よんばば つれづれ

現在はこちらで書いてます https://hikikomoriobaba.hatenadiary.com/

猫を飼っていると直面すること

 

だいぶ前にハフィントンポストのサイトで見つけた、猫に関する楽しい記事。

 

www.huffingtonpost.jp

 

猫を飼ったことのある人なら、この中のいくつかは「ある、ある、ある・・・」と思っちゃう。つい、ニンマリしてしまう。

 

 

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手紙を書こうとか、勉強しようとか思うと、必ず邪魔してくれた・・・。

目が語っている。そんなことより、アタシと遊んで!

 

 

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ウ~、のど乾いてたんだ!

 

 

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あっ、あの、温風が来ないんですけど・・・。

 

 

・・・な、日々だったんですよね、我が家も。

武器ではなく命の水を!

去年ちょうど私の住む豊橋中村哲医師の講演会があり、直接お話を伺うことができた。

 

そのときのことをご紹介した拙ブログ:

yonnbaba.hatenablog.com

 

先週その中村医師のアフガニスタンでの活動を紹介する番組があり、録画していたのを今日見た。昨日がアメリカの9.11テロから15年だったので、それを意識しての放送だったのだろう。

 

昨年の講演は、あまり日本で知られていないアフガニスタンという国についての情報が多めになっていたが、この番組では中村医師たちの砂漠の中での水路作りの困難さがよく分かった。もちろん見渡す限り色のない山々とそのふもとの不毛の乾燥地が、マルワリード(真珠という意味だとか)用水路のおかげで豊かな緑の大地に変わるのは、テレビ画面で見るとそれはそれは感動的だった。

 

中村医師はまるで土木技師のようになっているが、平和活動としてやっているのではない。医療行為の延長だと仰る。100人の医師を連れてくるより、1本の水路の方が多くの人命を救うことができると。命を救い、農業ができる環境ができ、家族が離れ離れになることなく食べていけるようになれば、誰も好きこのんで傭兵になどならない。食べられないからそうならざるを得ないのだ。水路を引き農業ができるようになって、結果的に平和が得られる・・・。

 

 

再放送があるようなので、ぜひ多くの方に観ていただきたい。

再放送予定:9月17日(土)午前0:00〜

ETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲アフガニスタン

 

 

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ウェブサイトより借用

「よさこい」に魅せられたフィンランドの学生

昨日の昼間テレビを付けたら、『Youは何しに日本へ』とかいう番組(たぶん再放送)をやっていた。そのまま見ていると画面にはフィンランドから来たという若い女性が登場し、東北大学に短期留学ということらしいのだけれど、日本には何度も来ているそうで、日本語もかなり堪能だった。

 

何が気にいってそんなに度々来ているのかと聞くと、「ソーランに魅せられて」ということだった。札幌のソーラン祭りは知っていたが、いまやこの祭りは全国各地にあるようで、仙台のそれも全国で3本の指に入る盛大なものなのだそうだ。

 

そして東北大のソーラン踊りのサークルはメンバー180名以上という、出場チームの中でもかなり大所帯のグループとのこと。彼女はもうソーラン祭りの魅力のとりこになってしまい、去年に続いて今年もその祭りに仲間と一緒に出場するため、はるばるフィンランドから来たのだそうだ。

 

そしてソーラン祭りについての本をヨーロッパで紹介し、あちらでも流行らせ、祭りを開催するのが夢で、現在その本を翻訳するために勉強中とのことだった。「ソーラン」との出合いは、人生が変わるくらいの出合いだった、この祭りの踊りの中に自分の居場所があるというようなことを言っていた。

 

「お金はどうやって?」という番組スタッフの質問に、「国が出してくれる。私は月7万円くらいもらっている。返済の必要もない」と答えていた。フィンランドは、たしか小学校から大学まで無料だ。そのうえ返済不要の奨学金までもらえる。金額に多少幅はあるが、学生なら誰でももらえると言っていた。

 

 

彼女は本当に生き生きとして楽しそうだった。同じような若者でありながら、彼女が仲間とソーランを踊っているその時に、テロや紛争に関わっている若者もいるのだと思うと、その違いに愕然とする。彼女のように、自分の好きなことを自由に学ぶ権利を得られる国が、戦闘をしている若者たちにもあったなら、それでも彼らは武器を選ぶだろうか。

 

誰も生まれる国を選ぶことはできない。せめて先に生まれている大人は、どこの国に生まれようと、子供たちが等しく心穏やかに暮らせ、そして受けたい教育を受けて育つことのできる環境を用意してやりたいものだ。いまや日本もかなりあやしくなってきている。昨日もJKビジネスで摘発された業者のニュースで、そこに登録し働いていた女子高校生の中には、自分で学費を稼ぐためだったという子が少なからずいると言っていた。

 

フィンランドは一人当たりのGDPでは遥かに日本より上だけれど、それでもこの国がいちおう経済大国を自負する国であるのなら、学ぶ意欲のある子供は、親の収入と関係なく安心して学べる社会にしたいものだ。それが結局は国のためになることでもある。

 

 

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脳味噌のさび落とし!

ご近所さんに頼まれて、中学2年生の女のお子さんの勉強をみてあげることになった。木曜日が部活の休みの日ということで、今日がその第一回目だった。

 

お母さんに頼まれたときにも言ったのだけれど、教える仕事から離れて二十数年。経理の仕事を辞めてからも3年以上たち、毎日が日曜日のグウタラな生活で、すっかり我が脳みそはさび付いてしまっている。はたして使い物になることやら。親子では教える方も教わる方もとかく感情的になりがちだから、他人の私がすることでいくらか冷静に対処できるかなとは思う。

 

さて、やってきた彼女とまずは初対面の挨拶。頭はサビサビだけど、徐々に脳を活性化して頑張るからと話す。でも、頼りにならない、気が合わないと思ったら、遠慮なくお払い箱にしてね、とも念を押す。素直で打てば響くお子さんで、これから一緒に学んでいくことがなんだかとても楽しみな気分だ。

 

今日は数学の文章題で少々ややこしいのがあり、早速私の宿題にしてもらった。彼女が帰ってから、ちょっと落ち着いて考えたらすぐ分かったのだけれど・・・。

 

記憶力、思考力ともに低下傾向著しいが、こうして責任を持つことで少しは活性化されるのではないかと思う。毎日に新しい刺激と張りが生まれた。私を信じて大切なお子さんを託してくださったご両親に感謝。素直に来てくれたNちゃんに感謝。

 

 

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オベンキョ、だ い す き・・・zzz

コグニサイズは笑顔の日

火曜日の午後は地域の老人会の「コグニサイズ教室」の日だ。月に2回は地域包括支援センターから指導者が来てくれて行うが、残りの週は自分たちだけで行う。

 

今日は指導者の来ない日だったけれど、それでも10人の仲間が集まって、ストレッチや有酸素運動そしてコグニサイズの運動を行った。始める前は、専門家が来るときはいいとしても、仲間だけでする日は参加者が少ないかもしれないと、言いだしっぺとしては少々心配だった。でも会長さんや顔の広い方が声を掛けて誘ってくれたりするお陰で、毎回10人前後は集まってくれて、賑やかに楽しく実施できている。

 

運動と認知症予防を兼ねたコグニサイズ運動は、足踏みしながらしりとりしたり引き算をしたりするのだけれど、結構間違えたり詰まって悩む人がいたりで、いつも大笑いになる。性格がとても明るくて場を和ませる方がいて、おどけたことを言って皆の爆笑を誘う。一人暮らしをしているとしゃべることもないが、笑うということもないので、この教室は私には貴重な「笑える場」だ。

 

今日参加した方たちに、センター指導の6か月間が終了した後はどうするか聞いたところ、どなたも楽しいし自分たちだけでも続けましょうという意見だった。喜んでいただけていることが確認できて、提案者としてとても嬉しかった。

 

明るく楽しく続けながら、みんなで少しでも元気に年を重ねていけたらいいなと思う。

 

コグニサイズの例

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ウェブサイトより

 

 

 

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あなたたちにもコグニサイズさせれば良かった・・・カナ?

 

 

『天の梯』-みをつくし料理帖完結編ー高田郁著

うっかりしていた。『みをつくし料理帖』の最終巻がもう出ているはず・・・と調べたら、なんと、もう2年も前に出版されていた。前回読んでからもうそんなになるのかと、時の流れの速さに驚く。

 

熱烈なファンの方々にすれば「何をいまごろ寝ぼけたことを・・・」と思われるだろうが、あまりに素晴らしかったので、時を失していても感想を書かずにはいられない。

 

こんなにも一文一文に愛情がこもっている物語があるだろうかと思うほど、作者のこの物語および登場人物一人一人、そして料理を作るという行為に対する深い愛情を感じた。これまでの9巻も良かったけれど、最終巻は濃縮もいいところ、心がふるえっぱなしだった。

 

全10巻5年間にわたって紡がれてきたこの物語には、ヒロインを取り巻く大切な人々だけでも随分多くの登場人物がいて、それぞれに様々な人生を背負っていることをずっと読んできた読者は知っている。

 

ご存じない方々のためにざっと解説をすると、ヒロイン澪(みお)と野江(のえ)は幼馴染、少女の頃の大阪の大洪水でともに両親を失い、離れ離れになってしまう。かたや吉原の伝説の花魁となり、かたや生まれ持っての料理の才で身を立てながら、いつか苦界に沈んだ友を救い出し、再びともに自由に生きられる日を夢見る。

 

そうしたなか、周囲に現れる善意の人々や、澪の料理の腕をねたんで陥れようとする輩も現れ、それぞれに思うに任せぬ過酷な運命が展開していく。

 

この最終巻でも、さらにつらい試練に遭遇するひとたちもいるのだが、その新しい問題も、またこれまでの9巻のなかで残してきた問題も心のしこりもなにもかも、みごとなまでにきちんと収斂していく。そのかたの付け方も、ただもう見事!というほかない。

 

今までの巻は処分してしまったのだけれど、この最終巻だけは手元に残しておこうと思う。いや、この巻を読んで、あらためてもう一度最初から読み直してみたい気持ちになり、全て残しておけばよかったと軽い後悔がある。

 

どの本も巻末に、物語に登場する料理何点かの調理法が載っている。物語の舞台である江戸時代の材料、調味料や道具で作れるレシピになっている。全て著者が何度も試作して納得のいった方法とのこと。最終巻にはさらにおまけで、物語中でもたびたび話題になった江戸時代の料理番付が綴じ込みになっていて、しかもその内容をよく見ると、登場人物たちのその後が垣間見えたりする仕掛けになっていて、どこまでも心憎い。

 

ファンの熱烈な要望で、いずれ登場人物たちの後日譚として1巻が出されるらしいので、楽しみに待ちたい。

 

 

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『平和通りと名付けられた街を歩いて』目取真俊初期短篇集

この前のばななさんの『なんくるない』が「観光客の書いた」沖縄の話だったので、「生活者の書いた」沖縄の話をと思い手にした。

 

やはり相当趣は異なっている。

 

30ページ前後の作品3篇と、80ページ前後の作品2篇とでなる短篇集だ。ちょっと気持ち悪くて苦手な話もあったが、後半の2作品にはとても考えさせられた。

 

表題作『平和通り・・・』は、沖縄の献血大会に皇太子夫妻が出席するために過剰警備となり、パレードの通る「平和通り」で魚の行商をしていた人たちやその家族が理不尽に翻弄される物語だ。

 

この話自体はもちろんフィクションだけれど、皇太子ご夫妻が沖縄を訪問し戦跡で慰霊をなさるなどの感動的なニュース映像の陰には、確かにこのような沖縄の人々の葛藤や新たな痛みがあったのだろうなと想像される。1975年の火炎瓶事件があっただけに、その後のご訪問の警備はかくもありなんと思われる。けれども、これがもしほかの土地だったとしても、同じようなことが行われたのだろうか。

 

沖縄の住民の数と戦死者数とを考えれば、沖縄の人々のかなりが何かしら戦争の犠牲者と関連があることだろう。天皇に対して複雑な思いがあって不思議ではない。また常に内地に搾取され犠牲になってきた歴史を思えば、我々本土の人間にもどれほどの恨みつらみがあることだろう。

 

それらをすべて呑み込んだうえでの、『標的の村』や『戦場ぬ止み』などの映画で見られるあの明るさなのかと思うと、なんと沖縄の方たちは強く心の深い方たちかと、あらためて感動する。私たちはいつまでその寛容さに甘え、つけ込んでいるのか・・・。

 

最後の『マーの見た空』は、少し知恵の遅れた少年「マー」との子供の頃の交流にまつわる悲しく残酷な物語だ。おりしも、社会は障碍者とどう向き合うべきかがさかんに語られている。

 

日常の中に当たり前のように「マー」のような少年がいて、からかいやいじめの対象にもなりがちだった時代(私が子供の頃はまさにそうした状況だった)、施設の整備が進んで隔離され、暮らしのなかであまりそうした人々の存在を意識することがなくなった時代をへて、いままたマイノリティーの人たちも普通に包摂して行く社会に向かおうとしている。

 

医学や科学が進歩して病気や障碍についての理解が進んでも、人の心というものはなかなか変わりにくいものだ。これからも、少年「マー」の味わった悲しみが何度となく繰り返されていくことだろうが、少しずつでも私たちは学んでいきたい。

 

 

8月に読んだ本は12冊。仕事を退職してから3番目の読書量だった。スタンディングに行かなくなったり、今月1か月夏休みというサークルもあったりで、時間が豊富だった。読んでもすぐ忘れる、人生に深い影響を受けることが少ない、という薄味の読書になってしまったけれど、それでも本当に心に響いたものは案外残っていたりもする。とにかく、私にとって今のところ読書は貴重な楽しみのひとつだ。活字を追える視力が持ち続けられますように・・・。

 

 

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この本にピッタリな装丁

 

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ちくま文学の森』全16巻もやっと読破した

 

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装丁は大好きな安野光雅さん(ピンボケご容赦!)