よんばば つれづれ

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5年、10年のブランクを飛び越える友情

今日は忙しい一日だった。朝10時から、事務所の移転をする知人の片付けのお手伝いに行き、そこでごく簡単なお昼をいただいてそのままユネスコ内のグループの打合せに直行し、途中で退席させてもらって、次の約束へ・・・と3つのことを済ませて夕方5時に帰宅した。

 

最後の用事は昨夜急に入った。例の映画自主上映会の宣伝について協力を頼んだ旧友から、時間があったらチラシを郵送でなく会って受け取りたいと連絡があったのだ。旅行の予定があるので、すぐもらえば旅行に出かける前に少しでも配れるし、せっかくだから久しぶりに会いたいし、と言う。彼女も忙しい人なので会える時間があまりなく、ユネスコのメンバーには申し訳なかったが、無理なスケジュールを入れてしまった。

 

平成5年に私が20年ぶりに豊橋に戻って来た時には、この友人から真っ先に連絡があって、「ブラジル人の協会に頼まれて日本語学校を始める、ついてはぜひ手伝ってほしい」と頼まれ、その頃は何回か会うこともあったのだけれど、彼女は忙しいし私は声が掛かれば出かけるけれど自分からは声を掛けない人間だったものだから、このところはもう10年以上会っていなかった。

 

それなのにこんな頼み事で急に連絡を取るなんて・・・と映画のことでメールをするのが少々気がひけたのだけれど、彼女は久々の私からの連絡を喜んでくれて、忙しい中時間を作り、映画のチラシを引き受けてくれた。

 

近所の喫茶店で話をしたのだが、何年のブランクがあってもまるで昨日も会っていた者同士のように話せる。どうしてた?でも、家族の近況でもなく、いきなり世界の、飢餓で亡くなっていく子供だの、学校に通うこともできない子供のことだのの話になる。

 

高校時代の友人なのだけれど、お互いに気持ちはその高校の頃のまま繋がっている。ただ、年齢を重ねて二人ともそれなりに色々な経験をし、話すことの深さや広さは十代の頃より大分増したけれど、感性や価値観、相手への信頼など、人間の根幹の部分にはいささかの揺らぎも感じられない。だからいつ会っても、どれだけブランクがあっても、いきなり話の核心に入っていける。すぐ分かり合える。たった1時間ほどの時間だったけれど、濃縮された充実の時間だった。

 

 

この春から一念発起して、頼まれたら、声が掛かったら、動く、ではなく、自分から動く人になろうとしていて、映画の自主上映もそのひとつだが、このことのお蔭で友人とのこの楽しい時間を持つこともでき、やっぱり動き出して良かったとつくづく思う。

 

まだまだあと1か月ちょっと、頑張らなければいけないけれど、動けば必ず得ることもある、失敗すればしたで、失敗の中からたくさんのことが学べるのだから、恐れずに進んで行こう。

 

 

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先日の老津のバラの庭の写真の中から・・・