よんばば つれづれ

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「住み開き」企画第一回開催

以前「住み開き」という新しい企画のことを書いた。

yonnbaba.hatenablog.com

 

この少しあとで、私なりの企画を立てフェイスブックで告知した。スタンディングでもママの会でも、なかなか若い世代が参加してくれないので、子育て中のママさんたちに関心を持ってもらえるように、食の安全に関するDVDの鑑賞を中心に据えたものにした。

 

待てど暮らせど問い合わせはサッパリなく、再度告知してやっと参加希望が1件来たものの、男性だったためDVDは貸し出すことで了解を得た。その後私の個人的な悩み事が発生したこともあって、お流れならそれもいいかもしれない・・・という気分だった。

 

ところが、もはや当日は開店休業と思い定めた数日前のこと、スタンディングの仲間から連絡があり、同じスタンディング仲間で、3か月間のピースボートの旅から戻ったIさんと参加してくれると言う。当初のDVDはこういう事情で今手元になく上映できないことを言うと、Iさんがパソコン持参でピースボートの写真や土産話を披露するという提案をしてくれた。

 

そんなわけで、本日、無事我が家の「よんばばんち(もちろんホントは『よんばば』ではない)」第1回を開催した。5人の参加者があり、私を入れて6人、狭い我が家のことゆえ「大盛況」という格好だった。しかもIさんのスライドショーとお話が中心なので私は終始受け身でいられて、気力が満タンではない状態の身にはとてもありがたかった。

 

今日の話の中で印象的だったのはアウシュビッツ、ビルケナウの話はもちろんだけれども、それ以上に収穫だったと思うのが、Iさんが船の上で知り合った東京の女性の話だ。その人はピースボートの旅に何度も参加しているそうなのだが、最初の旅の講演で聞いた話で初めて憲法というものに興味を持って、帰国後早速東京の方で九条の会を作り活動するようになったのだと言う。ピースボートに乗るまで、全く政治にも憲法にも関心はなかったそうだ。

 

スタンディングの選挙後の活動方針の話し合いで、国民の0.1%が活動する人で、9.9%は考えていない訳ではないが日々のことに流されて投票までが精いっぱいの人、残り90%は関心のない人だから、9.9%の人を活動するところまで持って行く方法を・・・という意見があった。

 

けれども、私は90%の中には、ただ知らないだけで、何かきっかけがあれば大きく変わる可能性を持った人が埋もれていて、むしろ9.9%に働きかけるより、90%の中から宝を掘りだすことの方が確率は高いのではないだろうかと思っていた。

 

ピースボートで聞いた話がきっかけになって変わったこの女性など、まさにこのことの証明のようで、とても嬉しく、意を強くした。

 

我が家での小さな集まりで、私は別に自分の考え方を押し付けようと思っている訳ではない。むしろなるべく「聞きたい」と思っている。参加者同士が忌憚なく話し合い、教え合いするなかで、少しでも暮らしの中の問題を考えるきっかけの場になれたらいいなと思っている。考えた後、その人が右に歩き出そうが左に歩き出そうが構わない。その人が自分の頭でちゃんと考え、自分の足で歩きだしてくれるなら。

 

今日来てくださった5人の方たち。それぞれ心に残ったお土産ばなしがあっただろうか。どうか、我が家で過ごした時間が、少しでも実りあるものであったようにと祈ります。

 

 

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一般に「増えすぎて困る」とさえ言われるワイヤープランツ。私はそれを枯らしてしまった。何か苗を買ってきて植え替えなくちゃ・・・と思っていたのだが、今日、なんと、新しい芽を出しているのを発見した。生命力に感謝!

(この陶器は本当は植木鉢ではありません。まだ神奈川に住んでいた若妻のころ、姉とショッピングに行った青山で買ったもの。捨てるのも惜しく、こんな役目を・・・。網目になっているため水分の蒸散が早いようで、まめに水遣りしないといけないようです)

 

去りゆく夏

日中の日差しの猛烈さはまだまだ健在だけれど、それでも日々ひそやかに少しずつ、夏と秋が入れ替わっていくことが感じられる季節となった。

 

 

今年の夏、活躍したものたち。

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足の健康のため奮発して購入したビルケンシュトックの黒のリズモアは、白っぽい夏の服装にはさすがに少々重く、この、夏用スニーカーを新たに購入した。素足でも履けるし歩くのも快適で、比較的服にも合わせやすくとても重宝した。

 

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姉の刺繍作品の日傘。粗忽な私は傘をよく忘れるので、これを持つと「忘れないようにしなきゃ」とちょっと気を引き締める。市販のベージュのものと、服装によって使い分け。外出と言えばひたすら歩くし、暑くて帽子は苦手な私にとって日傘は必需品だ。

 

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襟ぐりが大きく開いたデザインの服が少々気が引けるようになり、この何年か下に着るタンクトップを探していた。なかなか気に入るものが見つからなかったのだけれど、今年はレースをあしらったデザインのものが豊富で、手ごろな価格の通販で見つけることができた。このタンクトップのお陰で、気に入っている白いワンピースもまたしばらく着られるようになって嬉しい。

 

去年に比べると今年の夏の外出は半分にも満たなかったので、スニーカーも日傘も出番は多くなかったが、間違いなくこの夏の私の外出の心地よさに貢献してくれた。会社勤めをしていた時は、少々我慢してもとにかく毎日変化を付けたかったけれど、今は本当に気にいった物が少しあれば良いと思うようになった。

 

 

世界中で日々大変なことが起こっているというのに、つまらないのんきな文章を綴っていて申し訳ない気がする。だからといって、ちっぽけな私に何ができるでもない。せめて地球上に生きる一個の生物として、周囲に及ぼす害を最小限にするよう努力したい。

 

 

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あなたたちのようにシンプルに生きられたら・・・。

いろいろなものに慰められながら

落ち込んでから一週間余、日々いろいろなものに慰められながら過ごしています。まずは、皆様からのコメントに心から感謝申し上げます。あらためて、この場所が私にとって大切な場所だと確認しています。

 

昨日は以前から申し込んでいた地区の市民館主催の「ほのぼの音楽会」でした。前に「大人の愉しい音楽授業」という講座をしてくださった地元で作曲活動をしている鈴木直己さんという方が、いつの間にか曲を作るようになっていたという、ご自分の6歳のお嬢さんみおちゃんと一緒に作る音楽会です。今回は彼女の作った曲の披露がメインの音楽会ということで、聴衆にも小さなお子さんや、なかには赤ちゃんもいて、気楽でちょっとにぎやかな音楽会でした。

 

プログラムの一つに、「聴衆からもらったお題で即興の曲を親子で作る」というのがあり、会場の男の子が「秋の山」というリクエストをしました。直己さんとみおちゃんがそれに応えて演奏した曲に、なんだか妙に私の心が共鳴してしまい心がふるえるような感じがしました。もう一度聞きたい気がしますが、即興なのでその場限り。それも一興なのかも知れません。音楽はやっぱり人の心を癒やします。

 

そしてここ数日、夏になると何度でも見たくなる、十数年前のドラマ『すいか』のDVDをまた見ています。見るたび「やっぱりいいドラマだな~」と思うのですが、今回は一つ一つの台詞がひときわ深く胸にしみます。登場人物がみいんな実にいとおしく魅力的です。どんな自分であっても、この世に存在していいんだよと、大きな腕に包まれているような気持ちになれます。こんなに時間がたっても、出演している女性たちのファッションも少しも古臭くならない、いろいろな点で奇跡のような作品です。

 

『悼む人』で深く惹かれた天童荒太さんの最新作『ムーンナイト・ダイバー』を読みました。3.11後の福島の海沿いの町と思われる場所が舞台です。繊細さと誠実の人という私の期待を裏切らない、天童さんらしい作品でした。目に見える地上にはもちろん悲しみがいっぱいですが、私たちの目には触れない海の中にも、こんなにも厳しく悲しい現実が沈んでいるのだと気付かされました。

 

よしもとばななさんの『なんくるない』。ちょっと手に取って初めの部分を読んでみたら、これはぜひ今読みたい本だ、と直感しました。題名で分かるとおり、沖縄を舞台にした4つの短編集です。あとがきで著者自身が「これは観光客が書いた本だ」と書いていますが、確かに描かれているのはステレオタイプな「沖縄」かも知れません。でもやっぱり行ってみたい気持ちになります。猛烈に日焼けしそうですが、夏の沖縄に行きたくなります。

 

でも、沖縄に行ったからといって、現実には必ずこの物語のように寂しさや悲しみが癒されるものではないでしょうし、反対に、沖縄に行かなくても、自分の心の持ちようで乗り越えていけるものなのかも知れません。

 

まだまだ、どうすればいいのか分からない、いえ、どうすればいいのかは分かるけれど、それがはたして本当の自分と言えるのかが分からないし、それ以上に、そんなに思慮深く振る舞えるほど自分ができた大人ではないということが分かっているので、悩みが解決したわけではありません。

 

これからも何度となく自己嫌悪に陥るような失敗をしでかしてしまうでしょうが、なんとか身近な人に心配を掛けない分別ある大人像と、現実の愚かな自分との間をウロウロしながら、少しずつでも理想に近づけていく努力を放棄しない、というあたりが実際的な道でしょうか。

 

今までの経験から、年齢を重ねることは決して「人間ができていく」ものではなく、むしろ「生来の性格が濃くなっていく」ことであることの方が多いと気づきました。たとえウロウロしながらでも、良い方向に進むというのは簡単なことではありません。あまり先のことを考えると絶望的な気分になってしまうので、ぶつからない、ころばない程度に目の前だけ見ていこうと思います。ゆっくり、ゆっくり・・・。

 

 

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分からなくなっています

いい年をして、自分が母として人として、どう生きるべきか分からなくなってしまい、ブログを書くことができずにいます。

ご訪問くださっている方たち、ごめんなさい。

 

 

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寂しかったので写真を足しました。

先祖に思いをはせる季節

両親の墓の掃除に行かなくては・・・と、このところずっと心にかかっていた。明日こそは!と思って休むのだけれど、近頃のんびり起きるので、目覚めればすでに強烈な日差しがあふれていてひるんでしまう。

 

そんなことの繰り返しでいよいよ追い詰められ、今日は日差しの弱まった夕方から出かけた。明るいうちに草取りが終わるだろうかと心配だったが、充分きれいにすることができた。

 

青森の婚家の墓はどうなっているだろうと、ふと気になった。数年前に一人残った姑が施設に入り、家も墓も守る人がいなくなってしまった。近所の分家の人たちが面倒を見てくれているのだろうか。長男の嫁でありながら、責任を果たすことができなかったばかりか、鎌倉時代から続いた家の、二十一代目(我が長男)を連れて出てしまった。姓は替えていないのでいちおう信州で名は続いていることになるが・・・。

 

私の両親の墓も本来なら家を継いでいる甥が守る訳だけれど地元にいないし、彼らの世代になると墓というものに対する意識も違うのだろう。私がここにいて元気な限りは、両親と兄の眠る墓を行き届かないなりに守っていこうと思う。

 

私自身はどう身を処そうか、まだ決められずにいる。樹木葬などに気をひかれるのだが、今のところ当地にはそうした施設の計画はないようだ。

 

お盆のある8月に、広島や長崎の日があって敗戦の日があるというのは、偶然なのだけれど、なんだか運命づけられていたことのようでもある。おごそかでしめやかな気分に満たされる月で、夏のレジャーで開放的気分になるだけでなく、みなが先祖のことを考え、子孫に思いをはせる月にしたい。とりわけ戦争の犠牲になった人たちのことは必ず思い出し、決して新たな戦争の犠牲者を出さない国であり続けたい。随分と危うくなってきているけれど・・・。

 

 

去年は昼間の暑い時に墓の草取りをして汗だくになり、眼鏡をはずして汗を拭いて、そのはずしたメガネを近所の墓石に乗っけたまま帰途につき、食事に入った店で気が付いて冷房でせっかく汗が引いたのに、また炎天下を霊園の一番奥まで戻ったのだった。今年は夕方にしたおかげでそれほど汗もかかず、忘れ物の失敗もなかった。

 

家に戻ってから晩ご飯にするのでは遅くなってしまうので、外で済ませて帰ることにした。昼を出先で一人で済ませることにはだいぶ慣れたが、夕食を外で一人でとることはめったになく、少々わびしい感がぬぐえなかった。

 

注文した料理を出されるとき、汁物がご飯ものの左側に置かれた。あら、あら。働き始めるとき料理のサービスの仕方を教わらなかったのだろうか。いや、教わらなかったとしても、小学校か中学校の家庭科で学ばなかったのだろうか。

 

若い人たちを見ていると、様々な場面で、今は授業時間数が足りないのか、基本の力がついていないなと感じることが多い。だから自分が習ったからと言って、一概に、習っているはずなのにとは言えないが、こんなことは本当は家の食事の時でも身につくはずのことだ。

 

私の斜め前方の席で食事している家族連れのお父さんも、右手に箸を持っているのに、お椀を左側にして食べていた。私はなんだか落ち着かないので、置き直してから食べ始めた。

 

 

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数の子、昆布、大根などが入って、ねっとり糸を引く津軽のうまいもん、ねぶた漬。

ご飯が進みます。(写真のものは去年友人が送ってくれたもの)

 

 

なんとも愛らしい小動物!『ブラフマンの埋葬』小川洋子著

プラチナデータ』のあとも、東野圭吾さん(『流星の絆』)と宮部みゆきさん(『過ぎ去りし王国の城』)の、ティーンエイジャー向けのライトノベルだったのかな?と思うような作品を続けて読んでしまったこともあり、今回の『ブラフマンの埋葬』では久しぶりに豊かな読後感を味わった。

 

題名からして動物の死と向き合わなくちゃいけないんだなと分かるので、ちょっとだけ躊躇したのだけれど、小川さんの作品ならただ悲しいだけじゃないだろうと信じて手にした。

 

 

森で怪我をして死にそうになっていた小動物の赤ちゃんを、「創作者の家」の管理人の「僕」が助ける。皿で牛乳を与えても、満足に飲むこともできない赤ちゃんだ。「貝殻の形の髪留めをして、マニキュアも指輪もしていない、汚れたものになど触れたこともないような手をした娘」のいる雑貨屋で、「僕」はブラフマンのための哺乳瓶を買う。

 

ブラフマンと名付けられたその小動物はみるみる元気に成長し、初めは「僕」の部屋の中だけで、それから「創作者の家」の庭で、それにも慣れると森で・・・と、「僕」との細やかな交流の世界を広げていく。

 

初めて家に連れ帰り、汚れたブラフマンの体を洗うために盥に入れた時、彼が水が大好きなことが分かり、しかも足の指の間には水かきがあることから、「僕」が予想していたとおり、湧き水の泉に連れて行くとブラフマンはイキイキと泳ぎ回る。

 

全編を通してブラフマンが実に愛らしく細やかに描写されているのだが、最後まで彼が何であるのかは分からない。そして舞台が日本なのか外国なのか、時代が現代なのかどうか(自動車やファックスは出てくる)も薄い霧がかかったように判然としない。けれども、そうしたことがむしろこの物語をより魅力的にしている。

 

「創作者の家」にはいろいろな楽器の奏者や画家や詩人が入れ代わり立ち代わり滞在するのだが、石棺を作り墓石を刻む「碑文彫刻家」だけはずっと滞在している。そして意識的に客と距離を置くようにしている「僕」も、この彫刻家とは私的な交流を持つ。

 

彫刻家は毎日石を刻む。またブラフマンはあらゆるところを齧るのが大好きだ。音は結構しているはずなのだけれど、この物語には常に静謐な空気が満ちている。

 

静かで穏やかな日々、「僕」の心にさざ波を立てる貝殻の形の髪留めの娘。娘はいつも列車でやってくる男を駅で待ち、そうして二人で「古代墓地」へと寄り添いながら歩いて行く。また時には自動車の運転を教えてほしいと、「僕」のところへやってくる。

 

「僕」の心がザワザワするように、読み手の心もなんとなくざわつく。そして場面は急転し、恐れていた事態に遭遇するのだけれど・・・。

 

最後まで静かで透明感を崩さない描写。悲しみを表す直接的な表現はまったくない。けれども「僕」とともに読み手もブラフマンをなくした深い深い喪失感を感じる。

 

最後の、5項にわたるブラフマンの埋葬に関する記述。感情を廃した機械的な記録のように書きながら、こんなにも深い愛を感じさせる文章を私は初めて読んだ気がする。

 

 

 

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私が次男に送った葉書

 

 

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次男から届いた返信

甘酒は冬だけの飲み物じゃなかった

昨日は立秋だったというのに、あちこちで体温を超える気温を記録している。日中はとても外出する元気が出なくて、日が傾き始めた頃に近くのATMまで行ってきた。経理の仕事を退職したというのに、スタンディングやら老人会やら、なぜかまたお金を管理するはめになっている。

 

さて、私は夏でもホットコーヒー派だが、このところ結構気に入っている飲み物に、「甘酒の豆乳割り」がある。甘酒は子供のころから好きだったけれど、カロリーが高そうなので、冬たまに飲むくらいだった。

 

「甘酒は飲む点滴」とも言われていると知り、さらに氷を入れ、豆乳で倍くらいに割って飲めば夏でも比較的サッパリと飲めることを知った。一日に一回この甘酒の豆乳割りを飲むと、なんだかこのところ少々お疲れ気味の心にまで、やわらかく栄養がしみわたっていくような気がする。

 

 

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これは以前奥三河に行ったときに買ったもの。いま日常飲んでいるのはこれではありません。

 

 

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上の甘酒と一緒に買ったジュレ。つい、写真を撮るのを忘れて食べてしまい、中身はカラッポ。でもジュレも無色透明だからあまり変わりません・・・ナンチャッテ。