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よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

名古屋ボストン美術館の閉館そして沖縄慰霊の日

暮らし 社会のこと

夕方のローカルニュースで名古屋ボストン美術館が、2019年に閉館することを告げていた。本家のアメリカボストン美術館との20年という契約が切れるのを機に、経営も苦しいため閉館という運びになったのだそうだ。

 

金山駅から徒歩2、3分という素晴らしい地の利にあり、しかも集客力のあるラインナップのボストン美術館の収蔵品を展示できる。もっと悪条件のなかで、魅力的な企画を工夫し、健闘している美術館もたくさんあると思うのに、なぜこのような結果になったのだろうか。

 

名古屋の友人に誘われて、その美術館に初めて行ったとき、私たちは威圧的で権威をかさに着たような警備員にとても嫌な思いをさせられ、展示内容自体は良かったのに後味の悪い鑑賞になった。そのときはたまたま虫の居所の悪い警備員に当たってしまったのかとも思ったが、次に行った時もスタッフのいかにも「良い作品を庶民に見せてやっているぞ」と言わんばかりの態度が見られ、がっかりした。

 

他の美術館ではそのような思いをしたことがないので、おそらく名古屋ボストン美術館全体に、権威主義的な意識があったのではないだろうか。だからそんな経験のあと、開館して何年もたっていないというのに、経営が苦しいというニュースを耳にしたとき、さもありなんという気がした。

 

美術館側は「素晴らしい文化を提供している」という感覚かも知れないけれど、見る側は癒しやくつろぎも求めて芸術に触れに行く。美術館とて娯楽施設なのだ。緊張して肩ひじ張って・・・では、また行こうという気になりにくい。もちろん多くの人が気持ちよく鑑賞するために、守るべきマナーはあるけれども。

 

 

名古屋ボストン美術館は収蔵品を持たない美術館で、閉館するとただ駅前の巨大な箱モノだけが残って、絵の一枚も残らないのだそうだ。たぶん、地元の人を対象とした文化を根付かせたり深めたりするような活動もしてきていないだろう。良い作品に触れた感動は、見た人々の心に栄養として残るかも知れないが、巨費を投じて作り、開館以来の大半を毎年何十億円もの赤字を出しながらやってきたことに見合うものがあったのだろうか(損は誰がかぶり、責任はだれが取るのだろう)。

 

有名な作品が展示される企画展はどこも大変な人が集まる。少し前にも、東京の若冲展は何時間待ちなどというニュースが飛び交っていた。でも、小さな美術館が、限られた予算で知恵を絞って見ごたえのある展示をしていることはよくある。スタッフの方たちの作品に対する愛が伝わって来て、有力な美術館が金にあかせて有名作品頼みで行う企画展より、しみじみと味わい深い経験をすることも少なくない。

 

金山駅前のその箱モノは、美術館閉館のあとは美術館にこだわらず集客力のある施設を考えるとのことで、先行き怪しい豊橋などとは違い、天下のトヨタの御膝元名古屋のことゆえ、なにか目を見張るような新しい展開があるかも知れない。けれども、とにかく税金をつぎ込んで新しいことを始めるのであれば、ゆめゆめ、希望的観測の数字をはじかないようにしてもらいたい。

 

 

さて、今日は沖縄慰霊の日。

沖縄に犠牲を押し付け続けている本土の人間の一人として、本当に申し訳なく思う。そして、もっと沖縄の方たちの立場に立って考える政治がなされるよう、さらにさらに声を上げていかなければ!と思いを新たにする。

 

 

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平和の礎 Wikipediaより