よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

想像力を刺激する『枯木のある風景』ー「近代日本の絵画名品展」改題ー

えむこさんが期待を上回る素晴らしさだと書いていらした、今回の豊橋市美術博物館の企画展。開館35周年を記念する催しでもある。前売り券は早々に手に入れていたのに、なにやかやと出かけるのが遅れ、今日やっと見に行って来た。

やはり、とても見ごたえがあって素晴らしかった。私は特に第二展示室の雰囲気にひかれた。まず川合玉堂の「深秋」「冬嶺孤鹿」、ひとつおいて伊藤小坡の「山羊の乳」。ひっそり寂しい雰囲気の中に温かさと優しさを内包しているようで、心がきゅうんとなって涙がこみ上げそうになった。もうこれだけでも今日ここに来た甲斐がある。ほかも一通り見たあと、ここでしばらくゆっくりこれらを眺めていたいと思ったのだけれど、なぜかこの部屋だけソファの設置がなかった。残念。

第三展示室では青木繁の「漁夫晩帰」が目を引いた。第四展示室には岸田劉生の「毛糸肩掛せる麗子肖像」がある。小さな作品なのに、見るものを吸い付けてしまうような不思議な力を感じる。しばらく動くことができなかった。中学生の時美術の教科書で「麗子像」を見て、なぜこれが名画なのかと疑問を感じたけれど、実物を見れば納得する。第二展示室で感じたのとは別の感動を覚えた。

小出楢重の「枯木のある風景」。画面上半分の空にはそびえ立つ鉄塔とたくさんの電線。下半分を占める荒れた感じの空き地に太くて長い枯木が数本横たえられ、地面に黒々とした影を落としている。寂しく不安な感じすらする絵だ。私はだいたい色のきれいな絵とか、温かい感じのする絵が好きだ。この絵はあまり好みではないタイプのはず。ところがなぜか妙に気に掛かる。原因は、電線に止まっているカラスのような黒い物体だ。カラス、なのかも知れない。けれどもこれが私には、帽子をかぶった男が電線に腰かけて足をブラリとたらし、下界を見下ろしているように見えてならない。それが何となく不穏なこの絵に、メルヘンの味付けをしているように思えてしまった。これがなかったらただ暗いだけの絵になってしまっただろう。と、これは全く私の勝手な見方。

福田平八郎も好きな画家で、今回は「竹」が展示されていた。以前見た庭石や瓦を描いた作品ほど単純化されてはいなくておとなしいが、若い筍の後ろに大人の竹を配して優しく見守るような構図になっていて、竹の隙間の背景の色が優しいピンク色というのも良かった。

この他にも上村松園の「舞仕度」は松園らしい見事さだし、片岡球子北斎と富士を描いた作品や、小倉遊亀の「夏の客」なども楽しかった。思いがけなく松本竣介の「顔」という小品とも出合えた。


ウッドワンなる住宅建材メーカーを私は寡聞にして知らなかったのだけれど、そのような(私が知らないからと言って小さな会社という訳ではないのだろうが)企業がこれほどのコレクションを有しているということに驚いた。この他にもルノワールゴッホも所蔵しているそうだ。


鑑賞し終るとちょうど昼時だったので、隣接のカフェ「ミューズ」で余韻を楽しみながら軽い食事をとる。美術館前の庭で近くの中学校の女生徒達だろうか、制服姿の女の子たち5、6人が何やら楽しそうに戯れている。若さが輝き踊っている。明るく無邪気な姿、見るものまで楽しくさせる若さの力だ。心地よい肌寒さで秋らしさもひときわの今日、芸術の秋を堪能の一日となった。