(なぜかゆきがかりで)ことになった。でも、今のところ参加を言ってきたのが男性ばかりで焦っている。

 

日本にクリスマスという文化が入って来て、初めの頃はもっぱら飲み屋街でお父さんたちが、とんがり帽子をかぶって「メリークリスマース!」と騒ぐ日だった。それから高級レストランや高級貴金属店がやたらに儲かる、恋人たちのための日という時代があって、バブルがはじけた頃から、「家族で楽しむクリスマス」が主流派になったようだ。

 

でもどんなクリスマスが流行ろうと、宗教的にどのような意味があるのであろうと、私にとってクリスマスは「子供たちに思いをはせる日」だ。サンタさんが子供たちにプレゼントを届けてくれる。「良い子に」なんてケチなことを言わず、どんな子にも届けてほしい。心がささくれていてつい意地悪をしてしまう子にも、飢餓の地の子にも、紛争の地の子にも・・・。とうていすべての子供の「タイガーマスク」にはなれないけれど、せめて子供のためのささやかな寄附という行為で、「思い」を形にしようと思う。

 

 

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クリスマスプレゼントではないけれど、先日インターネットの世界から届いた嬉しい贈り物。

ちょっとだけ在籍した劇団の公演をお手伝い

以前もちょっとだけ在籍した劇団のお手伝いについて書いたが、今日はその劇団の公演当日だった。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

「できれば当日もお手伝いを」というメールが来てOKの返事をしていたので、今日は朝から穂の国とよはし芸術劇場プラットへ出かけた。スタッフ全員集まって役割分担が支持されたのだけれど、その時たくさんあるスタッフ用タグの束の中から何気なく私が手に取ったタグは「77」番。ささやかなことだけど、なんだか嬉しい(それにしても福引などでは必ずビリなのに、なんで賞品も何もないこんなときにラッキー?)。

 

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団員の方に「こんな素敵な劇場でできるようになって良かったですね」と言ったら、「いいけど、それだけに利用料が高いのでがんばってチケットを売らないと大変」と言っていた。何事も、なかなかいいことばかりという訳にはいかないものだ。

 

今日の公演は午前11時と午後4時の2回。200席の「アートスペース」という小さいほうの会場で、午前のチケットは完売、午後は少し及ばなかったようだが、会場内でお客様の案内をしながら見た感じでは、ほぼ一杯という雰囲気だった。

 

劇団創立以来ずっと代表を務めていた方を昨年亡くし、そのあとやはり当初からの古いメンバーが何人も退団して、いま過渡期を迎えているらしい。

 

働きながら、通常で週2日、公演が近づけば週に5日の稽古をこなして演劇を続けていくのは、並大抵のことではないと思う。すでに退団して3年余が過ぎてしまった私には、知らない顔ぶれも多かったが、それでも半分くらいの人は見覚えのある人たちだった。その情熱に敬意と少なからぬ羨望を覚える。私は何事にもあまりのめり込めない人間なので・・・。

 

 

朝9時集合から、午後の部のお客様の案内を終えて4時半頃まで、昼食をとる時と2時間の舞台を見せてもらう間以外はほとんど立ちっぱなしだったので、昨夜なぜか眠れなくて睡眠不足だった私は少々疲れたけれど、演劇に燃える人たちに触れてエネルギーをいただいた気がする。これがダブルセブンの幸運かな?

 

今年もいたします、ハンドベル!

スタンディンググループの今年のクリスマスイベントは23日。ギターや鍵盤ハーモニカなどの楽器演奏や歌の集会のあと、また去年のようにサンタやトナカイなどのクリスマスにちなんだ格好でプラカードを持って電車に乗ったり、街なかを散歩しながらビラ配りをしたりする予定だ。去年通行人との交流も持てて楽しかったハンドベルもプログラムに入っている。

 

で、今日がそのハンドベル練習の第一回目だった。集合は午後5時半。終わったあと続いてスタンディングができるようにという時間設定だ。ところが今日の豊橋は冷たい風も強くてとても寒い。まして暗くなるころから出かけるのは気が重い。こんな日はオウチが一番だが、みんなも同じ気持ちだろうから、こんな日こそ頑張って行かねば!と思い参加した。

 

やはりメンバーの出足は鈍く、初めのうちは人数が足りないかとさえ思われたけれど、なんとか5人になり、ベルを2個ずつ4人が持って、一人は楽譜(去年作った、模造紙に大きくドシラソ・・・とカタカナで音階を表示したもの)を持って演奏できた。

 

ピッタリ1オクターブだけで演奏できる「もろびとこぞりて」と「ジングルベル」の2曲を練習した。演奏に夢中で全く働きかけもしなかったのに、二人連れの女子高校生が興味を示して寄って来て、飛び入りで一緒に演奏した。やはりハンドベルは聴衆を引き込む力がある。

 

いつの間にかギターを弾くメンバーなども来ていて、片方ではギター演奏、隣ではハンドベルという光景になっていた。ハンドベルが1オクターブ分しかないし、演奏もひよっこなので合奏という訳にいかないのが少々残念だ。ハンドベル練習は30分で終了しスタンディングに合流する。

 

そうしているうちに、シール投票の準備をしたメンバーが来たので私はそちらのお手伝いをする。パネルを持つ私は手袋をしていることができたが、シールを手渡すYさんは右手は手袋をするわけにいかず、寒そうに赤くなってしまっていて気の毒だった。ま、男だから頑張ろうね、というとセクハラになるのだろうか。

 

今日も圧倒的に「駆けつけ警護」を知らないという人が多かった。でもほとんどみんなYさん作成のチラシを受け取ってくれ、「大切なことなので、これを機会に関心持ってくださいね」と言うと素直に「はい」と答えてくれる。

 

小さいお子さんにイルミネーションを見せるために来ていた二人の若いお母さん。一人は駆けつけ警護を「知らない」と言い、一人は「知ってます。自衛隊が武器を使えるっていうのですよね」と、知らないという友人にとうとうと説明してくれた。何で知ってるのとその友人に聞かれ、「だってニュースでやってるじゃん」。

 

同じくらいの子どもを持つお母さん同士でお友達でも、普段こういう話は話題に上らないだろう。私たちのシール投票と出くわして、二人の間でこんな会話があったことで、「知らない」と言った方の人は、もしかしたら、私ももう少しニュースなどを見なくちゃと思ってくれたかもしれない。そうだといいなと思う。

 

 

ハンドベル練習とスタンディングとで計1時間、寒風の戸外にいてちょっと大変だったけれど、クリスマス企画当日までハンドベルの練習日はあと2回だ。やり始めるとついつい演奏に夢中になってしまうけれど、通行人にアピールするのも大切な要素なので、うまく興味を持ってもらって、あわよくば私たちの活動についても少し話ができたりするといいのだけれど・・・。

 

 

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写真を撮っていたメンバーがまだフェイスブックにアップしてくれないので、去年の練習風景の写真を・・・。

 

 

 

今日も歩いて、いいものみっけ!

今年最後の古文書講座を受けた帰り道、ちょっと冷たい風が強いけれど歩いていれば温かくなるだろうと、今日も駅まで路面電車をやめて歩くことにする。

 

いつものように駅ビルのレストラン街でお昼にしようか、駅の西側まで行ってゆったりしたカフェでランチにしようか・・・などと考えながら歩いていると、気になる看板を発見した。

 

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「身体にやさしいお母さんのランチ」。いいなあ。お店の佇まいもとっても気をひかれる。

 

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入ってみることにした。

 

中では70代か80代と思しき女性客が、店主のお母さん(70代くらいか。私から言えばお母さんでは申し訳なく、お姉さんと言うべきだが)と話していた。一人では大変でしょと言われた店主の方が、「一人で気楽にやるのがいいのよ」と答えている。人を頼めば気も使わなきゃいけない、自分だけなら自分の好きなペースで、お客さんが立て込んだら「時間かかりますけど」と言えば、急ぐ方は出ていかれると。

 

うん、お一人でのんびりやれそうなお店・・・と思っていると、私のあと次々お客さんが入ってくる。小上がりのテーブルこそ空いていたが、たたきの方の大きな二つのテーブルはじきに埋まって、私は内心あらあらお母さん大変・・・と思ったが、ほとんど常連さんばかりらしく、店主のお母さんにもお客さんにものんびりした雰囲気が漂っている。

 

街なかの店ほどではないけれど、それでもほどなくして注文したランチが出てきた。お客さんみんな「ランチ」なのだ。だいこん旨煮と鶏の磯揚げの違いこそあれ。そもそもメニューなるものもない。たぶん「深夜食堂」みたいに、注文すればできるものなら応じてくれるのかも知れないが。

 

 

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私の注文した「イカとだいこんの旨煮」のランチ。旨煮の上に振りかけられているのはチンピ。

 

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右側のサツマイモの煮物に乗っているのはレンシ、蓮根の実だそう。左側はとうがんにクコシ。レンシもクコシもチンピもすべてお母さんが自分で干したものだそうだ。干したものをまた戻して使うのが体にとても良いというのが薬膳の考え方とか。

 

 

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今日は私ともう一人50代くらいのビジネスマンが新顔だったからか、このボードを取り出して薬膳の説明をしてくださった。お母さん、薬膳とフードコーディネーターの資格もお取りになったのだそうだ。

 

ビジネスマンの方は、「前からこのお店が気になっていたけれど、若い人たちと一緒にお昼をとることが多いのでなかなか来るチャンスがなかった。今日は一人だったのでやっとここに来ることができた」と言っていた。

 

街なかの店で相席になると気まずい沈黙が支配することが多いが、この店ではみんな一人客なのだけれど、大きなテーブルを囲んで和気あいあいだ。私の向かい側は酸素吸入器をゴロゴロ引いていらしたおじいちゃま。週3日はデイサービスに行って、それ以外の日は毎日ここでお昼になさるそうだ。ここなら毎日食べても飽きないだろう。健康的だし。

 

私の右斜め前にいらしたおじさまが帰ったあと90歳だと知らされてビックリ。とてもそのお歳には見えなかった。薬膳効果?別のおじさま(おじいさま?)は自宅の庭の侘助を持っていらして、テーブル上の花瓶に活けられたものを取り換えている。お母さんにちょっとハサミ貸して・・・と声を掛けながら。

 

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料理を待っている私の目の前で「ポタリ」とまさに音を立てて散ったピンクの侘助。このあと新しい白いものに交換された。店中クリスマスの飾りつけがいっぱい。とても80歳近い(であろう)お母さんが一人でやっている店とは思えない、若々しく可愛らしい雰囲気に満ちている。

 

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コーヒーを飲む人にはサービス(待たせたりするからとのこと)でついて、さらに今日は常連さんが持っていらした三ケ日ミカンを、その場に居合わせたお客さんみなに1個ずつくださったので、デザートにいただいた。甘くておいしかった。これで730円也。

 

今年はもう講座がないけど、これから市電で駅まで行かずに、こちらに伺いますと言って店を出た。歩くとやっぱりいいことがある。