よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

あるじゃないですかは嫌じゃないですか?

○○ってあるじゃないですかぁ、と言う表現、テレビでも身の回りでももう耳にしない日はありません。テレビではアナウンサーが、私語ではなくれっきとした番組の進行の言葉の中でさえ使っています。以前はマスコミで「おかしい」と批判する文章なども目にしましたが、それも全くなくなり、すでに市民権を得た当たり前の表現になってしまったようです。

私の記憶では、初めてこの言い方を聞いたのは、20年ほど前。テレビのバラエティ番組で相原勇(なつかしい!)の発言の中で聞きました。私にとってはとても衝撃的だったので、はっきりと覚えています。それまでこの表現は、「今日の新聞知りませんか?」「あなたのすぐそばにあるじゃないですか」のような、ちょっとたしなめられるようなニュアンスのある言い方で使われていたと思います。それで、相原勇が「○○ってあるじゃないですか」と言った時、私はビクっと反応してしまいました。

そういえば私も結婚して神奈川で暮らすようになり、標準語を使わなければならなくなった時、「・・・ってありますでしょ」なんて、なんかとっても気恥ずかしくて使いにくかったな、とそのとき思い出しました。語尾というのは方言の特徴の出やすい部分だと思います。私が今住んでいる地方の言葉では「・・・ってあるらぁ」とか、「・・・ってあるじゃん」などと言います。以前住んでいた青森では「・・・ってあるっきゃあ」「・・・ってあるべ」などとなります。関西弁なら「・・・ってあるやろ」「・・・ってあるやん」とでも言うのでしょうか。

おそらく地方出身者だった相原さんも「・・・ってありますよね」では馴れ馴れしいかな、でも「・・・ってありますでしょ」はちょっと言えない、じゃあ「・・・ってあるじゃないですか」ってなったのかも知れません。そして同じように語尾の言い回しに躊躇していた多くの人々が、これは便利、丁寧そうで目上の人にも公的な場にも使えそう!とどんどん飛びついていったのでしょう。便利だから急激に広まる力があったのです。


同じように未だに私が抵抗を感じているのが、「やばい」という言葉です。女子高校生も妙齢の(この表現もいまや死語)女性もごく普通に使っています。しかも「とても素敵」という肯定的な意味合いにも使います。私の人生の大半を占める部分で、この言葉は男性でもある一部の人々やごく特殊な職業の人しか使わない言葉でした。ですからどうしても抵抗を感じてしまいます。


言葉は生き物で、時代とともに変わっていくものです。抵抗しても仕方がないのですが、母国語というのは理屈ではなく聞いて慣れて覚えていくものだから、できるだけ耳に心地よい美しい言葉が身の回りに溢れている社会であってほしいと願います。豊かな方言ときちんと伝わる標準語の両方を使い分けて、自分の思いを細やかに表現できる人間を育んでいきたいものです。責任は大人にあります。安易に若者に迎合して同じような言葉の感覚になっては、若い人たちはお手本を失います。汚い言葉を汚いと感じる感覚が育ちません。いつの時代も若者は自分たちだけの言葉を使いたがりますが、時と場合によってそれをたしなめ、社会人としての言葉の引き出しを増やしてやるのは大人の務めです。