よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

王道楽土の夢破れ

王道楽土と聞いて何のことかすぐ分かる人はどれだけいるだろう。今から80年ほど前、中国に満州国という国が創られたときの理念を表す言葉だそうだ。この言葉に憧れ、騙され、多くの日本人が夢の国満州へと海を渡った。多くは国内では十分食べられない寒村の農民たちだ。

早い段階で行った人たちは、中国の人が耕した優良な農地を手に入れることができたけれど、遅く入植した人たちは、「二十町歩の大地主」の謳い文句はどこへやら、狭くやせた土地を開墾しなければならなかった。

しかも太平洋戦争末期ロシアが参戦し形勢不利とみると、日本人を守るはずだった関東軍はサッサと撤退してしまい、男手を兵隊にとられて老人や女子供ばかりが残った開拓民は大変な辛酸を舐めて引き揚げる羽目になった。しかも艱難辛苦の果てに命からがらたどり着いた祖国日本で、満州引き揚げ者としてのさらに新たな苦難を強いられた人々もたくさんいた。

「満蒙開拓」とはいったい何だったのか。その歴史を風化させることなく後世に伝えるために、昨年4月、長野県下伊那郡阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が開館した。長野県は満蒙開拓に全国でもずば抜けて多くの人々を送り出した県である。

その記念館に、先日の土曜日、お婆さん猫たちに長時間留守番させることになるのを気にしつつ行って来た。豊橋ユネスコ協会の会長始めメンバー7人。朝7時に豊橋駅前を出発し、高速道路を走り継いで10時前には現地に到着した。

この日は東京と名古屋からもユネスコのグループの人たちが一泊の日程で来ることになっていて、日帰りの私たちのグループとこの記念館で合流し、交流会を持つことになっていた。どちらも少数の先発隊が先に到着していて、泊りがけであるからか、残りの人たちはゆっくりと午後の到着予定だった。

先に着いていた方たちと一緒に記念館を見学。館内に一歩足を踏み入れると、プーンと木材のいい香りがまず鼻に飛び込む。さすが木の本場信州、ふんだんに無垢材を使った贅沢な建物だ。本棚などもすべて木で作り付けになっている。規模はそれほど大きくはないが、天井が高く、ゆったりしたカフェスペースもしつらえられた気持ちの良い空間である。

けれども展示物を見、説明パネルなどを読むうち、苦しさに胸が詰まってしまう。特に印象に残ったのは「満蒙開拓少年義勇軍の少年たち」と題された写真だ。十数人のまだあどけない少年たちが兵隊帽にゲートルを巻いたズボンのいでたちで、上半身は裸(シャツを着ている子も数人いるが)で笑っている。労働の手を休めての記念撮影なのだろうか、みな手には何か植物の束を持っている。説明にはこの少年たちは戦闘で死んだり、中には捉えられシベリア送りになったり、多くは祖国の土を踏めなかったとあり、思わず涙がこぼれた。

もうひとつ胸に迫ったのは「証言 それぞれの記憶」コーナーだ。一つの部屋の三方の壁にぐるっと譜面台のような斜めになった机が取り付けられていて、九死に一生を得て帰られた方々の体験談がのせられている。机の上部にはその証言をした方の顔写真。普通のおじいさんやおばあさんの、飾らない方言も交えた、聞き語りの口調で書かれていて、その素朴さゆえにより強く訴えてくるものがあった。


展示物の中の言葉に、「現地にとどまりたいものはとどまっても構わないし、日本国籍を捨てたければ捨てても良い」という意味の文言があり、体裁を繕った言い回しになってはいるものの、「なるべく本国には帰らないでほしい」という魂胆はみえみえだ。

軍部は民間人を守ることなくいち早く逃げ、婦女子はかの地に置き去られ、祖国に帰り着けば住むところもなく放り出され、引き揚げ者としての差別も味わうという、国によって二重三重に捨てられたのが満蒙開拓で苦難の人生を歩まされた方たちなのだ。そもそも国内の食糧不足から、嘘で言いくるめて国民を満州の地に追いやったことから「棄民」なのだから、二重三重どころではない。


記念館の見学を終えるとちょうど昼時。暑くも寒くもなく気持ちの良い天候だったので、記念館の庭に持参のブルーシートを敷いて、東京組と名古屋組、そして私たち豊橋組合同で、交流会を兼ねた昼食になった。豊橋のメンバーに、果物やらお菓子やらいっぱい持参してくださった方がいて、それらが全員に回って賑やかで豪華なお昼になった。

それぞれのグループの活動の概要紹介や、各人の自己紹介をしたところ、私たち豊橋ユネスコはとても活発に活動していると称賛された。私はまだ参加してやっと1年の新参者なので、どこでもこのように活動しているのだろうと思っていたのだけれど、毎月の定例学習会や小学校への出前授業など皆さん感心しきりで、我が豊橋ユネスコ協会の有意義な活動は、会長のご尽力やメンバーの熱意のたまものなのだと認識を新たにした。問題点は実働メンバーが少ないこと、高齢化していることで、この中では「若手」と呼ばれる私などは、今後ますますしっかり勉強して、この良き伝統をつないでいかなければと思った。



オーガスト失明してから一番長い外出で心配した(前夜から私は少々緊張状態、それを察して猫のほうもナーバスになり、夜ひどく鳴いて、私は寝不足で出かける羽目になった)けれど、戻ってみると猫たちは平和なものだった。ところが、思わぬ枯れ木のプレゼントで私が心を乱し、平和記念館の見学レポートが遅くなってしまった。



記念館のホームページより「証言 それぞれの記憶」コーナー


満蒙開拓平和記念館ホームページ:http://www.manmoukinenkan.com/