よんばば つれづれ

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初代のパソコンにお別れ

今使っているパソコンは3台目です。一番初めのマイPCは1999年に長男が初めての冬のボーナスでプレゼントしてくれたものでした。それまで、ボランティアをしていた点字図書館のパソコンは使っていましたが、そこにもまだ2台しかない貴重品で、決まったソフトで決まった作業を、間違えないように緊張しながらしていただけでした。

気兼ねなく自由に使えるマイPCを得て、しかも点字図書館では繋がっていなかったインターネットにも繋がって、私の本格的なパソコンとの付き合いがスタートしました。当時はまだ電話回線しかインターネットに繋がる手段がなく、料金も高かったため夜11時以降のつなぎ放題を利用したのですが、その時間になるとどっと回線が集中してとても不便でした。

1999年ということで、ちょうどコンピューターの2000年問題が騒がれていた時期で、それでなくてもあぶなっかしい初心者ゆえドキドキしながら新年を迎えました。結果は拍子抜けするくらいなあんにも起きなかったんですけどね。

それまで機械類は苦手だったのですが、パソコンは結構性に合っていたようです。まだまだ性能の低かった当時のパソコンで、ボランティアの録音図書作りに挑戦した(その頃普通のユーザーはパソコンは音が出ないものくらいに思っていた)ため、さまざまなトラブルに合いました。息子に教えを請いながらもなんとかそれらを自力で解決し、そうした中で少しずつ力も付いていったようです。お陰でのちに就職した職場では、私より若い男性がいっぱいいるのに、パソコンについては、なぜか年も取っていて文系機械オンチの私が頼りにされました。

その後2台目は惚れ惚れするほどスタイリッシュな、ソニーの一体型PCのバイオを買いました。テレビの線を繋いだので録画も簡単にでき気に入っていましたが、私の使い方に優しさが足りなかったのか、4年弱でダウンしてしまい、現在のマシンに至っています。まだ元気に動いてくれていますが、OSがXPなのでそろそろ替えなければなりません。

初代パソコンのモニターはものすごく大きくて重いものだったので、使わなくなった時に電気屋さんに引き取ってもらったのですが、本体はなんだか捨てがたくて取ってありました。でもこのところの「整理したい病」で、いよいよこの思い出深いパソコンともさよならすることにしました。

このマシンのお陰で機械オンチと思い込んでいた自分の意外な面を発見し、生活が豊かに便利になりました。パソコンはハンディキャップのある人の力になってくれる機械です。だからうまく使えば年寄りにも力強い味方になってくれます。息子から贈られたパソコンがなかったら、今の私のパソコンライフはなかったでしょう。

けれども年のせいかだんだんマシンの入れ替えに伴う作業などがおっくうになってきて、今後の人生であと何回この必要が生じるのかが気になります。タブレット、ウエアラブルと形は進化していきますが、普通の家電品のように気楽に使える道具にはなるのでしょうか。もうメールやエクセルやインターネットなしの生活は考えられないので、ここのところがとても気になります。



お母さんはインターネットがなくちゃ暮らせない?
あたしたちはベッドの中のちっちゃいホットカーペットがなくっちゃ暮らせません!

(もうほとんど四六時中入れっぱなし。なんとなく爪を立てて感電したりしないか心配で去年までは夜間のみ湯たんぽ使用だったのですが、その充電式湯たんぽが壊れ、年老いたオーガストが寒がりで長時間必要とするようになったし、思い切って電気式に頼ってしまいました)