よんばば つれづれ

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こういう謎解きいいな『思い出探偵』鏑木蓮著

少ない月でも5、6冊は本を読んでいるけれど、ブログで紹介したいと思う本にはそうそう出合えない。でも、今回の『思い出探偵』は良かった。

 

主人公実相浩二郎は、一人息子が冬の琵琶湖で溺死し、自殺と判断されたことをきっかけに警察を退職し、「思い出探偵社」を始める。助手たちもそれぞれ壮絶な過去や苦い過去、苦しい現在を抱えているが、温かな浩二郎の人柄に惹かれ、また人の思い出を探すという仕事にもやりがいを感じながら働いている。

 

その思い出探偵社の扉をたたく依頼人は、他人にはごみとしか見えないようなものを入れたペンダントを、落とし主にとっては大切なものだろうと判断して、最寄りの喫茶店に届けてくれた人物を探したいという女性や、戦後間もない混乱の中で、米兵の乱暴から救ってくれた少年に、なんとしても命のあるうちに会ってお礼が言いたいという死期の迫った女性などだ。

 

浩二郎たちは絶望的とも思える少ない情報や手掛かりから、切れそうな細い糸を手繰り寄せて尋ね人に近づいていく。殺人事件は起きないが、緻密な謎解きがあり、思いがけないところにどんでん返しも仕掛けられていたりで、ミステリーが十分味わえる。

 

そして何より、依頼人の思い出を探っていく過程で浮かび上がってくる、しみじみとした人間模様がとてもいい。戦後の闇市の背景や、高度経済成長を支えた集団就職の若者たちの風景が、現代に暮らす探偵や助手たちの目を通して鮮やかに描き出される。

 

一番若くて経験も浅い助手の佳菜子は、両親を失った悲惨な過去から、浩二郎や周囲の皆の温かさのなかで立ち直りかけているのだけれど、依頼人の一人が彼女に関わってきて、再び大変な事件に巻き込まれる。この話だけはほかの件と少々雰囲気が違う。いかにも線の細そうな佳菜子だけれど、この事件が無事解決された後、意外にしっかりと立ち直っていく気配が感じられほっとする。

 

もう一人の女性の助手で9歳の女の子を一人で育てている元看護師の由美は、温かで誠実な浩二郎に惹かれているが、そんな浩二郎だからこそ、妻を裏切ることはしないだろうと自分の気持ちを抑える。現実でもフィクションでも、いとも簡単に不倫が扱われる時代に、この二人の生真面目さもとても気持ちが良かった。

 

続編が期待される(実際もう一冊出ているようだ)好著だった。

 

 

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聾学校からの太鼓の音と今あるもの

聾学校わきの道路を歩いていると、太鼓を練習する音が聞こえてきた。聾学校なのだから、当然聴覚に障害のある子供たちが叩いているのだろうと思うと、昨日地域の中学校の体育祭で聞いた、和太鼓部の演奏から受けたのとはまた違った感銘を受けた。

 

以前テレビで聴覚障害の方たちのダンスを見た。太鼓はまだしも空気を震わすものが感じられそうな気がするが、通常の音源の音楽を聴いてダンスをするのはさぞ大変だろうと思った。それでも10人以上だったと思うメンバーが、一糸乱れず見事なダンスを披露していた。

 

帰宅してから調べると、聾学校の和太鼓は小学部の子供たちが挑戦しているらしい。『県立豊橋聾学校小学部の生徒18人は、週に1時間の授業で和太鼓の演奏を学び、「豊ろう少年太鼓」として同市内のイベントなどで演奏を披露している。』という何年か前の地元紙の記事も見つかった。教える方も教えられる子供たちも、たいへんな苦労があることだろうと思う。

 

私も30歳ころから始まった左耳の不調が進み、近ごろは左隣の人の話の聞き取りはかなり不自由する。居酒屋のようなあちこちで声がしている場所では、向かい合っている状態でも難儀するようになった。広い場所で呼びかけられた時、声の方向もつかみにくい。でも、まだまだ大した不自由ではない。

 

人は愚かなもので、失って初めてそれがあったときの幸せを知る。若さも、朝起きた時にどこも痛くない体も、当たり前のように思っていた。家族と暮らす日々にも、あっけないほど早く終わりが来て、一緒にいられた時間の愛おしさを思い知る。

 

今は息子たちも母も猫たちもいなくなり、どこも痛くない体ももう戻らないかもしれないけれど、まだまだあちこちから必要としていただき、出不精ながら引きこもってばかりにならず、あれやこれやと出かける用事がある。ありがたいことだと思う。

 

失ったものを嘆くのでなく、今あるものへの感謝を忘れず、今できることをせいぜい楽しんで暮らしたい。

 

チャコールグレー企業で働く次男はなかなか電話もままならないようで、ゆうべ「母の日にかけられなかったから」と電話をくれた。私がブログに書いた「モヤモヤ」を案じてくれたようだ。

 

でもそのモヤモヤは、深刻な問題がないからこその幸せなモヤモヤだ。ごく個人的なことで大変だったら、政治のことなど憂いていられないだろう。思うようにならないことや、困難なことがあるからこそ、たまにあるちょっとした良いことがいっそう輝くんだよね・・・なんて話を小一時間もした。母になれたこと、心配してくれる息子がいることも、実にありがたいことだと思う。

 

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これは5月16日の写真で、今日はもうしおれてしまっているが、20年ほど前にもらった水栽培のアマリリスを終わったあと地植えしたもの。赤は毎年咲くが、白は何年かに一度しか咲かない。花も咲かない時に嘆くのでなく、咲いた時にせいぜい愛でたい。綺麗に咲いてくれて、ありがとう!

思いがけない贈り物

郵便受けに私信を見つけると、もうそれだけでもワクワクする。今日は封書で、しかも年賀状以外はほとんど遣り取りのない千葉県に住む友人からで、ワクワクもとびきりだった。部屋に持ち帰り、いそいそと開封すると、中から手紙とともに小さなプレゼントが出てきた。

 

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手のひらにすっぽり乗ってしまう可愛い袋。

 

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袋の中から出てきたのは、猫の顔をかたどったビーズの指輪!白い筒を私の指とお思いいただきたい(私の指はごっつくて鑑賞には耐えられない)。

 

手紙には、「昔々、〇〇ちゃんのお誕生会に皆でワイワイお邪魔したのは、確か新学期が始まって間もない5月頃のような記憶があります。同封の物、ささやかなバースデイプレゼントです。娘の手作りのリングです」とあった。

 

この友人を含む仲良しの何人かでお誕生会に招待し合っていたのは、小学校の5、6年生の時だから、もう半世紀以上昔のことだ。なのに、5月だという事(まさに、あと一週間ほど)を覚えていてくれたなんて!そして、このブログを楽しみに読んでくれていることが記されていた。

 

このところ世の中の状況に無力感を覚えることが多く、長男夫婦が帰ったあとのモヤモヤした気分などもひきずって、このところなんとなく気持ちがすっきりしなかったのだけれど、この思いがけない友人からの贈り物に、すっかり幸福な気分に満たされた。こうしてかなたの空の下で、私を心にかけてくれる友がいる。なんてありがたく幸せなことだろう。

 

嬉しくて嬉しくて、午後からのスタンディングの交流会に、早速この猫ちゃんリングをはめて出かけた。

 

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どう?

伊勢型紙講習やら「大人の愉しい夜間学校」やら

金曜日、国際協力コスモス会は、ムスリムの人たちのラマダン期間中という事もあってか、4人だけの出席と少々寂しかった。

 

去年の春お雛様の絵柄の作品を作った伊勢型紙。また同じUさんに教えていただいて、今回は初夏にふさわしい作品を作った。

 

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去年のお雛様は、何回もずれないように気を付けながら重ね刷りをするのが難しかったが、今回は涼やかなスッキリした絵柄で重ね刷りも必要なく、作業は簡単だった。けれども、講師のUさんの作品を見ると、シンプルながら一つの色の中に微妙な濃淡がついていて、やはり技術の違いを感じさせられた。

 

人数も少なく、絵柄もシンプルだったため伊勢型紙が思ったより早く出来上がり、参加者の一人から今日は国際博物館デーで美術博物館に無料で入場できるとの情報もあったため、早めに終了して皆でそちらに行くことになった。

 

豊橋市美術博物館で現在開催中の企画展は、地元出身の「星野眞吾・高畑郁子 二人の足跡展」だ。充実した展示内容でしかも無料だというのに、館内は私たちだけで、とても楽しく贅沢な鑑賞ができた。5月18日、来年もこんな企画があれば、忘れないで利用しようと思う。

 

夜は近くの市民館の「市民大学トラム 大人の愉しい夜間大学」に参加。今日から月1回全5回で、「洋楽歌詞から英語を学ぼう」という講座で、講師はスタンディングの”言い出しっぺ”だ。知り合いがいるとやりにくかろうと思ったのだが、ご本人が「感想ももらいたいので申し込んでは?」と言うので、申し込んだところ、定員を少し上回ったが全員受講できることになった。

 

第一回の今日は”Imagine"を題材に、ジョン・レノンオノ・ヨーコ、Peaceについての話だった。”Imagine”はジョン・レノンの作品とされていたが、オノ・ヨーコの力が大きく働いていて、現在では「二人の作品」となっている。インタビューの中で、ジョン・レノン

But those days I was a bit more selfish, a bit more macho, and I sort of omitted to mention her contribution.

と語っていると知って、あの時代はジョン・レノンでさえそうだったのか!と思った。でも、それから半世紀もの時が流れても、日本の指導者層の大部分はまだその域から抜けられないでいることが、なんとも悲しく情けない。

 

 

昨日は遊んで、今日は学んだ。インプットたっぷりの二日間を過ごしたわけだけれど、私はアウトプットの才能がない。忘れてしまい、零れ落ちてしまう前に、せめてブログに書き留めておこう。

 

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伊勢型紙の道具。本来は型紙を切り抜く作業から始まるのだろうが、私たちは型紙はUさんのをお借りして、色を入れるだけ。

 

 

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昨日のせ忘れた箱根のお昼。

芦ノ湖遊覧船運航中止(泣)の日帰りバス旅行

地元小学校区の4つの老人会合同の、春の日帰りバス旅行。親睦のため、去年に続いて参加する。うちの老人会からは私を含めて女性3人、全体では35人の参加だった。49人乗りの新しいバスは座席も余裕、落ち着いたピンク一色の車体は大きなサービスエリアでも目立って、私のような駐車場で戻るべき車を見失う粗忽者にはありがたかった。

 

事前に、4つほどの候補コースから、各会の会長の集まりで行き先を選ぶ。うちの会は何しろ3年前に発足したばかりの新参者であるうえ、年齢も私が一番下なので、ひたすらおとなしくしているのだが、今年は意中のコースが選ばれたので、去年よりは楽しみにしていた。

 

ところが今日の箱根は深い霧の中。行きのバスの中で、ガイドさんから「視界不良と風で湖面も荒れているため、遊覧船の運航は中止です」との連絡があった。コースの中でも一番魅力を感じていたものが中止とは、心掛けが悪かったのだろうか、とても残念だった。

 

山を下りてくると、皮肉にも下界は日も差していた。遊覧船にも乗れず、富士山の姿も全く見られなかったが、雨が落ちなかっただけ幸運だったと思うことにしよう。

 

年寄り相手の行程ゆえ、行きも帰りもふんだんなトイレ休憩で時間は細切れ。でも個人で参加する旅行と違って、家のすぐ近くまで送迎バスが来てくれ、飲み物食べ物至れり尽くせりで、ほとんど茶の間に座っているだけのような気楽さで観光を楽しませてくれる。こうした機会にしか出かけられない人もいるだろうから、やはりこれは老人会の受け持つべき行事なのだろうと思う。

 

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富士山も芦ノ湖もなく、唯一箱根らしい写真、関所。

 

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沼津サービスエリアの超豪華なパウダールーム。ここにしばらく滞在したいくらい。

 

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こちらはトイレスペース。左側にそれこそホテルの個室のようなドアが並んでいる。行ったことはないけれど、ネットカフェなどより広そうな個室だった。近ごろのサービスエリアの進化はスゴイと、あまり出歩かない私は驚くばかり。

 

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一日限定50個ですぐ売れ切れてしまうという「龍神あんぱん」。箱根神社龍神水を使って作っているのだそうだ。

 

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自分用のみやげとして買った寄せ木細工の秘密箱。全部バラバラにはずせるとのことだったけれど、説明書を見ても元に戻せなくなりそうで、ここまでにする。トホ。

 

朝7時半集合、夕方5時半帰着の、校区老人クラブ日帰り親睦研修旅行の1日でした。

潔い若さが煌めく『ウエストサイドソウル』花村萬月著

主人公は不登校の十七歳、火田光一(ピカイチ)。赤ん坊の彼をおいて、母親は博打中毒の夫に愛想をつかし出て行ってしまった。以来、ピカイチは「大将」と呼ぶ父親と二人暮らしだ。

 

なぜ大将かと言えば、妻に出ていかれて改心した父が、才能が認められつつあった絵画の道を捨てて和食の料理人になり、京料理と酒の店〈御蔭〉を経営しているからだ。客たちが父に対して言う「大将」を、ピカイチは小さなころから自分でも父への呼称にしている。

 

自分自身がひどい挫折を経験しているからか、大将はピカイチに非常に寛大で、彼は自由な日々を送っているが、目的も夢中になるものもなく、自分は透明人間のようだと感じている。

 

そんなピカイチが偶然古本屋で一冊の詩集に出合い、日向という自分のクラスの美しい優等生と出会うことによって、激しく変わっていく物語だ。

 

登場人物は、ほとんど何らかの点で非常に恵まれている人たちだ。経済面や頭脳や芸術的才能など。けれどもどの人物も嫌味を感じさせないのは、みなどこかに静かな悲しみのようなものを抱えているからだろうか。主人公がのめりこんでいく音楽がブルースなのだが、登場人物の心の奥底にも、ブルースが流れているような感じがする。

 

ピカイチと日向はたがいに強く惹かれ合い、求め合う。セックス描写もかなりあるのだけれど、なぜか神々しいほどの雰囲気だ。

 

ピカイチのなかにある天才的な音楽の才能を見出すのは、日向の兄幸多だ。彼の適切な指導もあって、ピカイチはぐんぐんその能力を開花させていく。また、もともと芸術家の父親が、音楽にのめりこみすぎて危険な淵にまで行きかけている息子にいちはやく気づくなど、周囲には彼に対する温かな愛があふれている。

 

自分では少しも自分の才能など分からず、どこまでも謙虚で素直で、これと思う事にはとことん集中するが、それ以外のことにはあっけないほど淡白な主人公ピカイチは、周囲の人をひきつけずにはいないのだが、読み手にとっても彼の魅力こそがこの作品の「ピカイチ」の魅力だ。

 

ギターをはじめとする楽器のテクニックや、ブルースを中心にジャズやクラシックなど、音楽に関する描写もかなりのボリュームを占め、これらの素養があればさらに興味深く読めるかもしれない。

 

ピカイチと日向が夏休みに旅行する沖縄を描いた部分はロードムービーのようで、沖縄の置かれている状況にもそれとなく触れていて、この部分だけでも独立した物語になりそうな魅力を備えている。

 

 

花村萬月さん、なんとなく抱いていたイメージを見事に打ち砕いてくれた。

 

 

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無駄になった見舞の花

知人の見舞いに出かけた。食道がんで口から物が食べられないと聞いていたので、お花を持って行った。ところが、感染症予防などのため生花の持ち込みは禁止とのことで渡せず、むなしく持ち帰るはめになった。見舞に生花は適さないというのは、現代では常識なのだろうか。寡聞にして知らなかった・・・。

 

 

f:id:yonnbaba:20180512170922j:plain可哀そうに、出番がなかったね。

 

隣の市の病院から、1時間に1本しかないバスで豊橋駅前に戻ると4時10分前。今日はスタンディングが4時からの日なので、久々に参加することにした。

 

今日は6人の参加で、なんだかひっそり、という感じがした。あまりに長期戦になっていること、もはやどんなひどいことをしようと言おうと、平然と居座ったもん勝ちのような雰囲気も漂いはじめていることなどで、無力感に襲われている人も多いのではないかと憂う。

 

私自身も、このところなんとなく心が風邪を引いたような気分で過ごしていた。2、3のブログ仲間の方の記事から昨日の「0511怒りの可視化」の全国での行動を知り、少し救われた気分になったのだけれど、今日のスタンディングの参加者はみんなこのことを知らなかった。 こういうニュースがもっと広く伝われば、元気づけられる人も多いことだろう。なんとか、このまま怒りの火をくすぶらせたり、消してしまったりすることのないようにしたいものだと思う。

 

 

昨日は金曜日で国際協力コスモス会の日だった。料理教室を行い、インドネシアの人たちが「チキンヌードル」を教えてくれた。偶然なのだが、木曜日のふれあい日本語教室のポットラックパーティと、国際交流&料理つながりの二日間になった。

 

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麺は日本の焼きそば用を使用。黒いビンはインドネシアの甘い醤油。

 

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出来上がり。お煎餅みたいなものは、餃子の皮を油で揚げたもの。私はネギが好きなので、たっぷりめにトッピングしてもらい、もやしや小松菜が隠れてしまった。しっかり味のついたおいしいチキンもお煎餅の下にたっぷり!スタートが遅れて時間が押してしまったため、ゆっくり食べられなかったのが残念だった。

 

 

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中心となったインドネシアの方たち。