よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

不器用で優しい人たちの物語『にじいろガーデン』小川糸著

『食堂かたつむり』や『つるかめ助産院』の著者の作品である。好悪別れる作家かも知れない。いささか少女趣味と感じる方もいることだろう。しかし、私は好きだ。結構おとぎ話っぽい設定があり、自己陶酔を感じてしまったらとても受け入れられないと思うけれど、不思議に私はこの著者の作品にはそれを感じない。

 

夫にほかの女のもとに去られ、7歳のソースケと残されて自暴自棄気味に暮らしている泉は、ある日駅のホームで「ある行為」をしようとしているに違いない少女を発見し、まずはその前に美味しい物でも食べようと自分の家に連れ帰る。

 

でも、流し台には汚れ物があふれ、部屋は散らかり放題でごみまで散乱している。連れて来られた高校3年生の千代子はテキパキと部屋を片付けていく。そうしてやっと食べさせてもらった卵焼きは泣けてしまうほどまずかった・・・。

 

こうして運命的な出会いをした二人は、周囲に大波を立て、巻き込みながら、急速にかけがえのないパートナーとなっていく。出会った時にはすでに千代子のお腹には新しい命が宿っていて、まもなく新しい生活は二人のママとソースケと生まれて来た赤ちゃんの4人の家庭となる。

 

物語はこのタカシマ家の16年間の喜びや悲しみを描いている。主人公二人はレズビアンカップルであり、そのために巻き起こる様々な困難も描かれてはいるが、同性愛を取り上げたというより、むしろ社会における少数派の人々をテーマにしたのではないかと思う。少数派や声高に主張できない人、地位や権力から遠くにいる人々が、はじき出された世界で、自分をありのままさらけ出して生きていく喜びや幸せを描いている。

 

けれども物語は暗転し、ささやかな幸せさえ長くは続かない。思うようにならないのが人生ではあるけれど、後半は少し辛すぎる気がしないでもない。せめて誰よりも優しく周りの人を気遣ってばかりいたソースケには、幸せになってもらいたい。想像の余地を残した終わり方ではあるけれど、もう少し著者の手で希望の兆しを書き記してほしかった気がする。

 

家族とは何か、本当の自分は何者か、生きていくうえで本当に大切なものは何か、幸せとは・・・と考えさせられる。

 

彼女たちが移り住んだ「マチュピチュ村」の家の庭に、嫌がらせとして古い「鍋」をいくつもいくつも投げ込む村の「ボス」や、世俗的な価値観の代表として描かれる千代子の両親も含めて、悪人は一人も登場しない。どちらが良いとか悪いではなく、いろいろな人や生き方や幸福観があっていいのではないかと静かに語り掛けてくる物語だ。

 

 

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※皆様にご心配いただいているドリームは、今日は昨日までより少しだけ食欲も元気も取り戻しつつあります。皆様からのお優しいコメントに心から感謝申し上げます。

 

 

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こんなチーズを見つけたので、ドリームのために買ってしまった。