よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

ジョルジュ・ルオー展とさくらまつり準備

何か月も前から行こうと思っていながら、残り1週間限りとなった今ごろになってやっとルオー展に出かけた。水曜日のピアノの稽古のあと行こうかと思ったのだけれど(ピアノを習っているNHK文化センターの隣が豊橋公園で、その中に美術博物館がある)、帰りが少し遅くなりそうで止めた。そうしたら、その日にえむこさんとご主人が行かれていたことをブログで知った(ジョルジュ・ルオー展へ)。午前中に行っていたらお会いできたかもしれなかった。たしか、以前にもこんなニアミスがあったような・・・。そのうち何かの展覧会でご一緒になれそうな気がする。


えむこさんも書いていらしたが、ルオーの絵は暗いのだけれども温かみを感じさせる。見ているととても気持ちが沈み込んでしまう絵もあるけれど、不思議とルオーの絵ではそんなことがない。おそらくルオーという人は、人間を信じ希望を持っていた人なのだと思う。2つの大戦を経験してなお、そのあとの画風が明るくなっていったというのもそれを裏付けるものではないだろうか。



私もえむこさんの真似をしてパンフレットの写真を・・・



これもまねっこ
でも今日一番私が心をひかれた絵は絵葉書になっていなかった
よくあること
私が好きになる作品はマイナーなものが多いのか?
なにせへそ曲がりだからね
何枚かあった「人物のいる風景」という作品のうちの1枚
きれいな青が印象的な、一番画面の明るいものに惹きつけられた


解説の文章の中で私のアンテナに引っかかってしまったのは、ルオーにとっての犬について触れた部分だ。ルオーはよく知られているように社会の底辺の方で苦しい生活をしている人々に心を寄せているが、犬にも同じような思いを持っていたらしい。この展覧会の作品の中にも2点ほどサーカスの人と一緒に犬を描いているものがあった。(上の絵葉書の写真で、右下の踊り子の絵に犬が描かれている)


そう言われてみれば、犬は飼い主とともに苦難に耐え忍びそうな気がする。その点どうも猫は悲壮なイメージがない。もちろん、ちまたには生まれて間もない仔猫を捨てる許しがたい輩がいて、哀れこの上ない境遇の猫も後を絶たないのだけれど、あくまでもイメージとして、猫は自由気まま、自分の居心地の良いところへ軽やかに移って行ってしまいそうな感じがする。たぶんルオーは1枚も猫は描いていないだろう。


あと、非常に個人的なことだけれど、年表を見ていて、ルオーの誕生日が私と同じだということを発見した。めったに同じ誕生日の人に出合ったことがないので、ちょっと驚き、そしてなんだかちょっぴり嬉しかった。おお、ルオーさんよ、あなたもでしたか!って。だからなに?!って話だけれど。


帰り道、満ち足りた気持ちで歩く私の周りでは、係りの人達が、提灯を吊るしたりさくらまつりの準備に余念がなかった。もう来週の今ごろはこの芝生にいっぱい青いシートが敷かれ、花見の宴が開かれていることだろう。桜の数はあまり多くなく、市内でも花見の名所としては二番手くらいだけれど、松やお城との取り合わせは趣がある。私の心のふる里弘前には遠く及ばないけれども・・・。

豊橋市の桜の名所のご紹介→春まつり・さくら



ささやかな幸せを感じた春の一日・・・。