よんばば つれづれ

民主主義を機能させる、自立した「ひとり」でありたい

4か月ぶりの墓参

穏やかそうな天気なので、久々の墓参に出かけることにした。月に一度は行くようにしていたが、タクシーで往復したお盆のあとは休ませてもらい、今日は4か月ぶりだった。

 

痛みなく歩けるようになったことだしと思い、最寄り駅から霊園までゆっくり30分近くかけて歩く。途中、アクセサリーやインテリア小物を扱う、小さいけれどセンスがよくて、時々のぞくのを楽しみにしていた雑貨店の店内が、空っぽになっているのを発見。営業をやめてしまったようだ。やっぱりねェと思う。

 

豊橋は、日に日に点と点の間を車で移動するだけの街になっていく。目的地までの道のりを歩く人は非常に少なく、途中の目を楽しませる店は営業が苦しくてどんどん閉めていってしまうため、ますます歩く人は減る・・・という悪循環だ。

 

今年の夏兄が亡くなったので、墓は新しい卒塔婆で埋まっている。両親と4人兄弟の6人家族で育ったが、そのうちの4人(一番最初の男児が生後四十幾日で召されているので、それも入れると7人中5人)があちらに行ってしまい、現世に残るは姉と私の二人だけで、いまや天国の方が賑やかにやっているだろう。家族皆が平穏に暮らせていることを感謝し、私の手術が無事終わったことを報告した

 

 

墓参のあと霊園の近くの店でランチをとり、バスで豊橋駅へ。9月にランチ会をした若い友人たちのいる元の職場(駅から徒歩5分ほど)に顔を出す。

 

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 一番会いたかったHさんは先週の15日で産休に入ったとのことでいなかったが、Sさんが電話をしたら飛んできてくれて、顔を見ることができた。来月予定日だけあって、立派なお腹。どうか無事に元気なお子さんが生まれますように・・・。

 

 

あれこれと心にかかっていたことを果たせ、有意義な一日だった。

 

 

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アドベントカレンダーのクマのパパさん

毎朝楽しみにアドベントカレンダーを開けている。

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これは先日紹介したときの写真なので窓が4つしか開いていないが、今はもう三分の二以上開いている。大人でもこんなに楽しいのだから、小さな子はさぞかしワクワクするだろう。

 

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で、これは先日チョコとともに出てきたクマのパパさん。大事そうに胸に抱えているのは、可愛い坊やへのプレゼントだろうか。

 

 

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マスコットが3つになって、パーティーの雰囲気になってきた。楽しい音楽が聞こえてきそう・・・。

 

 

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これは昨日のYさんが、シフォンケーキとともにプレゼントしてくれた手作りのブローチ。素材は布。直径3センチほどの愛らしいサイズ。さぞかし細かい作業だろう。

 

寒い日が続いているけれど、こういうものを眺めていると、心も体もなんだかあったかくなってくる。

 

 

人間への希望を感じ胸がふるえた

少し前にNHKの朝のニュースでも取り上げていた「分身ロボットカフェ」を、今日は『真相報道バンキシャ』でもう少し詳しく紹介していた。

 

以前入院中の子供の分身として、学校で授業を受けられるロボットOriHimeが紹介されたことがあったが、今回このカフェで接客をしたのは、そのOriHimeがさらに進化したものだ。身長は120センチで、自ら動いて飲み物を提供することができ、お客さんと会話することもできる。操作するのは、遠く離れた場所にいるハンディキャップを持つ人だ。

 

このロボットを開発した吉藤オリィさんは、自身子供のころに病気やいじめのため外出できなくなり、3年半ほどひきこもりを経験なさったそうだ。その時の孤独感から、なんとか孤独な人を救いたいという思いでこのOriHimeロボットを考案したという。

 

手足に障害があってキーボードが使えない人のためには、目の動きだけで操作できるようになっている。番組には、健常だったころ接客業をしていて、事故のために頸椎損傷で手足が動かせなくなった方が参加していたが、また以前のように好きだった接客の仕事ができて、とても嬉しかったと目を輝かせていた。そして、孤独から抜け出せるかもしれないとも言っていた。

 

ロボットの接客を受けたお客さんの方は、「ロボットという気がしなかった、その人(操作している人)とつながった気がした」と感想を述べていた。

 

 

開発者の吉藤さんの目は、大変に特徴的な大きくて魅力的な目なのだけれど、ひきこもっていたという子供の時の写真の目がとがっている感じが強かったのと対照的に、カフェでロボットたちの働きを見守っている彼の目は、知的鋭さを感じさせながらも深い優しさを湛えて輝いていた。

 

オリィ研究所のホームページ: オリィ研究所

 

この「分身ロボットカフェ」企画のための資金は、クラウドファンディングで調達されたそうだ。毎日心がふさがるようなニュースばかり聞こえてくるけれど、こんなふうに、孤独の淵で苦しむ人を救いたいと考える人がいて、それを支え応援しようとする多くの人がいる。このことに胸がふるえた。

 

吉藤オリィさんの素敵な言葉

人は自分一人のためには生きられないけど、人のためになら生きられる。

(だから、働きたいのに働けないというのはつらい)

 

 

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今日は、間もなく付き合いが50年になろうとする友人2人が訪ねて来てくれた。日本料理店に頼んで作ってもらったという豪華なお弁当は、ついうっかり写真を撮らずにきれいにお腹に収めてしまった。食後のデザートは、Oさんの息子さんが作ってくれたフランボアーズ。

 

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豪華お弁当を食べ、食後のケーキを平らげたのに、さらにYさん手作りのシフォンケーキも食べちゃいました!

 

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クリームまで用意してきてくれました。

Long time no see!は「やっとかめ」

足の痛みがひどくなった8月後半あたりから、ボランティアのふれあい日本語教室も国際協力コスモス会も休ませてもらっている。無事に手術も終わり順調に回復しているので、そろそろ復帰しようと思えばできるのだが、今月はすぐに年末年始のお休みに入ってしまうので、来年から復帰することにしていただいている。

 

ところが数日前、日本語教室のスタッフの一人から連絡があり、13日はポトラックパーティで、車で送り迎えもするから参加しませんかとお誘いいただいた。ありがたくお受けして、今日久々に仲間の皆さんにお会いし、たくさんの方から体を心配する言葉や、いたわりの心遣いをいただいた。

 

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何か月も休んでいる間に、「初めまして」の生徒さんが増えていたり、休む前はまだほとんど目立っていなかった妊婦さんのお腹が、すっかり立派に張り出していたりという変化があった。もちろんチビッ子たちの成長ぶりは目覚ましい。

 

今回も和食に始まって、中国・インドネシア・ブラジルなど、様々なお料理がテーブル一杯に並び、なんとか全種類味見をしたいと頑張ったけれど、とてもすべて制覇することはできなかった。

 

珍しいお料理もあったのに、残念なことに写真を撮り忘れてしまった。おしゃべりもさることながら、これは明らかに食べるのに忙しすぎた証拠。なにしろ、病み上がりとはいえ、内科ではなく外科なので食いしん坊は健在だ。「胸が痛い」などと言ったばかりなのに美味しく食べられるのは、女性のハシクレとしては恥ずかしながら、生物としてはありがたいことだ。

 

タイトルに使った「やっとかめ」は三河弁で「久しぶり」。名古屋でも使うが、名古屋弁では「やっとかめだなも(たぶん今の若い人は使わないだろうが)」と続くのだろうが、東三河地域では「やっとかめだね」。でも、寂しいことに、最近はあまり耳にしない。

 

 

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今日は写真を撮り忘れたので、何年か前のコスモス会のお料理を・・・。今日はこれよりも人数が多く、料理の数も大分多かったです。

 

 

 

今年も歳末助け合い運動で街頭へ

今日は歳末助け合い街頭募金の、当地区民生委員の担当の日。私たちは、朝一番の回を担当した。去年と違ってビルの電光掲示の気温が見えない場所だったが、ネットで調べると、豊橋の今日午前9時の気温は6度となっている。ほぼ昨年と同じくらいか。

 

でも、非常に冷えてつらかった去年の経験を参考に、厚手タイツに裏起毛のパンツ、さらにレッグウオーマーを重ね、パンツのお尻のポケットにはカイロを忍ばせるという重装備で出かけたので、去年よりは寒さがつらくなかった。

 

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担当する時間帯は午前10時から正午までだけれど、出発から駅前の集合場所での準備と、次の時間帯の担当者たちとの引き継ぎを入れると3時間近くなる。足の手術のあと、そんなに長時間立っていたことがまだないし、しかもこのところ長時間冷えた後は決まって具合が悪くなるという傾向もあるのでちょっと不安だったが、前回の赤い羽根の募金は入院中で参加できなかったし、一番新米のメンバーでもある私は、やはり今回は参加しないわけにいかなかった(案じてくださる方もいらしたが)。

 

足踏みしたり、かかとの上げ下げをしたり、大きな声を出して協力を呼び掛けたりしているうちに、なんとか2時間無事に終えることができた。募金してくださる方がいると嬉しさで寒さも疲れも飛ぶのだけれど、なにしろ協力してくれるのは20人に一人いるかどうか、感覚的には30人に一人くらいに思えた。

 

行きは先輩メンバーの車に乗せていただいて行ったが、帰りはついでに片付けたい用事があったので、別行動にさせてもらった。大声を出したせいかお腹がペコペコだったのでまず昼食を済ませ、それから路面電車利用で市役所まで行き、老人会メンバーで、暗い時にウオーキングする人のための反射材付きのたすきをいただいて、帰ってきた。

 

ほとんど駅ビルでのウインドウショッピングもしないで帰ってきたが、やはり最寄り駅で電車を降りた後、家までの10分ちょっとの道のりが、足が重くて長く感じた。でも今回のミッション(大げさ)を無事果たせて、また少し自信がついた。

 

 

街頭募金の費用対効果についての考察は、去年はもちろん、他の折にも言及しているので今回は触れずにおく。

 

 

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ちょうど、地元の福祉団体が駅前で歳末助け合いの募金活動をしている写真が、ネット上にあったのでお借りした。

 

月100時間の残業で考えない人を育てる

セネシオさん(id:cenecio)がブックマークコメントで、「子孫のことを思いデモ・抗議に行ってるのに。悲しくなる。一番悪いのは何も伝えないマスコミかな」ということで、関連するサイトのリンクを貼ってくださったので、見てみた。

https://twitter.com/wanpakutenshi/status/1071370027532640257

 

私の前回のエントリの「胸の痛み」も、ほとんど次世代の人たちへの申し訳なさから来るもので、彼らのために未来が少しでも良くなるよう「何かしなければ・・・」と、なかば脅迫観念のような思いが頭の片隅を占めている。セネシオさんの悲しみがよく分る。

 

今日、見守り隊の会議で小学校に行った。会長や校長の定例の挨拶や教頭先生からの最近の学校の様子の報告のあと、これも毎月のことだけれど、出席者一人ひとりに日ごろ子供たちについて感じていることについての発言が求められる。

 

私は「特にありません」のときが多いのだが、観察の細かい方は、下校時の子供たちのことをこまごま注意し、学校でも指導してほしいと仰る。確かに車道に出ることは危ないし、道に落ちているものなどに気をとられてのんびり帰れば、あとのほうで見守りに立っている方々は待ちくたびれる。指摘されること自体はもっともなことなのだ。

 

SPYBOYさん(id:SPYBOY)も今日のブログで書いていらっしゃるが、「子供は人の言うことは聞かないのが普通」だ。でも、そう思っている大人は案外少ないのではないかと思う。「子供は大人の言うことを聞くべきだ」、あるいは「大人は子供に言うことを聞かせられなければいけない」と思っている。少なくとも、教師たちはそうしなければ責任問題になると思い込んでいるだろうし、親や地域住民の多くも、学校にそれを求めている。

 

だからこうした場で、児童のこれこれの行為が危険だとか、周囲に迷惑をかけているなどと指摘されると、すわ、一大事とばかり、次の日あたりは子供たちに厳重注意となるだろう。

 

こうして一挙手一投足も周囲の大人に「見守られ」、大人社会にとって都合の良い子が育てられていく。大人社会にとって都合の良い子とは、すなわち考えない子なのだ。 

 

私の住む地域は交通事故の心配も多く、大型商業施設も集まっていて、子供たちには危険や誘惑の多いところだ。今年の春、新潟で、大人の見守りがなくなった下校の道で、小学生の女の子が悲惨な事件の犠牲になった事件もあった。だから見守り活動には大切な意味があるとは思うけれど、案ずるあまりに過干渉になってしまうことにも注意が必要だと思う。

 

けれども、会議の場でそうした発言をすれば、おそらく空気を読まない人、あるいは無責任な人という目で見られてしまうだろう。そこまで覚悟する度胸が私にはなく、心の中でちょっと違うんじゃ・・・と思いながらいつも黙している。

 

社会をよりよくするためには、なんと言っても教育が大切で、そのためには国の教育の方針が変わり、学校現場が変わる必要があるが、本当に多くの大人たちが、自分の頭で考え、大人に対してもおかしいと思うことはおかしいと発言するような子供になってほしいと思っているか、非常に疑問だ。だからやっぱり・・・と堂々巡りに陥ってしまう。

 

 

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今日のアドベントカレンダーのマスコット。

上からのアングルなのでチェロのように見えるけど、

コントラバスを弾く白くまくん。せめて写真だけでも明るく可愛くね。

 

 

病気ではないけれど胸が苦しい

思うところあって、ずっと意識的に政治の話題はなるべく避けている。だから「社会のこと」のカテゴリを見ても、熱心に駅前でのスタンディングに参加していた頃を思うと、直接政治について書いているものはかなり少なくなっている。

 

それでもと言うか、だからこそと言うべきか、あまりに胸が痛く苦しい。今日の『報道特集』は未明に成立した「改正入管法」に関連する、外国人労働者の実態について取り上げていた。ろくに説明もないまま危険な機械の操作をさせられ右手の指を失った男性や、契約時に聞いていた給与と全く違う現実や外国人労働者ということで先の見込みもないことに絶望し、自殺を図った女性などがインタビューに答えていた。

 

有権者の圧倒的支持で当選した知事がどんなに拒否しても、強行しようとする辺野古の土砂投入。アンダーコントロールと言った福島など、言った当人はもうすっかりきれいに忘れ去ってしまったようだ。自分の周囲のハイソサエティの人間しか、日本国民だとは思っていないような人でなしの政治が横行している。軽減税率だのポイント還元だのと、選挙を意識していちおうバラマキだけはする。

 

日本の有権者はこんなになめられているのにイカリもしない。かく言う私も、ふつふつとたぎる憤懣をどうすることもできずにいる。何もしないのなら、思考停止して流されている人々と同じではないかという自嘲や自責も加わる。

 

ハテヘイさん(id:hatehei666)も昨日のブログで、「あまり深く考えすぎるとストレスになる。こうした野蛮な政権を早く引き摺り降ろして下さい!というのが、私の切なる祈りである。」と書いていらっしゃるが、私も祈ることならできるので、せめて祈る。信仰を持たない私の祈りは、あまり力がないかも知れないけれども・・・。

水道事業の民営化 - ハテヘイの日記 

 

 

幸いなことに私自身はのんびりと日々暮らせているが、辛い状況に置かれた人たちのことを思うと、無力な自分が情けなく、胸の痛みもいや増す。それなのに、せっかく弱者のために大きな力をふるえる立場にある人々が、少しもそうした方々への想像力や共感力を持たないように見えるのが残念でならない。

 

江戸時代「水飲み百姓」という言葉があった。あの時代、水はタダだったろうが、水道が民営化されたら「水も満足に飲めない庶民」となるのだろうか。

 

 

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